【新連載】ノルウェーだより no. 1 ― 未来の「モノ」の記憶

投稿者: | 2019年1月8日

<連載> ノルウェーだより no. 1

未来の「モノ」の記憶

吉澤 剛(オスロ都市大学労働研究所)

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それまでノルウェーについては、サーモンとオーロラぐらいのイメージしか持っていませんでした。建物や木々の輪郭が目に刺さる今夏に初めて訪れてから、もう半年近くが経ちます。曖昧な薄暗い天気が続く季節に移り、たまに地平線の彼方に望む茜雲がやけに愛おしく、それさえも気づけば瑠璃色の幻影となって消えていきます。この地に住むということにほとんど先入観がなかったぶん、新鮮な発見というか戸惑いも多い日々が続いています。

四方山に終わらないよう、この国を代表する学者から話を始めてみます。ノーベル賞受賞者はこれまでに11人で、戦前に文学賞・平和賞が5人。戦後は経済学賞3人、化学賞が1人、そして最近の2014年に生理学・医学賞で2人が受けています。もちろんノーベル賞がすべてではありません。むしろ、関わりのない学者のほうが知られているでしょう。まず、群論など数々の数学用語に名を残したニールス・アーベルが最も有名ではないでしょうか。また、合理的選択理論を幅広い分野に応用したヤン・エルスターや、平和学で知られるヨハン・ガルトゥングなどもいます。ここでは、功績になじみのあるアルネ・ネスとクリステン・ニゴールという二人の学者を紹介しながら、いろいろと考えてみたいと思います。

哲学者アルネ・ネスが1973年にディープエコロジーを提唱した当時のオスロ大学は、ガルトゥングや『成長の限界』の共著者ヨルゲン・ランダース、やがて国連の特別委員会で「持続可能な開発」の概念を打ち出し、世界保健機関事務局長やノルウェー首相を歴任していくグロ・ハーレム・ブルントラントなど、後の哲学や政治に大きな影響を及ぼすエコロジストが集まっていました。なかでもディープエコロジーは、人間の利益を優先した環境活動を脱し、生命体どうしが複雑に相互作用している環境全体が等しく尊重され、権利を有するという立場です。こうしたロマン主義的な近代文明批判を底流としつつ、経済や政治の現場で実践的な折り合いを探る合理性を持ち合わせているのは、自分の主張ばかりを通すのではなく、組織としての合意形成プロセスを重んじるノルウェー人らしい特徴かもしれません。ただ、ディープエコロジーは、人間以外の生物が持っている利益関心や価値観を擬人化し、それを人間自身が代弁しているという点で、必ずしも人間中心的な観念を克服できていないようです。

これを感じさせるできごとが身近にもありました。春から秋にかけて、オスロ郊外の丘陵や湖畔は多くのハイカーで賑わいます。夜が長い冬の鬱屈を晴らすかのように、誰もが無心にひたすら歩いたり走ったり。いったいこの人たちはせっかくの自然を楽しんでいるのだろうかと思うくらいです。「森林浴」という日本語がスピリチュアルな実践講座として真面目に開かれるくらい、何もせずに自然の中にたたずみ、安らぎを得るということが難しい。自然と対峙し、運動することで人間性を回復するというのは、どうもディープになりきれていない証拠ではないでしょうか。

もう一人、クリステン・ニゴールを取り上げましょう。計算機科学者で、1960年代にオーレヨハン・ダールとともにSimulaを開発しました。これは後のSmalltalkや、現在でも人気のC++やJavaのルーツとなる「オブジェクト指向」という概念を持ったプログラミング言語です。オブジェクト指向では、扱う対象や環境の変化とともにプログラムが柔軟に変更できるよう、交換可能な部品を用いたり、ある程度まとまった機能を一つの役割にまとめてカプセル化したりできます。タイヤやハンドルばかりでなく、それらが全体で動くものを車と呼ぶように、プログラムの中で「モノ」が扱えると言えばよいでしょうか。

一般的に、他の人が書いたプログラムは読みにくいといいます。註釈をつけたとしても全体の設計思想というのはプログラムから伝わりにくいものです。モノとしていくつかのまとまりやその関係性が見えれば、チームでプログラムを開発するときなど、自分が中身を知って変えるべきモノや、そうでないモノがわかりやすい。ニゴールにとってオブジェクト指向はプログラミングではなく、モデル化であり、理解することでした。1970年代に彼が労働組合と連携してプロジェクトを進めたのもこの延長にあります。コンピューターなどの情報通信機器の目覚ましい発展を前に、労働者が使える知識基盤の構築が必要でした。情報やプログラム、労働環境は教育やチームワークによって改善し、逆にそれらを通じて労働者も良く変わっていく。ニゴールは人を含めた情報システムのあり方を考え続けた思想家であり、実践家でした。


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