世界の水紛争と日本

投稿者: | 2004年9月4日

宮崎浩之 
pdf版はwatersoil_003.pdf
問題意識の所在 
 現在、世界では人口の急増、産業の著しい発展などにより水需要が増加しており、Stockholm EnvironmentInstitute の分類によると31 カ国が絶対的な水不足に見舞われています。水不足は、食糧難をはじめとするBasic Human Needs の欠如を引き起こすのみならず、水環境の悪化による環境問題、水資源の利権をめぐる政治的問題にまで発展しています。
 本稿では、様々な種類の問題が複雑に絡み合った世界の水にまつわる紛争を整理することを第一の目的とします。また、仮想水という概念を用いて、世界における日本の水資源を具体的に捉え、世界レベルでの水資源管理のあり方を見直し、日本の進むべき道を考察することを第二の目的とします。
世界水紛争 
 世界の水紛争は以下のように大別できます。
①国境・軍事的な問題
②水資源分配の問題
・上流地域による湖・河川取水過剰
・地下水くみ上げ過剰
③水環境の問題
・上流地域の汚染物質排出
・地下水汚染
国境・軍事的な問題
●平和ダム
 韓国の平和ダムは1 9 8 0 年代に建設されました。北朝鮮が、有事時に国境付近にある自国のダム(金剛山ダム)を決壊させて、ソウルを水攻めにするという脅威に備え、建設されたことから舶ス和狽ニ呼ばれています。
●アムール川
 中国とロシアの国境に位置する川で、河川のなかの島の利用で政治的な問題が多発していましたが、現在は共同利用中のようです。
水資源分配の問題・・・ユーフラテス川 
 ユーフラテス川における水紛争は、トルコ、シリア、イラク間の水資源分配問題です。ユーフラテス川はチグリス・ユーフラテス文明が栄えた場所として有名ですが、現在は中東の貴重な水資源として、利用権をめぐる対象となっています。以下、1970 年代後半に起きた紛争とGAPという開発プロジェクトをめぐる水紛争を説明したいと思います。
●ことの発端
 ユーフラテス川における水紛争の発端は、トルコ南部のケバンダム、シリア北部のタブカダムを建設したことです。1974 年、シリアはイラクとの暫定合意をした上でタブカダムに湛水を始めましたが、この翌年にトルコのケバンダムでも湛水が始まりました。その結果、ユーフラテス川下流では異常渇水に陥りました。
 図2はれぞれの国の穀物生産量データを平均0、分散1 になるように操作し、グラフ上にプロットしたものです。グラフから、1975 年付近で、トルコの穀物生産量は減少していませんが、イラクとシリアの穀物生産量は減少していることが読み取られます。それほど地理的に差異のないこの3 国の間に穀物生産量の差が現れることは、ケバンダムの建設により、下流域に水が行き渡らなくなった影響によるものであると考えられます。
 このときは、シリアに入った水をシリア:イラク=6:4となるように放水することで、問題は収拾したようです。
● GAP
 一時的に収集したユーフラテスの水資源を巡る水紛争は1990 年代に入ってから、形を変えて顕在化しました。トルコが東アナトリア地方開発計画を1990 年初頭に開始し、この総合開発プロジェクトには当然、水資源に関わることも含まれていました。このGAP により、シリア、イラクとの政治的な軋轢は大きくなりました。以下、詳しく説明します。
< GAP の目的>
 GAP は東アナトリア地方に灌漑を施すとともに、全国の電力需要の5 分の1を賄う水力発電所を建設するという壮大な目的のもとに進められました。GAP は開発された灌漑や水力発電の技術を女性に習得させる教育プログラムも包含しており、その評価は、国際的に高かったようです。
 GAP では、この目的を達成するために、トルコとシリアの国境付近にアタチュルクダムを建設することになっていますが、このダムが再び水紛争を引き起こす引き金となってしまいます。
< GAP をめぐる政治的なやりとり>
 ユーフラテス川下流域国の水供給に、ケバンダムが影響を与えていることは既に述べたとおりです。GAP を始動させるときには、既に、ケバンダムの南方にカラカヤダムというダムが建設され、稼動していました。これら2つのダムにより、シリア、イラクの2国は水供給不足に悩まされているのに、アタチュルクダムが建設されるとその問題はさらに深刻なものとなります。
 そこで、シリア、イラクは東アナトリア地方で独立運動を展開するPKK( パレスチナ労働者党) の支援を始めました。その一方でアタチュルクダムは建設され、稼動を始めました。
