【書評】『科学が暴く「食べてはいけない」の嘘』

投稿者: | 2021年5月15日
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書評

『科学が暴く「食べてはいけない」の嘘』(アーロン・キャロル 著、寺町明子 訳、白揚社2020年)

評者: 杉野実(市民科学研究室会員)

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本書の表題をみて、「ああまた食品について扇情的なことをいう本が1冊ふえたか」と、読者のみなさんは思うであろうか。実はとても地味な内容をもつ本書を多くの人の手にとらせるためには、たしかにこのキャッチーな訳題はおおいに役立ったにちがいない。(ちなみに英語原題はThe Bad Food Bible、これもなかなかだ。)「グルテンは一切さけるべきだ」「有機食品だけを食べるべきだ」「ベジタリアンになるべきだ」…あえて巻頭にならべたこの手のアドバイスを、著者はひややかにみている。評者がすべきはこの本の「書評」であるが、読者の「頭を冷やす」ことを目的としたこういう本を紹介するためには、提示された数々の科学的「事実」をみていただいた方がよいかと思う。

「油は肥満につながるから悪いものに決まっている」と、多くの読者は思うであろうか。だが「必須脂肪酸」ということばもあるように、実は不可欠な栄養素でもある脂質というものを、一体どう評価すればいいのか。トランス脂肪酸とか飽和脂肪酸とかいうむずかしい用語が、バターなりマーガリンなり、具体的な食品が与える印象とごっちゃになって流布していることも、この分野が理解しにくくなっているひとつの理由であろう。マーガリンがふくむトランス脂肪酸が循環器に悪影響を与えるのに対して、バターがふくむ飽和脂肪酸はそれほど悪くない、というのが「単純な真実」だ。特定食品の排撃に批判的な本書も、ときにはこういうはっきりした警告を発する。

むかしから肉は「ご馳走」とされてきたが、だからこそでもあろう、肉食を批判する言説も多かった。だが「環境への影響」は一旦おくとして、純粋に健康面だけからみたとき、肉はどれほど悪いものなのか。アメリカ人はステーキを食べすぎるから肥満が多い、というのは外国人だけがもつ偏見ではなく、アメリカ人自身もそう思っている。だが特に最近肉の消費量が減少しているのに、肥満は少しもへっていないということをみても、肉「だけ」を悪者にする論拠がゆらぐのもたしかだ。魚や鶏肉・豚肉が「体にいい」というのは概して本当だが、牛肉が特に「体に悪い」とする根拠はとぼしい。ただし加工肉の「食べすぎ」には注意すべきかもしれない。

鶏卵もおいしい食品といわれてきたが、だから(?)風当たりも強かった。卵ばかりかエビなどもコレステロールゆえに排撃されてきた、というくだりを読んで、「アメリカでもか、日本でもむかしはそうだったよ」と、なつかしさを感じるのは評者だけではなかろう。しかしこのコレステロールがまた曲者だ。「善玉・悪玉」ということばは知られていても、コレステロールが人体に不可欠な栄養素(脂質)のひとつだという重要な事実を、どれほどの人が承知しているか。体内のコレステロール挙動については不明な点が多いが、食品からの摂取による影響が大きくはなさそうだというのは安心材料だろう。卵のサルモネラ菌についても、心配しすぎないでいいらしい。

塩分のとりすぎが生活習慣病をまねくとする言説も、伝統的に漬物や干物などで「ご飯を多く食べて」きた日本では、特によく聞かれるものであろう。ただ昨今では、いわゆるジャンクフードに塩分が多いという話を、聞いた人が多いかもしれない。塩も悪者にされがちなのだ。だがここで確認すべきは、塩化ナトリウムが人体に不可欠な必須ミネラルだ、という基本的事実だけではない。塩分摂取の「不足」が問題になることもまた少なくない、という事実をも著者は強調している。塩分不足が低血圧でなく高血圧をまねきうるというから、一般人も「家庭の医学」を勉強しなおさねばならないであろう。とはいえ加工食にも、やはり注意した方がよさそうだ。

いままでのべてきたことが食品に関する「伝統的な議論」であったとすれば、最近の「グルテンフリー」ブームはさしずめ、この分野における新興勢力とでもいうべきかもしれない。ところが著者は、肉や野菜など、「グルテンがふくまれていたためしがない」食品までグルテンフリーをうたっているという事実をあげ、「グルテンとは何か」さえ知らない人が多いと喝破する。日本人であればまず、「うどんの腰」をつくるのが小麦粉のグルテン(蛋白質)だ、ということから復習すべきか。グルテンが強力な免疫反応をひきおこすセリアック病は重篤な疾患であり、その患者がグルテンフリー食をとるのは当然だ。だがグルテンフリーが栄養失調をまねくこともある。

