資料紹介(どようML「おもしろブックス」より) ◆求む原稿!(どよう券贈呈)

投稿者: | 2002年4月18日

資料紹介(どようML「おもしろブックス」より)
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●日本の森はなぜ危機なのか? 田中淳夫 平凡社新書 2002/03
 薄い新書ですが内容はなかなか充実しています。現在、森林行政は木材をきちんと商品として売るのを半ばあきらめ、環境保護等、森林の多面的な役割を強調しようとしていますが、それをするどく批判しています。
 国内の木材が売れないのは、外国の木材が安いからではなく、日本の木材は商品としてのサービスが悪すぎるからであり、打つ手はあることを実例を示して述べます。
 戦後の木材バブルの時期を除けば、木を売って生計をたてていた時代はない、という記述が新鮮でした。農業や畜産との連携、エネルギーとしての利用など個々のお話はどこかで聞いたことがあるものが多いですが、これほど簡潔にきちんとまとめたものは見たことがありません。森林問題の入門書として最適だと思います。
●北欧スタイル快適エコ生活のすすめ 高見幸子、鏑木孝昭 2000/3 オーエス出版社
 環境への対応について、スウェーデンと日本の事情を高見と鏑木でそれぞれまとめています。最近、やっと存在感がでてきた「ナチュラル・ステップ(http://www.tnsj.org)」の入門書としても使えます。シロクロですが「エコ・トイレ」などスウェーデンの写真が15枚あったり環境問題の入門編がついていたり、自分で言うのもなんですが、お買い得です。■鏑木孝昭
 環境や持続的開発さらに貿易や安全保障の地球規模での調整や管理に興味のある人にお勧めの本を紹介します。
●毛利勝彦『グローバル・ガバナンスの世紀 -国際政治経済学からの接近-』東信堂、2002年、184頁、1500円
 横浜市立大学叢書の一冊で、コンパクトな本です。狭義の国際関係論という分野は第一次世界大戦後に戦争と恐慌を防ぐにはどうしたらいいか、を考えるために生まれた学問です。政治学の中でも比較的新しい分野です。国際政治経済学と呼ばれることもあります。この学問分野における三大論争や現状について専門学術論文でたどっていくには膨大な労力・時間を必要としますが、この本を読めば三日でだいたいわかります。
 著者は「21世紀はグローバル・ガバナンスの世紀となるか?」と最初に問いかけます。従来の統治形態に追加される形で、地球規模の諸問題について「連帯的なネットワーク」を基調とする協調的なガバナンスが現れてくる、と見ています。毛利氏は「慎重な楽観論」の立場で論考を進めます。
 第二章で国際関係学の歴史を概観しています。この章は、二十世紀の国際関係史、社会思想史のまとめにもなっており、現代社会の形成を考える上で、とてもよい頭の整理になりました。
 第三章から第七章は問題群別にガバナンスの歴史と現状が解説されています。順に、平和と安全保障、人権と民主化、通貨と金融、貿易と投資、地球環境といった問題に人類がどう取り組んできたかがわかるようになっています。
 この本には、文献や用語の解説もあるので、芋ずる式で他文献を渉猟していけば、各分野のさらに詳しい情報・研究成果が得られます。
 国際関係論の業界(例えば日本国際政治学会)で十年ほど前にはやっていたのは国際レジーム論で、いま流行しているのはグローバル・ガバナンス論です。しかし、伝統的な覇権安定論もしっかり生き残っています。この辺の事情がこの本を読むと簡単に鳥瞰できます。
 著者はカナダ(カールトン大学)で政治学的な訓練を受けた人なので、アメリカの主流政治学に対する対抗意識があって面白いです。北欧の人々の考え方にも近いです。やはり、カナダは地雷禁止条約を推進してきた国だけのことはあります。カナナスキスでも、アフリカ諸国への支援問題などという小泉首相やブッシュ大統領らが関心を持ちそうにない議題をカナダ政府はしっかり入いり込ませ、アフリカの指導者達を招待しました。
 平易な叙述なので、専門的知識がなくても理解できると思います。ただし、いいかげんな内容ではなく、学術的なレベルは低くありません。論争的内容も含まれており、私自身も、権力や商業の起源について毛利氏の論旨について反論の手紙を書きました。彼の論の前提に「経済的に合理な人間」という考えがあると思えたからです。丁寧な返事をもらいました。
 良い本には反論がつきものです。国際問題に関心のあるすべての人にお勧めです。■塩出浩和
●「天皇制批判と日本古代・中世史」(ただし古代史の部分のみについて)著者 草野義彦 本の泉社 2500円
 この本を読む気になったのは古田武彦の推薦文があったからです。古田氏の日本古代に関する魏志倭人伝等の解釈が大変に科学的で漢字の意味についても厳密な考証をしているのでかねて信頼しています。草野氏も態度は同じでしつこい程に中国の魏志倭人伝・旧唐書の東夷伝そのた古書と古事記・日本書紀の記述を厳密に対照しながら古代歴史を論じています。
 内容は天皇批判ではなく、これまでの歴史家が皆「日本では唯一万世一系の天皇国家が2千年続いている」という前提にたって解釈している歴史・歴史家に対する批判です。
 本居宣長はもとより、戦前戦後の諸学者、神話を否定した津田左右吉、唯物史観史家といわれる石母田正さえもこの皇国史観に合わないものは否定したり、当時の中国人は野蛮だからと言ったり、漢字の間違いとしたり、あるいは記事を無視して皇国史観的歴史をでっちあげていると説いています。
 古書を忠実に読めば、魏志に述べる頃の日本には中規模国家群が多数あった。中でも有力なのは倭国であり、卑弥呼・倭の五王・金印・日本という呼び名さえ倭国の話である。当時天皇国家は弱小な国であったが、白村江の戦いで倭国が大きな痛手を受けて弱小化し、その戦いでは兵坦部を受け持つに過ぎなかった天皇国が7世紀末から8世紀にかけて倭国を併合したと説きます。その年は漢書によれば702年と言います。(でも関東や以北はまだ入っていません)天武天皇の詔では天皇国家を正当化するために諸国家の歴史を集めこれを取り入れ或いは都合の悪い物は棄却して古事記を編纂することを命じたとしています。
 ゆがめられたとはいえ、古事記・日本書紀には中国古書と符合した事が沢山書かれているのを正しく読めば・・・と津田等の説等を批判しながら厚い本の半分くらいに繰り返し繰り返しうんざりする程に執拗に論証しています。
 此の本を1冊読んですぐ合点する訳にはいかないが多く引用されている古田氏の説と符合することと、解明のしかたには信頼がおける気がします。
 私は国の成立が5世紀でも8世紀でもよいのだが、日本の歴史家が揃ってある観念にとらわれて史実が曲げられたり、それをもとに皇国史観が強化されて日本中が誤った方向に走ったということには(事実とすれば)大変に恐怖を感じます。考古学も同じ傾向をもっていると言うからなおさらです。
 さらに言えば、先入観が先にありそれの拘ってしゃにむに論が作り上げられる事は日常でもよくある事です。皇国史観ばかりか天皇批判でもこれが多いと感じます。自戒すべき事と思います。■後藤高暁
●『ユニバーサル・デザイン バリアフリーへの問いかけ』川内 美彦著 学芸出版社、2001年4月
 「バリアフリー」というと、障害を持つ人々に社会参加の機会を増やす良い考え方であると思われている。しかし川内は、以下のように障害者を阻害するという皮肉な結果も同時にもたらしている点を指摘している。
 駅の階段で目につくようになった車椅子用の昇降リフトを考えてみよう。これが使用されているとき、ついつい立ち止まって眺めてしまうことはないだろうか。平凡に暮らしているときに注目されたいと思う人はいない。車椅子の人にとっても、もの珍しく眺められるのは苦痛だろう。川内は、このように不必要に注目されてしまう現象を「障害の強調」と呼ぶ。
 一方、車椅子に乗っていると、特別にエレベータや別の通路を使わせてもらえることがある。この場合、広告を目にするとか売店で買い物をするような経験はできない。こちらは「障害の隠蔽」であり、結果的に一般社会から障害者を隠してしまう。「障害の強調」にしろ「障害の隠蔽」にしろ、障害者は特別扱いされているわけである。
