千葉県市川市の「木を伐るな」運動の経緯と今後の課題
大蔵 八郎 (セイブグリーン・イチカワ代表)
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小学生から東京品川の大井町で育ちました。アパートの狭い借家住まいで、緑の少ない環境でしたので、幼いころから緑に憧れ、妙な夢ですが、自宅の浴室で湯船に浸かりながら窓の樹を見るのがささやかな夢でした。その夢は緑豊かな町―市川にマイホームを持つことでようやく実現しました。
空手の師範の住まう市川北部、松戸に接する北国分の風致に魅せられて東京から引っ越してきたのが40年前の1983年でした。狭い庭には桜、梅、椿、木斛など10本の庭木を植え、市の補助金を得て、珊瑚樹の生垣を作りました。そして移り住み始めてから8年経った時に北国分に住む千葉大教授(考古学)麻生優氏の「身近な森林をもっと大切に」という新聞投稿に接しました(『朝日新聞トークルーム』1991年9月7日付)。
A 北国分斜面林を守る活動
「市川市北国分の森を私はどうしても守りたい」と結ばれたこの記事によって初めて北総線開通に伴う区画整理事業による北国分駅前の樹林帯が危機に瀕していることを知った次第です。麻生教授は「樹齢100年の古木を含む3500本以上を伐って新しく公園や道路を造る意味がどこにあろう」と主張し、また次のように仰いました。
1.赤松、黒松、イヌシデ、コナラなど数十種類の樹々、鵯、椋鳥、ツミ、大鷹、キジバトなど沢山の野鳥が飛び交う雑木林こそ縄文時代以来の伝統的な森の姿。
2.森林保護の大切さは何もアマゾン河流域や東南アジアの熱帯雨林に限らない。この日本の身近な森が危ない、いや、市川の森が危ない。
3.日本が国際社会で信頼されるには自国の環境対策に真剣に取り組まねばならない。
この言葉が、麻生教授の亡き後、30年以上経った今も全く変わらずに生きているのです。
当時は、外環反対運動は未だ知られず、「北国分の森を守る会(麻生直子代表)」と「山水会(三宅幹夫代表)」が共産党の小沢元市議、自民党の海津現市議、板橋元市議を巻き込んで、当時の高橋国夫市川市長に強く抗議して伐採を一時中止させましたが、既に樹齢50年を超える大木50本余が切り倒されており、最終的に3000本もの樹木が失われました
しかし4000人市民の署名を集め、小生も、会社勤めの傍らで全力投球はできませんでしたが、一臂の力を貸した結果でしょうか(①「北国分の森を守る運動へのご協力のお願い」「Q&A」を作成し、②国内の自然保護団体、芹洋子、東山魁夷など著名人の50か所以上へ配布。➂「全国自然通信」へ掲載、④千葉県沼田知事への緊急要望書提出、⑤市川よみうり、市川ジャーナルへの記事掲載、⑥日本自然保護協会沼田会長へ協力依頼等々・・・当時思い付くあらゆる手段を講じました)。11,568㎡(3500坪)の樹林が守られ、「多くの住民の手で北国分の森は残った」と新聞は評価し、「生ぬるい運動と言われようと、あれっぽっちと言われようと、ここで終わりとなりました」という悲痛なメッセージが麻生代表から届き、「幸いにも命を長らえた樹木をこれからも大事に見守っていきたい、そして風致地区にふさわしい町作りが出来ますよう願っています」と1992年4月に総括されました。
この手法は、30年以上経った今も全く変わらずに有効と思います。但し真に有効に結果をだすためには、イデオロギーの左系だけでなく中立、右系、保守系も一緒になって大同団結して共同歩調をとることが何より重要です。国民の生命財産を守る国防と同様に、住民の生命健康を守る環境対策にもイデオロギーや党利党略は無縁の筈です。
2000年から日本を離れ、11年の北米滞在から帰ってみると、市川の緑地は明らかに貧しく衰えており失望しました。本来であれば我々一般住民が騒ぎ立てずとも、欧米先進国のように行政が、すなわち市川市の環境部が、先手を打って緑を保護するのが筋ですが、それが全く期待できない以上、住民が声を挙げざるをえません。
B いなりざく公園の欅を守る活動
2020年2月に持ち上がったのが市川・北国分に位置する「いなりざく公園の欅の伐採」問題でした。毎朝の散歩の通り道にあるこの公園の2本の欅のうち1本が伐られることになったため、反対運動、署名活動の結果、移植したのは良かったのですが直ぐに枯れてしまいました。この欅は長年この公園を利用する付近住民に親しまれた木でした。やや複雑ですが、この問題の概要は以下の通りです。
*市川市は、道免き谷津の小塚山公園拡張計画内に食い込んでいる私有農地を、隣接する「いなりざく公園」の約半分と交換する。この交換の結果、現「いなりざく公園」内にある欅の喬木(直径40~50㎝)が邪魔になるので伐採する。
*この土地交換は私有農地の地主が、公園拡張計画内に食い込んでいる私有農地の市への売却を拒むため。地主は、売却はしないが、交換には応じると変化した。
*この交換と欅伐採の話を知ったのは、2月9日で、近隣住民が気付いたのは公園に張り出された小さな通知書によってだった。
*すぐに同志と公園緑地課に面談のアポをとり、長友市議、清水市議、海津市議に事情説明の文書を送り善処を要望すると同時に村越祐民市長にも鶴の一声を期待する文書を秘書課にメールした。
*市の公園緑地課長のアポが2月12日にとれたので面談して、課長以下6名の職員に、代替案として、最善案(地主の土地を売らない唯一の理由が枝豆路地販売と説明しているので、いなりざく公園での販売を市が特別に許可すること)、地主さんの土地を売らない本当の理由が土地値上がりを待っていることであれば次善案として、いなりざく公園には手をつけず、食い込み私有農地の取得は断念し、そのまま残して小塚山公園拡張工事を完了させる、の2つを提言し、一緒に市の案との比較衡量を考えよう、と提案。1時間ほど議論しましたが、課長以下、「市案以外は考えられない、住民説明は検討する」が回答でした。
以下がこの問題を話題にした集りのときに出た意見、質疑でした。
*市川市の対応はほぼ決まっていて、住民との話し合いをせず、自治会長に形ばかりの電話連絡ですませる。しかも自治会長は、市と地主の問題なので自治会は無関係と回答するのが殆どである。
*市議会でも話し合われていない。形式的には議会承認を取っているが、説明が不十分なためか、事実を伏せていたためか、長友市議、清水市議、石原市議らが承認した記憶がない。里見公園分園の桜伐採計画の時もいきなりだったが、あの時は市民が働きかけて新聞にも載り、結局伐採がされなかった。
*下請けの下請けで、樹木の専門知識のない素人業者がドンドン切り落とす。
*市長は事実を知っているか?…たとえ知らされても説明の仕方次第で市長を同意させることは容易。
*市長に直接話をするのはどうか?…話を聞かなくなっている。
*市川市の緑被率は平成3年のとき県下ワースト1位だった。その後の報告では持ち直したようになっているが、現在の趨勢では怪しい。
*そもそも、市の条例では高木の伐採には市の許可が必要で、以前はそんな簡単に切らなかった。
*外環後に伐採の歯止めが無くなった気がする。
*条例に何か付帯条項がついて簡単に伐採できるようになったのではないか?
*市川市で最近樹木伐採が異常に亢進している旨の例が多い。渡辺氏の目の前の国分斜面林(国分寺参道近く)の斜面林が、全く予告もなく伐採されてしまった。また、ジュンサイ池から小塚山に続く樹林の道路際の喬木が数本以上伐採されている。市川市の緑地保存の姿勢が問題になっている。
*斜面林の下の民有地が不動産業者のものになり、新しく家を建てるのに、落ち葉が邪魔という住民の不満を避けるために切ったらしい。
*斜面林の木の伐採は県の「葛南土木」が許可権を持っていて、ここが許可を出したらしい。
*国会議員でさえ、超党派で温暖化問題と再生可能エネルギー問題に取り組み始めた。市川市は遅れている。
*結局は市民の民度だ。
*国分の斜面林伐採は、市川駅からもわかる。このまま隣接斜面林も失われたらわずかに残っている市川市の斜面林がなくなる。
*緑が豊かで文化的だと言うので引っ越ししてきたのに、市川市の文化が失われて行く。
*市長は何とかならないのか。等々。
C その他の樹木伐採
この他にも、ジュンサイ池から小塚山に続く樹林の道路際の喬木が理由もなく何本も伐採され、一昨年は堀之内公園のニセアカシアとも呼ばれるハリエンジュ12本が安全対策を理由に伐られ、30年前の運動で折角保存した斜面林でも、ナラ枯れを理由に、未だ枯れていない元気な樹木が伐り倒されていきました。ナラ枯れは手当てをして蘇らせる方法を公園緑地課に申入れストップさせましたが、その直後に第4緑地の少なくも5本の大木が、またしてもナラ枯れを理由に、伐られました。住民が声を挙げてもこの始末です。こうやって少しずつ少しずつ憑かれたように伐られた樹木の累積を数えればこの4、5年だけで100本を優に超えるでしょう。北国分の嘗ての風致や豊かな緑は見る影もなく毀損されました。
以上は樹が伐られ続けた残念な実例ですが、幸いなことに見事な成功例もあるのです。
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