書評 村松秀・著『論文捏造』(中央公論社・新書ラクレ2006)

投稿者: | 2007年1月2日

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書評
村松秀・著『論文捏造』(中央公論社・新書ラクレ2006)
評者:杉野実
 「科学界を揺るがす捏造・不正事件が後を絶たない。」これが本書の巻頭言であるが、不正事件が「科学界」にかぎるものでもないことは、著者もみとめる通りである。韓国のヒトクローン・ES細胞捏造やアメリカの「新元素」捏造、日本の旧石器捏造、原子力発電所やディーゼル車排ガス除去装置でのデータ改ざん・捏造、マンションの耐震強度偽装に、さらには民主党「にせメール」事件……本書にあげられているものを一部あげただけでも、このくらいはすぐに出てくる。「世に捏造の種は尽きまじ」なのであって、最近急にふえたものでもないと評者は思うが、それにしても本書の直接の主題になった捏造事件は、論文が全部で63本、そのうち『ネイチャー』・『サイエンス』の2大誌に掲載されたものが16本という、科学界ではおそらく空前の規模をもつものであった。著者はNHKのディレクターであり、本書は国内外で表彰された(あのアルジャジーラからの賞もふくむ!)番組を書籍化したものであるが、想像されるような薄っぺらな本ではなく、放送されなかった事実を多くふくむ重厚なものである。
 「史上空前の論文捏造」(テレビ番組タイトル)事件の主人公は、ドイツ出身のヤン・ヘンドリック・シェーン。「シェーン」とはドイツ語で「よい」という意味、というのもなんか出来すぎ……なんて余談はさておき、知人だれもが「まじめで誠実」などと評したこの若い科学者は、アメリカの名門・ベル研究所に在職中に、アルミニウムの薄膜をかぶせるという方法で、有機物での超伝導実現温度を100度近くも上げたというのだが、それがすべて捏造であったことがあとで判明したという。アルミニウムのように反応性の強い元素と接触させれば有機物が破壊されることぐらい、文系出身の評者でもわかる……というのは勿論ただの後知恵で、新発見はそういう常識をこえたところに生まれるものだし、第一、「科学マニア」を自称していながら、2000年から2003年というごく最近におこっていた(そして多分新聞などで報道された)この事件の存在にすら気づかなかった評者には、自然科学面からこれを論評する資格はおそらくない。
 そこで評者の専門に近い社会科学面から論評することにするが、本書をみるかぎりこの事件には、科学界に独特の要因と、ひろく一般社会にも共通する要因との、いずれもがふくまれていたようだ。まず科学界に独特の要因をみると、「科学者うそつかない」つまり真摯に研究にとりくむ科学者が意図的に虚偽を報告することはないと、関係者はみな信じているというのだが、この点は文系の研究者である評者にもよくわかる。他の研究者による追試がうまくいかず、科学にとって重要なはずの再現性に疑問がある場合でも、心理学でいう「確証バイアス」がはたらいて、シェーンはよほどすごい技術か装置をもっているにちがいない、などと科学者らは考えてしまう。そもそも物理学は自然科学のなかでも再現性が容易に検証できる分野だったはずだが、だからこそ研究者の良心を信じる気風がことのほか強く、捏造への対策が生物学などにくらべておくれたともいう。有名科学雑誌の関係者が、論文内容の真偽についてはレフェリーにまかせており、万一捏造とわかっても編集部としては責任がとれない、などと公言したのも衝撃的だ。
 一方、一般社会にも共通する要因の方をみると、「良心の徒」というにはあまりにほど遠い、自己保身・組織防衛に汲々とする関係者のすがたがうかんでくる。業績の長期低落傾向になやんでいたベル研究所は、劇的な成果を次々にあげるシェーンを広告塔として利用しようとするあまり、折角の内部告発をうやむやのうちにほうむりさろうとさえした。シェーンの「ボス」であった大物物理学者バトログも、著者らのインタビューに答えたところまでは誠実だったが、結局は自分には責任はないとする発言をくりかえすばかりだった。因縁浅からぬシェーンの「母校」関係者にしても同様であるが、このあたりは、評者自身がインタビューした発展途上国の協同組合関係者や、あるいはジャーナリストと接触した元「独裁者」などとも共通している。他方で「まじめで誠実」というシェーンの評判は、オウムやアルカイダなどのテロリストをさえ連想させる。科学コミュニティ全体が政府や経済界から「期待」という圧力をうけるという構図のなかで、「純真な」青年が暴走をおこしてしまった、ということなのだろうか。
 著者はエピローグで「わからなさ」ということを強調しているが、正直言ってこの部分は、要するに「わからない、わからない」と縷々述べているだけであっていただけない。巨大なテーマと格闘して、著者もさすがに疲れたのか。しかし本書の問題提起を受け止め今後の行動に生かしていくことは、むしろ読者に課せられた責務であろう。「一般社会に共通する要因」の方はいうまでもないが、「科学界に独特」とみられる要因でさえも、実は科学者以外の一般「市民」と無縁ではないのではないか。自分たちの仲間は使命感にもえて仕事をしているから、うそをつかない、あるいは悪いことをしない、と思い込んでしまうことは、非営利の市民活動でも、さらには営利企業においてすらも、意外に多いのではないだろうか。自分が不正行為の主犯になってしまっては論外だが、そうでなくても、知らず知らずのうちに事件に巻き込まれてしまう可能性はだれにでもある。そんなときにどう行動すべきか考えさせてくれる反面教師の例が、本書にはみちみちている。■

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