酒は、ある人々からみれば、「当然悪いに決まっている」ものであろう。だが酒をあつかった章の副題は「健康によいという証拠が積みあがっている」だし、本文の第1文は「私はスコッチウイスキーに目がない」だ。冷静に科学的証拠を「積みあげ」ながらも、著者も結構ノリノリである。しかし「科学」をうたう以上、「乱用はダメ」とくぎをさすことも忘れない。著者のこういう姿勢は訳者にも伝染したらしく、ある節の見出しは「アルコール乱用はダメ、ゼッタイ」となっている。この章であげられたもっともおもしろい事実は、アメリカでは(多分他の国々と同様)「酒を全然飲まない人」と、「酒を非常に多く飲む人」が、それぞれ一定数いるということだ。

コーヒーに関する独立した章がもうけられているのは、やはりアメリカならではというべきか。(これがイギリスなら、紅茶に関する章になるのか?)酒ほどではないにせよ、コーヒーもまた、一部の人々には相当きらわれていよう。しかしコーヒーも酒と同様に、「健康によいという証拠が積みあがっている」。こちらの方は、酒にくらべて割合よく知られているかもしれない。コーヒーが酒とちがうのは、「子供による」摂取の影響いかんがしばしば問題にされることであろう。この点については、「脱水症をおこさない」と明言したことが目をひくが、不眠との関係を論じていなのは不満である。「デカフェ」のまともな研究がないのは学問上の穴といえよう。

「ダイエットソーダ」という表題のもと、糖分や甘味料のことをまとめて論じた章は、本書のなかでももっとも「アメリカ的」な部分かもしれない。この書評でも何度か「加工食には注意」と書いてきたが、注意すべき理由は油分・塩分そして糖分である。糖分についても、「ほとんどとらない人」と「非常に多くとる人」の分化がみられ、後者は健康問題を多くかかえている。「単なる」炭水化物は食べすぎねば問題ないが、食品に添加された糖類は(著者によれば)「現代社会最大の敵」である。しかしここで問題をややこしくしているのは、砂糖を擁護する業界人が「人工甘味料は毒」といいふらしていることだ。発癌性の議論など、よほど注意が必要だろう。

第9章は、塩・砂糖そして酢とならんで、いまや「基本調味料」のひとつになった感もあるうま味調味料を論じている。日本で「化学調味料」を「うま味調味料」といいかえたのと同様のことが英語圏でもあったのかどうか、本書の訳文をみているだけではよくわからない。だが「グルタミン酸ナトリウム(MSG)」という「化学物質」だから、という理由できらう人が多いという状況は、アメリカでもあまりかわらないらしい。「天然物質」であろうと「化学物質」でない物質など存在しない、とする著者の言明は正しいが、ではMSGという物質自体の性質はどうかというと、実は母乳にもふくまれる必須栄養素だ。批判するにしても、「毒」だからというのは無理かもしれない。

続く第10章は「非有機食品」。著者のこれまでの「やり口」からみて、ここでも「非有機食品を食べてはいけないというのは嘘」といいたいのだろう。先の「化学物質」と同様、「有機」と「非有機」というのも、簡単なようでむずかしい。法律上・商業上の定義はいろいろあるが、たとえば農産物の場合には、農薬や化学肥料(や遺伝子組み換え種子)を(ほとんど)用いずに栽培されたものを、「有機」と称している。栄養分のみならず汚染物質においてさえ有機食品はつねに優秀とはいえず、値段のことまで考えれば意味のない贅沢だと著者はいう。異論もあろうが、食生活の改善をはたらきかけるべき「標的」は別にいる、という著者の主張は正しいと思う。

「食のタブー」批判をくりかえす著者の姿勢は、健康を軽視しているという印象を与えがちだろうが、実際はその逆であることは、巻末にあげられた「健康にいい食事をするため」の「アーロンズ・ルール」をみればわかる。「多くの栄養を未加工食品から摂取する」・「高加工食品を食べる回数を少なくする」などの項目は、中途半端な「有機」信者よりも、よほど「原理主義的」にみえる。だが評者がみたところ「ルール」の要諦は、「なるべく家庭料理を食べる」・「大切な人と一緒に食事をする」といった項目にこそある。情緒的な面も軽視しないが、要は「食べ物に関心があるなら、自分で手を加えよ」というアメリカ的合理主義である。学べる点は多い。■

 

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