第140回 土曜講座 (2002年5月25日 )
米国の軍事科学と日本の基地問題
梅林宏道(NPO法人ピースデポ代表、太平洋軍備撤廃運動(PCDS)国際コーディネーター、隔週刊『核兵器・核実験モニター』編集責任)
doyou56_umebayashi.pdf
●二つのテーマ●
猪野さんに過分なご紹介をいただきました梅林です。
自分で必ずしも整理できないことを人がどのように整理するかに関心があります。今日はどこに焦点を当ててしゃべるかということでずいぶん悩みました。レジュメに沿って話しますと、タイトルである米軍の軍事動向と日本の基地問題という二つの話題を両翼に広げ、それで全体をつなげカバーできるような問題意識をしゃべりたいと思っています。
その両翼を改まっていうと、日本の基地を考えることがおろそかになっている、人々の関心から遠のいているという現実があって、それは非常にピンチだと考えている。日本人として二つの問題点がある。それは岩波新書『在日米軍』の帯にも以下のように引用されています。「私は、二つのことが、日本という国の最も醜いあり方を示していると考えてきた。一つは、『専守防衛』と言いながら在日米軍の攻撃力に依存していること。もう一つは『唯一の被爆国』と言いながら米軍の核兵器で日本を守っていること」であると。日本の国民は何度選挙をやってもそういう政策を支持し続けている。日本市民の選択としてこういうことをやり続けていることに我慢がならない、と考えてきたわけです。
ですから在日米軍というのは市民としての道徳的な基本を問うている問題だと思っています。
日本国憲法に沿って日本が何をするか、ということを日本人は現に選択してきているわけで、それは誰にも言い訳のできない現実であって、だれだれが悪いとか、政府が悪いとかということでは済まされないような何十年を暮らしてきたわけです。その姿は日本人の私たち一人一人が問わなくてはならないことだと思います。
もう一方の極にあるテーマは、その日本が頼っている米軍というのは、「プラネット(惑星)・アメリカ」の支配の道具です。2000年にカナダの有力紙『グローブ・アンド・メール』が「惑星・アメリカ」というシリーズ記事を連載しました。これまでアメカについてはいろいろな表現がされてきました。太平洋のことを「アメリカン・レイク」(アメリカの湖)とか、今の平和は「パックス・アメリカーナ」(アメリカ流の平和)とか。現在アメリカが向かっている姿というのは、そっくりアメリカのための地球、地球秩序をアメリカの支配の下につくる、その構造を支えるのは彼らの先端技術であり、基本は軍事科学であるというイメージがクリアに提出されてきている。そうすると在日米軍と「惑星・アメリカ」というものの関係が抜き差しならないものになってくることは目に見えている。日本の市民に問われているのは、「人類史の未来に対してどう考えるのか」ということと重なって問われている。この問題は物理学をやってきた私としては強い関心があって、「科学と社会を考える土曜講座」の上田さんから講演の依頼があったときに、”科学と社会”というタイトルに非常にふさわしいテーマだと考えました。しかし「基地のことを話してください」ということも最初にありましたので、その二つのことをつなげた結果このような間口の広いテーマになりました。
●「脅威」の真相●
まず、日本の市民は、日本を取り巻く軍事環境あるいは安全保障環境に対して非常に無関心であるし、無知であると言っていいと思います。軍事環境を考えるときに、分析的・事実的データをもつことがまず必要です。『在日米軍』を書くときにも編集者の方と何度もやり取りをしました。軍事の話になると軍事マニアでないとついていけない難しい部隊の名前が出てきたり、そういうところでいきなりギャップを作ってしまうと敬遠されがちだ。しかし、ここは敬遠してはいけない。日本人が税金を払って確固とした軍事大国を作っているわけですから、我慢して最低限のフォローをすべきである。一方で「脅威の環境」と仮に私は呼びたいのですが、今の世界においては軍事力が存在することと脅威が存在することとは別です。「脅威の環境」というのが一方で作られている。脅威は心理的なものですから、同じ軍事力があっても脅威と感じない、米軍はこの地域でものすごい軍事力を持っていますし、在日米軍はまさにそういう存在なのですが、日本人は今のところそれを脅威と感じない。しかし非常に国力が弱い朝鮮民主主義人民共和国の一発のミサイルといものには、ものすごい脅威を感じてしまう、そういう心理的かつきわめて政治的なものとして「脅威の環境」がある。ですから冷静なアプローチとしては「軍事の環境」と、「脅威の環境」をきっちりと区別しながら認識をすることが非常に大事になります。これができていない日本の市民は、おしなべて軍事にかかわる問題、安全保障にかかわる問題を、そのこと自身が危険なものだと感じてしまうところがある。これは平和憲法に守られてきたということの一つの側面として、現実としてそうなっているということがあります。しかし、アプローチとしてはそこをきっちり見る、ということが大事です。
その一つのいい例は1998年のテポドン・ショックです。朝鮮民主主義人民共和国(以下北朝鮮と表記)がテポドン・ミサイルを発射した事件です。これは人工衛星の発射に失敗したというのが比較的正しい認識だと私は思っていますが、そのテポドン発射のときの日本のあわてようというのは非常に大変なものでした。「脅威の環境」を作るには非常に利用価値のあった出来事だと思います。ですから実際大いに利用されたと思いますが、一番の大きな問題は無知、つまり安全保障環境について考えていない市民や国会議員もほとんどそうであったと思いますが、そうした人たちが慌てふためいた。
