小特集:映画『オッペンハイマー』を語る
映画「オッペンハイマー」(2023)を巡って
林 浩二 (市民科学研究室 レイチェル会員)
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はじめに
映画「オッペンハイマー」が複雑で深く、難しい問題を提起しながら興行的にも大成功していることには驚かされます。世界での公開に遅れること約8か月、2024年3月29日に日本でもようやく公開され、多くの観衆が見られるようになりました。ここでは、数回の視聴を踏まえて現時点で考えていることを備忘録的に記すことにします。改めて断るまでもなく、「ネタバレ」していますのでご注意ください。まだの方は、ぜひ、できればIMAXでご覧ください!
映画のメッセージ
この映画を見てわたしが受けたメッセージ(の一つ)は、「オッペンハイマー(たち)は、原子爆弾を開発・使用したことで、世界(の未来)を破壊してしまった(と自覚していた)」というものです。
このセリフはラストシーンでオッペンハイマー(役のキリアン・マーフィー)がアインシュタイン(役のトム・コンティ)にかける言葉で、その言葉がこの長い映画の最後シーンで初めて明かされます。それを受けてのアインシュタインのこわばった表情は、この作品の中で、何度も何度も回想され、何を言われたらこんな表情をするのか、同僚の挨拶にも応えないのかが大きな謎として残されていました。
謎を何度も投げかけておいて最後にそれ解くという、わかりやすい?演出でもあり、このメッセージこそ、脚本・監督のクリストファー・ノーランがこの映画に込めたものだろうとわたしは考えました。
以上の考えは、字幕の「我々は破壊した」に引きずられたものかもしれません。まいるず(2024)(個人ブログ)によれば、このセリフは原文では “I believe we did” であり、この “do” は、その直前の会話から、「連鎖反応を始める」ことを指すと解するのが適切とのことです。その場合、セリフの意味は、比喩的な意味で「地球を破壊」してしまった、のではなく、(核兵器や軍拡の)「連鎖反応を開始」(引き起こ)してしまったということになります。こちらの方が、現実世界のその後に、より即したメッセージと理解するこができます。
なお、このような会話が、プリンストン高等研究所でオッペンハイマーとアインシュタインとの間で実際に交わされたというような記述は、原作の邦訳をざっと調べた範囲では見つけられませんでした(手紙や書類には残っていなそうです)。このセリフが史実なのか、あるいは脚本のクリストファー・ノーランの創作なのか、関心は尽きません。他の書籍や資料を含め、探索したいものです(周知の事実であればお知らせいただければありがたいです)。
図1 IMAXレーザーGTの巨大スクリーン:大きさは26m×18mで、スクリーンから数メートル離れた通路を歩く人の身長との対比からも大きさが分かる。2024年5月29日、109シネマズ大阪エキスポシティ(吹田市)で撮影。
6回、見ました
わたしはこの映画をこれまでに6回、いずれも映画館で視聴しました。
この映画には複数の上映フォーマットがあり(注1)、映画館がどの設備を有しているか、また他作品との競合などのため、時期によって上映フォーマットが変わる館もありました。
- 一般上映 (シネマスコープサイズ)
- IMAXレーザー 注2
- IMAXレーザー/GTテクノロジー(以下、IMAXレーザーGT)
- Dolby Cinema
- 35mmフィルム上映
IMAXの上映のフォーマットについては、Wikipediaの「IMAX」のページ(注2)の「レーザー上映」の項を参照してください。
なお、わたしが調べていた範囲では、いわゆる「封切り」館の多くでは公開から約2か月の2024年5月21日ころが節目で、IMAXフォーマットでの上映が一度終了しました。しかし7月上旬には、改めてIMAX上映をしている館もあります(注3)。
これらのうち、わたしはDolby Cinemaを除く4つのフォーマットで視聴しました。IMAXレーザーGTは設備がある東京(池袋)と大阪(吹田市)の2館だけで上映されました。35mmフィルム上映(注4)については、東京(新宿)と広島市中区の2館だけで、執筆時点でどちらも上映中です。
IMAXレーザーGTの設備は大阪では吹田市の109シネマズ大阪エキスポシティにあります。わたしが今回、IMAXレーザーGTで見たのもこちらでした。同社サイトによるとシアター11のスクリーンは横幅が約26m、高さが約18メートルと本当に巨大です。ところが適切に視聴できる位置は限られ、座席は407席と車椅子用が3席。一方、通常スクリーンで大きなTOHOシネマズ海老名のスクリーン1は22.5m×9.5mで630席と車椅子用4席(注5)。
図2 IMAXレーザーGTの座席配置の例:湾曲したスクリーンとかなりの距離をおいて比較的少数の座席を配置している。2024年5月29日、109シネマズ大阪エキスポシティ(吹田市)で撮影。