 特別扱いをする「バリアフリー」の対策は、特別の人に対して慈悲でおこなっていることだと認識されてしまう。一般の人々は自分たちの問題であるとは決して考えず、結果として「バリアフリー」の対策が心理的な「バリアの再生産」をすることになってしまう。
 階段に困難を感じるのは、決して障害者ばかりではない。階段をまったく昇れない車椅子の人から、二段おきに駆け上れる元気な人まで、さまざまな人がいるはずである。健康な人であっても、重い荷物を持っていたり、時に怪我をしたりして、上り下りに困難を感じることもある。階段は決して一般の人々にとっても使いやすい手段ではないのである。階段の例に限らず、特別扱いでない方法でバリアを除き、すべての人にとって使いやすい環境を考えるのが「ユニバーサル・デザイン」と呼ばれるものである。
 「ユニバーサル・デザイン」は最近流行の言葉であり、「バリアフリー」と「ユニバーサル・デザイン」を漠然と区別せずに使っていることが多い。川内の指摘は私にとって非常に新鮮であった。■上村光弘
●佐高信著『佐高信の政経外科Ⅲ―中坊公平への手紙―』(毎日新聞,2001)
 本書は『週刊金曜日』等でもおなじみの佐高信が『サンデー毎日』に連載中の「佐高信の政経外科」を中心とした時評集である。タイトルの副題にある中坊公平とは住宅金融債権管理機構社長でもある弁護士のことである。
 1929年に京都で生まれた中坊は京都大学をでて大阪で弁護士生活を40年。森永ヒ素ミルク中毒事件の被害者弁護団長や豊田商事の破産管財人をやり1990年から二年間日本弁護士会の会長をつとめている。
 当初、佐高信と中坊公平は志を同じくしているように見えたが、徐々に二人の間に亀裂が生じる。その最初の発端は安田好弘弁護士の問題であった。安田弁護士は死刑廃止運動やオウムに対する破防法適応反対運動などで活躍していたがために権力に逮捕されてしまったことでも知られる弁護士である。この安田弁護士の問題をめぐって住専問題に反対し、破防法適応に賛成する中坊公平の立場が鮮明になるにつれ佐高信は次第に違和感を深めていく。
 そして中坊が小渕内閣の顧問になったことで亀裂は決定的なものとなった。佐高信はあとがきで「本書は”中坊公平的正義”が正義を独占することの疑問で貫かれている。作家の辺見
 庸は、悪魔より”善魔”がこわいという。中坊を”善魔”となづけるつもりはないが、少数派というものをどう考えるのか、国民的英雄となった彼にそうした心配りがなくなってしまったように見えるのが気がかりである。」と書いている。この指摘は非常に重要だと私は考えている。
 さて佐高信の言論活動の真骨頂は、実名をあげてタレント文化人などに鋭利な批判の刃を突きつけていくところにある。シニシズムというよりもマッカーシズムの域に達した物書き(たとえば『エコノミスト』で佐高信は『偽善系』などで著名な日垣隆(私の大学の先輩だが)と衝突している。)が現れている日本の現状において私は佐高信の孤高ともいえる言論活動は極めて貴重なものだと考えてきた。
 本書で斬られているのは、石原慎太郎、小林よしのり、桜井よしこ、小渕優子、中西輝政ら、塩野七生、吉本隆明、渡辺恒雄、小泉純一郎、河野洋平、三島由紀夫である。それに対して好意的に取り上げられているのは久野収、田中康夫、美空ひばり、高木仁三郎である。
 さて科学技術とは無縁に思える佐高信のこの評論集においても科学と社会を考える者にとって目を引かれる興味深い箇所が三カ所ほど存在するように思われる。まず第一は物理学者の武谷三男に触れた部分である。久野収を師と考える佐高信は、ついに久野収の親友でもあった武谷三男に実際に会うことはなかった。それは「私が物理学が苦手だったからかもしれません。」と書いているが、ここでは佐高信は武谷三男夫人で医師の武谷ピロピニ氏に診察をうけた経験に触れて武谷三男夫人が実は亡命貴族のロシア人だったことを書いている。旦那は「アカ」で当人は敵性外国人だったので戦争中はずいぶんと迫害を受けたらしい。しかしそうしたなかで武谷三男とピロピニをサポートしていたのが友人の久野収だった。京大生だった久野収と武谷三男は反ファシズムの拠点として『土曜日』『世界文化』などを発行し、戦争に反対したということで治安維持法違反のかどで投獄されていた。(その周辺には同じく京大生で後に数学史家になる近藤洋逸などもいたようである。)
 佐高信が武谷三男の言説で忘れられないのは、「原子力開発で自主、民主、公開の三原則を唱えたことや「特権と人権」の違いを指摘したこと」であるという。それはたとえばダイアナは人権を捨てて特権の世界に入ったのだから可哀想だというのはおかいしいということである。
 「人権を拡げるとともに特権を撃つ―この点で久野収と武谷三男は影響しあいながら生涯その思想を貫いた。」と佐高信は書いているが、特権を温存しかねない法案が「人権」という名をつけて国会を通過させられようとしている現在、この言葉はとりわけ記憶されねばなるまい。またこの言葉は、人権と特権を混同させ、「戦後思想の呪縛を解く」などと称して平等主義批判などをやっている新自由主義的知識人への大きな解毒剤になるに違いない。
 第二には「私のつくった仮装内閣名簿」である。これは田中秀征との対談で『SIGHT』編集部の求めに応じてつくられたものである。たとえば佐高は文部大臣に落合恵子、労働大臣に石川好、国家公安委員長に宮崎学、内閣官房長官に田中秀征、防衛庁長官に前田哲男、経済企画庁長官に内橋克人、環境庁官に田中康夫、科学技術庁長官に高木仁三郎を推している。たしかに「やや、やってもらおうじゃないか」というような思い切った人事ではある。もちろん「自民党をぶっつぶしても改革を断行する。」と豪語した小泉純一郎という首相がこういう人事をすることは決してないだろう。国家公安委員長に”キツネ目の男”宮崎学というのは皮肉がきいているが、これぐらい思い切ったことをやらないと現在の日本は変わらないということでもあるのだろう。もし高木仁三郎氏が科学技術庁長官になったら具体的にどういう政策をうちだしただろうか。まずライフワークでもあった原子力政策を大きく転換させたであろうことはまちがいあるまい。さて残念ながら高木仁三郎氏は既に故人である。
 ポストがあいてしまっている。私には高木仁三郎氏の盟友でもあった梅林宏道氏に科学技術庁長官をやってほしいなという思いがある。(ご本人は拒否されるかもしれないが)前田哲男氏とともに防衛庁長官を兼任してもらうという手もあると思うが、どうだろうか。
 第三には高木仁三郎への追悼文「希望の組織化―高木仁三郎さんを偲ぶ」である。佐高信は『高木仁三郎著作集』の編集委員でもあるが、本書では高木仁三郎について「”遅れてやってきた反原発派”を自称する高木は決して声高に語る人ではなかった。正義はみずからのみにあるという論調は高木には無縁だった。最初から原発の危険性に気づいていたわけではない高木は他人の過ちや遅れに寛容だった。安定に背をむけ、エリートの地位をすてた高木は自らも「遅れてやってきた」人間であるがゆえに後戻りすることはなかった。」と書いている。
 これを読みながら私は、佐高信が別の評論集(名前は忘れた)で最近の立花隆の科学主義的言説に違和感を表明していることを思い出し、これは決して偶然ではないのではないかと思ったのである。科学ジャーナリズム界の中坊公平ともいるのが立花隆なのではないかと。これは小松美彦氏なども『黄昏の哲学』(河出書房新社,2000)で指摘していることだが、高木仁三郎と立花隆の違いは、高木仁三郎が三里塚の問題や原子力エネルギーの問題に取り組んできたのに対して立花隆がそれらの問題を回避してきたことにある。最近では立花隆は臓器移植のドナーカードにサインし、市民の「遺伝子組み替え食品アレルギー」を批判するに至っている。
 高木仁三郎が、他人の過ちや遅れに寛容なタイプの人間であったのに対して私は、最近の立花隆には、他人の過ちや遅れに対する非常な不寛容さというもの感じるのである。高木仁三郎が自らも「遅れてやってきた」人間であるが故に後戻りすることはなかったのだとするなら、立花隆は自らが「進んでいる」人間という意識をもつことによって後戻りしてしまっているのではないか。