 トルコはアタチュルクダムによるシリア、イラクへの給水制限の緩和を政治的な切り札として出してきました。具体的には、以下のようになります。
・EPKK への支援をやめることを条件に毎秒500t の流量を保障すると宣言
・トルコはシリアに対し、PKK への支援をやめなければ、断水すると警告(1989 年10 月)
・シリアへの流量を毎秒500t から毎秒120t に減らすと発表(1989 年11 月)
 このとき、トルコにはシリアに毎秒500t を給水する能力はなかったとも言われています。
<現在>
 政治地理的にトルコとイスラエルがシリアを挟み撃ちする体制を見せていることから、トルコとシリアの関係はさらに悪化しました。このまま、トルコがシリアに対して、水供給を切り札として使い続けることは十分に考えられます。
 しかし、一部で国交の改善の兆しも見られます。1999年にケニアでPKK 党首アブドラ・オジャランが逮捕されたとき、トルコに相関される際にシリアが協力的だったそうです。国交改善の兆しは水供給にも少し表れています。
 図4はイラク、トルコ、シリアにおける国内への水の流量とくみ上げ量のグラフです。このグラフから、トルコとシリアには国内流量に歴然とした差があり、シリアはくみ上げることで不足分を賄っていることが読み取ることができます。しかし、図2の1990 年代をみると、シリアとイラクだけ穀物生産量が減少したという現象は見られません。根拠にやや不足があると思われますが、ユーフラテス川における水紛争は緩和に進みつつあると考えられます。
水環境の問題・・・ドナウ川 
 ドナウ川では、スロバキアとハンガリーのダム開発が要因となって、水環境問題に発展しました。両国の環境問題への意識の違い、政治の制度の違いが水環境問題から国家間の紛争へと発展しました。
 ことの発端は、1970 年にスロバキアとハンガリーの間で水力発電、舟運航路の改修、洪水防御を目的としたダムの開発について協定を交わしたことです。スロバキアは、ガブシコバ(上池)ダム、ハンガリーは、ナジュマロシュ(下池)ダムを開発することになりました。1983 年から共同工事を開始しましたが、このダム開発プロジェクトは、環境的にも政治的にもハンガリーが不利になってしまうものだったのです。
 水力発電を稼動させると、ハンガリー国内の河川沖積湿地帯の地下水位が低下し、生態系に悪影響を与えるなどの環境問題の要因となります。
 また、ドナウ川の上流に位置するスロバキアのガブシコバダムは、下流に位置するハンガリーのナジュマロシュダムより発電の効率がよくなります。その一方で、ハンガリーが発電に利用できる水は、スロバキアの残り物になってしまいます。
 以上のことからハンガリーはこのダム開発計画にあまり乗り気ではありませんでした。そこに、ソ連崩壊による反動で、世界的に支持のあるハンガリーの環境保護NGO(ドナウ・サークル)がハンガリー政府にたいし、ダム建設中止の要請を出し、国民投票の要求まで出しました。これを断るものなら、ハンガリー政府は、世界の非難の槍玉に挙げられかねないので、結局、1989 年5 月には、ナジュマロシュダム建設休止を決定し、スロバキア政府にガブシコバダム建設キャンセルの申し入れをしました。
 一方、スロバキアでは、この時点で建設が90%完了していました。この時点で、ダム建設をやめるわけにはいきした。
 その後の交渉は平行線を辿り、1992 年、ついにハンガリーが紛争問題の裁定を国際司法裁判所に要求しました。国際司法裁判所は両国に罰金の支払いを命じる判決を下しました。
 国際司法裁判所は喧嘩両成敗と言わんばかりの判決を下しましたが、以下のように両国が争うに至った側面も考慮しました。
 裁判のときに、もちろんスロバキアも文書を提出したのですが、その内容が環境保護主義を前面に出しているハンガリーと全く正反対で、国際情勢からずいぶんと批判されたようです。このように、世界では環境保護主義が通っており、ハンガリーでは、ソ連崩壊後の民主運動が盛んになり、旧政権打倒に乗じて、国民が環境問題に関心を持つようになりました。一方で、スロバキアでは、民主的な基盤が完成するのに遅れてしまい、政府主導でダム建設計画が進んだ上に、このダムの運営で生計を立てる人が現れるようになっていたのです。
