技術者倫理力教育への道程 (1) 技術者として技術者倫理研究に取り組む

投稿者: | 2019年4月8日

技術者倫理力教育への道程

その1  技術者として技術者倫理研究に取り組む

比屋根 均 (技術者倫理・技術者教育研究者)

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日本の工学教育における技術者倫理教育は1995年頃に始まった。現在につながるのは金沢工業大学で札野順らが米国のハインツ=ルーゲンビールを招聘して始めた教育だが、1999年に発足したJABEE(Japan Accreditation Board for Engineering Education; 日本技術者教育認定機構)が技術者倫理を認定基準に加えたことから、広く日本の工学教育に普及していった。(札野らの教育は、現在も放送大学で継続している。)

現在日本に導入されている技術者倫理教育の源流は、米国で1980年代に確立されてきたものだ。その前の時代、日本でも公害問題などがあり、様々な市民運動が展開されたが、その本場は米国にあったともいえる。「黒人」解放運動やウーマンリブの運動などは日本でも報道され大きな影響を与えた。公害問題などでは、日本では企業批判や行政批判、規制強化を要求する市民運動などが起こるとともに、理念的には「科学技術批判」のような形で検討されてきたように思う。しかし、プロフェッショナル(専門職)の社会的地位が確立していた米国では、プロフェッショナル批判として巻き起こったようだ。そのため、専門職業者を生み出す高等教育(エンジニアなら工学教育)に必要な科目や内容を見直す動きが起こり、文系や行政、産業界など様々なセクターの代表によって検討されて、「技術者倫理」教育が確立したとされる。またJABEEが手本とした米国のABET(Accreditation Board for Engineering and Technology)の認定基準も1997年頃に同じような流れで大きく見直され、EC2000(Engineering Criteria2000)と呼ばれる認定基準が確立された。日本のJABEEが導入したのもEC2000を基本とするものであった。

日本の工学界(日本工学会と日本工学教育協会が中心)がJABEEをはじめ米国の制度を日本に導入した理由は、大まかに言えば、東西冷戦後のグローバル社会において、日本の工学研究教育機関の国際競争力の維持と、卒業生の国際的活躍のインフラを確立するためだった。そのため工学教育の国際的同等性を確立することが必要だと考えられた。

しかし、外国からの制度導入にありがちなこととして、JABEE基準も技術者倫理教育も、教育者などの実施者側がそれぞれに解釈し、必要かつ実現可能な内容でそれぞれに実施した。そのためJABEEは、要求事項として取り入れていたエンジニアリングデザインやコミュニケーションでも内容的に苦労することになり、取り入れたつもりになっていたチームワークも要求事項から欠落していると指摘されるなど、2003年のワシントン協定正式加盟以降も主要加盟機関の監査で指摘をもらいながら改善が続いている。

それでも技術者倫理教育の開始は、日本の工学教育にとって画期的だった。それまで、数学と基本的な専門科目、語学、それに選択科目として人文社会系科目があるのみだったのが、技術者倫理によって初めて、専門学問と社会で生きていくこととを結合させ、学生に考えさせる科目ができたからだ。

特に、かつて「受験戦争」という言葉が否定的に語られていた世代から既に3世代以上経ち、「偏差値の弊害」という言葉すらもはや死語になった現在、大人たちの多くが、子供の生きる力や全人格的発展ではなく、勉強や成績といった目先の指標を重視する傾向が強まる一方、子供の日常の場からも大人たちの働く現場が見え難く切り離されてきた「コンビニエンス」な環境の中で、知的市民・知的労働者を生み出すべき工学高等教育で「技術者倫理」が始まったことは、ある意味で日本社会において死活的に重要な変化だったようにすら思う。(オーム事件を起こした世代には、「技術者倫理」教育はなかった。)

ただ、技術者倫理教育の効果は、教育者や教育内容によって様々で、すべてが良い結果を生んだわけではなかった。技術者倫理には、哲学者・倫理学者、科学史・科学哲学や教養系の学者、工学者、技術者など、様々なセクターの教育者が携わっており、最近の流れはさらに複雑さを増しているようにさえ見える。(例えば、国際的な異文化コミュニケーション力を主内容とする「技術者倫理」教科書さえ現れた。)

