土のバーチャル博物館 その3 山内丸山遺跡編

投稿者: | 2005年2月4日

森 元之
pdf版はwatersoil_006.pdf
「縄文の丘 三内まほろばパーク 縄文時遊館」
「特別史跡三内丸山遺跡」
豊かだった縄文生活 
 三内丸山遺跡(注1)はJR青森駅からバスで30分ほど行った郊外(青森駅から約7km)にあります。この遺跡の存在自体は江戸時代から知られていたようですが本格的に発掘調査と観光施設としての整備が進められたのは最近になってからのことです。平成12年11月に国の特別史跡に指定されています。
 現在三内丸山遺跡は大きく二つの部分に分かれていて、バスや自動車で着くと、まず近代的なコンクリート建築「縄文の丘 三内まほろばパーク 縄文時遊館」に入ることになります。ここにはテーマ別に発掘物の展示室やビデオシアター、体験工房・食堂などがあります。その近代建築の中の「時遊トンネル」を入っていくと野外に出られ、そこが本来の三内丸山遺跡となっています。三内丸山遺跡は学術研究の対象ともなっていますので現在も発掘や調査研究が進行中の場所です。発掘された巨木建築物の穴やゴミ捨て場、死者の埋葬場所などは、1ヶ所ずつ金属製のドームで覆われ、湿度や気温を管理し、風化しないように対策が施されています。
 また、住居や倉庫、塔状の建築物は、発掘された穴の配置にしたがって地上部分の建築を想定復元してあります。中でも驚いたのは「大型竪穴住居」で、長さ32m幅9.8mの三内丸山遺跡内最大の建築物です。「共同作業場や集会場として使用したり、厳しい冬期間の共同家屋などいろいろな説」があるそうですが、現在の感覚からしても結構大きな空間で、数十人から100人程度は入ることができ、確かに人々がたくさん集まって何かをした場所という気はしました。
 ボランティアガイドの方の話によると、発掘された骨などから当時の家族構成は父親と母親、それに数人の子供世代で一家族を作っていて、現在と同様核家族が主だったようです。栄養など生きるうえでの厳しさから祖父母世代になれるまで長命な人は少なかったようです。しかし、栗の栽培や果実酒、大きな魚も食していたなど、電気はないものの、かなり高度で豊かな生活をしていたことがうかがえました。
土と時間の厚さを体感
 
 土のバーチャル博物館関連の視点で面白かったのは、「北盛り土」「南盛り土」と呼ばれる部分で、「生活の廃棄物や排土・残土が1000年間積み重ねられて」いる部分です。もともと窪地だったところに、建築物を建てるときに出た土や土器や石器などの廃棄物を積み重ねていったところ、やがて、平均的な土地の高さを超えて小高い丘のようになっている部分です。
 ここは現在、その断面が見られるように通路が作ってあります。この通路に入って土の断面を見ると、自分の身長くらいの高さと1000年間の生活の積み重なりを実感でき、人工的にであれ土を形成してゆくことにどれほどの時間がかかるのか、ということが体感できます。「水と土の連続講座」の勉強をしているときも、自然状態では「土の母材」と呼ばれるレゴリスが1cmできるのに1000年かかるということを知り、人間の感覚のスケールを超えた土の形成と時間の厚さの相関関係を体感できるブースや装置ができないかと考えていたので、この盛り土の断面を体験できたのはとても貴重でした。
レストランの食事でアイデア開花 
 縄文時遊館の中のレストランで食事をしましたが「発掘丼」(950円)というメニューがあったので、それを注文しました。古代米である赤米に栗や木の実などが混じった上半分を食べると、下からは白い米を主体にした部分が出てきて、一つの丼で二種類の味を楽しめます。店内の案内に「ハマグリが入っていたらプレゼント」と書いてありましたが、残念ながら私は発掘できませんでした。これを食べながら考えたのは、心理学に「箱庭療法」というものがありますが、土を掘っていくという行為も単純だけど心の癒しにつながるし、さらには何か発見することができたらとても楽しい行為なのではないかということです。またそこで「発掘キット」のようなミュージアムグッズが作れないか、と着想しました。
 
 次回は、青森市森林博物館&みちのく北方漁船博物館の紹介です。
注1: http://sannaimaruyama.pref.aomori.jp/
参考文献:以下の3種類のパンフレット
     「縄文の丘 三内まほろばパーク 縄文時遊館」
     「特別史跡三内丸山遺跡」
     「縄文探検マップ」
(どよう便り 84号 2005年2月)

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