二つのことを申し上げますが、一つは日本にはテポドンと比べ物にならないほど精密で射程距離も十分に確保できているミサイルが、私の推定では少なくとも200発が北朝鮮をピンポイントのターゲットにしていつでも発射できる状態にあった、ということです。それは在日米軍、横須賀を母港にしている在日米海軍の船に備えられている垂直発射管(ミサイルの垂直発射装置)が五百数十あって、そのうちの200くらいに巡航ミサイル・トマホーク(湾岸戦争で初めて使われた精密ピンポイント攻撃ができるミサイル)がいつでも発射できる態勢にあった。こうした常識をもって普通の国の人たちは、日本を見るでしょうから、「日本人って何だろう?」と思うわけですね。ミサイルの脅威を与えていながら、一発のミサイルが飛んできた状況で大騒ぎをした。国会決議が衆議院でも参議院でも全会一致で挙げられました。その内容は、ひどいと言うより恥ずかしい内容であったと思います。参議院はさすがに少し抑制が効いた内容になっていますが、衆議院では状況についての認識がまったくない。何が問題なのかも認識していない、という決議でした。
もう一つは、テポドンに驚くというのは、ある意味では時代遅れであり理屈に合わない。北朝鮮から1000kmの範囲に日本列島がほぼしっかりとカバーされているわけですが、テポドンの前の世代のノドンミサイルは公称1000kmの射程を持っている。事件は1998年8月の末でしたが、7月の段階で現在の米国防長官であるラムズフェルドが、当時「ミサイル脅威に対する評価委員会」の委員長として出した報告書で、すでにノドンミサイルの配備がすでに完成している、日本がそっくりその射程に入っていると推測していたわけです。ですからもし本当にミサイルが脅威であるとすれば、ノドン実戦配備というところでまず慌てふためいて国会での議論がある、というのが常識的なはずでした。
そういう状況の中で実際には日本の自衛隊・国防担当者はこういうことは全部わかっていたわけですから、しかもアメリカの情報によってミサイル発射実験が近いということがわかっていたわけですから、日本のイージズ艦が発射の時刻を捉えようとレーダーを凝視していた。それから鳥取県の自衛隊の「象の檻」通信基地では聞き耳を立てて電波を傍受しようとしていた。ある意味では突然起こったこととしてではなくて、発射が行われた。
日本の防衛体制については、いろいろ言われますし弱点もありますが、実際このように機能していて、少数の人々が情報を握っている。国会議員もほとんどの国民も関心も持たないという状況でテポドンが発射された、ということになる。この時点で国際的に一番問題なのは北朝鮮が発射の事前予告と発射の方向、予想される飛行ルートの下にある地域に対して警告をする、そういう安全に対する配慮をしなかったことです。安全への配慮と通知というのがまず一番に北朝鮮に要求すべきことであった。もちろんミサイルがいいというわけではありません。でもその場合は日本が米軍に頼んで配備している200発の巡航ミサイルのことも言わなくてはいけない。こちらの脅威と向こうの脅威とをテーブルの上に乗せることになるわけですから、そういう問題としてミサイルの問題を議論し始めるということになるわけです。
●市民の責任●
「平和ボケ」ということがしきりに言われますが、この言葉は非常にイデオロギー的に使われています。もっと米軍活動に対する直接の支援をすべきである、米軍はあんなにがんばっているのだから、なぜ自衛隊も関与しないのかという時に「平和ボケ」という言葉が使われます。そうではなくて、そもそも安全保障環境について、当事者つまり責任ある市民として考えていない、という点においてはやはり「平和ボケ」というのは当たっていると私は思います。
たとえば空母が小樽に寄港したときに36万人もの人が3日間で、みんな子供連れで行くわけです。ハンバーガーショップが出て、それこそテーマパークに行くように空母見物に行く、それについて米軍の文書はどのように書いているかというと「米軍に対する日本の市民感情は非常にいい」「何十万の市民が空母を見るために集まってきた」となるわけです。そういうことに現れている当事者感覚の欠如ということはきっちりと考えなくてはいけない、と思っています。そのへんが今日本が非常に危険な状況に置かれている一つの側面であります。私は戦争を忌避する感覚は日本の市民の中にまだ強くあると考えています。ほかの国の平和運動の事情を聞くと、日本の市民の感覚は違う、その違いはむしろ平和憲法に支えられているものだと強く思います。しかし、無関心のために、平和憲法に護られていたいという漠然とした思いと、現実に米軍に守られているということのために、平和観は非常な矛盾と危険な状況におかれていて、いつどこへ転んで行くかわからない、というような状況にあります。
●巨大な軍隊組織の構造●
事実認識として制度的・組織的にどうなっているかということを簡単に紹介しておきます。まず第一に、アメリカが世界で唯一の軍事大国であるという認識から出発したいと思います。これは非常に大変な状況だと思います。米軍自身も、唯一の超大国だと何度も述べながら、それが崩れないように腐心すると同時に、この際一気にやれるところまでやってしまおうと考えています。
この地図で、米軍は、地球全体のあらゆる地域を責任区域として軍隊を持っているという単純な事実をまず知っていただきたい(図1)。白いのはロシアとアメリカ本土であって、この二つはつい最近まで、というか現在も担当している部隊はなくて、何かがあればすべての部隊が対応するという極限の地域として存在している。
説明の文章は「いかなる地域をとってみても、どの一日をとってみても10ヶ所の作戦と11の演習を、70カ国で行っている」というトータルな米軍の世界展開についての自慢げな記述です。