 金森修氏が言うように「権力に抵抗するか、権力の使い走りになるかは、紙一重の差である。」とするならば、このほぼ同じ時期に東京大学を卒業した二人の違い(最初は紙一重の差だったのだろうが、結果としてすごい差になってしまっている!)に目を向けておくことは重要なはずである。佐高信は宮沢賢治に影響された高木仁三郎がエスペラント語に関心をもっていたことに触れた上でこう書いている。
 「専門家として情報を集め、それを分析するだけではなく脱原発運動の第一線にも立たざるをえなかった高木さんが大きな挫折感におそわれ、うつ病にかかったというのも私は「わがこととして」読んだ。1990年夏、医師の助言もあって三ヶ月近く休んだというが、最期まで「希望の組織化」を訴え続けた高木さんもこんな時期があったのである。高木さんの希望は絶望をくぐりぬけた希望だった。」エスペラントとは”希望する人”を意味するラテン語から来ている。
 本書は、62歳の生涯で「専門的批判」と「希望」を組織化しようとした希有の市民科学者への美しい追悼の書でもあるだろう。
 (確認したわけではないので間違っているかも知れないが、私の記憶が正しければ)高木仁三郎氏に深い関心を寄せる1945年山形県生まれは、この佐高信氏と土曜講座でおなじみの「湘南のメルセンヌ」の猪野修治氏である。■山口直樹
 このたびは、”科学と社会”と一見何の関係もなさそうに見える本を1冊と、それに直接関係する「未来予測」の本を2冊紹介します。「科学未来予測」の本は昨年も取上げました(『どよう便り』第44号参照)。今年の2冊はそれらよりももっと読みやすくて、SF的な奔放さも含んでいます。
●『コリア驚いた! 韓国から見たニッポン』李元馥(イ・ウォンボク) 著、松田和夫+申明浩 訳、朝日出版社2001年、1500円
 この本はだいぶ話題になった本のようなので、ご存知の方もいらっしゃるかもしれません。私はたまたま古本屋で手にして「なんだか面白そうな漫画本だな……」(事実、”漫画本”のコーナーに置いてあった)と感じたので、その場で拾い読みしたのですが、内容の高さにびっくりして、即座に購入を決めたのでした。
 著者は「韓国漫画・アニメ学会前会長」の肩書きを持つ才人で、大学教授にしてベストセラーの漫画・世界探訪シリーズ『遠い国・近い国』を書きつづけている、韓国を代表する知識人の一人とのこと。シリーズはあわせて全6巻までで売上累計がなんと500万部に達しているらしく、ここで紹介するこの翻訳はシリーズ第7巻(2分冊)『日本』編のうちの片方「日本・日本人」にあたるものです。これも2000年の1月に原著が出て、2001年4月の時点で韓国で60万部を越すベストセラーになっています。(日本では、あのタチの悪い、小林よしのりの『戦争論』がベストセラーになったのと好対照と言うべきか。)
 日本でも漫画家はたくさんいますが、その画力を生かしてこのような質の高い教養 書を著せる人はどれだけいるのかしら? じつにすっきりとしてユーモラスで嫌味のない画風で、こんな漫画で歴史や社会の仕組みなどを学べるとすれば、すごく楽しいだろうなと思わないではいられません。
 内容は、とにかく一読あれ。私は未来への展望として「日本が他から尊敬されるまともな国になったと言えるのは、韓国と仲のよい姉妹兄弟のような関係になれた時だろうな」という確信を持っている者ですが、そうなるにはお互いの歴史を知り、”近くて遠い”ことの理由を探る中で相手に深い興味を抱き、仲良く手を携えていくことが他の世界にとっても自分たち自身にとってもほんとに有益なのだということを心から理解できるようにならねばなりません。この本は、私のそのような思いと重なる点の多い、ユニークな「韓国を知るための本」にもなっています。突飛なことは何一つ書かれていませんが、これほどバランスよく的確に日本の現状と未来を分析できること自体に、読んだ日本人の大半が驚きを隠せないのではないでしょうか?
