連載「科学技術コミュニケーションを問う」第6回 先端科学技術の落とし穴と足利事件

投稿者: | 2009年8月3日

写図表あり
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先端科学技術の落とし穴と足利事件
五島 綾子(サイエンス・ライター)
足利事件で拘束されていた菅家利和さんが逮捕されて以来,17年半ぶりに2009年6月4日に釈放された.無期懲役判決確定からなんと9年も過ぎ去っていた.検察側が立証の柱にしたのは,1991年のDNA鑑定結果であった.
この鑑定方法は科学警察研究所が開発した手法であったが,遺伝子鑑定の科学研究が猛烈に進む中でこの手法は古くなりつつあった.しかし検察当局は当時のDNA鑑定に固執し,その後の弁護人の再鑑定の要求があったにもかかわらず,その結果で判断をそのままに放置していた1).
足利事件の誤審は,DNA鑑定の専門家でない検察当局や裁判側に今回の主題である “科学研究は作動中であり,科学のもつ不確実性”が認識されていなかったことが背景にあると思われる.今後も司法の世界は客観的判断の根拠として先端科学技術への依存度を増していくであろう.それまで一市民として生きてきた菅家さんの突然の拘束と長年の苦しみは,私たちの明日にいつ降りかかってくるかもしれない問題として捉える必要がある.一方,この誤審による被害者の遺族の複雑な思いやさらなる悲しみも忘れてはなるまい.
今回は,社会の中でふと現れる先端科学技術の落とし穴,”作動中の科学研究と科学のもつ不確実性”に焦点をあて,科学のもつ本質を考えてみよう.
1.”確かな知”と”細分化されてダイナミックに動いていく知”
ヨーロッパでは,科学にはもともと知識を愛するという含みがあり,科学は一つにまとまって一元化されていた.科学に哲学と同じ意味合いがあったからである.しかし19世紀以降,科学はこの宇宙を構成している物質が時間と空間の中でどのように振る舞うかという問いに答える使命をもつこととなった.例えば,無限の宇宙から生命を育む私たちの地球へと思いを巡らしてみよう.46億年前に地球が誕生し,徐々に冷えて海が生まれ,様々な化合物が合成された.36億年前には様々な化合物から原始細胞が誕生し,多細胞へと成長し,植物や動物へと進化し,地球の姿が少しずつ変化してきた.地球上の無生物も生物も物質から成り立っており,これら物質は空間の中で時間とともにダイナミックに変化しているからである.このような物質変化の様相を科学的手法と思考で明らかにすることが科学の目的である.
目的に向かって進む科学研究の中で,ある分野が突出して成長していく.この突出した分野に多くの研究者が集まり小集団を形成する.この小集団が一つの専門分野を形成し,「専門化」が進んでいく.このようにして一つにまとまっていた科学は数学,物理,化学,生物などに分化し,さらにそれぞれが細かく分化していった.1917年にドイツの社会学者のM.ウェーバー(1864-1920)は,学問が一層進む細分化の状況を”学問の専門化は時代の宿命”と講演し,その内容を『職業としての学問』2)として著した.20世紀に入ると,この予言は自然科学の分野で的中し,一層の細分化が進んでいった.
図1 確かな科学知と細分化される科学知
科学の知識には図1のモデルに示すように,大きく分けて二つある.一つは点線の丸い中央の円で示される確かな科学知である.これは専門家仲間により審査され,保証された科学知がその後さらに科学者たちによって別の方法により繰り返し検証され,長い時間をかけて蓄積され共有されていく知である.この確かな科学知は日々刻々バケツに水を満たすように増加していく.
もう一つは突起で示される細分化された状態である.この先端では,先ほど述べたように少数の専門家により日々研究が進んでおり,今日提出された仮説が明日には塗り替えられる可能性がある.とりわけ20世紀においては,確かな知が急激に増大するとともにウェーバーの予測を超えたすざましい”科学の細分化”が起きてしまった.
確かな知が増えていくことは,小学校から大学生まで科学を専門としなくても学ばなければならない知識が増え続けることを意味する.これは学ぶ学生も教える側も大変だ.日本の高校の理科の教科書は薄くコンパクトにまとまっているが,私が特に手にとって確かめた欧米の高校生の生物,化学の教科書は,実に日本の教科書の3倍の分量である.身近な生活と結び付けて,詳しく述べられている.確かな知が増えることは自然界の営みや物質の振る舞いが一段と解明されることを意味している.しかし勉強する学生にとって学ばなければならない科学知識が増えていくことである.よほど教える側に工夫と整理がないと,科学は学生に敬遠されてしまうであろう.教科書づくりには科学と社会の関係をつなぐ意識が必要であるはずだ.
