出生前診断 イギリスからのレポート 第4回

投稿者: | 2005年4月10日

出生前診断 イギリスからのレポート
第4回
渡部 麻衣子
doyou83_watanabe.pdf
はじめに:
「あなただって、健康な子どもが欲しいでしょ?」
 出生前スクリーニング・診断の目的として最も多用される説明は、女性の自主的選択の機会を与えている、というものです。その機会を享受することは女性の権利であると言われます。イギリスにおいて、ダウン症を対象とした出生前スクリーニングがすべての妊婦に紹介されることとなった大きな要因も、この権利を平等に与えるという意識だったと言えるでしょう。女性が自身の身体について自主的に選択すること自体は大切なことです。そのこと自体は否定せずに、ではそれがどのような選択となるのかを、今回は紹介しようと思います。 出典は、Antenatal Result and Choice (ARC)という、障碍を理由に中絶した妊婦のカウンセリング活動を行っているチャリティー団体の2002年のニューズレターです。掲載されていた三人の体験者の投稿を、抜粋しました。文頭の名前は、各人が中絶した胎児に命名したものです。
Ethan:染色体異常により中絶
 2001年4月2日に私たちの息子Ethanを19週で失ってから、一年が経ちました。私は未だにたくさん泣きますし、違う結果になっていたら、と思います。金曜日に、最初の薬を飲むため病院に行った時、私たちは正しい選択をしたと信じていました。耐え難いほどつらく、違う結果のためなら何でもしたと思います。土曜の夜、私はまだ体の奥で小さな動きを感じていました。そして突然、赤ちゃんが子宮の底に沈んでいくような、ひどい感覚を感じ、その時彼が死んだのだとわかりました。中絶は経口薬で促進されました。痛みがひどくなったので、日曜の夜にモルフィネを与えられました。月曜の朝、Ethanは産まれました。私は、死んだ赤ちゃんを産んだことに全く恐れをなしていました。何日か後にきちんと火葬しました。私たちはEthanをけっして忘れません。
Katie: 心臓疾患により中絶
 (20週目の超音波検査で重篤な心臓疾患が見つかった)その日の夜、私は赤ちゃんが蹴るのを一晩中感じていました。耐えられませんでした。そんなに重い障碍があるのなら、どうしてこんなに動いたり蹴ったりすることができるのでしょう? 未だにどうしてできたのかわかりませんが、私は中絶するため病院に行きました。経口薬を与えられましたが、それを飲めるまでに一時間かかりました。陣痛から六時間半でKatieは生まれてきました。10日後お葬式をしました。Katieが死んだ時、私の一部が死にました。そしてそれは二度と戻ってきません。
 (カウンセリングを通して)私は赤ちゃんのために一番親切なことをしたのだと気付きました。失ったことに苦しんでいるのは私で、終わりのない手術をしなくてはいけなかっただろう赤ちゃんではありません。(次に妊娠した時)それはとても辛い妊娠となりました。20週まで心臓の診断はできなかったので、14,5週で赤ちゃんが動き始めた時に彼の心臓が健康か否かを知らないことはつらかったです。私はKatieをけっして忘れません。人は赤ちゃんを失った痛みと共に生きることに慣れることしかできません。それはなくなりません。ただ耐えやすくなるだけです。
Leah:心臓疾患とダウン症により中絶
 若い健康な非喫煙者として、妊娠に何か問題がおこるとは思っていませんでした。12週目の超音波検査はとても胸躍らされる経験でした。うなじの厚みが測られて、ダウン症の子を妊娠している可能性は15歳の妊婦くらい低いと言われました。検査のあと、(夫と)二人でお祝いに朝ごはんを食べにいきました。問題がおきたのは20週目です。赤ちゃんの心臓がとても早く動いていると言われました。(胎児に重篤な心臓疾患が見つかり中絶を決心する。その後ダウン症であることも明らかになる。)病院からの帰り、赤ちゃんが蹴るのを初めて感じました。中絶の日の前の晩、お風呂につかりながら、赤ちゃんが蹴るのを感じていました。泣きながら、それが止まればいいのにと願いました。
 羊水検査をした同じ医師が中絶も担当しました。赤ちゃんの心臓に注射が打たれている間、画面を見ることはできませんでした。でも、彼が「赤ちゃんは眠りましたよ」と言ったのを覚えています。最初の薬を11時に与えられ、すぐに痛みを感じました。それからの一日は、痛み止め(ペシダインとモルフィネ)を与えられ続け不鮮明です。一日中ふらふらでしたが痛みは感じることができました。ショックを受けたのはその時でした。私は死んだ赤ちゃんを産んだのです。彼女はまだ暖かく濡れていて完成された小さな顔を持っているように見えました。次に私を打ちのめしたのは、数日後に母乳が出てきたことでした。
まとめ
 以上が、イギリスにおける障碍を理由とした中絶の経験例です。12週目以降の中絶はすべて陣痛促進剤を使って行います。ですから、障碍を理由とした中絶のほぼすべてがお産と同じ方法で行われます。また、障碍を確定診断できるのが16,7週目からであるため、その頃にはもう胎動を感じていることが多いようです。ARCによれば、中絶にかかる時間は平均して6時間。しかし、経口中絶薬という薬を飲んだ後、家に帰って陣痛を待つ時間は、ここには含まれていません。
 三人の妊婦は一様に、その間に胎児の存在を感じることのつらさを振り返っています。そして一様に、胎児に名前を付けることで、その存在を心に留めておこうとしています。障碍を理由とした中絶を選択することは、人によっては「子を失う悲しみに慣れながら生きることを選ぶ」ことと同等でもあるようです。しかし、出生前スクリーニング・診断が女性の自主的選択のための技術だと主張される時の「選択」には、単に「障碍のある子を持たないという選択」という意味合いしか含まれていないのではないでしょうか? 女性の体験を読むと、そのことの不公平さを感じずにはいられません。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です