市民科学入門講座 報告(後編)
見る目が変わるミュージアムの楽しみ方シリーズ第4弾
博物館活動への市民参画:植物標本デジタルアーカイブプロジェクトの推進力として
報告者:三河内彰子
◆実施要領◆
場所:東京大学総合研究博物館ハーバリウム(現地参加とオンライン配信)
日時:3月13日(日)13:30~15:00 (現場では13:15-16:00)
◆講師◆
池田博 (東京大学総合研究博物館 准教授)
三河内彰子 (市民科学研究室 理事、明治学院大学言語文化研究所 研究員、東京大学総合研究博物館 研究事業協力者)
1)はじめに
本報告は『市民研通信』第66号に掲載した公開講座報告の後編です。今回は講座の中盤以降の実践、つまり、押し葉標本作成と新設スタジオでの標本撮影から続けます。その様子は市民研のアーカイブ研究会によってZoomで配信され、オンライン参加者がリアルタイムで画面越しに追体験し、随時双方向で質問やコメントができました。この方法が予想以上にうまく皆の知的好奇心をくすぐることとなりました。
例えば、参加者の寺山さんと山本さんが台紙のどこに標本を置くか迷っていると、大学生サポーターの高橋さんや池田先生が手取り足取りサポートし、先生と私でその意図や目的などを解説するといった調子です。その際、研究者は採集時に既に標本の台紙の大きさを予想し、標本になった時に重要な部分がきちんと見えるように植物を採集してきているなど、専門家の見る目やハーバリウムに蓄積された知や技術が紐解かれることとなりました。
デジタルアーカイブの公開にあたっては、アーカイブの存在がミュージアムと社会にとって意義深いものになるための提案として、参加者各々の背景から具体的なヒントが寄せられ、市民研らしい会となりました。詳細を以下で紹介します。
2)押し葉標本を作るということ
将来長く閲覧されるために
押し葉標本の作成は、館内の演習室に移動して行われました。野外で採集された植物が押し葉標本になるまでには様々な工程があり時間もかかりますが、たくさんの植物を長期間保存する上で押し葉標本は優れています(矢野(2016)『見る目が変わる博物館の楽しみ方』第5章の植物の箇所参照)。池田先生との講座の計画段階では、実際に自ら選んだ植物を標本にした方が、何をどのように保存するのか実感してもらえるのではないかと、学内での散策時間を取ることも検討しました。しかし、今回はデジタルアーカイブ事業がテーマなので、標本作製体験は撮影に向けて留意すべき点に焦点を定めた体験となりました。
目の前の段ボールからジッパー付きのビニール袋に入った新聞の束が出され、新聞紙の間には既に乾燥し押し葉になった標本が挟まっています。標本活用のためには早く台紙に貼り配架するべきなのですが、実はハーバリウムにはこの段階の資料が沢山あり、標本貼りの作業は、長年ボランティアの方々にお世話になっています。熟練ボランティアの方は、多くの場合研究者よりも上手に標本を貼ることができる、ある種の手練家です。
今回用いたのは、高知県で採集されたシダの仲間とキクの仲間です。本来なら、ご紹介するアーカイブ化の対象であるヒマラヤの植物を使うべきだったのかも知れませんが、そちらは別の段取りがあるため、今回は国内で採集された植物を使うこととなりました。標本は、博物館の研究事業協力者の宮崎卓さんが高知県で採集して寄贈してくださったものです。この標本は、ある時期に高知県のある場所にあったという、実物としての証拠標本として価値があります。参加者には、標本の作成と撮影をした後には収蔵庫に配架されることが告げられて作業に入りました(後日、収蔵庫に配架をしました)。
押し葉標本実習にて池田先生による工程の説明
採集した植物は、新聞紙に挟み、重しを乗せて押します。標本を乾かすために、以前は毎日新聞紙を取り替えていましたが、最近は一度押して型直し(花の折れや乱れを直す作業)をした後、乾燥機に入れて乾燥させています。
植物と等しく大切なラベル:採集者が同定者とは限らない