一方,学部を卒業して大学院に入学した学生はいきなり最先端の研究の現場に飛び込むことになる.次々発表される新しい研究を常にチェックし,自分の研究がまだ他の研究者によって先を越されていないかあるいはもっと新しい優れた方法があるのではないかいつも調べなくてはならない.実験室にこもって実験だけでなく,コンピュータの前で常に調査しなくてはならない.こうして最先端の科学研究に関わる大学院生をはじめ研究者は,たこつぼにはまったようにわき目も振らず必死で研究に励まざるを得ない.すざましいほど大量に学術論文が発表されているからだ.これを科学研究の”たこつぼ化”という.図1のモデルはその様相を示している.
2.確かな科学の知を考える -洗濯物は早く乾かす方法-
では確かな知はいかにつくられ,確かなものとなるのであろうか.身近な日常生活の科学に焦点を当てて,どのようにして自然の法則に至るかをみてみよう.実は,自然の法則とは一般には多くの関連ある経験や実験事実を要約して記述したものであるからだ.
そこで,今回は毎日の生活に欠かせない”洗濯物の乾燥”をとりあげよう.例えば,私たちは日々の経験から洗濯物は湿気の少ない日差しの強い昼間,しかも風が強いと速やかに乾燥することを知っている.言い換えれば,洗濯物が早く乾燥する条件として,①気温が高い,②湿度が低い,③風が強いことである.しかしこれらは経験に基づいた推測である.そこでしかるべき条件の下,濡れている布片に対して温度,湿度,風力などの条件を様々に変えて水の蒸発速度を測定してこの推測を確かめることができる.
さらに水と水蒸気の関係について詳しく調べていくと自然の法則につながる.つまりある範囲の温度で水蒸気圧を測定し,定量的な関係を得ることができれば,クラウペイロン・クラウジウスの式3)に導かれるからである.この関係式は,液体の蒸発というマクロな現象を定量的にあらわした自然の法則で,蒸発熱が導き出される.ここではその式は示さないが,この式は物理学分野の熱と仕事の相互変換の関係から発展してきた熱力学という学問の体系の中でも矛盾なく説明される.こうして蒸発の現象について確かな理論となっていったのである.確かな科学知となるには時間と慎重な検証が必要なのだ.
ある自然現象を科学的に説明する場合,巨視的(マクロな)と微視的(ミクロな)という用語がよく使われる.”マクロ”レベルとは肉眼で見える大きさを対象とし,”ミクロ”レベルとは目に見えない分子,原子レベルの状態をさす.科学者たちはマクロな蒸発の現象に対してさらにミクロな説明を探し求めた.物質の振る舞いを探っていくと,最終的に物質を構成する分子で説明しなければならないからだ.
そこで水の蒸発熱(水が蒸発する際に外部から吸収する熱量)から,目に見えない水分子の動きをイメージして水表面の蒸発現象の理解に向かう.水分子同士は液体の中ではお互いに引き合う力が強い.これこそが水という液体の特徴である.これは様々な測定値から推測される.例えば,水の沸騰する温度は1気圧で100℃であるが,酒の成分のアルコール(エチルアルコール)の沸騰する温度はそれより低い78.3℃である.そのためにアルコールのほうが水より蒸発しやすい.料理づくりにお酒を使う場合,水よりアルコールの方が蒸発しやすいことはよく経験するはずだ.
図2 水表面における水分子のダイナミックな動き
図2に示すように,実際には水表面では水分子がエネルギーを得て飛び出して蒸発する現象と,逆にその近くに存在する水蒸気分子がエネルギーを放出し凝結して水になる現象が同時に激しく起きている.この説明が様々な水蒸気圧の実験から一番矛盾がないからであって,実際,肉眼で見たわけではない.もし分子を見えるめがねがあるとしたら,水と空気にはっきりした境界領域はみられず,ダイナミックに波打つような状態かもしれないのだ.現在のところ,室温の水の中の水分子は新幹線くらいの速度で動き回り,水蒸気分子はジェット機くらいのスピードで激しく動き回っていることがわかってきたからである.こういう目に見えない分子の世界の想像も科学者の楽しみなのだ.余談になるが,このような目に見えない分子の世界のイメージ化にコンピュータシミュレーションは威力を発揮している.
