「環境白書を読む会」参加の感想

投稿者: | 1999年9月26日

「環境白書を読む会」参加の感想

森元之

doyou_stpol199909.pdf

あるきっかけで今年度の環境白書を読む機会があったので報告する。主催したのは民主党の環境問題を担当している佐藤謙一郎衆議院議員。6月から8月にかけて、毎週1回1時間程度の勉強会が連続して8回行なわれた。

毎回1章の内の1節か2節分を、環境白書を執筆した各担当者がきて説明してくれた。前半30分ほどはそれぞれのパーツの要点を解説していただく。その後の30分は佐藤議員の司会で、参加者からの質問、および意見交換という構成だった。私は合計8回の内、1回は欠席したが、それ以外の7回の中で感じたこと、発見したことを書きたい。
毎回の出席者は平均すれば10人前後で、佐藤議員と議員秘書、環境問題を勉強中の学生、主婦、環境NGOの主催者、メディア関係者、まれに他の国会議員などが出席した。開催の趣旨は、環境政策担当をしている佐藤議員が今年度の環境白書を勉強したいと思ったが、おなじ開くのであれば、官僚や議員そして市民の人たちにも参加してもらった方がいいだろう、と判断したのがきっかけとのこと。しかし大々的に募集をしたわけではないので、さまざまな分野の人が参加したとは言いにくい。

初回の時に、参加者からの要望といううことで、できるだけ本音を教えてほしい、あるいは最終的に白書の文章として出てきたものはこうなっているが、そこにいたるまでの裏話なども聞かせてほしい、という要望を出した。また佐藤議員も同じ趣旨の発言をした。そのせいもあって、毎回の質疑応答の時間には、かなり担当者の口から生の声をきくことができた。以下その内のいくつかを紹介する。

他省庁とのかけひきはすさましいものがあるらしい。たとえば言葉一つをとってみても今回の白書では「グリーン化」とか「環境設計」のような新しい概念を出したいと環境庁側では思っていたようだが、通産省からは「グリーン」という言葉には過激なイメージが付きまとうのであまり使ってほしくない、という意見がきたとのこと。あるいは諸外国の環境税のことを書こうとすると大蔵省が嫌がり、ガット・ウルグアイラウンドにまつわることを書こうとすると農水省から意見を言われ、国内の産業政策と環境問題との関わりに触れようとすると通産省からチェックがはいる、という。実際参加者からの質問に対して「執筆段解ではもっと詳しく書いていたのだが、**省からの意見があり、結果としてはトーンダウンした表現になった」という説明を何度もきいた。ここでも省益優先の縦割り行政によって環境庁が苦労しているのがあらためてわかった。

またキーワードを使って環境問題に関しての新しい概念を紹介したいと思っても、上記のような他省庁からの横槍がいろいろ入ってくる。そのため、概念を言葉で書くのではなく、すでに行なわれている事例などをいくつも列挙することがある、という。その場合、事例を羅列するという手法そのもので言外にそのキーワードで表現される考え方をメッセージとして込めているので行間を読み取ってほしい、と言う担当者もいた。このことを聞いたとき、そんなことは今まで誰もおしえてくれなかったじゃないか、と私は心の中で叫んでしまった。

また、最近の環境に対する市民や社会の関心の高まりとともに環境庁のするべき仕事も増えている、しかし実際には人出がたりなくて、病気になる人も多い、という話もあった。入省したときははりきっていても、数年もするとみんな疲れて、仕事に対する積極性を失ってしまう。中には不幸な事例(たぶん自殺のことだろう)もある、そうだ。
さらには、各地で環境にまつわるNGO・NPOが生まれているが、そのような団体がどのような活動内容をしているのか、環境庁であまり把握していない、とのこと。これも今後の課題だろう。

また、今後の日本の環境行政の方向性について佐藤議員や参加者の間で意見交換があった。世界的に見れば環境分野における国際標準というものが今後必要になってくるだろう。しかしその場合、欧米を基準にされると日本やアジアではとんでもないことになる。たとえば土地の自然状況を把握する指標として、牧草地の多い欧米では、単位面積辺りの蜘蛛の種類や生息数が基準になるが、水田の多いアジアモンスーン地域ではこの基準を使えばほとんど評価できないことになる。今後アジア版の環境基準を、日本としても、また日本の世界に対する貢献としてもつくらなければならないが、それができるのは日本しかない。これについては今後の省庁再編で環境庁が環境省に昇格するときに、スタッフを増やし特定の部署をつくる必要があるだろう、という議論もされた。

私は環境問題に関する出版の仕事をしているが、正直なところここ数年の環境白書をまじめに読んだことはなかった。環境白書に限らず、白書と名のつくお役所文書は読むのが苦痛だからだ。しかし今回、この勉強会に参加して、読みにくい文体・形式の裏側にある執筆者たちの苦労を垣間見たとき、「白書物語」という名の番組がつくれそうなほどの人間ドラマがあることも感じられた。

おそらく今回このような会ができたのは主催者が現役の国会議員であるという要素がいちばん大きいだろう。本当はもっと気軽に土曜講座のようなところでも、環境庁の職員を招いての勉強会が自由にできるようになればいいのだが……。しかし、内部に苦労し苦悩している人たちが多くいることがわかったので、かりに今は硬直した行政組織であっても、市民の側も環境行政をサポートしていくような組織つくりや政策の提案をしていくことで多少は環境庁も変わるのではないか、そんな微かな希望の光を感じた。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA