貴重な資源・リンの循環から見えてくるもの

投稿者: | 2004年6月4日

森元之
pdf版はwatersoil_014.pdf
テーマは循環 
 このたびの「めぐる水・不思議な土を知る連続講座」4回を通してのキーワードを私たちスタッフは「循環」にしました。水の場合はある程度の社会生活を送ってきた人ならば、雨や雪が地上に降り、それが土に染み込んで長い時間をかけて再び泉となって地上に現れ、それが川となり海に行き、そして水蒸気となって雲に変わり、再び雨などの形で降ってくる、という大きな循環の流れを経験知的に知っていることでしょう。
 しかし「土の循環」といわれるとそれがすぐにイメージできるでしょうか?2億数千万年前に地球上には「パンゲア」と呼ばれるたった一つの超大陸があり、それが分裂して現在のいくつかの大陸分布になりました。そしてそれらの原因として、地球の表面はプレートと呼ばれる薄い板のような状態がいくつも合わさって球面を多い、そのプレートも地球内部からどんどん生み出され拡張してゆこうとする部分と、再びプレートの下にあるマントルの中に入り込んでいく部分があるということを、多少地学や地球の歴史に興味のある方であれば、イメージするかもしれません。しかしそうした地殻や大地の循環は、時間的空間的にとても大きなスケールなので知識としては知っていてもなかなか実感ができません。
 今回の講座を構成するに当たって、では土を構成する成分の中で、私たちが日常的なスケールの中で実感できるもので、土の循環を知ることができるものはないか、といろいろ探す中で見つけたのが「リン」という物質でした。
リンの科学的特性
リン(P)は元素記号でいうと15番目の元素です。周期律表の位置で言うと第3周期の第Ⅴ族です。窒素元素と同じ族に属し、反応性に富む固体の非金属元素です。元素のうち生物活動に必須な材料となる物質のことは「親生物元素」と呼ばれていますがリンもその一つです。海水中の元素としては多いほうから数えて 19 番目で、人体中では6 番目に多い元素です。体重70kg の人では700~ 780g 含まれています。1669 年にドイツの錬金術師ブラントが尿から始めて分離しました。
 常温・常圧下ではほとんど気体化合物の形をとらず、相対密度(比重)は2.70 で重いという性質が物質循環としてみたときにとても意味を持ってきます。
 リンは天然では単体の形では存在しません。リン酸カルシウム、リン酸水素カルシウムなどのように他の物質と化合した形で存在しています。また人工的加工物としては化学肥料、マッチ、有機リン化合物(パラチオン、サリン)無機リン化合物、ヒドロキシアパタイト、セラミックや人工骨、ガラス材料など肥料から工業、医療の分野まで幅広い分野に使われています。最近歯の再石灰化という機能を強調した歯磨き粉やチューイングガムが販売されていますが、そこに含まれているヒドロキシアパタイトもリン酸、カルシウム、水酸基の三種類のイオンから作られた結晶です。
リンの生体内における役割
 DNA(デオキシリボ核酸)は、私たち人間も含め生物にとって根幹になるものです。なぜなら体の構築や生命活動に必要なタンパク質を作るための設計図に相当するからです。DNAの構造は二重らせん構造といわれていますが、その基本単位はヌクレオチドと呼ばれています。このヌクレオチドは糖とリンと塩基(4種類)からできていて、それが規則正しくつながっていくことで二重らせん構造ができています。
 また外部から取り入れた栄養を、体内で使えるエネルギーに変換して保存したり、必要な時に使えるようにするためにはATP(アデノシン三リン酸)が必要です。このATPは生体の「エネルギー通貨」とも呼ばれていますが、この名前にもリン酸という言葉があるとおり、リンが含まれています。さらに歯や骨にも先に例を挙げたヒドロキシアパタイトの形でリンが含まれています。つまりリンがなくては生命がなりたたないのです。
リンの大循環の不思議
 基本的にリンは比重が重いので、重力にしたがって地球上に分布しています。つまり低いところにたまりやすいということで、土中であれば地下深くに、海であっても深海の方にたまりやすくなります。ですから、自然に任せていれば、リンは山から川などを経て海の底深くに行くということで一方的な動きしかありません。
 しかし長い地質学的な時間で見ればリンは大きな循環構造の中に入っています(参考資料①。)海底の土中にあるリンが、海洋の中の湧昇流(深層の水が表層域へ動く垂直方向の流れ)に乗って表層域に移動したり、また海底火山の爆発によって突発的に海中、表層域に運ばれるのです。その表層域ではプランクトンが繁殖し、それを小魚が食べます。その小魚を鳥類が食べます。この過程で生物濃縮され、鳥の糞には高い濃度リンが含まれることになります。離島のサンゴ礁に海鳥の死骸や糞、魚や卵の殻などが数千年から数万年という長期間にわたって堆積して化石化したものを「グアノ」と呼びますが、そのグアノを形成するためにはウミウなどの海鳥が、魚を食べて糞をするという重要な役割を担っていたのです。グアノはリンの含有率が高く、人工的に合成されるようになるまでは主要なリン資源でした。
