バイオパイラシー ~もっと恐い遺伝子組換の話~

投稿者: | 1999年9月4日

平川秀幸(国際基督教大学)

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ようやく日本でも遺伝子組換え食品・作物(以下GM食品,GM作物)の安全性についての記事を,テレビニュースや新聞など一般マスコミでも頻繁にみかけるようになった。GM作物は現在,特定の除草剤に対して耐性をもった除草剤耐性品種や,害虫に対する殺虫蛋白を自ら持った害虫抵抗性品種が主に生産されている。欧州では昨年から,数年前に狂牛病で痛い経験をしたイギリスを中心に,GM食品の表示や排除の動きが,消費者だけでなく,大手スーパーマーケットも巻き込んで盛り上がりを見せている。これに押されてイギリス政府も,国内で販売されるGM食品の表示を義務づける新規則を施行した。欧州連合(EU) の欧州委員会でも,世界貿易機構(WTO)の次期多角的貿易交渉で,GM食品の安全性について慎重な立場を取るという方向で動いている。
こうした欧州の動きを追うように,ようやく日本でも,かねてからの消費者団体などの要求に応えて,農水省が(ほんの)一部のGM食品の表示義務づけをこの夏に発表し,また一部大手スーパーマーケットでも自社ブランド製品についてのみだが,表示を9月から開始している。またつい最近の報道(朝日新聞 99年9月23日朝刊34面)でも,ベビーフード協議会が,消費者団体の日本子孫基金の質問書への正式回答のなかで,全商品にGM作物を使わない方針を固め,2001年4月までに実施することが伝えられている。他にもビールメーカーや納豆メーカーが同様の方針を固めたり,実施したりしている。

●遺伝子組換え報道で見えない危機
このようなGM食品・作物の安全性をめぐる内外の動きについてのさまざまな報道を見るにつけ,筆者はいつも不満に思うことがある。テレビや新聞など一般の報道で私たちが見聞きするGM食品・作物の危険は,大部分が人間の健康に対する悪影響であり,次いで生態系への悪影響(除草剤耐性遺伝子の雑草への転移,殺虫蛋白に耐性を持つ害虫の大量発生や益虫の死滅など)が言い添えられるにすぎない。
けれども一般消費者の目から隠されたより深刻で大きな危険が実はある。これについては,学者やNGO,一部ジャーナリストが指摘しているものの,一般メディアはもちろんのこと,多くの「遺伝子組換え食品モノ」の本や記事でも触れているものが少ない。土曜講座の夏合宿で筆者が問題にしたのは,見えにくいがより深刻なGM食品・作物の危険の広がりと,それを産み出し増幅する,農業関連多国籍企業(アグリビジネス)による「バイオパイラシー(生物的海賊行為)」と呼ばれる動きである。

●生物多様性条約・生物安全性議定書
食品や家畜飼料だけでなく医薬品の原料ともなるGM生物(GMOs; 動植物や細菌など)の安全性についての議論は,生物資源の多様性の保全とその要素の持続的利用,それから得られる利益の公平な配分に関する生物多様性条約における「生物安全性議定書(Biosafety Protocol)」交渉のなかでも展開されている。生物多様性条約は,87年の国連環境計画(UNEP)管理理事会の決定によって設立された専門家会合による検討と,90年11月以来7回にわたり開催された政府間条約交渉会議を経て、92年6月5日、リオ・デ・ジャネイロでの国連環境開発会議 (UNCED)で条約作成および署名解放され,157カ国が署名。30カ国批准後90日後の93年12月29日に発効し,99年1月現在175カ国の条約締約国が批准しているが,世界最大のバイオテクノロジー大国である米国はこれを批准していない。
他方,GMOsの国際取引や取り扱い・利用に関する生物安全性議定書は,95年にジャカルタで開かれた第2回締約国間会議(COP-2)で,そのための作業部会(BSWG)の設立が決定し,今年2月のコロンビアのカルタヘーナでの第6回BSWGにて最終文書策定,引き続くCOP特別セッションで採択予定だったが,GM作物輸出国の強硬反発にあい延期措置になった。つい先日の9月15日から19日にもウィーンで特別会議が開かれた。第6回BSWGでの主な争点は,①「重大かつ不可逆的な被害が予想される場合には,たとえ危険性に関する科学的証拠が不確実であっても,これを理由に予防措置を控えるべきではない」という予防原則を貿易・経済の論理に優先させるか否か,②「事前通知に基づく同意」の原則の適用の是非,③GMOsの国際取引・利用によって悪影響が生じた場合の責任の主体と補償のあり方,④途上国における既存の地域文化や社会経済などへの悪影響の評価の是非,⑤GMOsそのものだけでなく加工品まで規制対象にするか否か,⑥遺伝子組換作物および加工品の分離・表示の是非などであった。

