第141回土曜講座 博物館見学+研究発表
「ノーベル賞の100年」から考える
20世紀の科学技術 に参加して
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141回の土曜講座は、上野の国立科学博物館に10人が集い瀬川嘉之さんの案内で上記展覧会を見た後、東京工業大学で科学史を研究・教育されている梶雅範さんにノーベル賞の様々な側面ついて講じていただきました。■
「ノーベル賞100周年記念展」のガイドより
瀬川嘉之
今回、上野の科学博物館における上記展示会のガイドをする機会が偶然に近い形であり、科学や技術と社会について考える上で、自分自身にとっては得るところが多かった。科学博物館や科学館についても、「科学館プロジェクト」になかなか貢献できないので、この経験が生かせればと考えている。3月の春休みから6月の初めまでの土日を中心に、科学史を専攻する学生3名と交代だったので、合計14、5日ほど、午前と午後に1日2回、各1時間で2フロアにまたがる展示会場の映像シアターを除くほぼ全体のガイドツアーを行った。
この展示会は、スウェーデンのストックホルムに100周年でできたノーベル博物館が常設展とほぼ同じ物を世界各国への巡回展示用に製作し、平和賞授与国のノルウェーに続いて日本で開催、次は韓国ということになっている。授賞式や晩餐会の雰囲気、金のメダルや賞状などで賞の格調を感じさせ、創設者アルフレッド・ノーベルと各賞選考機関の紹介、この100年を10年ごとに実物と新聞記事と映像で紹介するコーナー、全受賞者の顔写真と受賞理由の表示等で構成されている。展示全体の解説パネルは英語を主としていて日本語訳をつけたわけだが、デザインを統一するために文字が小さく、また、音声やパソコンでの展示に訳がつけられなかったので、来場者の展示に対する不満はそのあたりに多かった。しかし、パソコンの特にゲーム等は子供が英語でも気にせず楽しんでいるのに少し驚いた。「創造性と文化:個人と環境」というテーマに沿った約3分×32人の受賞者「個人」のインタビュー中心の映像と約10分×8ヶ所の研究所や都市といった賞を生む「環境」のイメージ映像は日本語字幕がついて好評であり、関連して翻訳された図録もよく売れていた。
日本では特に科学博物館が東大講師の岡本氏の協力で、日本人受賞者10人の業績関係品や自筆史料、子供の頃の作文や工作を展示し、また、50年を経過した選考文書に見られる日本人の被推薦者の展示を加えた。初の受賞者湯川とその同級生朝永について旧制高校時のテストの点数や朝永がライバル湯川を気にする滞独日記、最近の受賞者白川、野依の研究内容を紹介するコーナーにスペースを割き、これらは多くの関心を引きやすかった。ノーベル賞推薦依頼を受けその意図を汲んで的確な推薦をした長岡半太郎は科学博物館にコレクションがあり、その紹介ができたのもよかった。
ガイドツアーの1回の参加者は10名から15名のことが多く、途中で増えて20名を超えることもあったが見えにくいせいか、結局10名程度に落ち着いた。来場者の少ない日に2、3名のことが1、2回あったがその方が質疑のやりとりしやすい利点もあった。1時間のはずが毎回喋り過ぎて1時間半以上になってしまうのが通例であった。ガイドする内容は解説パネルを読めば書いてあることが多かったにしても、おおむね好評だったのはすべてをいちいち読むよりは早く全体が回れ、実物を見ることに集中できるからではないかと思う。
アルフレッド・ノーベルについて年配の方に子供の頃伝記を読んで感動したという方が何人かいたのと、女性受賞者のコーナー等でやはり伝記で読んだのかキュリー夫人はどこ?という声が女性に多かったのが印象的であった。賞金額を気にする人、経済学賞をめぐる問題点を気にする人、日本の過去の受賞者が欧米に比べて少なく、どうしたら増やせるのか、環境を改善しないと増えないだろうと言う人、が目立った。
ノーベル賞が科学分野だけでなく、文学賞や平和賞があることが、科学や技術と社会の関係について考える上で役立ち、ガイドもしやすかった。ノーベル賞の100年つまり20世紀は第1次、第2次世界大戦、ベトナム戦争、冷戦、そして21世紀の幕開けは昨年のテロと、人殺しばかりで、この展示とガイドが平和を求めるささやかな「デモ」になっていれば、と願う。■
武井武教授のこと
後藤高暁
20世紀の最高の人智を瀬川さんの説明を聞きなが振り返り、その後で梶さんの話を聞くことができて大変楽しい良い一日でした。瀬川さん・梶さんに感謝します。
人間の脳にある灰色の細胞の素晴らしさを再確認しました。私にも似たような数はある筈だが? 何倍も活かし方が違うのか? いや、比較はしませんが。
成果が賞として認められる陰には、本人の努力や発想は勿論、先祖・先輩の研究の結晶があり、さらには当時の環境や運などがかなりあった事もわかりました。その例として梶さんから、私の卒論研究室での恩師”武井 武教授”の名前が出てきたのには驚きました。
