【翻訳】『Atomic Doctors: Conscience and Complicity at the Dawn of the Nuclear Age』の紹介文

投稿者: | 2022年8月12日

2020年に刊行された『Atomic doctors : conscience and complicity at the dawn of the nuclear age』(James L. Nolan Jr,  The Belknap Press of Harvard University Press)は、マンハッタン計画に参加し、原爆投下直後の日本へも調査に訪れた米国人医師の行跡と彼が残した資料を紐解きながら記録として掘り起こした、大変読み応えのある書物です。その日本語訳『原爆投下、米国人医師は何を見たか:マンハッタン計画から広島・長崎まで、隠蔽された真実』(ジェームズ・L・ノーラン著、 藤沢 町子 翻訳、原書房2022年)が最近発刊されました。

原著の版元で開設しているHarvard University Press Blog で2020年の8月6日付で「Remembering Hiroshima」と題した文章で、この本を詳しく紹介していましたので、それを以下に翻訳しておきます(翻訳:上田昌文、以下の訳文中の [   ] は訳者の注釈)。

 

広島を思い返すこと

75年前のこの日、アメリカは世界初の原子爆弾を日本の広島に投下しました。ジェームズ・L・ノーラン・ジュニアの祖父はマンハッタン計画に参加した医師です。ジェームズ・L・ノーラン・ジュニアは、マンハッタン計画に参加した医師たちが直面した道徳的・職業的ジレンマを赤裸々に検証した『アトミック・ドクターズ:核時代の夜明けにおける良心と共犯』(ハーバード大学出版局)の中で、その祖父について書いています。以下でノーランが自著を紹介しています。

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1945年6月17日の朝、ジェームズ・F・ノーラン大尉(医学博士)はニューメキシコ州アルバカーキの飛行機に乗り込みました。彼のブリーフケースの中には、ノーランがマンハッタン計画の他の医師と2人の物理学者と共に作成した、史上初の核爆弾の爆発による放射性降下物の可能性についての懸念を表明した、非常に機密性の高い報告書が入っていました。プルトニウム爆弾(「ガジェット」と呼ばれていた[人類初の原子爆弾であるトリニティ実験の爆弾のコードネーム])は、ニューメキシコ州のアラモゴード爆撃場で1ヶ月以内に爆発させる予定でした。ノーランと彼の同僚たちは、マンハッタン計画の軍事的責任者であるレスリー・グローブス将軍を説得して、いわゆるトリニティ試験の安全と避難手順を承認することを望んでいました。飛行機の遅延、乗り継ぎの遅れ、シンシナティからノックスビルまでの長い列車の旅を経て、ノーラン氏は翌朝6時半にマンハッタン地区のオークリッジに到着しました。ノックスビルから約25マイル離れたオークリッジで、ノーランはついに、長身で堂々としたグローブスに会ったが、グローブスは報告書を受け取けとっても全く喜ばなかったのです。

グローブスはノーランを彼のオフィスの外に座らせました。その間、 彼は文書を読み、彼の補佐官とそれを議論しました。それを終えた時、彼はノーランを呼び、無愛想に彼に話しかけました。「君はハースト流のプロパガンディスとなのか?」このコメントは、センセーショナルなジャーナリズムで知られるウィリアム・ランドルフ・ハーストに言及したもので、グローブスの安全と秘密に対する懸念を示しています。彼は、提案された計画が実行された場合、極秘のマンハッタン計画の情報がアラモゴルド爆撃場の近くに住む人々に漏れてしまうのではないかと危惧していたのです。グローブスからのそのような反応は予想外のものではありませんでした。ノーラン氏の考えでは、軍部は戦争のために原爆を作ることにしか関心がなく、放射能の心配は「全くの二の次」でした。グローヴスは、ノーランの言葉を借りれば、「ライフル銃の銃身を見る目を持っていた」。そのことは、彼を「偉大な軍人たらしめ」はしましたが、「安全保障の面だけしか考え」られなくすることにもなってしまったのです。結局のところ、マンハッタン計画の医師たちがトリニティ実験による放射性降下物の影響を心配していたのは正しかったのです。グローブス氏は最終的に安全対策の一部を承認したが、実験場周辺地域への放射線の長期的な影響についての懸念は今日に至るまで続いています。

マンハッタン計画の医師たちは、トリニティ核実験の危険な降下物について軍に警告しましたが、実験後の放射線の有害な影響を軽視することにも加担することになりました。マンハッタン計画の医師たちの複雑な役割は、核時代の幕開けに何度も起きたことを象徴しています。マンハッタン計画の医師たちは、特に放射線被曝の危険性について警告を発しました。軍の指導者たちは、その警告を真剣に受け止めず、軍事的・科学的な懸念を重視しました。そうなると、医師は多くの場合、訴追されるのを恐れて、軍部が放射線被曝の悪影響を隠蔽したり、最小限に抑えたりするのを助けるとうい立場に置かれることになります。