●遺伝子組換えの四つの危険性
これら争点のなかでは,通常私たちが考える以上のさまざまな GMOsの危険性(リスク)が問題になっている。生物多様性条約交渉の場を中心に,GMOsの危険として論争になっているのは,健康や生態系への悪影響など「見えやすい」直接的なリスク(危険性)を含めて,以下の4種類がある。
★物理的リスク: 人間の健康や生態系に対するGMOsの直接的な悪影響。農業生態系の均一化による不安定化・脆弱化も含む。
★社会経済的リスク: アグリビジネスによる「種苗支配」を通じての先進国および(特に)途上国の中小農業経営者への社会経済的影響(生産コストの増大や自営基盤の解体など)。
★政治的リスク: 特に途上国におけるGMOs製品輸入に対する規制のイニシアティヴや,独自のリスク評価とそれに必要な技術移転,および「生物特許」の紛争解決の困難化。
★文化的リスク: 宗教的・倫理的問題や,とくに途上国における農業に関する伝統的・民間的な知識や実践,慣習の破壊。文化的多様性の衰滅。
そして,これら四つのリスクは,バラバラにあるわけではなく,世界貿易機関(WTO)などグローバル自由経済拡大のための制度的仕掛けを通じてがっちり一つに組みあがり,連動しあっているところがこの問題の恐ろしいところだ。その連関を図に示した。これに名前をつけるならば「バイオパイラシーによる GMOsリスクの構造的強化の回路」とでもいえるだろう。

●バイオパイラシー~種苗・知識・利益の囲い込み
では「バイオパイラシー」とは何か。日本語にすれば「生物の海賊行為」だが,その意味は,第一に,アグリビジネスが,世界の農業で使われている種苗の生産・管理・流通を自分たちがバイオテクノロジーによって産み出す種苗のそれらで置換え,独占することを指す(種苗の囲い込み)。第二に―こちらこそ「海賊行為」の名に相応しいが―アグリビジネスが生産するGM作物や,医薬品など他分野のバイオテクノロジー企業の製品の原料となる遺伝資源の大多数は南側途上国の熱帯林に存在し,それらの効用についての科学技術的知識は,現地の民間的・伝統的な知識の助け無しには得られないものが多いにもかかわらず,特許等による知的所有権保護によって知識や技術,遺伝資源から得られる利益や権利が守られるのは,バイオテクノロジー企業だけという不公平さがある。(知識と利益の囲い込み)。

