連載「オーストラリア便り」第2回 火災、変動、闘い

投稿者: | 2020年2月13日

連載「オーストラリア便り」第2回

火災、変動、闘い

永田健雄(市民科学研究室会員)

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キャンベラの住民は、記憶の限りでは昨年11月22日から既に2ヶ月以上森林火災の煙に苦しめられている。異常な高温と乾燥が続く中、消防隊員の尽力を以ってしても延焼し続ける地獄を間近にして、「火新世(1)」に突入したことを実感させられる。


キャンベラに襲い掛かろうとする森林火災の煙。2020年1月28日 16:36 AEDT 撮影



森林火災と被害の日常化


森林火災の煙が街を覆うと、バーベキュー現場に出くわしたような焼いた臭いがし始める。この臭いをずっと嗅いでいると、煙の中にあっても臭いを感じなくなってくる。私が航空機でキャンベラに戻ったとき、キャンベラ空港着陸10分ほど前から、機内で煙が臭い出した。しかし、空港を出る頃には特に感じなくなっていた。街灯は、煙によるティンダル現象で明かりの道筋がよく見えていた。
森林火災による煙が濃いと、日光が黄色くなったり、オレンジになったりする。空一面が黄色くなることもあれば、地面に映った日差しがオレンジ色のこともある。外が黄色いのが当たり前になると、色覚が調整されて、黄色がだんだん白っぽく見えてくることはあるのだろうか。分からないが、そう疑問に思ったりもする。


今のキャンベラにいると煙の臭い、空の色、空気の質などに対する反応が鈍くなっていくように条件づけられているように覚える。このような脱感作と似て、災害が日常化することによる感覚の鈍化への懸念がある。キャンベラに住む人たちには、この災害という非日常に慣れきっている者がいるかもしれない。「これまでの生活と比べて不便にはなったけど、何だかんだ生きていくことができる」という感覚は、たくましいともいえるが、悪化する現状を肯定することになり、その蔓延は気候正義の実現を目指した大衆による共同行動から遠ざけるものとなりうると懸念する。
普段は、特段不自由を感じることがなかったり、不自由を覚えても「しょうがない」で納得させ続けてきたことがあると思う。私もそうだ。しかし現に、この社会様式が呈する種々の問題によって、一方的に負担を負わされている人たちがいる。満員電車にベビーカーや車椅子が乗せられない。食品の1/3を捨ててるのに安全で十分な食にありつけない人が何億といる。真夏の街中は、もうすでに人間が生きていけない環境になっている。税金を払っているのに、水道水の化学物質が心配で企業が用意した高いボトル飲料や浄水器を買わねばならない。キャンベラでは、喘息持ちの方が煙で苦しんでいる。こういった社会の状況が、誰かの生存権を脅かしている。明日は我が身かもしれない。


煙や高温は自然災害だが、その原因は明かに人為的な気候変動にある。この状況は窮極的には、資本を至上価値とし、大多数の犠牲の上で少数者が富むことを善しとする世界観の上に現出していると思う。そこで現状を変えていくためには、ルールを書き換える必要がある。恐怖や罪悪感に苛まれたり、エコな生活を送らない友人を責めたりしている場合ではない。


むしろ、環境影響の大きな行動様式を取らせるインセンティブを与える現在の社会システムを問題の対象として、その変化のための社会運動が必要なのではないだろうか。この点についてニューヨーク・タイムズ誌に先月上がった意見記事(2)が参考になる。その記事では、私たちが気候変動と闘うための5つのステップが紹介された。エコな生活を送っていない自分や他者を責めない(エコじゃない生活を送ることを余儀なくさせられている側面もある)、システム(例: 天然ガスのパイプライン)に着目し社会運動や投票行動等政治過程による法や規制の実行を希求する、社会運動に参画する(例: ThunbergのFridays for Futureや、地域の社会運動への参加)、運動における自分の貢献分野(情熱、スキル、財力等)を明確にする、よい未来像の実現をイメージし何のために闘っているかを知る。集約すれば以上のように述べていた。

この一方で、ライフスタイルの変革に意味が無いとも思わない。よりエコなライフスタイルを実践することにより、エネルギー消費や資源の無駄遣いの多い暮らしを送らせているシステムを自覚することができるし、闘う相手が明確化されることによって、社会運動を行なっていく上での自信にも繋がると思う。また、このような自覚や自信は、エコなライフスタイルの実践者と対話することによっても得られると思う。私の場合、キャンベラに来て市内や大学に飲料水を汲めるスタンドがあるため、ボトルで飲料水を買うことを辞めたことが飲料水の安全性や、前回の便りで述べた「水の正義」への意識に繋がったし、プラスチック包装を嫌い食生活に気を遣う同居人との会話を通して大量消費、市場利益最優先のシステムは変わらなければならないと強く思うようになった。

 

石炭と日本


話題は変わるが、オーストラリアでは「#StopAdani」という標語が流行している。近所でもこれをポストの前に掲げた家がある。現在、建設が進められているある炭田と関わるものだ。オーストラリア北東部のクイーンズランド州では、完成すればオーストラリア最大規模となるCarmichael炭田建設のプロジェクトが進められている。そのプロジェクトの先頭に立つのがインドを拠点とする多国籍企業Adaniグループである。#StopAdaniのホームページによれば、Carmichael炭田が建設されれば、以下の害悪が及ぶとのことだ(3)。

・先住民族の同意なく彼らの土地や水源、文化を破壊する
・60年もの間、グレート・バリア・リーフを石炭輸送の船舶が毎年追加で500隻通過
・クイーンズランド州の貴重な地下水2700億リットルが60年もの間タダで奪われる
・グレートアーテジアン盆地の帯水層を傷つけるおそれ
・大気中へ46億トンの二酸化炭素を追加で排出

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