●『未来のたね これからの科学、これからの人間』アイリック・ニュート 著、猪 苗代英徳 訳、NHK出版2001年、1900円
●『新世紀未来科学』金子隆一 著、八幡書店、2001年、2800円
 「科学の発達は私たちをいったどこに連れて行こうとしているのだろう」という不安と好奇心が入り混じった思いは、たとえばこの土曜講座にかかわるような人ならば、誰もが胸に抱いていることでしょう。この度紹介する2冊は、どちらかと言うと、「やはり科学の力はすごくって、未来を切り開く可能性は大きいのだよ」というトーンが基調になっているととれるかもしれません。私が重視したいのは、人間の奔 放な想像力が連綿と発揮されてきたという事実、そしてそれが原動力になって科学技術の革新を産み出し、良きにつけ悪しきにつけ世の中を変えてきたという事実を、冷徹に見つめ直すことです。科学という人間の営みのダイナミズムを殺すことなくうまく生かしていくには、人間の想像力・空想力に関する深い考察がどうしても必要だ と、私は考えていますが、ここに紹介した2冊はなかなかよい手引きとなるものではないでしょうか。環境問題と技術との関係を考えてみたい方にも興味深い話題が満載ですし、特に後者はSF小説好きの方には一種の”エンサイクロペディア”になっていますから、こたえられない楽しさを感じることでしょう。私は以前土曜講座で「科学とユートピア」と題して、ユートピア文学の系譜をたどりながら科学技術と文学的想像力の関係を論じたことがありますが、この2冊を読んで、いつかその続編をやってみ たいなという気にさせられました。■上田昌文
●柳田邦男『犠牲-わが息子・脳死の11日』(文芸春秋、1995年)
 まずはじめに著者の柳田邦男氏を簡単に紹介しておこう。
 柳田邦男氏は「人間の事実」を希求するノンフィクション作家のパイオニアである。私の目前に、柳田氏の著書『人間の事実』という重厚な本がある。柳田氏が四半世紀に収集した一万数千冊のノンフィクション作品と作家を関連づけながら、膨大な 作家と作品が作り出す「地図」を作ること、いわば「所番地」を確認しようとする作品である。これは柳田邦男責任編集『同時代ノンフィクション選集』全12巻(文芸春秋)に書いた解説文が基調になっている。
 本誌の読者には周知のように、柳田氏がノンフィクション作家として登場したのは『マッハの恐怖』(1971年、ふじ出版)、『続・マッハの恐怖』(1973年、同)である。これらの作品は当時NHK社会部記者時代の取材が基調になっている。前者は1966年 春、東京湾で起きた全日空機墜落事故、後者は1971年夏、函館上空で起きた東亜国内 航空「ばんだい号」の墜落、そして1972年、日本航空のニューデリーとモスクワの墜 落事故を扱ったものである。
 その後、柳田氏は独立し、『ガン回廊の朝』、『零戦も燃ゆ』、『死の医学への序 章』、『事実の素顔』、『日本は燃えているか』、『ガン回廊の炎』、『空白の天気 図』、『マリコ』、『事実の時代に』、『事実を見る目』などの数々の重厚な問題作を発表してきている。
 これらの柳田氏の作品を眺めると、あくまでの科学的事実を自分の目と足で丹念に取材・理解・分析しつつ、それらの事実を書き手・柳田氏の価値観や感情がこもった文脈のなかにおくことだ。つまり、柳田氏は現実の事実を使うことで、自分の思考、価値観、人生観、喜怒哀楽を意識・無意識に語っているのだ。事実、柳田氏が朝日記者の取材にそうのように答えている。(『朝日新聞』、1997年3月2日)。
 これだけの準備をして本論『犠牲?わが息子・脳死の11日』の紹介に入る。
 柳田氏の息子で次男・洋二郎氏(1967年12月18日-1993年8月20日)が、93年8月9日に自宅二階の自室で自殺をはかる。25歳のときである。自ら死出の旅に出てから「科学的な死」が確認される20日まで、11日間にわたり、洋二郎氏、兄で長男・賢一郎氏、お連れ合い、父親・柳田氏、そして病院の医師たちに起こった事実 が、それぞれのこころの葛藤ととに作家の父親の手によって詳細に書かれたものだ。