このような種苗・知識・利益の三重の囲い込みが行われてきた経緯はどんなものだったのか。まず種苗の囲い込みについて。元来,種子の生産(再生産) は,農家やその共同体による自家採種を中心に,公的機関による流通管理も含めて,非商品的取り扱いの下で行われてきた。米国でも市場依存は約8割ほどで,世界の種苗市場は約150億ドル,米国でも40-50億ドル程度であり,農業市場の約半分ほどである。しかし現在の非商品種苗がすべて商品化されると,世界全体で$500億の巨大市場になると予想されている。このため,すでに「緑の革命」として60年代に種苗事業の国際展開が行われていたのに続いて,遺伝子組換え技術を基盤とするバイオテクノロジーの産業利用の始まりによって80年代前半より,元は農薬や化学肥料を生産していた化学系企業が既存の種苗企業やバイオ・ベンチャー企業の買収を行いつつ種苗事業参入を活発化させ,そうしたアグリビジネスによる農業の市場化,垂直統合化が進められてきた。またこれを受けて米国では,クリントン政権の下でバイオテクノロジーが国の科学技術・産業振興政策の中心に位置づけられた。
このようなアグリビジネスによる種苗事業の市場化と独占化には次のようなテクノロジーの発達が大きな働きをしている。一つは30年代に開発された「ハイブリッド」という品種改良の方法の登場だ。この技術を用いた種子は,一代雑種でしか高収量性などの特性を発揮しないため,同じ効果を持続しようとすれば,農家は毎年種子を生産企業から買わねばならない。とはいえ発芽する限りは,この種子をもとに農家自ら品種改良を手がけることはできる。しかしながらデルタ・アンド・パイランド社が開発し98年3月に特許認定された「ターミネーター遺伝子」を組み込まれた種子ではそうはいかない。これは,農家が前年の収穫の一部を翌年の種子として用いようとしても,発芽した段階で植物が自殺するような毒素をつくる遺伝子であるため,「権利」とわざわざいうのもはばかられるくらいこれまで当たり前に行われてきた農家の自家採種や自家改良を完全に不可能にする技術なのである。
これに加えて,GM作物は特許による知的所有権の保護対象になるため,農家は種苗企業とのあいだに,たとえば①特許料の支払,②自家採種や譲渡の禁止,③違反の際の罰金,⑤契約後3年間の査察実施,⑥除草剤とのセット購入などを内容とする契約を結び,特許料などのために従来の非GM種子よりもコスト高なうえ,やはり自家採種が不可能になっている。(なおコスト高に対しては企業側は,たとえば除草剤耐性や害虫耐性の機能による労働生産性の向上や収穫増,農薬散布量の低下をメリットとして挙げており,実際これが米国などでのGM作物の爆発的普及の理由でもある。しかし,除草剤耐性が雑草に転移したり害虫殺虫毒素に耐性をもつ害虫の出現などによって,長期的には農薬使用量が増加したり,耐性生物の出現と新しい農薬開発のいたちごっこになってしまう危険がある。)

他方,知識と利益の囲い込みについては,ネックになっているのは,伝統的・民間的知識の知識の形態としての特性と,これを充分に反映していない現行の知的財産権保護制度の不備である。特許を中心とする生物関連の知的財産権保護体制は,UPOV(植物新品種保護に関する国際条約: 61施行; 91年改正),WIPO(世界知的所有権機関: 67~),ブタペスト条約に基づく国際委託制度(78~)など古くからの制度に加え,90年代になってからはWTOにおけるTRIPS (貿易関連知的財産権)協定によって強化され,適用される範囲も,製法だけではなく改良品種等の生物そのものや遺伝子解析結果まで拡大されてきた。その背景には,米国による80年代半ばより進められてきた「産業競争力の回復・強化」のための知的所有権強化の動きがある。
では,伝統的・民間的知識の知識にとっての現行の知的財産権保護制度の問題点とは何だろうか。第一に,伝統的・民間的知識は,大学や企業で産み出される科学・技術の知識と異なって,特定の組織や個人によって産み出されるものではなく,何世代,何十世代ものあいだに培われ,共同体の成員間に共有されてきたものであり,しかも科学論文のようなかたちで公式の文書として保存されるものでもない。このため,たとえば特許紛争裁判の場面でも,あるバイオテクノロジー企業や個人が,ある途上国地域に固有の植物の成分から医薬品を作り,これを特許化しようとしたとき,すでにそのような利用法は,昔から現地では公知 (広く知られていること)であることを証明しようとしても,なかなかできないという難点がある。科学・技術と伝統的・民間的知識の競争では,多くの場合に後者の助けを借りて獲得された前者が圧倒的に有利となっており,しかも公平な利益配分の国際的取り決め(まさに生物多様性条約で確立しようとしているもの)もないために,利益も独占されるような仕掛けになっているのである(伝統的・民間的知識へのタダ乗り)。