そこで話をもどして洗濯物の乾燥を分子のレベルで説明しよう.温度を一定に保っておくと,水と空気の境界領域では水分子が飛び出していく蒸発速度と,水蒸気分子が液体の水表面に液化する凝結速度がやがて等しくなる.ここに熱を加えたりあるいは気温が上がると,水表面の水分子はさらに運動エネルギーを得て蒸発する方向に傾き,乾燥が速やかに進む.また湿度が低い状態では,水表面に存在する水蒸気分子が少ないので水表面から水蒸気分子が飛び出しやすい.また風が強い日であれば,風が水で濡れた衣類の表面に存在する水蒸気分子を吹き飛ばすために水分子が蒸発しやすくなり乾燥が進む.
このように洗濯物の乾燥しやすさというある一つのマクロ現象の観察は,水の蒸気圧と温度の定量的な関係式である自然の法則につながり,理論につながっていく.しかしこの水の蒸気圧と温度の定量的な関係式をミクロな水分子の振る舞いと結び付けようとすると,不明な点が現在の時点で残るのである.いずれこの仮説がさらに高度な方法で確かめられ,確かな理論が将来構築されていくであろう.現象の観察から自然の法則が生まれ,仮説から理論が確立されていくこれらの組み合わせを科学的方法とよぶことが多い.殆どの自然現象はある段階で解明され確かな知となるが,さらに突き詰めると不確かさが残る. 
ところで原子や分子のレベルで説明するまでには長い道のりがあった.古代ギリシャの哲学者,デモクリトスは変化するものはみかけであり,不変の根源的なものがあるにちがいないとし,その根源となる小粒子を原子と呼んだ.この仮説は中世の長いトンネルをくぐり,18世紀になって初めて本格的な原子論が始まった.
イギリスの織物職人の息子で十分な教育を受けていなかったドルトンが独学で目に見えない気体の観察から1808年,”ドルトンの原子論”を打ち立てた.この仮説は,彼が小学校の先生から学んだ気象の観察から生まれたものである.しかし目に見えない原子や分子の存在の検証はむずかしく,科学者の間に議論が沸いていた.結局,立証には至らず,20世紀前半に科学者はマクロな自然現象からアボガドロ数(註1)という定数をいろいろな方法で求めて,間接的に証明した.しかし20世紀半ばになり,電子顕微鏡の発明,さらに20世紀後半,走査型顕微鏡の発明により直接目で見ることにより,原子論,分子論は確かな知となったといえるかもしれない.
このように多くの科学的方法は機械的に生み出されるものではなく,長い年月をかけて科学者の直感的洞察とともにすぐれた技術により地道に推し進められる.なによりもひらめきが一連の科学的方法を前進させてきた.こうした科学的方法で得られた理論は,通常は実験の繰り返しにより,他の可能な理論を消去して一つの理論が生き残る.これが確かな科学知である.
ここで確かな科学知は確立された基礎科学であり,高校や大学の基礎教育として学ぶ自然科学に相当する.しかし基礎教育課程においてはこの確かな科学知のみが教育されるために,学生は,”科学は常に厳密な解を与えてくれる”と過信につながってしまい,そのまま,社会にでても科学への過信が続く場合が多い.科学論や科学技術社会論が彼らに教育されていないからである.こうして科学・技術を専門としない非専門家は科学研究の作動性や不確実性を理解していない場合が多くなる.
3.科学研究の作動性と科学の不確実性
科学研究はつねに未知の部分をはらみながら,その解明を続けていく.十分検証されているわけではないので,明日になれば別の方法でその仮説はひっくり返され新しい仮説が生まれてくる現在進行形の状態にある.図1の突起の最先端は細分化された専門領域での現在進行形にある.これを”科学研究が作動中”であるという.この先端部分は先へ先へと延びていくばかりか,その過程で新たな科学がつくられ,その突起の数は増加していく.市川惇信は,このような科学の世界を20世紀においては”知の爆発”が起きたと表現する4).この現象を証明する一つは20世紀において専門誌の数が指数関数的に増えていったことである.しかし”知の爆発”は全体に均一に増えていくのではなく,専門分野によって勢いは異なり,その上,もはや全体を捉えることさえ難しい.