 洋二郎氏は精神を病んでいた。父親の柳田氏も気がつかない早い時期から病んでいた。8月9日の深夜、実際は10日の午前1時頃になっていた。通信教育で学んでいた大学のスクーリングに行けそうもないことなどを父親に話した後、自室にもどり、ベットでコードを首に巻きつけ、心臓も呼吸の止まっていたのを父親は発見するのである。
 対人緊張・対人恐怖に病んでいた洋二郎氏は「誰の役にもたてず、誰からも必要とされない存在になっていることを非常に悩んでいた」いう。その洋二郎氏が骨髄ド ナー(提供者)登録をしていた事実を知った父親は医師にドナーとなることを申し出るが、結局、洋二郎氏とぴったり合う血液型のレシピエントが現れなかった。その後、第1回の脳死判定(5日目、8月14日)、第2回の脳死判定(6日目、8月15日)が実 施され、正式に脳死患者となる。
 当初、父親の柳田氏は、本人の希望した骨髄ドナーとするだけを考えていたが、それは無理とわかると、医師から意表をつかれるように「腎臓の提供もある」と言われる。家族に相談し苦悩した父親は次のように医師に次のように述べる。
「洋二郎の肝臓を提供したいと思います。洋二郎が生前に献腎の意思表示をしているわけではありませんが、骨髄のドナー登録をしていたことや彼が書き遺した文章に表現された思想から推測して、献腎が彼の意志を一番生かす道だと判断したのです」(本書131頁)。
 この判断をするまで、父親の柳田氏は洋二郎氏が書き残していた膨大な日記をつぶさに読むのであるが、その一部分を具体的に紹介している。
 それを私は、涙無くしては読めない。洋二郎氏は毎日、毎日、克明な日記を書き付けることで社会と接点を持とうとしていたのである。その一部分を生前、洋二郎氏は本にまでしている。その内容は見事なものである。将来はまちがいなく作家になれたと私は思う。洋二郎氏が一番ぴったりくる作家は安部公房であり、二番目が大江健三郎 であった。
 さらに本書のタイトル『犠牲』とは、洋二郎氏が深く感動していた旧ソ連の亡命映画作家タルコフスキーの映画『サクリファイス(犠牲)』から取ったものである。この映画は「名の知れぬ人間の密やかな自己犠牲」を表現した作品だ。洋二郎氏はこれに自分を重ねていたという。なんと苦しかったことか。
 私の世代になると、親・兄弟・友人たちの死去に遭遇する機会が多い。その際、いつでも理性を取り乱す。それは科学者であろうが文学者であろうが、何であろうが、場合によっては何ヶ月も落ち込んで立ち上げれないこともある。そういう多くの現実 を見てもきている。これは人類共通の悲しむべきことだ。
 私が初めに本書の著者柳田氏の仕事を詳しく紹介したのはこのことと関係するからである。柳田氏はこれまで数々の事故(航空機、ガン等々)による多くの死者たちの 嘆きの現実を冷静沈着に筆を進めることで知られる第一級のノンフィクション作家である。その事実に立ち向かう精神的態度はあくまでも「科学的事実に基づいた判断的精 神」の持ち主でもあり、その科学的事実に基づく判断を信条とする柳田氏がかけがいのない自分の息子の自殺という重大な事態から、最後の死去にいたる過程でどのように科学的判断を下して行ったかが注目されるところである。それは有名作家としての立場ではない。息子を失った一人の父親としての立場である。
 言葉の重さはここにある。柳田氏は正直に告白する。こころを病んでいる息子とお連れあいも病んでおられ家庭内の事情があるにも関わらず、「死・病気・障害・戦 争・事故死・生き甲斐・男・女」等々、現実社会に起こる多様な事実を書いてこられ、テレビにも登場し発言してこられた。これもまた苦しい現実であったことだろうと察する。ノンフィクション作家としての立場と、一人の父親の立場が、渾然一体となったこころの葛藤をひとつひとつ、つぶさに明らかにしたことが、私のこころをゆさぶっている。