今電子器機は勿論、あらゆる部門に無くてはならない非金属の磁性体”フェライト”の発明者です。その価値はどの受賞者にもひけをとらないものと確信しますが、武井教授はノーベル賞どころか、学士院賞も文化勲章も受けていません。(文化功労賞は受けていますが)。これにはいろいろな背景があったことを聞いていましたが、教授の名誉のために、手元にある松尾博志著「武井武と独創の群像」という分厚い本から事情を少し紹介しましょう。
梶さんは、もし教授と同期の物理学者”茅 誠司”の理論的協力があったら、と言われました。しかし、当時は東北大学を中心とする物理系の金属の王国といわれたが時代で、そこに突如として非金属系・化学系のフェライトが現れても、王国の物理学者達は殆どそれを無視してしまったのです。
武井教授とその師であるK教授がフェライトの特許を出願したのは19300年でが、物理学会が後悔の念を表明しながらフェライトを組織的に取り上げたのは戦後のことというから当時の日本の学問の世界の閉鎖性が想像できます。
1935年にこの技術で東京電気化学(TDK)が発足し工業製品を出しました。それをフィリップス社が購入してから直ぐ後に、1942年にフェライトコアの特許をオランダで出願したのだから酷い話です。戦後にフィリップス社の特許が認められたのは、敗戦国という日本の事情も影響していたようです。1948年にフランスのネールがフェライトの磁性を理論解明したフェリ磁性論を発表し、1949年にフィリップス社が日本で武井・K教授の特許に類似したフェライトコアの基本特許を出願しています。TDKは1954年に特許無効の申請をしました。しかし、勝訴になると思われた直前で、TDKおよび交渉を委任されていたK教授はフィリップス社と妥協して控訴を取り下げてしまいました。なぜ取り下げたかは会社の実質的な利害とかいろいろな考えがあったのでしょうが、時前に知らされていなかった武井教授はこれを聞いた時には激怒されたそうです。このことによって実質的な発明者である武井教授の名誉は公的世界からは完全に埋没してしまいました。ノーベル賞受賞にも大きな影響があったと思います。
しかし、武井教授はそれに関する恨み言や愚痴は、92才で亡くなるまで家族にも弟子達にも一切言っていなかったそうです。私が卒業したのが特許問題の結末が出る直前でしたが、私達にも全く口に出されたことはありませんでした。1970年に”世界フェライト国際会議”が作られ、武井教授は「フェライトの父」と呼ばれるようになり、今では世界のその学会から功績を認められています。
学問的には大変恐い人だったそうで、梶さんからも恐かったか?と聞かれましたが、我々には大変優しく接して、毎朝教授の部屋で色々な心に残る話をされたことを思い出します。釣りがお好きでその話も何度も聞かされましたし、自宅に弟子を招いて手作りの野菜などで歓待するなど個人としても良い先生であり、1992年に亡くなられるまでに多くの弟子から慕われていました。
受賞のことはさておき、若いときから学究一筋に生きて功なり、家族や弟子達に囲まれて幸せな生涯を送られたと信じています。■
「ノーベル賞の100年」から考える
20世紀の科学技術 に参加して
鳥山 敦
今回初めて土曜講座に参加させてもらった鳥山です。土曜講座に参加したきっかけは、普段私は科学に関わる仕事をやっているのですが、どうも科学と現在の社会問題とがうまく結びついていないのではないかと感じています。そこで、科学と社会をテーマにしたこの講座にその解決の糸口があるのではないかと思い参加してみることにしました。
今回は「ノーベル賞の100年」の展示を国立科学博物館に見に行きましたが、博物館に行くのはかなり久しぶりのように思います。しかし私は博物館に退屈だった思い出しかなく行く前は不安がありました。しかし行ってみると、丁寧な解説付きだったこともあり飽きずに見ることができました。昔の小中学生だった頃も、このようなわかりやすい解説があれば印象は違ったものになっていただろうと思います。
講座の後、ノーベル賞から連想して色々考えました。今、私はノーベル賞自体にはあまり興味を持っていません。それは、私は科学には携わっていますが、自分がノーベル賞をとることは無理だと思っていますし、ノーベル賞を受賞した研究内容を見ても複雑でわかりにくいことによります。また、特に最近、進歩や発展が全ての問題を解決するという考えに大きな疑問を抱くようになったこともあります。最近は「科学の発展が全てを解決する」と言う人はさすがに少なくなり「科学の発展で解決できる問題もあるしできない問題もある」くらいになっています。しかし、現在の諸問題の解決の鍵は別のところにある様な気がします。それが何なのかは今私はわからないので、これから考えていきたいですが。地球が丸いのは、自分の行ったことは結局はどこかで自分に帰ってくることを暗に意味しているのではないかと思ったりもします。ノーベル賞で表彰されたことが、実は自分たちの首を絞める結果になったのではあまりに悲しいです。ノーベル賞が科学の時代を象徴するものとして現在権威があり、また今後もあり続けるだろうと思いますが、科学の進歩とは違ったところにあるものにも価値を見いだすことも考えていきたいと思いました。■