「知の南北問題」といってもいいこの問題は,第8条(j)項で伝統的・民間的知識の価値を謳った生物多様性条約の第三回締約国間会議(COP-3, 96年)でも,生物多様性の保護,持続可能な利用,その利益の公平な配分に対する知的財産権制度の影響や,生物多様性の保護・利用にとって伝統的・民間的知識や実践がもつ有効性やその尊重をめぐって取り上げられ,今なお決着を見ない国際的大問題である。さらには今年年末から始まるWTO多角的交渉でも,知的財産権保護やGM製品の安全性評価などをめぐるし烈な交渉が繰り広げられる見通しである。

●バイオパイラシーによるGMOsリスクの構造的強化
それでは,以上のようなバイオパイラシーの体制は,どのようにして先に挙げた四つのリスクの連動に関係しているのだろうか。
まず第一に,以上の説明からすぐに分るのは,とりわけ途上国の小規模農家や消費者を含むコミュニティにとっての社会経済的リスクと文化的リスク,物理的リスクの増大であり,これらはすでに緑の革命で見られたものである。アグリビジネスが提供する種苗や,それとセット販売される除草剤など生産資材は途上国小規模農家にはコスト高に過ぎるし,自家採種の禁止は自営基盤を掘り崩す。また生産コストの増大は作物価格にも跳ね返り,消費者にとっても好ましくない。「バイオテクノロジーは食糧問題を解決する」とよくいわれるが,これでは逆効果である。また特許を盾に,非独占的な伝統的・民間的知識に基づく食糧や医薬品,種苗の生産が抑制・排除される危険もあり,これもまた社会経済的悪影響を生産者や消費者に及ぼすだけでなく,健康被害や生態系への悪影響など物理的リスクも高める。逆にいえば,先に述べた伝統的・民間的知識の知的財産権保護の困難さのために,知的財産権を盾にしてGM製品(種苗や作物,飼料・食料・医薬加工品)の自国内市場での台頭を避ける防波堤が築けないのであり,文化的リスクが社会経済的リスクを高めるという構造があるのだ。

ところで,ここで,こうしたアグリビジネスの独占を避けるためには,そもそもGM製品を自国市場になるべく入れないよう規制をしっかりすればよいではないかという考えも浮かぶかもしれない。けれども,そうした政治的イニシアティヴを最小限に押え込み,輸入国側の「政治的リスク」を高めているのが,法的拘束力を持つWTO体制の下での米国を中心にした自由貿易至上主義,経済のグローバリゼーションの圧力だ。生物安全性議定書交渉ではまさに,こうした GM製品の貿易に対する輸入国の政治的イニシアティヴを確立しようと途上国やEU(欧州連合)が動き,WTO次期交渉でもこの動きが目玉になる見込みなのだが,米国などGM生産大国は,「科学的に充分な根拠がない規制は非関税障壁と見なしてこれを撤廃するよう要求する」としている。ちなみにWTOの紛争処理システムは,全加盟国の反対がない限り―いいかえれば提訴国以外に一国でも同意する国があれば―制裁までの紛争処理手続きが進み続けるネガティヴ・コンセンサス方式をとっているため,輸入国の政治的リスクは非常に高い。

さらに政治的リスクを高める要因は,規制の根拠として「科学性」が強く求められている点にもある。第一に,途上国では現時点でリスク評価や管理を行うだけの人的・資金的余裕のないところが大多数である。先進国ですら,健康や生態系に対する未知の長期的な悪影響を見通し,充分な科学的証拠を確立するような研究は非常に困難である。この点で生物安全性議定書交渉でも持ち出されるのが先述の「予防原則」の適用なのだが,GM貿易推進側はこれを「非科学的な政治的原則」として非難しており,その有効なかたちでの議定書への盛り込みを拒否している。しかしながら予防原則は,確かに一方では「危険性」に関する充分な科学的厳密性は求めないとしても,反対に推進者側の「安全性証明」を厳しく要求している。これを「挙証責任反転の原則」という。なぜここで「反転」というかといえば,これまでのリスク紛争では,リスクを警戒する側の危険性証明が求められ,その証明がなければ事実上問題無しとされ,ひいては被害の未然防止を妨げてきたという歴史があるからだ。この観点から見れば,予防原則は(使い方にもよるが)必ずしも非科学的なわけではなく,逆にこれまでと同様に安全性証明を軽視し続けようとする推進者側のほうが,目先の経済的利益を優先する非科学的な態度だと責められねばならない。(ちなみに「実質的同等性」という概念に基づくGM食品の安全性評価の枠組みでは,未知の毒性や環境や健康への意図せぬ長期的影響について十分検証されない傾向があることは数多くの論者が指摘していることである。なお10月1日付の日本経済新聞朝刊によればEUは,WTO次期で,安全性が充分に証明されない限りGM食品の販売許可を与えないという方針を採る方針であるという。)