 スロバキアでは、ダムで生計を立てている人がいるくらいですから、この共同工事計画が中断されたときには、経済的にどのようになったか、見当がつきます。図5 は1985 年から2000 年のスロバキア、ハンガリー、アメリカ合衆国、オーストリア、イギリスのGDP 成長率時系列グラフです。グラフからわかるように、ハンガリーがダム建設中止を決定した1990 年前後のハンガリーとスロバキアのGDP 成長率は大きく負に傾いています。他の3 国もやや減じていますが、スロバキア、ハンガリーの突出した減少は、共同工事計画が中止になったことの影響であるとませんでしたので、独自に代替プロジェクトを計画しま考えることができます。
 こうした紛争を解決するには、何が求められるでしょうか。第一に環境保護一辺倒では解決はありえないということ。第二に世界の機関などによる経済的なサポートをはじめとする、スロバキアに対する援助なしでは解決が困難であるということ。第三に水資源管理に関する技術による解決。そして、第四に、ドナウ川周辺に限らずとも、NGO による草の根的な活動。特に四点目について、政府は流域に協調を促す団体を積極的に支援することが望まれます。
 
水資源分配の問題を見直すための「仮想水」
●一人当たり降水量と水紛争の関連性
 これまでに世界の水紛争をいくつか例をあげて概観してきましたが、今回、さらに掘り下げたいのは、水資源分国内で生産された場合に投入されたであろう水のことです。間接水と呼ばれることもあります。
 輸出国では、農作物にしろ、工業製品にしろ、商品に水資源を投入します。投入された水資源は、商品の中にその価値を持ち続けるものとします。これは必ずしも、商品のなかに液体や気体の水が実態として投入されていることを意味していません。たとえば、集積回路を生産するときに洗浄のために水資源が投入されますが、集積回路そのものに水は含まれていません。
 水資源が投入された商品は、輸入国に輸出されます。このとき、商品に投入された水資源が、輸入国に移動していると考えることができます。つまり、輸入国は、輸入された商品を消費することで、輸出国の水資源を消費していることになるのです。
 注意してほしいのは、仮想水の定義では、仮想水は輸出国で実際に投入された水資源の量ではなく、輸入国で輸入されたものが、仮に、国内で生産されたときに、投入される水資源の量のことであるということです。
 そのことに注意して、日本における仮想水を考えてみましょう。
●例えば、牛丼
 仮想水は次の式のように算出します。
仮想水 = 輸入量 / 水消費原単位
 水消費原単位とは、単位生産量あたりの水の投入量のことです。工業製品の場合、単位生産額あたりの水の投入量になることもあります。
 これに基づいて、全て輸入品で作られた牛丼一杯の仮想水を算出してみましょう。牛肉の実際に調理に使われる部分の水消費原単位を200700( /t)、精米後の米の水消費原単位を3600( /t) として計算すると、
なんと、牛丼一杯には32540 リットルもの水が投入されていることになります。これはバスタブ200 杯以上の量に相当します。
●仮想水の制約
 世界の水分配の現実をわかりやすくする概念である仮想水ですが、利用するにあたって、制約が付きまとってきます。
 水消費原単位の定義は仮に国内で生産された場合の単位生産量あたりまたは、単位生産額あたりの水の投入量となっていますが、これに国外のデータを入力すれば、現実に投入された水資源の量が把握できるはずです。しかしながら、水消費原単位の算出に必要な、灌漑期間や、歩留率などは、現地の農法を事細かに調査することなしにデータを得ることはできません。輸入相手国すべての農法をそこまで詳しく調べることは現実的ではありません。したがって、ここに制約があるわけです。
 もうひとつは、水消費原単位が定められない場合があるということです。たとえば、木材がこれにあたります。
●世界における日本の仮想水
 ここで、世界における日本の仮想水を見てみます。表1は総合地球科学研究所の沖大幹助教授の研究グループの試算による2000 年における日本が輸入している仮想水の国別輸入量です。
 まず、注目してほしいのは、農作物と畜産物の全体における割合です。仮想水総輸入量うち、98%以上が農作物と畜産物、すなわち食料です。これは日本の食糧自給率を考えれば納得できると思います。
 そして、次に注目してほしいのは、日本の国内年間総使用量と仮想水輸入量がそれほど違わないことです。仮想水輸入量が649 億であるのにたいし、1999 年の国内年間総使用量が878 億です。年度は異なるものですが、仮想水輸入量が日本の水需要の大部分を占めることがわかると思います。つまり、日本は食料輸入を通して、海外の水資源に大きく依存しているのです。依存しているということは日本の食卓は、輸出国の水資源管理にかかっているといっても過言ではありません。
●日本はどうすべき?