科学的に解明されたといわれるのは,すべての点にわたり完璧に説明がついている状態であり,説明できない点が残っているようでは科学的解明に成功したとはいえない.ほとんどの科学的対象にはこのように未解明な部分が残っている.これを”科学の不確実性”と呼ぶ.例えば,研究対象が地球規模で再現実験が困難であったり,対象そのものが常に揺らいでいることなどがあげられる.また科学的手法は日々進歩しているといっても,限界が自ずとある.また方法論も近似や仮定の設定,サンプリングの誤差などに問題を含む可能性もある.
理系の大学生は確かな知識を学部の間にたたきこまれる.そのため,前述したように科学は厳密な解を与えてくれると堅く信じるようになる.しかし大学院生になり研究をスタートすると,科学研究は作動し,科学は常に不確実性をもっていることを実感するのである.専門家はこの課題にたびたび遭遇し,理解しているはずである.こうして専門家と非専門家に科学の本質についての理解にずれが生じる.
4.足利事件を再び考える
菅家利和さんが17年間も拘束され,悶々として一人で抱き続けてきた闇を想像するだけで恐怖を感じる.菅家さんは独房の中でなぜこのように拘束されているのか,この拘束はどこでどのように決められたのか問い続けたに違いない.17年半ぶりに釈放された菅家さんは今もその問いを抱き続けている.これは私たちが社会に対して抱える重苦しい暗闇とも相通じている.私たち生活に決定的に重要であるはずの問題がどこで決められているか,皆目,検討がつかないことに対する不安である.メディアは煽るだけ煽り,しばらくすると新しい問題がでてくれば,たちまち置き去りにする.この重苦しさは,私たち社会が深刻な問題を再度じっくり吟味し,なぜこのような事態に陥ったかを検証する力を失っていることを意味している.
検察側が菅家さんの無期懲役判決確定の立証の柱にしたのは,1991年のDNA鑑定結果であった.被害女児のシャツに付着したDNA型と同じ型が出現する確率は1000人に1.2人程度のものであった.そのために当時のDNA鑑定の精度では地球上の人口が70億人に迫ろうとしている中で,犯人はとうてい特定できない.ところが,現在の鑑定精度は4兆7000億人に1人であり,当時のそれと比較するとほぼ50億倍も向上している.20世紀以降,科学技術は急速に進歩してきたが,中でも1990年以降の遺伝子分野はライフサイエンスの中核として世界中で日々革新が起きていた.言い換えると,遺伝子分野では,新しい発見や理論が明日になれば塗り替えられるといっても過言ではない専門家の激しい競争があったのである.現在,iPS細胞の研究に世界の研究者が熾烈な競争を繰り広げていることがメディアを通して伝わってくるが,それと同じ状況にあったのだ.
しかし,その後の弁護人の再鑑定の要求に耳を貸さず,精度の高い最新の方法によるDNA再鑑定を怠っていた.
では,なぜこのような事態に陥ったのであろうか.その要因の一つとしてDNA鑑定の専門家でない検察当局や判断を下す裁判側が「科学は常に厳密で正しい見解をもつ」と信じていたことが伺える.いってみれば, “科学研究は作動中であり,科学のもつ不確実性”が認識されていなかったことが一つの要因であると思われる.
菅家さんが今,このような誤審がおきた経緯を明らかにするよう要求することは当然のことである.私たちは,この誤審がDNA鑑定の専門家と非専門家の認識のずれとともに,司法の判断がなされていく過程でのシステムの不備がどのように関わっていたかを明らかにしほしい.菅家さんに対してばかりでなく,私たち市民にも伝えてほしいと願うばかりだ.
今回取り上げた科学の本質は司法の世界ばかりでなく,環境問題や医療現場などの様々な場面で大切な課題である.
註1:アボガドロ数は1モル(1グラム分子)の純物質中に存在する分子の数で,6.02×1023に相当する.例えば,水1モルすなわち18グラムには,6.02×1023個の水分子が含まれる.
引用文献
1)日本経済新聞2009年6月5日
2)マックス・ウェーバー著,『職業としての学問』尾高邦夫訳,岩波文庫,1980 
  年
3)吉岡甲子郎著,『物理化学大要』,養賢堂,1992年
4)市川惇信著,『暴走する科学技術文明』,岩波書店,2000年

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