非常に慌てふためいたのは、『在日米軍』の第三校(第三回目の校正、本になる直前段階)をしているときに、アメリカが統合軍と呼ばれる世界的な軍隊の展開の仕方の変更を発表しました。これは9.11のあと、変更を迫られて半年たって決めた内容です。今年(2002年)の10月1日から実施されます。より完璧に地球の隅々まで米軍が責任分担区域を明確にしました。出版に間に合って最新の図を入れました(『在日米軍』66、67頁参照)。
もちろんアメリカの利益に沿ってということですが。どこが変わるかというと米本土を守るための北方軍というのが新しくできた。これはアメリカでないと考えられないことなんですが、これまでアメリカ本土を守る担当軍隊はいなかったわけです。アメリカの本土は沿岸警備隊と州兵がいざというときに動いてFEMA(連邦緊急管理局)という組織、それはペンタゴン(国防省)とは無関係の組織が国内有事に備えるということだったわけですが、そこに国防省が関与するということで北方軍というのが新しく作られた。ロシアは欧州軍の責任分担地域になった、というのが大きなことです。
もう一つは中央軍というのがどんどん大きくなっていて、以前はアフガニスタンまでで、それから北の部分は中央軍の管轄ではなかったが、今回の事態の反省から、中央軍の責任地域が広がって旧ソ連のカザフスタンまで広がりました。
こうして世界を覆う米軍というイメージが浮かび上がります。その中で太平洋軍というのは最大の部隊でありまして、かつてはアメリカ西海岸からアフリカ東海岸まですべてが太平洋軍の管轄でした。今は中央軍と欧州軍が膨れてそれが狭くなりましたが、それでも最大の軍隊であることは変わりなく、ハワイに司令部を置いています。在日米軍はその太平洋軍に属している一つの部隊です。たまたまアメリカの都合によって日本に前進配備している部隊というのが正しい理解で、日本防衛ということはほぼゼロに近い位置づけに今現在ではなっています。
●日本の基地●
日米安保条約が在日米軍を制度的に許している条約ですが、これには二つの重要な地理概念が書いてある。一つは、日本とアメリカが「共同防衛」する範囲を書いてあります。それは日本の領土・領海・領空です。
「集団的自衛権」という言葉を何度も聞かれると思いますが、米軍に対して攻撃があった時に、それを日本に対する攻撃とみなす、米軍に限らず、同盟関係にある自国ではない国が攻撃されたときに自国への攻撃とみなして対処するというのが集団的自衛権と言われています。
日米安保条約は日本の領土における集団的自衛権を認めている。つまり日本の領土内で米軍が攻撃されればそれを即、日本への攻撃とみなす、そういう意味の地理概念が入っています。もう一つは「極東条項」と呼ばれる内容が入っていて、それは極東の平和と安全のために米軍は日本の基地を使用できる、と書いてある。極東をめぐる国会の議論はずっと以前からあって、今でも生きている解釈は、ほぼフィリピン以北の地域を極東と呼ぶという理解で政府は正式見解としている。この二つの地理概念に加えて日本の憲法第9条で自衛は許されるという憲法解釈、以上の三つによって軍隊の運用をあれこれいじくっているというのが現在の日米安保体制である。そのために、もし日本の領土で武力紛争が起これば、在日米軍というのは確かに動きます。それは当たり前のことで、条約上そうなっているから当然そうなんですが、現実はほとんど日本有事というのを想定していないというのが現在の米戦略の実態です。
在日米軍には、まず海兵隊がある。規模のうえでは一番大きい。沖縄に主力部隊がいて一部山口県の岩国に航空部隊がいます。次に在日米海軍が横須賀に司令部を置いている。主な基地としては長崎県の佐世保、沖縄のホワイトビーチ、船ではなくて海軍の航空機の基地として神奈川県の厚木基地、青森県の三沢がある。これが二番目に大きい部隊。三つ目は在日米空軍、横田、三沢、沖縄に大きな基地がある。この中で沖縄の嘉手納基地は太平洋で通常弾薬の最大の弾薬備蓄基地になっています。横須賀の米海軍基地というのは世界で唯一のアメリカの戦闘艦(空母など)の海外母港基地で、第7艦隊という戦闘部隊が横須賀に司令部を置いている。
一番小さいのが在日米陸軍で、これは時代とともに変わって今では一番小さいですが、かつては一番の大きな部隊だった。キャンプ座間(座間市と相模原市)、相模原には相模補給廠という戦車をベトナムに送り出して、私が最初に市民運動を始めた基地というのが今でもある。これらが大きな米軍基地の所在地です。在日米軍全体の司令部は横田にあります。在日米空軍の司令官が在日米軍全体の司令官でもあるわけです(図2、3『防衛ハンドブック』平成14年 朝雲新聞社より)。
●基地と日本人の生き様●
基地の問題を考えるときに、これには長い歴史があってなかなか難しい問題だとは思いますが、基地が何のためにあるのか、という基本的な問題が当然問われなければいけない。しかし、市民はなかなか日本全体の問題としては考えてくれない。沖縄の人がもっとも切実にそういうことを考えていると思いますが、基地の存在している理由を問うのが非常に難しい。結果として基地の問題、騒音とか環境汚染とか、米兵による犯罪とか、人権・環境など生活にかかわる問題として基地の問題をクローズアップさせていかざるを得ない、という状況がある。それ自体は大切な問題だが、基地それ自体の存在理由を問うことが難しい状況は危険です。
私がここで強調したいのは、日本人の生き様として大枠のところで米軍に依存して生きている、ということ。だから日本政府は必死である。市民のためと本気に考えているかどうかを疑う余地は十分ありますが、しかし私たちが外務省へ行って米軍の話、核の話をしますが、必ず返ってくる言葉は「どうやって日本を守るつもりか」という問いです。彼らは米軍依存が一番いい方法だと言う理論構成をしている。もちろんそれに反論できます。しかし、なぜ米軍基地があるかというと、日本政府がそれが最善の方法と信じているからだ、ということが問題なのです。決して米軍が悪いのではない。アメリカが歓迎されないのにいるのではなて、日本がいて欲しいと思っているから米軍はいる、という構造です。つまり、基地の問題は基地のある地域の問題ではなくて、日本の政策の問題である。このことを今日の一つの中心テーマとして確認しておきたい、と思います。