「技術者倫理」教育導入当初の参画者を大きく分けると、技術者系と非技術者系に2分できる。この2つのグループそれぞれに良い面と悪い面が指摘できると私は考えている。

まず非技術者系の技術者倫理は、概ね「科学技術批判」の流れの中にあり、科学技術の負の側面に焦点を当て、同じようなことを起こさないための予防倫理を求める。また、広く社会や自然への科学技術の影響への配慮を求め、工学だけでなく人文社会系を含む広い教養や配慮の力を求める傾向にある。ただ、技術の現場のことはわかっていないので、あくまで外部の立場からの規制的な内容に止まらざるを得なかった。

そのため、受講生からは「技術者になるのは大変だ」「技術者になりたくない」などの教育目的を根本から否定するような反応まで見られた。これに対しては、技術者の積極的な役割を強調する方向への教育内容の見直しが札野らを中心になされてきている。(倫理の積極的側面:Aspirational Ethicsは、日本では「志向倫理」などと呼ばれる。)

それに対して技術者系の技術者倫理は、概ね「科学技術批判」の流れの中にはなく、特に技術のリスクや安全に特化する傾向がみられる。自らの技術者経験や技術業務、現場の様子が伝わる点で、工学生にとって技術者から生の情報が得られるのが魅力で、受講生の評判は概して良いのだが、内容面、特に技術者倫理の社会的側面においては、その倫理性が技術の営みの外側から評価される立場にあること(つまり、「技術者倫理」が科学技術批判への応答になっているべきだということ)への視点が弱い傾向が多分に感じられた。

また、特にプロフェッショナル志向の強い倫理の場合、独立性と真実性への要求が強調されるあまり、(ちょっと酷い言い方だが)「正しいことは正しい」という、従来からの工学的な正しさ、工学的正義を踏襲したような「技術者倫理」もあった。(このような傾向は、現場を知らない工学者の「技術者倫理」に多いように思えた。またこのような「倫理」に対しては、人文社会系の側からの批判もある。)

私にとって、この2つの「技術者倫理」は、どちらも正解ではないと感じられた。なぜなら、「技術者倫理」教育は、受講生が卒業して技術者になったときに、これからの時代に直面するはずの様々な問題に対して、倫理的に問題を理解し判断し行動できなければならないからだ。

前者の科学技術批判の流れからの「倫理」教育では、社会から望まれることや望まれないことは理解できたとしても、ではどのようにすればそのようにできるのかの方法が抜け落ちている。それは、問いだけ投げつけながら答えの出し方は教えないのと同じで、極めて不親切な教育にしかなっていないように見えた。(ただ、イリノイ工科大学のマイケルーデイビス教授はそのことに気づいたのだろう。“7Step Guide”という解決策を提案している。しかしこの方法は、ISO9001やISO14000などに採用されたリスクマネジメント手法の倫理問題への不完全な応用版であり概要に過ぎないように私には思える。)

また後者の工学者・技術者の「倫理」教育では、科学的・工学的・専門的に「正しく」判断できることに疑いの目が向いていなかったり、倫理面でも常に唯一の正解が出せるかような基本認識が見え隠れしたりするものが多かった。また、技術的な判断はいつもリスクと隣り合わせで、実現すべき価値もいつも相対的なバランスの中で決められるもののはずだが、そのような技術の現実が語られるものも少なかったように思う。そして、これからの社会の変化をどう考え、どのような能力を準備しておかねばならないかについては、ほとんど何も語られず、技術者の仕事の枠組みとして、技術者の組織の中だけで倫理問題を起こさないことに集中すればよいかのように主張する傾向にあったように思う。

ただ、この後者の弱点、特に「独立性と真実性への要求の強調」ついては、私も技術士なので、正直どこに問題の本質があるか、即座に答えることはできなかった。

この両「技術者倫理」に共通する、より根本的な問題を考え、解き明かすことが、自分の目指す「技術者倫理」教育を構築するためには必須の課題だった。

では「より根本的な問題」とは何か?

これへの漠然とした答えは、「現代社会の技術の営みに合った技術者倫理でなければ、社会の要求にも、技術者の要求にも答えられる技術者倫理にならないだろう」ということだった。このような技術者倫理を見つけ出すことを、私は「技術者倫理の技術論的基礎付け」の課題ととらえ、2009年から名古屋大学大学院博士課程(後期課程)の戸田山和久研究室で研究することにした。

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技術者倫理力教育への道程 (1) 技術者として技術者倫理研究に取り組む」への1件のフィードバック

  1. 瀬川嘉之

    「三現主義」とMinervaは相反するようでまったく一致していますね。「全寮制」であることが最重要だとすれば。現場も現物も現実も常に変化しているとしても、時間的には変化していないところの見極めが大事。

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