【書評】 江原春義 著 『R水素』

投稿者: | 2016年5月18日

書評:江原春義 著『 R水素(RENEWABLE HYDROGEN)
~再生可能エネルギーと水による地域循環型エネルギーのかたち~』

橋本正明(市民研・会員、自称・市民科学者)
PDFファイルはこちらから→csijnewsletter_035_hashimoto_20160511.pdf
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ここ2~3年、急激に日本国内で注目されている水素エネルギーについてだが、いざ解説している本となると意外に少ないことに驚かされる。確かに『水素エネルギー白書』などのように専門的な書は散見されるが、ここまで実例の写真やシンプルな図解を多用し世間一般の人々に向けて分かり易く発信されている書は私の知る限りにおいて皆無である。その意味において本書が示す水素の未来社会へのイメージが与える影響は大きいものになる可能性がある。同時にそれはその指し示す内容次第によっては今後の社会形成に少なからず影響を及ぼしかねないという危惧をも孕む。
筆者らはオセロゲームのように再生可能エネルギー主体への社会への速やかな移行への希望的観測を述べている。果たして本当にそうなるだろうか。
本書で述べられているハワイ島で実験的に導入されている水素牧場のように島嶼(とうしょ)などの離島における水素の存在意義は確かに大きいと言えるだろう。
何故なら、離島など本土と隔絶した地域社会においては石油などのような海外依存のエネルギー資源は本土から更に高いコストをかけて輸送せざるを得ない。必然的にその価格は高騰し、社会インフラである電気や車両、漁船の燃料に大きな足枷となる。しかし、例えばそれらが現在急速に普及しつつある太陽光発電や風力、水力、地熱などのような再生可能エネルギーで置き換えられたにしてもそこにはそれら特有のリスクが残る。水力や地熱以外のエネルギー源は変動幅が大き過ぎ、蓄電技術のブレークスルーが今以て望まれる現在ではそれらは社会における電力需要の全てを賄うには少な過ぎ、より多くの設備容量を導入すると好天時には過剰電力が生じ、ブラックアウトのリスクが高まる。それは電気の性質上、発電量と消費電力量を等しく調整操作する必要性、つまり電力追従性が高い火力発電、もしくは瞬間蓄放電が可能な蓄電池が求められる所以でもある。そしてそれが普及のネックとなってしまうが、かといって余剰電力を利用しないのはあまりにモッタイナイ。
それが余剰電力を以て電気分解して水素を取り出し(義務教育課程で学習したであろう、試験官に溜めた気体に火を点けてビックリ、ポンというあれである)、燃料として利用しようという技術の成立するニッチではある。そうすれば遠隔地においては地元で得られる水と再生可能エネルギーから貯蔵できる上に電力追従性の高い水素火力発電システムを中心に据えた地産地消の社会インフラの構築が可能となる。必然的に水素火力発電の設備容量は電気自動車や燃料電池車を潜在性の高い予備電源に期待できることからかなり抑えることが可能となり、燃料電池船が漁船として導入できるくらいのコストまで下がれば、電解水素(ここではR水素と呼ばれている。以下R水素)が島嶼をはじめとした地域社会の殆ど全てのエネルギーインフラを賄い、理想的でクリーンな社会が形成できるはずである。
このように考えると水素社会は理想的な未来像を形成するように思える。しかしながらエイモリー・ロビンスをはじめとした海外の専門家らはあくまで水素はキャリアー(エネルギーの貯蔵運搬手段)に過ぎないとの見解であるが、大量輸送に不適な島嶼などが多い日本において事情は異なる。島嶼では確かに水素社会を成立させた方が色々な意味において有利である。そればかりでは無い。国防上において国家権力が必要としている何か、それが何か市民が迂闊に図り知るべきではない何か、が得られるのかも知れない。
ここまで極端な意見や見解の多様性の観点において批判的である必要は必ずしも無いが、もう少し踏み込んで多角的、内省的であるべきではないだろうか。そこに私は本書に物足りなさを感じざるを得ない。理想社会のカタチとしてR水素社会の成立を手放しで喜ぶにはあまりに楽観的過ぎるのではないだろうか。そこは本書でも確かに触れられてはいる。それはR水素以外の製造法に関してである。
我々の居る現在、水素を大量生産するのは炭化水素である石油からの副生物が主流で、製造する際には必ず二酸化炭素を排出するためCCSなど地中深くに二酸化炭素を封じ込める実証実験中の技術とセットにしなければならないこと、そしてもう一つは【高温ガス炉】という第4世代の原子炉からの熱を利用した熱化学(触媒分解)法で水素を大量生産する手法についてもその危険性を指し示す必要があるのではないだろうか。このようなR以外の水素製造法の詳しい説明とリスクの提示だけでなく、R水素が現在のところ大量生産には向いていない(だから地産地消向きであるのだが)という弱点の提示、それはこの書に不足している部分でもある。そしてそれこそが2014年の5月に突然時の政権が急速に『水素社会』へ舵を切った【真の意図】が隠されている部分なのかも知れない。
確かに本書の導き出そうとしている水素社会は素晴らしい。しかし同時にそれが『R』である限りにおいてのみであることを我々は念頭に置かねばならない。我々は推進者である経済産業省や国家権力の向かおうとしている先を見据え、彼らに利用されないような仕組み作りが必要なのではないか。そのような観点に立つと、水素社会の成立は諸手を挙げて手放しで喜ぶわけにはいかないのである。我々が【ECO】であると信じて全力を挙げて創り上げようとする社会が、気付くといつの間にか更に気候変動を加速させたり、原子力依存社会へ変貌してしまっているのでは元も子も無い。それはオセロゲームで四隅を始めから抑えられている状態で必死に勝とうと躍起になっているに等しいのではないだろうか。
我々が本書の最初のページを捲って出逢う笑顔溢れる素敵なお嬢さんが安心して暮らせる社会を築き上げるためには、トコトンまで『R』に拘(こだわ)らなくてはならない。そうでなくてはならないと本書を読み終えて強く感じた次第である。

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