 柳田氏の本書は影響が大きい。それだけに脳死・臓器移植問題に関係する人々からの反応がさまざまである。しかし、ここでは言及しない。
 ちなみに、私はこの半年間に兄夫婦をつぎつぎと亡くしたばかりである。この文章は、きわめて精神的に落ち込んでいたときに書いたものだ。その間、友人の加納誠さんにいろいろ話相手になっていただいた。本文はその話題がもとになっている。加納さんに感謝する。■猪野修治
 ●柳田邦男『犠牲-わが息子・脳死の11日』(文芸春秋、1995年)
 この本は著者の次男洋二郎氏が、93年8月9日に自宅二階の自室で自殺をはかり、「科学的な死」が確認される20日まで11日間にわたる氏の葛藤を、家族、医師団との遣り取りを交えて詳細に書かれたものである。以前、猪野修治氏に薦められて積んでいたのを家内が読み、感動して子供達に回すうちに紛失して、慌てて私が再購入して読み出した次第である。
 余りに重い内容で読み出すまでに勇気が入ったのだが、読み始めたら同じ年頃の息子を持つ身として思う事どもも多く、寝る間も惜しんで一晩で読了してしまった。推薦下さった猪野氏に心から感謝申し上げる次第である。
 こうして読み終わって静かに感慨に耽っていると、頭の隅に以前に見たあるテレビ特集が、どうしても2重写しの様に重なって浮かんで来る。それは最近になって話題を呼んでいる、日大板橋病院の救急病棟集中治療室で実施されている低体温療法の番組である。そこには正に、脳死状態になり回復不可能と宣言された患者達が、かなりの確率で殆ど完全に社会復帰を遂げている事実がある。
 私は、柳田氏が決断した御子息の臓器提供の判断に、異論を唱える積りは決して無い。むしろ、親としてこれ程までに真摯に息子に対処され、また脳死状態から臓器提供の同意を決意されるに至る苦悩に、心底、頭の下がる想いで一杯である。そして科学者の端くれとしての私からみても、氏の判断に甘さが有ったとは豪も考えられない。その時点での最新、且つ最良の治療を試み看病をされた上での判断であることは疑いない。
 私が言いたいのは、「もう少し早く低体温療法が世に出ていれば、御子息も助かったかも知れない」等という仮定の話ではない。それは、「もう少し早くペニシリンが世に出ていれば、あの子は死なずに済んだかも知れない」といった話と同次元であるから--。
 旨く言えないのだが、最新且つ最高レベルの科学研究の成果”科学的事実に基づいた判断”でも、そこに人間いや生態系が入り込む場合は更に深遠な摂理が働くと思わざるを得ない。心霊術やカルトとは全く別の、もっと深遠な摂理である。科学を志す者が、思惟の根底に据えるべき不滅の摂理と言っても良い。奇しくも明後日には、私達の大学を会場にして「環境物理学–その対象と方法への一視点–」と題した特別 講義を、四日市大学の粟屋かよ子氏にして頂く。そこでは、デカルト以来の機械論的 自然観から脱却して、思惟の根底をなす摂理についても討論していきたいと願っている。”人事を尽くして天命を待つ”とは先人の残した言葉だが、現代に生きる我々はもう少し能動的な意味でサイエンスの深遠に働く摂理を前面に打ち出して進んで行きたい。
 現代に生きる我々、及び後の世代の者達は、特に我々”科学”に焦点を絞っている者達は、洋二郎氏の死の意味と親である柳田氏の想いとを正面から受け止めて、真摯に生きていかなくてはならないと心から思うものである。
 後書き:低体温療法については、柳田氏が最近出された続編に経緯が述べられている と思うので、次の機会にでもご紹介出来れば幸である。■加納誠

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