新聞紙には植物の他に紙片が挟まれています。ラベル(標本ラベル)と呼ばれ、対象の植物に関する情報が書き込まれています。標本作製時のラベルにはどのような情報が書き込まれていると思いますか?変な質問に聞こえるかもしれませんが、通常展示されている植物標本に添えられているラベルには、植物名や採取日、採集地や採集者の名前が書かれています。一方で、収蔵庫に入れられる時点では、まだ植物名が書かれていないこともあります(そのような場合は、大まかな名前は別の紙片に書き込まれるなど、収蔵庫のどこに配架すればよいかは示されていることが多いです)。
植物の名前の正確さは、収蔵された時点では大きな問題とはなりません(もちろん正確であった方が都合がいいですが)。なぜなら、収蔵庫の標本はその仲間の専門家が調べるために準備しているものであり、専門家の検討を通して正確な同定(名前を決めること)がなされていくからです。標本は専門家によって見直され、名前の訂正や変更がなされることにより、ハーバリウムは徐々に充実していくことになります。一方、「いつ」、「どこで」、「誰が採集したか」といった情報は、標本にとって必須のものです。それらの情報がなければ、その標本には科学的価値はないといってもいいくらいです。それらの情報は、ある時点において、ある場所にその植物が生えていたことを担保するものであり、その情報を事実と仮定して研究は進められるからです。つまり、標本自体もラベル情報も、いつか誰かが検討するために作られ、時を経て何度でも見直せるように準備してある、ともいえます。
今回、ラベル情報のとある数字に質問がありました。標高に関するもので、確かに全ての植物標本にある数字ではないです。ヒマラヤに生える植物には、4000メートルを超える場所に自生する高山植物から、低地の日本で見られるような植物まで含まれています。その多様性が一つの特徴にもなっており、標高情報からそれらの植物がどのような環境に生えていたのかが類推されます。ひとつの調査隊のラベル情報を見てゆくと、採集日によって標高が移動している様子を追うこともできます。
押し葉標本作成の様子。植物を固定するテープや固定に使う電気こても置かれている。
ラベルの文字は長持ちするように、退色しない炭素が含まれているインクが用いられます。台紙もなるべく中性紙を使って長期保存できるようにしています。ラベルの紙片は標本の右下に置くことが世界的な暗黙のルールとなっています。そのため、専門家なら標本を見る際に自然と標本の右下に(一度は)目を落とすこととなります。また、収蔵されている場合でも最下部にあることで台紙全部を引き出さずとも手前部分だけ見ればよいということになります。
迷うことがいっぱいの標本貼り
貼られる植物の特徴を確認し合う講師と参加者
標本貼りの作業では、標本から多少の土が出たり糊を使ったりすることから、現地参加者はエプロンをかけ、いよいよ植物を台紙に貼る段階へ。しかし、押し葉の表や裏、台紙上の位置など、初めてだと迷う場面が多々ありました。
シダの葉の先を固定する様子(学生サポーター高橋佑征さんによる演示)。電気ごてでテープ片面に加工されたプラスチックを溶かし固定する。テープの端をこてで押さえ手前にテープを引き切る。
例えば、シダ植物の場合は、胞子を含む胞子嚢(のう)群やそれを取り囲む胞膜が重要となるため、葉の裏側が見えるように貼ります。手にしたシダは大きな台紙に対してぎりぎりの大きさで、向きを工夫する必要もあり、ラベルにかかる葉っぱは切ってよいかなど、質問が出ました。葉の繋がりも重要な手掛かりのため、なるべく切らないようにします。試行錯誤していた時、参加者がシダの上下が切られずに畳まれていることに気づきました。実は採集直後に折られ、その場でその形で新聞に挟まれたのです。体験者は葉が茂っている植物の中央が大切なのではと思いましたが、池田先生によるとシダ植物の場合は根元にある毛のような鱗片と先端の葉の形や根本に近い方の端の葉のつき方も決め手になるため、それらの部分では切ったり折ったりしないように、その他の部分を畳むことで台紙の大きさに収めるように折ってあります。著者はフィールド現場で植物を巧みに切ったり折ったりして新聞紙に挟む専門家の手連の技を見る度に、科学の無形文化財と呼びたいと常々感じているほどです。参加者からは「標本になった植物の折り方1つで採集者がこの道のプロかどうかがわかるんだ」と笑顔がこぼれました。
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