山口京子
2月8日の研究発表「素人が読み解く科学論」では、『科学論入門』佐々木力・岩波新書1996/『科学者とは何か』村上陽一郎・新潮選書1994/『科学はどこまでいくのか』池田清彦・ちくまプライマーブックス1995/
『科学の考え方・学び方』池内了・岩波ジュニア新書1996/『現代思想 1996年5月号』特集「科学者とは誰か」/『脱“開発”の時代――現代を解読するキーワード辞典』ザックス編・晶文社1996のうちの「科学」と
「技術」の項目・・・・・・などを手がかりにして、発表します。参加者には是非、どれかを読んでおかれることをすすめます。ここでは、発表に先だって上記のうちの3冊を紹介します。■
★「科学の考え方・学び方」池内了著
そのものずばり・・ジュニア向け科学読本。自分の体験に引きつけた導入部分や1週間がなぜ7日なのか?など大人が読んでもおもしろい。そうしながら、科学の歴史や現代科学の特徴に分けいって、一気に読ま
せる。
興味深い文章として、
*還元主義は万能ではない・・根源の物質に溯ってしまうと、現象は消えてしまう(p42)
*科学の原理や法則は一つであっても、技術化の方法は複数ある(p160)
*いくらすばらしい製品でも、その能力は使う人間の技術レベルで決まる(p185)
*技術を常に追いかけねばならない時代に真の知が開花するだろうか(p187)
*「神の手」が人間の手に移る(p191)など。
現代科学の諸特徴(実験科学の巨大化・巨大予算・個人のパート化・無制限な拡大志向・ミクロ化・日常性の離脱・産業や軍事利用のハイスピード化)を披露しながら、これからの科学が「自然にやさしい科学」・
「等身大の科学」・「対話する科学」に向かうべきことを提起する。
中学や高校でこういう本を種本にしたディスカッションの場を確保してほしいと思う。子供の誕生日のプレゼントにいいかも。
★「科学者とは何か」村上陽一郎著
科学者に焦点をあて、現代科学の問題に迫る。大学の現場や科学者の生態、学会の実態が内部にいる者の目から記されていて興味深い。
科学者はどう形成されていったか。「科学者」という名称が作られた1840年代のイギリスの事情を説明しながら、科学と技術の一体化、科学者の専門職業化・大量出現・組織化、科学技術の軍事・産業化利用に
果たす科学者の役割や研究費の駆け引き、論文の数による業績評価が何をもたらすか、「ノーベル賞」獲得競争問題などにふれる。
科学者の自由競争が「ブレーキのない車」のごとく作動している現状を危惧したうえで、今日切実に問われ始めている科学者の倫理と責任について言及する。その際、アメリカの1940年代前後の核兵器開発の過
程をリアルに追いつつ、原子爆弾の開発に反対し、食い止めるために努力した科学者がいたことを伝える。
たこつぼ型・閉鎖的専門集団化した”無制限”な科学を変えていくにあたってIRB(機関内評価委員会)USAを紹介する。開かれた研究組織に向け、専門領域外の人々への「説明をする義務」の制度化は、是非
日本でも実現してほしい。
細分化された科学では、総合的・重層的・複雑に複合化している環境問題に対応できない事態や、人間と自然の主体・客体関係への疑問視など新しい科学への提案(ここ150年の間に、科学が科学として確立す
るにあたって採用してきた特徴的な制度や方法からの解放)を読みながら、科学者をふくめた市民のコモンセンスが大切な意味をもってくるのではないかと感じた。
★「科学はどこまでいくのか」池田清彦著
もしかして、この著者は今風の科学論の主流からは外れているのかもしれない。けれど時代が変わればこっちが正当になる可能性もあるわけで・・・。こういう視点と発想での科学論・人間存在の認識論の新たな
展開の予感(大袈裟だと思うけど、最初はなんでも衝撃的にうけとめるたちなので)を感じてワクワクして読んだ。
科学を語るのに、コトバの問題が章立てにあったり、仏教の悟りについての言及があったり。それだけではなく、科学は真理の発見という従来の表現に対して、”科学もまた、自然の意味づけに関するひとつの物
語にすぎないのではないか”という提起のもとに話を進める。
第一章にある自然の意味づけの箇所など、さらりと書いてあるが適確で、ここだけでも他のいろんな分野の本を10冊は読んだ気分になる。こういうこと(是非読んでください)をきちっと押さえて論を進めることが
すごいおもしろさの秘密かもしれない。
第二章では、神の真理から科学の真理への移行が、第三章には、科学の自己増殖性や個人を離れて累積される知識の問題、科学の特徴と盲点(主観・客観図式のまちがいなど)
第四章には、“いかなる同一性も、主観と独立の客観としては世界(外部世界)に実在していない”というようなかなり挑発的な書き方もある。そして脱時間化された科学からの時間の復権を説く。科学というシステ
ムはその外部(国家や企業などのスポンサー)からモノ・ヒト・カネが常に投入されていなければ直ぐにこけるシステムであるという文脈は、科学研究の巨大化が国家財政を圧迫し、南北格差をさらに広げ固定化す
る方向できているという実情を容易に推察させる。
資本主義と一体化した巨大科学技術はホントはもっと以前に軌道修正されるべきだったのだろう。科学的発見の産業化利用が、その危険性は十分に明らかにされないまま、スピードアップして推進されている現
在、“現行の科学を定常的な(リサイクリックな)技術に変換していくことが世界最大の問題”というのはおおいに共感する。
国家と資本と科学技術と人間の欲望の四つどもえの関係を分析し、それぞれを変更し、「等身大の科学=人間がコントロールできる科学」が実現する社会を目指そうと言うところでおわる。火急の問題は科学を
振興することではなく、科学を制御することなのであるとあとがきにはあるが、ここで終わってくれるな!もっと詳しく具体的な戦略がほしいと思った。池田さん、是非続きを書いてください。