 日本の仮想水輸入に伴う問題は、日本の食卓が輸出国の水資源管理にかかっているということです。場合によっては、水紛争の成り行きで、明日の食卓のメニューが左右される、ということです。これから抜け出すためのポイントは次の2 点であると考えました。
 1 点目は輸出国に頼らない体制、すなわち、自給率の増強です。日本の自給率は年々下がるばかりです。図8 は平成1 年から12 年までの自給率をグラフにしたものです。小麦の自給率は、ずっと20%以下の低い水準を維持しており、牛肉は減少しつづけています。「これだけは大丈夫」と思われてきた米ですが、近年、自給率低下の不穏な動きを見せています。この傾向はこれからも続くと思われます。この傾向に歯止めをかけようとしない限り、日本の食卓は輸出国の水資源に左右されることになるでしょう。
 2 点目は輸出国の水管理を監視・支援する体制。たとえば、アメリカの水資源にかかわるプロジェクトに日本人を混ぜる、などが考えられます。これだけ仮想水を輸入しているのだから、水資源に関する協定などを結ぶ必要があると思われます。
●新しい水資源管理のあり方
 現在、仮想水による世界的な水資源管理のあり方が研究されています。そのうち、2つを紹介したいと思います。
 まず、水資源に経済的な価値を与えることです。これにより、投入水量を考慮にいれた輸出品の価格付ができるようになります。輸出国は水を仮想水として売った分のお金を、水資源開発などにまわすことができるようになります。また、水資源に対して経済理論を適用することも試みられています。水に関する産業連関表、比較優位の法則などが研究されています。
 次に水に関するLCA(Life Cycle Assessment) です。LCA はもともと商品が生産される過程から廃棄処分されるまでのCO2 排出量を算出する方法ですが、これを水に関しても施してみよういうわけです。例えば、「このパソコンが生産されてから廃棄処分されるまで○○リットルの水を消費する」といったデータが得ることができます。これを参考に、官庁や企業が、消費する商品を水への影響を基準に選ぶことができますし、日常生活レベルにまで落とせば、消費者は手に取った商品に対して「これはアフリカの水を5 0 0 0リットルも使っているのね。やめようかしら」といった判断を下すことができるようになります。
 このように、消費者自身に水の消費が実感されるような商品の評価がされることで、消費者の世界の水紛争への関心は高まり、世界の水紛争解決への一助となることでしょう。
まとめ 
 本稿では世界の水紛争について概観し、そのうち水資源分配について、仮想水という概念を用いて、日本の世界の水紛争における関わりを具体的なものにしました。世界の水紛争は、国境問題、水資源分配の問題、水環境の問題に大別され、そのうち、水資源分配の問題について以下の2 点を明らかにしました。
・日本の食糧消費は世界の水消費に密接に関っている
・日本は輸入相手国の水資源に大きく依存している
 
そして、この問題に対し、日本が自国の食料・水資源を保障するために、以下の2 点の必要性を挙げました。
・食料自給率を改善する
・輸入相手国の水資源管理に日本が関わる
さらに世界の水資源を具体的なものにするために、
・水資源への経済理論の適用
・水に関するLCA の適用
が試みられていることを紹介しました。
 それでは、末端の消費者である私たちに求められていることは何でしょうか?
 それは次の2点に絞られると考えられます。
・自給率向上のため、国産品を購入する
・過剰に食品を消費しない
 この前者の自給率については食品に限ったものではなく、工業製品も含みます。現在、安価な中国製品が日本に大量に輸入されていますが、これでは中国の水資源管理が日本の消費活動に大きな影響を与えかねません。現在の依存体質を改善する必要があると考えられます。また、依存体質を改善することは、水資源枯渇になりつつある中国の環境問題解決への一助になると考えられます。
 後者については、簡単に言うと、食べ残しを減らすということです。輸入された食品には世界の水資源が投入されていることは以上で述べたとおりです。しかし、日本では決して食べ残しが少ないといえる状況ではなく、世界の水資源が投入された食品が生ごみに変わり果てることが絶えません。食べ残しを減らすことで、世界の水資源に対する圧力は緩和されることでしょう。
 世界の水資源と私たちの生活が、間接的であるものの、強い関わりを持っていることを考えていただければ、他にも私たちが世界の水紛争解決に貢献できることは他にもあると思われます。商品を購入する際に、今一度、世界の水資源を思い描いてみてはいかがでしょうか。
参考文献・参照データ
・Stockholm Environment Institute, Comprehensive Assessmentof the Fresh-water Resources of the World, 1997
・World Resources Institute, Earth Trends,,2003
・UNEP / DEWA / GRID, GRID-Geneva: Data, , 2004
・CIESIN, Gridded Population of the World, , 2004
・農林水産省, 『統計データ』, < http://www.maff.go.jp/www/info/index.html>, 2004
・国土交通省水資源部, 『日本の水資源』,, 2000
・嘉田由美子編, 『水をめぐる人と自然』, 有斐閣, 2003
・ジェフリー・ロスフェダー著, 古草秀子訳, 『水をめぐる危険な話』, 河出書房, 2002
・高橋裕著, 『地球の水が危ない』, 岩波書店, 2003
・村上雅博著, 『水の世紀』, 日本経済評論社, 2003
(どよう便り 80号 2004年9月)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA