Bending Science(ねじ曲げの科学/科学のねじ曲げ)とは何か?

投稿者: | 2014年7月7日

Bending Science(ねじ曲げの科学/科学のねじ曲げ)とは何か?
この4月に新しく発足した研究会「Bending scienceを読む会」では4人のメンバーが、月1回のペースで、同名の英語書籍を輪読しています。
Bending science とは、企業が利益追求のために、あるいは政府が体制維持のために、あるいは特定のイデオロギーを持った諸団体が自身の主張を通すために行うことがある、恣意的な科学の利用(ねじ曲げ)のことです。多くの事例を分析して、このねじ曲げの手法を明確にさせることがこの研究会の第一の目的です。そして、学んだ知識を活用すべく、現実になされているねじ
曲げの具体例に光をあて、新たな批判のメスを入れていくことを目指しています。
同書の38~40ページにかけて、Strategies for Bending Scienceと題して、「ねじ曲げ」の手法を簡潔にまとめた部分がありますので、それを翻訳して紹介しておきます。
【翻訳:上田昌文】
PDFはこちらから→csijnewsletter_025_ueda_20140705.pdf
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科学をねじ曲げるための戦略
科学をねじ曲げるのが自身の利益になると確信すると、「代弁者」(advocates)は、自分たちにとって思わしくない科学研究を、操作し、弱体化し、抑制し、または軽視するための幅広い一連のテクニックを行使する。4-9章では、これらのツールがどのように活用されるかを詳細に説明する。どの章においても、「代弁者」が国家の政策決定プロセスにおいて、ねじ曲げの戦略をいかに創造的に駆使しているかの実例を提示する。ここではそれを概観してみる。
科学を成形する(shaping science)
科学をねじ曲げる最も精巧で高価な方法の一つは、特定の結果を生み出すための研究を委託することだ。自らすすんで緊密に協力してくれる科学者を雇用することで(例えば、スポンサーが研究をコントロールできるという契約を取り結んで)、スポンサーがかなりの程度まで研究結果をコントロールしてきたという歴史がある。自分に好都合な研究結果を出すために、スポンサー企業は研究課題をフレーミングし、研究をデザインし、さらには出版される論文の編集や、時にはゴーストライターを使っての執筆さえも手がける。そうした歪曲が巧妙になされた場合、「代弁者」がどう関わっているかを見抜くことは難しい。意図して作り出された結果だということは、独立した立場の科学者がその研究を精査し欠陥を見出すために十分な時間をかけない限り、露見しないものなのだ。
科学を隠蔽する(hiding science)
科学を成形しようとする試みが失敗した場合、当然の次善策として来るのが、望ましくない結果を抑えこんでしまうことである。都合の悪い情報を隠蔽することは、その情報を持つ内部関係者にとってはかなり安価な手段であるばかりか、外部の者にとってはその発見がとても難しいことでもある。よって、不都合な科学的知見を隠蔽することは、あまり金をかけずに大きな成果を得る手段となる。この手法はむろんのこと、隠すべき科学情報にアクセスできる者にだけ利用できるわけなので、政府の研究機関やそれを支援できるような企業といったところが主に行使することになる。
科学を攻撃する(attacking science)
科学をねじ曲げるための、もう一つ別のよくある手法は、自分たちにダメージをもたらす研究に対して違法な攻撃をしかけることである。方法論、データ解釈、評価やレビュープロセスに対する根拠のない言いがかりをつけて、規制当局者、一般市民、さらには一部の科学者にさえ、質の高い専門研究の信頼性に疑いの目を向けさせるようにする。科学研究は実践面で常に熟達しているとは限らないので、普通に行われる批判や吟味が多くの場合無慈悲なほどストレートなものになってしまうのだが、そのことと、十分に確立された方法論に従ってなされている事柄に対して正当性のない言いがかりをつけることとの区別をつけるのが難しい。その攻撃には、とにかくもっともらしいことをくどくどと言い続けることで、その批判の対象とされた研究が、政策決定に関わる者たちにとって信用出来ない研究なのだと感じさせるようにしていく、といった単純なものがある。また、攻撃を複数の立場からのものを入念に編成してなすことで、本来根拠のない批判だったものに科学的に正当な批判なのだという印象を与えていく、というものもある。