もう一つ「科学性」と政治的リスクの高まりとして重要なのは,「リスク」の中身(スコープという)から,社会経済的リスクや政治的リスク,文化的リスクなど,生物学の方法でのリスク評価の対象外のリスクを除外しようとするGM大国の動きがあることだ。この動きを容認すれば,輸入国の政治的リスクや社会経済的リスク,文化的リスク,物理的リスクはまたまた高いものになる。いずれにせよ途上国は,これらリスクに関するGMOsの広大な実験場と化すのではないかと懸念される。生物安全性議定書交渉でもまさにこれが当初から争われている。いってみれば推進側が要求している「科学性」とは,自然科学だけを念頭に置いたものであり,人文・社会科学は「非自然科学」であるがゆえに「非科学的」といっているのに等しいのである。

このようなWTO体制の問題点に加えて,さらに途上国農業の国際援助など一見「善意」の行動を通じてもGM製品が途上国の社会と生態系に広まっていく可能性もある。とりわけ現地の伝統的・民間的知識が,その過程で先進国が提供する社会経済的・生態的に不適切なバイオテクノロジーの技術に置換えられ,文化的リスクが高まる危険性がある。このような現象は,緑の革命でも実際に見られたのだった。生物多様性条約での伝統的・民間的知識の価値の強調は,このような反省を踏まえたものに他ならない。

●生態系の均一化・不安定化という危機
ところで人の健康や生態系への悪影響など物理的リスクは,どの程度深刻で,どの程度高いのだろうか。遺伝子組換が行われるようになって約30年経っても,当初心配されたような,とんでもない細菌ができてしまうというような深刻なバイオハザード(生物災害)は起きていないことや,生物の遺伝的安定性を考えると,物理的リスクは,GM推進派が楽観するよりはずっと大きいかもしれないが,批判派が懸念するよりはずっと小さいかもしれない。とはいえ,上記の社会経済的・政治的・文化的リスクを考えれば,物理的リスクの低さを根拠にGM製品イケイケ体制を許してしまうことはできない。だからこそ,物理的リスクのみに議論を絞り,その危険性を声高に叫ぶ批判は,より幅広いリスクの広がりと連関から人々の目を遠ざけ,批判者を狼少年のように見せてしまう危険すらある。

しかしながらここで見逃してはならないのは,実は,上述のバイオパイラシーによるリスク連関の全体を通じて,別の,より大規模な生態系への悪影響の可能性もありうるということだ。つまり,バイオパイラシーを通じて種苗が,従来のものからアグリビジネスが提供するGM品種に置き換わるにつれて,特に遺伝資源の中心である熱帯地方の農業生態系や自然生態系が均質化し,不安定化していく危険があるのである。実際これは,かつての植民地支配のもとで途上国の農業生産が宗主国や先進国市場の需要を満たすような作物種や品種の選別や,それらの大量生産のためのモノカルチャー化が進むなかで起こってきたことである。たとえば,長い歴史を通じて産み出され時の試練を経てきたインドの稲の品種が,今世紀初頭には数万種あったものが数十種類に激減したように。大量の化学肥料の投入によってのみ効果を発揮する高収量性種子のアジア農業への普及を行った緑の革命でもこの均質化と不安定化が加速されたが,GM作物をテコにし,知的所有権保護制度と自由貿易の無差別な拡大傾向によって強化され続けるバイオパイラシーは,この流れをさらに加速化する危険がある。