IMAXシアターでは、スクリーンが大きいのに対して客席数は限られることから、数百円程度の割増料金が発生します。
映画「オッペンハイマー」のIMAXレーザーGT上映で何より驚いたのは、シーンによって画角(アスペクト比)が変わることです。重要なシーンでは1.43対1というスクリーン全体になり、そうでないところはやや横長(1:90対1)の比率になります。自分の記憶が心配になったので、別の日に改めてふつうのIMAXレーザーで見直して、画角が変化しないことを確認しました。このようなシーンによる画角の変化は、クリストファー・ノーラン監督作品で部分的にIMAX撮影を取り入れ始めたバットマン3部作(注6) の中で取り組まれたようです。わたしはこの3部作をいずれも、配信で(小さなMacの画面で)視聴しただけなので実際の画角の変化は確認していません。なお、映画「オッペンハイマー」で主役を演じるキリアン・マーフィーは、バットマン3部作では危ない医師役で登場します。これを見比べるのも楽しいです。
東京で映画「オッペンハイマー」を35mmフィルムで上映している109シネマズプレミアム新宿は、その名のとおりロビーや座席も豪華で、ポップコーン・飲み物付きながら一般的な劇場の料金の約2倍のCLASS A席と、約3倍のCLASS S席となっています。ただし、坂本龍一が監修したという音響は確かにすばらしく、豪華な座席に座ってフィルムで映画を見るというプレミアムな体験と言えるかもしれません(注7)。
ただし、今回は、フィルム上の字幕の白字が画面の白と重なって、見づらいシーンがいくつかあることが気になりました。
図3 109シネマズプレミアム新宿の豪華な座席:画像奥の多数はCLASS A席、手前2つはより幅があるCLASS S席 2024.6.11撮影
街を作った?
映画「オッペンハイマー」のカラーのシーンはオッペンハイマー自身の視点で描かれており、その中で、ニュー・メキシコ州ロス・アラモスに新たに街を作って情報を秘匿しながらマンハッタン計画の中核的な研究・開発を行う様子が描写されています。マンハッタン計画に関わったロス・アラモスと共に2015年にマンハッタン計画国立歴史公園(注8)に指定されたのは、ウランの分離・濃縮が行われたテネシー州オーク・リッジと、プルトニウム生産の原子炉が設置されたワシントン州ハンフォードです(親泊 2021)。いずれも都会とは離れたところに新たに街が作られました。この映画の中でもロス・アラモスの研究・開発区域と共に生活・居住区域が作られる様子が描写されています。
実はこのハンフォード・サイトの街の歴史を描いた「叙事詩的ドキュメンタリー」映画「リッチランド」(2023)の日本での公開が2024年7月に始まりました(注9)。ハンフォード・サイトは今なお深刻な汚染にさらされています(注10)。
これらの土地についてはいずれも、先住民への権利侵害や、プラントの稼働や核実験に伴う広範囲に渡る核物質汚染・被曝などの問題があることを忘れてはならないでしょう。
原作とその邦訳 (注11)
この映画の原作はKai BirdとMartin J. Sherwinによる2005年の”American Prometheus: The Triumph and Tragedy of J. Robert Oppenheimer”(Alfred A. Knopf刊) で、2006年にはピューリッツァー賞を伝記部門で受賞しています。河邉俊彦による邦訳は『オッペンハイマー 「原爆の父」と呼ばれた男の栄光と悲劇」』(上下2巻)として2007年にPHP研究所から刊行されています(絶版)。今回の映画公開直前の2024年1月に早川書房から3分冊の文庫(『オッペンハイマー 上;異才・中;原爆・下;贖罪』として刊行されました(電子版あり))。早川書房サイトによれば、著者らは25年間にわたる取材・インタビューの成果を書籍にまとめたとのことです。
予習は必要か?
原作とその映画化作品がある場合、観てから読むか、読んでから観るかは、しばしば議論になります。この作品の場合、複雑でわかりにくい構成にも関わらず映画が人気を博し、加えて原作がそれなりのボリュームであるためか、さまざまな情報がウェブサイトや動画で流されたようです。一般にはそのような雑多な情報源は玉石混交となりがちで勧められるものではありませんが、オッペンハイマーの生涯や原子の構造、核分裂の原理などの基本的なことがわかっておけば、観客が映画の流れに乗ることを助けることもあるように思います。
わたしが見つけた範囲で、科学や教育を主に扱うVeritasiumによる “The Real Story of Oppenheimer” は英語ですが、英語字幕やあるいは機械翻訳の日本語字幕を表示すれば概略は理解できるかと思います。映画の世界公開に先立つ2023年7月19日に公開され、このテキストの執筆時で1323万回視聴されています。
映画館で!
映画「オッペンハイマー」は、少し時間をおけば配信やDVDやブルーレイディスクでの販売で、自宅等でも視聴できるようになるでしょう。
この映画は丸々3時間あります。自宅や事務所の環境で、なにかに3時間集中するというのは、なかなか難しいと思われます。これが映画「オッペンハイマー」を映画館で見る理由の一つになります。
IMAXレーザーなら、通常のシネマスコープサイズよりも縦が長い画角で、すなわち隠れていた部分も見えるように上映されます。クリストファー・ノーランが大判フィルムを用いてIMAXカメラで撮影したこの映画は、エンドロールの最後の方で「フィルムで撮影され、仕上げられた」と表示されます。コンピュータ・グラフィクスではなく、特撮に拘って制作したそうです。映画「オッペンハイマー」は映画館で、できればIMAXでみましょう、というのが最後のオススメです。
【注】
注1 本田敬. 2024. 「オッペンハイマー」全4フォーマット制覇レポート 迫力のIMAX®、繊細なDolby Cinema®、丸ごと贅沢な35mm、回数観るなら通常DCP版. 映画ニュース 2024.4.5
https://eiga.com/news/20240405/9/
注2 IMAXについてはたとえば https://ja.wikipedia.org/wiki/IMAX を参照のこと。
注3 映画オッペンハイマー公式サイト https://www.oppenheimermovie.jp/
からリンクした劇場ページ https://theaters.jp/17287
で最新情報が出ているはずです。
注4 広島市中区の八丁座では、この作品が35mmフィルムでも配給されることがわかり、数年間稼働しておらず廃棄予定だった35mm映写機を急遽メンテナンスし、テストを繰り返して上映するに至ったとのこと。広島ホームテレビの動画「オッペンハイマーをフィルム映写機で / 7年ぶりの復活までに密着」
https://www.youtube.com/watch?v=3IuSVEz0fQ0
35mmフィルムに日本語字幕をいれる作業など、今回の35mmフィルム上映について紹介している記事もあります。
村山章. 2024.5.31 「オッペンハイマー」35mmフィルム上映の舞台裏. 映画ナタリー
https://natalie.mu/eiga/column/574312/
注5 スクリーンの大きさ、座席数などの情報
109シネマズ https://109cinemas.net/imax/imax-with-laser.html
TOHOシネマズ海老名 https://www.tohotheater.jp/theater/007/institution.html
注6 クリストファー・ノーラン監督のバットマン3部作は、いずれも、世界公開の直後に日本でも公開されています。
Batman Begins (2005) 「バットマン・ビギンズ」
The Dark Knight (2008) 「ダークナイト」
The Dark Knight Rises (2012) 「ダークナイト ライジング」
注7 デジタル上映が普及したため、フィルムでの映画視聴は場所・機会が限られています。そんな中、独立行政法人国立美術館が擁する国立映画アーカイブ(東京都中央区)では、保存している映画を上映・公開する事業を行なっており、日常的にフィルム上映を視聴することができます。所蔵映画なら一般520円と格安です。
国立映画アーカイブ https://www.nfaj.go.jp
注8 マンハッタン計画国立歴史公園については、米国内務省国立公園局(NPS)サイトで詳しく紹介されています。オッペンハイマーについてのページもあり、2022年の映画撮影場所も解説されています。
https://www.nps.gov/mapr/learn/historyculture/oppenheimer.htm
国立公園局にはスマートホン/タブレット向けのアプリ “National Park Service” もあり、各公園等でのオススメの場所、レンジャーによるツアーの案内など詳しく説明されています。
注9 映画「リッチランド」公式サイト https://richland-movie.com/
このウェブサイトのメニューから”Theater”を選べば、上映中または上映予定の劇場に関するほぼ最新の情報が出てきます。
注10 たとえば、長野光. 2023. 放射性降下物が降り注ぐ町に生まれて―ある核兵器製造技師の死とその娘の闘い アメリカで最も有毒な場所、ハンフォード核施設で起きていたこと.
JBPress 2023年8月19日 https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/76571と
注11 原作の出版社
・原著出版社(Penguin Random House)
https://www.penguinrandomhouse.com/books/13787/
・邦訳出版社(PHP研究所)
上巻 https://www.php.co.jp/books/detail.php?isbn=978-4-569-69292-0
下巻 https://www.php.co.jp/books/detail.php?isbn=978-4-569-69293-7
・文庫版邦訳出版社(早川書房)
https://www.hayakawabooks.com/n/n648f4fa73524
【引用文献】
親泊素子. 2021. 江戸川大学国立公園研究所から 連載第28回 負の遺産と国立公園. 国立公園 (794): 28-29.
まいるず. 2024. 【オッペンハイマー】日本語字幕批評:ラストのセリフ(2024/4/9)
https://note.com/james_miles_jp/n/n140ab4f029ab 2024.7.7 閲覧
【参考文献】
ビターズ・エンド(編集・発行). 2024. 映画「オッペンハイマー」パンフレット 28p.
文藝別冊 KAWADEムック 「クリストファー・ノーラン」増補新版 242p. (2024年3月30日発行)