科学者へ嫌がらせをする (harassing science)
研究の質への攻撃は容易にその研究を担った科学者そのものへの攻撃へとエスカレートしていく。証拠はないのに科学的不正行為があったと申し立てること、召喚状を送りつけたり辞職を迫ったりする嫌がらせ、データを共有させろと面倒な要求を突きつけること(しばしば公文書に関する法令を持ちだしてことをすすめる)―「代弁者」にとって不利な結果をもたらすかもしれない研究に従事している科学者をターゲットにしたこうした行いは、
その科学者に(自身の正しさを立証することになる)追跡的な研究をする気を失わせたりする効果を十分持ちえるし、さらには、今取り組んでいる研究分野は論争を続ける気のある他の科学者に任せて自分はそこを離れたほうがいい、とまで思わせる威嚇にもなり得るのである。
科学を取りまとめる(packaging science)
「代弁者」は科学を”取りまとめる”(package)という手法を用いることもある。これは、あるテーマに関する既存の研究を要約すると称するレビュー論文の作成を委託することでなされるのだが、実際は恣意的なレビューであり、ときにはスポンサーと契約を取り交わしてスポンサーに最も有利になるようなまとめ方をすることさえある。もっとよく使われる手は、直接選んで取り揃えた専門家たちで委員会を招集し、重要な科学的議題に関して「科学的合意」を作り上げるというものだ。この委員会は科学的ないろいろな観点をバランスよく集めているとは程遠くて、招集した側を利するような結論を生み出すために意図的に構成されたものなのである。こうした科学の”取りまとめ”によって、他の者には読み解きが難しく、またより客観的にものを見る人たちを排斥してしまうことにもなる、研究に対する偏った見方を、創りだすとともにそれを強化するのである。
科学を曲げて伝える(spinning science)
他の事柄でも似た現実があるが、研究自体を正確にあるいは忠実に反映させるようとはしないで、むしろ経済的もしくはイデオロギー的なゴールに向かっていけるように、「代弁者」やその「代理人」は入念な労力を費やして、科学研究の結果を解釈し捻じ曲げていくという現実がある。世論は広告代理店の専門家たちによって操作されているわけだが、科学の捻じ曲げも同様の行為を含んでおり、一般市民にその研究のことを気にしなくていいのだと確信させたり、政策決定に関わる者にはその研究結果は割り引いて考えるよう圧力をかけたりするために、不都合な研究を「致命的な欠陥がある」とか「暫定的なものにすぎない」といった言い方で描出しようとする。まっとうな科学をインチキ科学に貶めるこうしたキャンペーンの下に何が隠されているかを見抜く力を、ジャーナリズムが失えば失うほど、ジャーナリズムの自己満足的な報道は、歪みをまともだととってしまっている世間的な見方をますます強化させることになるのである。
科学の捻じ曲げの帰結
「代弁者」による科学の捻じ曲げがもたらす結果が科学の世界だけに限定されているのであれば、科学者コミュニティには重大な利害が発生するものの、他の人々にはほとんど何の関係もない、ということになるだろう。しかし実際は、「代弁者」がわざわざ科学を捻じ曲げるのは政策決定の世界で結果をもたそうとするためであるから、捻じ曲げの影響は広く社会に及ぶことになる。もしその結果が顧客を利することだけに限定されるのなら、事態は物議を醸すことになろう。一方で、そうなればなったで、対応措置が保証されることにもなろう。結局、市場がある限りは、その市場の中での情報はこれまでずっと操作されてきている。しかしながら、この本で取り上げている科学の捻じ曲げという営みは、ヒトの健康と環境に悪影響を及ぼすだけでなく、まっとうなビジネスが持っている経済的な健全性にも悪影響を与える恐れが、十分にある。科学の捻じ曲げの一つ一つについて、健康や環境、そして企業活動に出ているだろう悪影響との因果関係を示していくことは不可能だが、多くの事例でみるように、これらは重大な懸念を抱かせる問題であり、これらの捻じ曲げの試みを打ち砕いていく行動が必要だと言えるほどには、悪影響は明白なのである。■

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