『アトミック・ドクターズ』は、マンハッタン計画に関わった医師たちに焦点を当てており、特にノーラン博士、彼の同僚であるルイス・ヘンペルマン博士、スタッフォード・ウォーレン博士に注目しています。3人の医師は皆、放射線学の訓練を受けていたため、新兵器の決定的な特徴でありながら謎に包まれていた放射線について、他の誰よりもよく知っていました。彼らが放射線に関する知識をどのように得て、どのように管理したか、そして放射線の影響を受けた人々をどのように治療したか(あるいはしなかったか)は、本書の中心的なテーマです。それは、核兵器を爆発させ、開発し、備蓄し続けることの必要性と道徳性をめぐる議論と交差するテーマなのです。私たちは、医師たちが、協力の有無にかかわらず、原爆についての歴史的な物語を支持したり、反論したりするために、どのように利用されたのかを見ていくことになります。

ジェームズ・F・ノーランは私の祖父です。私が初めて彼のマンハッタン計画への貢献の本質と範囲に気付いたのは、父が亡くなった数ヶ月後、母が私を訪ねてきた時でした。母が持ってきたのは、家族の誰も知らないような資料が入った箱でした。箱を開けて中身の整理を始めた時、私は何を見つけたのかと驚きました。箱の中には、私の祖父とマンハッタン計画での祖父の役割についてのデータの宝庫が入っていたのです。箱の中には、トリニティ実験、インディアナポリス、テニアン島、ビキニ島、広島・長崎の写真(両市に原爆が投下された数週間後に撮影されたもの)が入っていました。中には、祖父の軍関係の書類、旅程表、遺品、記念品、天気図、新聞の切り抜き、体験を記した文章、マンハッタン計画の科学的責任者であるロバート・オッペンハイマー氏との書簡なども入っていました。

この資料を発見したことが、私の祖父がガイド役を務めてくれた初期核時代の旅の始まりとなったのです。ある意味、ノーランは私のウェルギリウスのような存在であり、私を神の喜劇のようなものに導いてくれました[ローマの詩人ウェルギリウスが『アエネーイス』でローマの建国に至る物語を神話的な英雄叙事詩で語ったことになぞらえている]。彼は私に魅力的な人々を紹介してくれました。その中には、ハイテク好きの新しい楽園を夢見ていた人たちも含まれていました。彼はまた、戦後すぐにノーランが広島と長崎で交流した日本人医師が伝えた恐ろしい地獄のイメージを見せてくれました。祖父の秘密の箱に入っていた資料をきっかけに、アメリカ中のいくつもの公文書館、ロスアラモスやオークリッジ、サンイルデフォンソ・プエブロ、インディアナ州のインディアナポリスの生存者との再会、そして広島と長崎へと、私はを探索する旅に出ました。探れば探るほど、この物語は面白くて厄介なものになっていった。ウェルギリウスのイメージは、この物語がノーランについての物語ではなく―明らかに彼は中心人物ではあるのですが―彼が生きた劇的で全く変容を遂げた歴史的な時代についての物語である、という意味でもあてはまっているのです。

私の祖父はこの時代の重要な出来事の多くに参加しています。

彼は、これまでに最初に爆発した8つの核爆弾に何らかの形で関与していました。ロスアラモスにもいましたし、最初の新兵の一人でもありました。トリニティ核実験の安全と避難の計画を手伝いました。広島に投下される予定の原爆「リトル・ボーイ」をロスアラモスから太平洋諸島まで護衛する任務を負った2人のうちの1人です。戦後、日本を訪れて原爆の現場を調査した最初のアメリカ人の一人でもあります。その後のマーシャル諸島のビキニ環礁とエニウェトック環礁での原爆実験にも立ち会いました。そして人生の最後には、約100人の仲間とともに、ロスアラモスで行われたマンハッタン計画開始40回目の同窓会に出席したのですが、それは原爆を作った科学者たちに、自分たちの発明のすべてがどうなってしまったのか、苦悩に満ちた反省の機会を与えることとなったのです。本書は、これらのエピソードを通してノーラン氏を追い、プロジェクトに従事した医師たちが直面した倫理的・医学的問題について考察しています。

祖父の旅への関心は個人的なものではなく、歴史的なものでもない。現代社会におけるテクノロジーの役割に長年関心を持ってきた社会学者として、ノーランの物語は、テクノロジーと私たちとの間にある困難な関係についての洞察を提供してくれると感じています。原爆の発見は、軍事、エネルギー、医療など多くの原子力技術を生み出し、さらには、私たちの生活を形成し続けているさまざまな関連技術を生み出しました。初期の原子時代からの教訓は、人間が核技術や核派生技術だけでなく、遺伝子工学、ロボット工学、ナノテクノロジーなどの新興技術とどのように関わっているかについての理解を深めるのに役立ちます。核技術やそれ以外の技術が人間の生活に与える影響は、「小さな男の子を届ける[リトル・ボーイを生み出す=原爆を完成させる]」という言葉に込められた複数の意味の一つであり、ノーランが原子時代初期を通過していく過程を追う中で探っていくことになるでしょう。■

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