しかし、活動の実態はどうか、ということに踏み込んで理解をする必要があります。たぶん基地を直接見たこともない人も多いと思いますが、基地を上から撮った写真ですが、これは横須賀のアメリカ第七艦隊の司令部がある基地の全貌です。空母がいて、ここにもう一隻空母がいて、空母が二隻同時に寄港しているという、非常に珍しいというわけではありませんが、珍しい写真です。このへんには空母を護衛するための米軍の艦船がいます(写真1)。
図3 在沖縄米軍兵力の現況
空母をごらんになった方は第一印象で誰でも圧倒されてしまうんですが、鉄の山が聳えているという感じです。これが310mの長さです。滑走路が三本ある。約5000人がこの中で暮らします。ペルシャ湾なんかに行くと約6ヶ月5000人の村、基本的に男ばっかりの村が動いてる、という感じです。一隻では行動できませんから随伴艦と呼ばれる軍艦を携えていく。補給システムは別の軍艦が担当しますが,合計するとトータル一万人くらいの人が海の上で6ヶ月暮らすので、「浮かぶ小都市」と呼ばれます。ですからこの中には映画館もあればスポーツジムもあれば床屋もあります。
このうちの一隻が横須賀を母港にしています。アメリカの情報公開制度を利用して、私自身が調べたものですが、湾岸戦争の後、日本の空母がどのように動いているのかをきちっとしたデータを出そうということで調査しました。空母インデペンデンスの航跡で分かるように、1992年、93年、94年、95年とほとんど出払っている(図4、図5『在日米軍』143、145頁)。遠方で仕事をしている方が圧倒的に多い。この傾向は冷戦後、湾岸戦争が91年にあったからという訳ではなくて、記録をたどってゆけば明らかなことなのですが、空母インデペンデンスの前に横須賀を母港にしたミッドウェーの航跡もほぼ同じである。ベトナム戦争後、インド洋・アラビア海に恒常的な展開を確保するためにどうするか、というのがアメリカの非常な関心事になって、それで空母の前進配備、つまり空母の日本母港を決定して実行した。そのとき世界中に展開するためにたとえばギリシャやシンガポールなどいろんなところに打診をしていたわけですが、結局実現をしたのは日本だけであった。その意味では空母の母港というのは在日米軍の歴史の中で非常に大きな出来事であった。こういう実態であるにもかかわらず、日本政府はその実態を一切市民に説明をしない。当然国会で議論があったわけですが、説明としては「日本を守ってもらっている米軍にあれやこれや指図はできない」という基本姿勢で説明をしてきた。聴かれれば、小泉首相も同じ答えをすると思います。先の空母を例にとると、航海中の日数のうち七割が極東外での活動に従事している。非常に欺瞞的な状況がまかり通っており、国会の中でも日米安保条約を逸脱した実態を正すことができない。先ほど述べたように日米安保条約には二つの地理概念がありますが、そのどちらにも関係なく在日米軍を活用しているのです。これは空母に限らず、主要部隊を見ても現在ほとんどそうなっています。沖縄の海兵隊も基本的には太平洋全域に展開する海兵隊である、とはっきりとアメリカの政策文書の中に書いてあります。海兵隊は第7艦隊の海兵隊である。だから第7艦隊の行動パターンがほぼ海兵隊の行動パターンであると言えます。横須賀ではなく佐世保が海兵隊のための軍艦の母港になっています。佐世保を拠点にして沖縄の海兵隊を積んで、アジア太平洋全域の「火消し部隊」(と彼らは言いますが)、緊急事態に対して動くというのが沖縄海兵隊の仕事になっています。
●沖縄の実情●
沖縄海兵隊については、沖縄は非常に重要、戦略的に極めて重要な地点であって、そこに海兵隊を置くことが不可欠だという「アメリカの戦略上不可欠論」があります。それは私が検証する限りほぼ嘘です。たとえば湾岸戦争の時にペルシャ湾に一番近い海兵隊というのは沖縄の海兵隊だったので、理屈からすれば沖縄の海兵隊がまず派遣されるべきはずですが、実際には4番手くらいでそれもほかの大きな部隊にくっつくために小さく使われるというのが実態でした。まず先に展開したのは米本土からの海兵隊でした。私からすると沖縄の海兵隊というのはいつも準備不足で、軍隊的には非常に弱い不完全な軍隊です。それは米軍の中のいろいろな資料にも書いてあることで「沖縄にいると海兵隊は弱くなる」というようなことを実際に沖縄にいた人たちが書いています。なぜかというとそれは沖縄の基地闘争の勝利とも言うべき現象なんですが、練習をするには制約が多すぎる点です。夜間に何もできない、実弾射撃もできない、あれやってはいけない、これもやってはいけないということばかりでほとんど演習ができない。佐世保の軍艦の数が少なすぎる、そのため佐世保の軍艦と一緒になって訓練をしなくてはいけないときにも、海兵隊は佐世保の軍艦とドッキングをする機会が極めて少ないし、今4隻いるんですが、4隻がそろうことはほとんどない、というようなことが書いてありまして、とにかく非常に不十分な体制にある。ですから軍事的に考えると沖縄の海兵隊が不可欠だという議論は非常におかしな議論です。
●お金と軍隊●
では、何のためにいるかというと、基本的にはお金です。お金と設備、日本のわれわれの税金で作られている沖縄海兵隊の財産は、それは米軍にとって捨てがたい大きな財産です。アメリカは軍人の本給を払うだけで、基地を維持するためのお金は、ほとんど日本の費用でまかなってもらえる。いわゆる「思いやり予算」、その他の基地優遇政策のためにアメリカの出費が少なくてすむ訳です。ブッシュ大統領が軍事費を増強していることはそのとおりですが、何に使いたいかというと、次世代の先端的軍事装備に最大限の投資をしたい。そのため既存基地の維持や装備のメンテナンスに関しては今でもどんどん削っています。そういう状況ですから、なんとしても日本の基地は維持しておきたいという力学が働いている(図6、『在日米軍』40頁)。
国防・防衛という概念、軍事力によって抑止することによって攻撃されないようにする、また可能性のある紛争に対して、即応体制を世界的に展開するというものの考え方で日本を守る、とりわけ石油の輸送ルートを確保するという発想で日本の防衛を考えたときに、日本は日本国憲法の下では、アメリカの軍事力を使って地球的な秩序を確保する、そのことが最善の方法だ、というのが日本の防衛政策の基本的な考えです。ですからそもそも反憲法的なものの考え方で日本防衛を考えているんです。しかし表面的に憲法との整合性をとるために米軍に頼る。米軍に依存することによって自衛隊の行動が表面上憲法の範囲内ですむように、一生懸命工夫してやってきた、というのが日本の政府です。
したがって、今起こっているような問題が当然起こってくるわけです。世界展開をする米軍は日本はもっと遠くに出て支援すべきであると要求を強めてくるでしょう。だから米軍のアフガン作戦支援のためにアラビア海に自衛艦が行くというようになっていくわけで、これは論理必然的な流れです。この流れで起こっていることの根は非常に深い、ということになります。だからどうするか、というところで、みんな問題が大きすぎることに飲まれてしまい、なかなか対案が出せない状況にある。それが十数年以上続いていると私は思っています。しかし、対案は可能だということを私は言い続けている。
●「軍事における革命」の進む未来●
このまま放っておくとどうなるかということについてもう少し現実認識を持ってもらうためにアメリカが向かっている方向を軍事科学の面からたどってみようと思います。ブッシュ政権がものすごい軍事投資をしていると言いましが、これはブッシュ政権になって始まったことではありませんが、しかし彼はそれを正面に掲げてやっている。その背後に流れている考え方は「IT(情報)技術を基礎にした軍事における革命」という言葉に現れています。IT技術を最大限軍事に生かそうとすると、これまでの古典的な米軍の作戦概念や部隊の運用、補給などの考え方を全部捨てないとダメだ、という議論です。ラディカルな軍事における革命(Revolution in Military Affairs=RMA)です。これは「軍事革命」と訳すとおかしいわけで、「軍事による革命」ではなくて「軍事における革命」です。戦争の仕方をITを使って根本的に変えてしまう、という考え方は、「究極的優位」という米軍スローガンと結びついています。それは「全分野における優勢」(フル・スペクトラム・ドミナンス)、つまりどんな分野をとってみてもアメリカに勝る国はない、そういう軍事力に持っていって、それを保ち続けることを目標としています。何のためにかというと、彼らは「アメリカの市民のため」といいますが、基本はアメリカの経済の源になっているグローバリゼーションの地球的秩序を保つためです。つまり、最初に述べた「惑星・アメリカ」のためです。
最近のアフガン戦争もそうですし、湾岸戦争が出発点だったと思いますが、誰が見ても国力が完全に違う国の軍隊に対して、勝ったって当たり前じゃないかと思うような戦争を最小の犠牲者でやり遂げる、それが究極的優位における戦争です。湾岸戦争ではアメリカ人一人の戦死に対して向こうは1000人死んでいる、とい計算です。アフガンについてはまだ数字は出せませんが、これより比率は増えているわけで、絶対的に勝つに決まっていて、こちらは安全地帯にいながら邪魔者を殲滅する、という体制を確立しようとしている。
技術的な表現をするなら、RMAによる戦争は「見えるものは殺しうる」という技術論だと思います。そのために、「通常技術の極限化」が進行している。しかも、こちら側は死なないようにする。だから非常に力を入れているのは宇宙センサーの精度化、宇宙に張り巡らされたセンサーによってひとり一人の動きまで把握できるようにする、という戦争システムに向かっています。私はこれは実用レベルではなかなかうまくはいかない、と考えています。しかし、RMAはこれをやろうとしているのも事実です。センサーは多層にわたって開発されていますが、戦場レベルでは、最近の流行はアンマンド・エリアル・ビークル(UAV)が頻繁に登場します。無人偵察機のようなもので、戦場の精密情報を衛星を通じて司令部に送ります。
この方向を明確に打ち出したのが、2001年に出た「四年期国防見直し」(QDR)というものです。ここでは「脅威ベース」から「能力ベース」へということで新概念が打ち出されました。これからのアメリカの防衛では、誰が敵かということは基本的にはわからない。どこに敵がいるかもわからないし、いつ攻撃が発生するかもわからない。だから誰が脅威かということを基礎にして考えるのではなく、どういう能力を持った敵が現れるか、ということを基礎にして戦略を考える。それは基本的には科学技術・軍事力の動向分析をすることを意味します。今経済の高度なグローバリゼーションの中で、かつての最高級の大型電子計算機でしかできなかった計画、管理、計算をみんな卓上にあるパソコンで十分間に合うわけですね。どういう小さな戦闘グループでも使える高度な軍事技術は増えてきている。ですから、いつミサイルが飛んでくるかわからないし、どういう種類の運搬手段が登場するかわからない。9.11のようなことも含めて、可能な能力に備える、という考え方になる、その対抗技術システムを開発することを強調しています。敵の能力を開発段階から破壊するということも含めてです。
新しい考え方に基づいたときの、アメリカが戦略の「新しい三本柱」と呼んでいるものがあります(図7)。冷戦時代に三本柱と言われたものは核弾頭を運ぶための運搬手段を指していました。ICBM(大陸間弾道弾)、爆撃機、潜水艦発射弾道弾というのがそれです。それに代わる新しい三本柱を考える。
その一つの頂点にあるのが、非核および核攻撃能力ということで、昔の三本柱を規模を小さくして新しい三本柱の一つの頂点にもってくる。規模を小さくしたというのが本日(2002年5月25日)の新聞に載っていたアメリカとロシアが合意したという戦略作戦配備の核弾頭1700から2200発というもので、現在6000発あるものをそこまで減らせる。
しかし、一方でここに「防衛」と書いたものがある。ミサイル防衛が一つの中心で、不意打ちを防ぐためのいろいろな技術開発がある。典型がミサイル防衛で飛んでくるミサイルを打ち落とすというもの。そのシステムを地球規模に張り巡らそうとしています。日本もそれに協力しますということで、海洋型のものを共同開発・研究をしている。
もう一つ重要なのは、迅速な対応能力を持ったインフラストラクチャー、これは軍事科学技術開発を含むインフラストラクチャーです。非常に大きなところで彼らが力を入れているのは人材の確保です。核兵器はある意味では評判が悪くなって、昔マンハッタン計画に集ったような優秀な人材が確保できないでいる。それではだめだということで、巨大な投資をして実験用のおもちゃをたくさん作って、それを使った仕事にあこがれてくる科学者をひきつけて、新しい迅速な対応能力を確保する。それが柱の一つになっています。
●ミサイル削減のウソ、日本への波及●
ごく身近なところで起きようとしている新しい動きを紹介します。
先ほどの三本柱の一つで核兵器は減る。しかし断っておきますが、新聞に書かれている「三分の一に減る」というのはまったく誤解を招く表現です。われわれはほとんど減らないと言っています。それは三分の一に減るという戦略核兵器部分を、アメリカは破壊しないでとっておき再利用できるように先ほどのインフラストラクチャー(三角の右側)のところで置いておく、という考え方にたっているのが第一点。もう一点は戦術核兵器がもっとたくさんの数あるわけで、それが手つかずである。われわれの計算だとトータルの核弾頭数は、現在1万656発あるものが、10年後に9982発に減るだけである。ほとんど減らないに等しいという認識が正しいと思います。
さて、現役から退役させる軍艦の一つにトライデントミサイル発射潜水艦(潜水艦からミサイルを発射する冷戦時代の一つの大きな核発射装置)がありますが、基本的には生き残っていくんですが数は減らす。その減らした潜水艦を巡航ミサイルを発射する潜水艦に改造する計画が進行しています。すると一つのミサイル発射管に7発の巡航ミサイルが収まり、全体としては154発の巡航ミサイルを発射できるようになる。通常精密兵器に置き換えるという考え方です。
それだけではなくて、そのうちの一つを特殊作戦部隊を運ぶためのビークル(アドバンスト・シールズ・デリバリー・システム)、シールズというのは海軍の特殊作戦部隊でそれを運ぶ特殊潜水艇というのがあって、それをここにくっつける。そして小亀のように背中に乗せていってこの中に特殊部隊が入っている。問題の国の近くまで行ったら、潜水艦から潜水艇が離れていって、特殊部隊が国境を侵して情報収集をする。そういう部隊を運ぶための輸送艦の役割と巡航ミサイル発射艦を兼ねた潜水艦に改造するという案で、すでに予算がつきました。それが具体的な一例です。
在日米軍がこういうアメリカの動向の中でどういう風に変化するかと考えてみます。まずは米軍が大きくハイテク化して地球的システムを作ってしまうと、日本はそれに対抗するという考え方を持たないでしょうし、対抗しようと思ってもできっこないわけですから、ますます従属化してゆく。どちらかというと統合されてゆく。この過程が否応なく進行します。今の日本政府の姿勢ですとそれを受け入れざるをえないでしょう。
ヨーロッパでは深刻な議論が始まっています。NATO(北大西洋条約機構)は、アメリカも含めての軍事同盟ですが、その中でアメリカだけが突出してシステム化してゆくとNATOのほかのヨーロッパ諸国が置いてけぼりを食ってしまう。それはアメリカにとってマイナスである、という議論がアメリカの中から起こっています。NATOにおける「軍事における革命」をアメリカがどう助けるか、ということがテーマになっている。今の経済力からするとほかの国はアメリカと同じようなことはできないわけで、従属化は進行し、アメリカの一人勝ちになって行く可能性は非常に強いと思われます。
●ネットワーク型戦争●
最近、横須賀の第7艦隊で、艦隊実験デルタという実験が行われました。これはアメリカの「軍事における革命」で新しい作戦概念を採択したときに在日米軍がどういうことができるかを示すものです。その内容は、彼らは「ネットワーク中心戦争」と呼んでいるんですが、横須賀の第7艦隊の旗艦ブルーリッジが、艦船修理用のドックの中に入って修理中ということを想定し、そこですべての戦闘指揮を執るわけです。日本を母港にしている軍艦もそうでない軍艦も、さらに在韓米軍、一部の韓国の軍隊を含めて、ネットワークで結ばれているけれど、それぞれの軍隊が一緒に行動していない状況で北朝鮮と戦う、という演習をしたわけです。非武装地帯を挟んでミサイルの撃ち合いがあったときに、ミサイルを有効に打ち落とすための情報の共有を、ネットワークを通じてどこまでできるか。そしてどの船のどの武器を使うのが一番精度が高くて効率的であるか。これには補給の問題も出てきますから、どの船のどういう部品が足りなくなったときに、どの船から補給するのが一番いいかということを、分散した部隊のネットワークによって戦う、そういう実験をしています。それに日本の自衛隊が絡んでくると考えると、もはや前方であるとか後方であるとかは、ほぼ無意味になります。武器弾薬は供与できないという日本の態度は実質的には極めて形式的なものになります。最適の兵站という概念からすると、自衛隊の提供する目録は、米軍目録の一部として扱われるわけですから、非常に突出して全体に対して嫌だと言わない限りは、共同で一つの戦争をやっているという以外に言いようのない形になっていく。ですから集団的自衛権の議論も非常にむなしい観念的な話になっていて、現実はますます一つの戦争しかない。それもいろいろな場所にいて、ばらばらにやっているという形でそれが行われるのです。
●市民が作る平和●
どういうふうにして平和や安全を考えるのか、それを現実的な形できちんと問うて、提案をし、実行してゆくことを、市民やNGOがどんどんしないと追いつかない、と思っています。みんなに分かりやすくしかも十分に深められていない考えは「非核地帯」という概念です。
「非核地帯」というと核兵器のことを考える仕組みと思われがちですが、それは間違っています。たとえばモンゴルが非常にすばらしい試みを始めています。モンゴルは中国とロシアにはさまれていて、92年に新モンゴルになりましたが、そこで非核政策をとるということを決めると同時に国連に非核地位の国連決議を上げさせる努力をしました。それは自分の国が非核地域になることを国際的に認めさせる試みです。これは満場一致で採択されました。しかし、国連決議は何の効力もなくて、はっきり言えば単に書いたものにすぎない。ところが、モンゴルはそれを元にして系統的なアプローチをしています。ロシア・中国・アメリカなどと、拘束力のある安全保障を求める交渉をしている。自分の国は核を持たない、だから自分の国に対して最低限核攻撃をしない、実際には核攻撃をしないだけではなくて、モンゴルが安心感を得られるような大国からどのような安全の保証を獲得できるのか、その協定の原案を作る会議をしている。
このアプローチは、少し前から私も言っていて、やろうと思えば日本もできることです。非核三原則は前から言っているわけですから、言っているだけではなくて国連に認めさせる。その見返りとして隣の国から、ロシアから、中国から、そしてアメリカから一定の日本の安全を保証するための確約をとってゆく。先ほど話をしたように外務省が真剣に言うのは北朝鮮と中国の脅威ですが、このアプローチをとれば拘束力のある二国間の法的関係を築くことができる。法的関係として相互に核攻撃をしない、もちろん日本は非核三原則がありますから核攻撃をさせない協定というのを結べるわけです。
さらに私が考えているのは「専守防衛」というものを国際的に定義できるのではないか。日本がよく言う「専守防衛」とは何かということをきちんと定義をする、国際的に専守防衛の概念を確立するように努力する。そうすると日本は専守防衛なんだからあなたの国はこうしちゃいけない、あなたの国との関係はこうでなくてはいけないということを脅威の感じられる国と交渉し、国際的な観衆の面前で専守防衛国としての義務を果たすことと、相手に義務を要求することをやっていく。その関係を発展させていくと私は韓国も専守防衛国になって、この地域に専守防衛地帯というのを作れば、とりあえず地域軍拡が起こらないいろんな制約をかけられる。その関係が成熟してゆけば、武装してゆく必要がなくなり、だんだんと武装のレベルを下げられるわけですから、防衛力の武装レベルは下がっていって非武装地帯が出来上がる。そして憲法の実現ということになりうるわけです。不十分ながら国連で展開されてきた安全保障概念を使いながら、市民のユニークな発想を加えながら提案をしてゆくことによって、日本の安全保障を市民が作って行く形を作ることができる、と考えています。
もう一つはグローバルな問題としては、「惑星・アメリカ」の構想をつぶすのは宇宙兵器禁止条約なるものを早急に作る、国際世論によって作るということが相当有効であると思っています。現在宇宙条約というのがあって、基本的には地球周回軌道には大量破壊兵器(核兵器・生物・化学兵器)を乗せてはならない、ということは決まっている。アメリカもそれに参加している。また、天体(月を含む)に軍事基地を作ってはならない、武器配備をしてはならない。しかし、地球周回軌道への通常兵器の配備は禁止していない。だからアメリカはいま二つのことをしようとしている。一つは地球周回軌道上にレーザー兵器を(エネルギービームを当てることによってミサイルを撃ち落としたり、地上の基地を壊す兵器)配備すること、もう一つは敵の人工衛星を破壊する兵器。
レーザー兵器には二種類あって、空中配備レーザーと宇宙配備レーザーというのがあります。さきほどの宇宙配備レーザーは地球周回軌道上に打ち上げるものですが、空中配備レーザーはボーイング747の機体の中を「ずんどう」にして、ガス(気体)レーザーを装備して兵器にする。こういう飛行機を何機か空中をパトロールさせておく。そしてセンサー衛星がミサイルの発射を感知したら最寄の飛行機がブースト段階(打ち上げ段階)でレーザービームを照射して熱で機能不全にして壊してしまう。このレーザーの地上実験はすんでいる。飛行実験段階に入ろうとしている。
ですから市民運動として非常に急がなくてはいけないのは宇宙兵器の配備を禁止するということです。国際条約づくりの促進が市民運動の課題となります。■
◆参加者との質疑応答◆
Q(女性)日本の政府はアメリカに日本を守らせるのがよいと思ってやっているということだが、アメリカは自分が主体になって「惑星・アメリカ」を作りたいと考えている。アメリカの軍隊は日本が自分を守ってもらうためにコントロールできる代物ではない。日本は何を考えているのか?
A(梅林)彼ら(日本の自衛隊や外務省、政府)が言うのは、一つは安上がりだということです。政治的にも経済的にも安上がりで済むと考えている。もし米軍に頼らないとすると、彼らの頭からすると自分で守らなくてならないと考えるから、自分自身の軍隊を強くして石油のルートを守るよりは米軍に頼ったほうが楽、という考え。もう一つ、軍事力以外の面でも良好な日米関係を重視している。日本からの最大の輸出先はアメリカだから。軍事関係を変えて良好な日米関係を作る智恵と勇気がない。
Q(男性)日本の企業は戦後50年海外でいろいろひどいことをやってきた。それはアメリカの軍事力が背後にあったからではないか?
A(梅林)戦時中における日本軍のことがあるので、日本の軍事力を盾にして経済活動をしようとするとうまくいかない。アメリカが軍事力で平和を保っている中で日本が経済活動をするほうがうまくいく、という考え方がものすごく強い。新興国における経済活動をするには政治的安定が必要。そのためにアメリカの軍事力が必要、財界にはそういう意識が強い。
Q(男性)今後の平和運動との関係なんですが、われわれが対抗するときに米軍も要らない、自衛隊もいらない、平和憲法さえあればいいということを強く主張しなければいけないのですね。
A(梅林)大きく言うと法の支配で安心を得るのか、武力で安心を得るのか、というのが人類社会の二つの選択だった。向こうを信頼しましょうと言うことと同時に約束を侵さないということを国際法で確保する。冷戦時代にできた言葉で「トラスト・アンド・ベリファイ」がある。「信じよう。そして検証しよう」という意味です。それは、不信では何もできないからまず信頼しよう。しかし信頼だけでは保証がないので証明できる関係を作ろう、という意味です。今までの憲法は信頼の部分は強調してきたが、ベリファイの部分をあまり議論してこなかった。日本はこういう考え方でやるんだということは大事だが、相手がそれを認めて、相手もこういうことをしない、ということを約束してもらわなくてはならない。そのためには日本はするべきことがたくさんある。昔の戦争責任や戦後補償の問題など引きずっていることがある。それは一つ一つ大事なこと。
Q(女性)「通常技術の極限化」とはどういうことか、もう少し具体的に教えてください。
A(梅林)たとえば核エネルギーの解放つまり原子力時代を迎えたことというのは、通常技術の革新ではない大きな飛躍的がそこにあった。そのほか、プラスチックの発明、コンピュータ、バイオテクノロジーなどはまったく新しい領域の技術です。しかし、今の「惑星・アメリカ」の軍事技術はそうした今までになかった新しい分野を生み出す技術というものではない。ただし、ICチップはどんどん高度化し、情報処理能力は早くなる。素材や火薬なども強度が増して戦車の能力が向上している。通常技術が極限まで高度化、洗練化され、それらがシステムとして統合されていくことで、軍事的意味が変わってくる、という技術のこと。「見えるものは殺せる」という発想から、見えないものも殺せるのではないか、という発想でアフガニスタンでの地中の敵を目標にした武器の開発なども行われる、など。
Q(男性)アメリカは、大規模な基地や軍事力を使って将来的にはいったい何をしたいのか。
A(梅林)最終的にはアフリカなどまだ経済的に未開発な地域を市場として取り込みたい。そのために軍事力を使って政治的安定を各地域に確保したい、しかしそれはたやすくできることではなく、数十年はかかるだろう。
アフリカ各国、アフガンなどでもてこずっている。IT化やハイテク化で将来的には戦場のあり方、軍隊そのもののあり方が変わるだろうが、それを実現するためにはやはり地球は大きい。さまざまな困難な地形もある。だから現在の米軍の能力は、正確にいうと、米軍は地球のいかなる地点においても数人の兵隊を送ることができる、という言い方をしています。それしかできないのであって、彼らにとっては、そこが反米勢力の温床になりうるのだという不安になります。
攻撃目標の近くに基地を持たないと攻撃は困難。しかし今後は基地の新設や維持は難しい。そこでアメリカが言っているのは、アクセスポイントがほしいということ。したがって日本の基地は今後ますます希少価値になる。■
梅林宏道『在日米軍』(岩波新書、2002年)を読む 猪野修治(湘南科学史懇話会代表)
最近、防衛庁が情報公開法に基づく文書開示請求者の請求理由と思想傾向を示すリストを作成していることが暴露された。防衛庁の役人が文書開示請求者を密かに監視下におく行為は言語道断である。これに対して本書の著者梅林氏はすぐさま反撃に出た。「未熟な人権意識 改革せよ」(『朝日新聞』2002年6月1日朝刊)である。梅林氏は日本や米国の情報公開法に基づく文書開示請求を頻繁に利用する市民活動家である。