さらにこの生態系の均質化は,文化的リスクも高め,それが回りまわってさらに均質化を強めるというフィードバックの回路を形成してしまう危険もある。失われた生態系の多様性は,部分的には,その多様性に結びつき,長い歴史のなかでの人間と自然との試行錯誤のやりとりのなかで築き上げ蓄積してきた知識の豊富さと地域間・コミュニティ間での文化的多様性を消失させる。おまけに伝統的・民間的知識は科学知識とは違って,原則として人から人へ,世代から世代への口頭や技能の伝承によって存在するために,生態系の多様性と同様,一度失われれば回復するには歴史をもう一度繰り返すしかなくなる。そして生態系と知識の豊富さ・多様性が失われたところでは,「もはや我々にはバイオテクノロジーしかない」というバイオパイラシーの掛け声がこだまするのであり,これがまた均質化をさらに強化していくのである。

その先は果たしてどうなるのだろうか。実をいえばバイオテクノロジーもまた既存の生物多様性なしには成り立たない。いわばそれは,自らの土台を食い尽くすことで「発展」しているようなものだ。まさにそれは私たちの科学技術文明の根本的な矛盾を体現しているともいえるだろう。

●土曜講座への提案
はじめに述べたように,バイオパイラシーによるGMOsリスクの構造的強化構造についての日本国内での議論は,僅かなジャーナリストや学者,NGO によるものを除いては,驚くほど少ない。GM食品のより見えやすい物理的リスクだけでなく,広範なリスクが,日本の一般市民の目に見えるようにしていく努力が不可欠である。筆者としては,まずすでに海外で蓄積されている知見を広めるために,生物安全性議定書の文書をはじめとして,NGOなどが公開している関連論文や記事を翻訳し,インターネットや出版によって公開する仕事を,他のNGO(たとえば市民フォーラム2001など)の協力も仰ぎつつ,土曜講座のプロジェクトの一環として中長期的に取り組んでみたいと考えている。ぜひ皆さんからのご協力・ご助言を頂きたい。

■ 参考文献 ■
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ヴァンダナ・シヴァ『生物多様性の危機』,高橋由紀・戸田清共訳,三一書房,1997
ヴァンダナ・シヴァ『緑の革命とその暴力』,浜谷喜美子訳,日本経済評論社
第三世界ネットワーク『バイオテクノロジーの危険管理』,本庄重男・芝田進午編訳,技術と人間,1998
ジャン-ピエール・ベルラン,リチャード・C・ルウォンティン「遺伝子産業の脅威」,『世界』1999年3月号300-306頁。
久野秀二,「アグリビジネスに囲い込まれる遺伝子」,アジア太平洋資料センター「月刊オルタ」1998年3月号。
久野秀二,「多国籍アグリビジネスのバイオ戦略と『農
業者の利益』」,科学研究費補助金報告書・中野一新
研究代表「WTO体制移行下におけるアグロ・フード・
システムと農政再編に関する国際比較研究、1999年3月。
中野一新編,『アグリビジネス論』,有斐閣,1998年。
インゲボルグ・ボーエンズ,1999,関裕子訳『不自然な収穫』,光文社
ジェレミー・リフキン,1999,鈴木主税訳『バイテク・センチュリー』,集英社
Institute of Science in Society (ISIS), “Biosafety, Patents and Biopiracy”,
Mae-Wan Ho and Dr. Terje Traavik, “Why We Should Reject Biotech Patents from TRIPS”,
Mae-Wan Ho and Steinbrecher, R., “The Principle of Substantial equivalence is Unscientific and Arbitary”, 1998,
International Institute for Sustainable Development (IISD), “A Brief Introduction to the Convention on Biological Diversity”,
Ashish Kothari, “Biodiversity and Intellectual Property Rights: Can the Two Co-Exist?”, 1999,
(どよう便り 25号 1999年9月)

 

 

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