 ですから鳥類が海から陸にきて糞をしたり、同じ陸地でも、平野部から山間地や森林の間を移動し糞をするということは、低い方へ低い方へと一方的になりがちなリンの動きに対して、重力に逆らって空を経てリンをより高い場所へ運び上げるという循環のルートを形成しているのです。
 魚類もリンの循環にとって重要な役割を果たしています。人間を含めた動物に食べられることによって、リンを地上に運びます。鮭などのように一生の間に河川と海の両方で活動する魚は、海洋で蓄えたリンを産卵のために川を遡上することで内陸深くまで運び上げ、熊をはじめとする大小の動物によって食べられ、糞や死体となって土にもどります。つまりそうした魚類も鳥類と同様、重力に逆らってリンをより高い場所へ運び上げるという循環のルートを形成しているのです。
 また人類も漁業によって年間約1億トンもの水生生物を海水・陸水から地上に水揚げし食料や肥料として利用しています。これも重力に逆らった動きです。
過剰ゆえの問題
 このように生物にとって非常に重要なリンですが過剰と不足の両面から問題になっています。一つは過剰ゆえの問題です。リンは自然界においては基本的には不足しがちな物質ですから生物はそれを取り込むことに敏感です。とくに水生生物の繁殖を左右する重要な元素です。
 1970 年代~ 80 年代にかけて琵琶湖や霞ヶ浦などで藻類・植物プランクトンが大発生し水質の悪化がおこりました。その原因は当時の合成洗剤に含まれていた縮合リン酸塩洗浄助剤(代表はトリポリリン酸ナトリウム)でした。その後メーカーによる無リン洗剤の開発が行われ水質の改善が行われました。
 一方なかなか改善しないのが産業由来のリンです。現在の農業では、窒素、リン酸、カリウムが化学肥料として農地に施肥されていますが、リン酸は与えたうちの10%しか吸収されないそうです。そのため収量を上げようとすると過剰な投与が増えます。しかしこれは土中の「リン酸貯金」が増えることにはなりますが、他の成分と結合するため、植物がすぐに使える状態にはなりません。そのため農業関係者の間では肥料を与える方法・量・時期・他の肥料とのバランスなどがいろいろ研究されています。
 また畜産動物(牛・豚・鶏)の排泄物にはリンや窒素をはじめとして有機物も多く含まれ、本来は肥料としても有効なものです。しかし現状ではそれが廃棄物とし処理されていたり、畜舎からの排水を通して河川や湖沼などに入り込み、それが水質悪化の元になっています。そのため、回収技術や飼料の改良研究がされています。
不足ゆえの問題 
 一方で不足ゆえの問題があり、今後その問題が社会的にも重要になってくるでしょう。基本的には人間が利用できる地球上の資源としての量は限られています。自然循環に従って鉱石が作られ人間が利用可能になる時間と、人類による消費速度の時間スケールが異なるので循環ができていないことが不足の大きな理由です。
 先ほども挙げた農業用の三大肥料(窒素・リン酸・カリウム)の中では、リンが一番不足しています。水系では不足すると貧栄養化がおこり、生態系全体にに影響を与えます。
 採掘可能なリン資源は2 0 ギガトンで、可採年数は数十年~ 150 年(~ 550)年と言われていて、資源としての有限性が切実な問題になってきます。それはつまり石油や水と同じように今後希少資源をめぐっての国際紛争が起こることも考えられるということです。実際歴史的に見ても、南米ペルー沖のロボス島やカリブ海の鳥島、そして太平洋のガラパゴス諸島を舞台にアメリカと利害の対立する国々の間で紛争が続きました。太平洋戦争時にはアンガウル島を巡って日米が攻防しましたがそこにもリン資源の争奪問題があったのです。
 また太平洋のナウル共和国は22?の国土面積のうち、8 割がリン鉱石の鉱床でできており、戦後は良質かつ低コストで採取できました。それを輸出して国庫が潤っていたので、税金のない国として有名でしたが、すでに枯渇しました。このほかにもいくつかの島ですでに枯渇しています。
 リンを含んだ鉱床は島だけでなく大陸の内部にあるのですが、石油や宝石と同じように世界的に見てある場所が偏っています。そして化学肥料を必要とする日本は自国では産出しないため輸入に頼っています。また工業的にもセラミックや医療分野の新素材として注目されていて、今後もさまざま分野で必要とされるでしょう。つまりリンやその化合物は国家戦略上も重要な物質でもあるわけです。特に農業分野での肥料としての役割は大きく、現在40%の食料自給率が問題になり自給率の向上や食糧安全保障の課題も検討されていますが、それらのことを考えるならば当然リンを筆頭にした肥料の安全保障も考えていかなくてはならないでしょう。
私たちにできること 
 このように生物にとってもまた社会的にも重要なリンについて私たちには何ができるのでしょうか? 大きなレベルでは森林の保護、植樹・造林などをして鳥類を大切にすること、魚の遡上ができるようにダムや砂防ダムの問題に関心を持つこと、野生生態系の保護や回復がリンの循環の和を断ち切らないためにも重要な行為であることを認識しながら、そうした活動を支援することが大切でしょう。身近なレベルでは肉よりも魚や水産物をたくさん食べることが重要かもしれません。体内にとりこむことで海から地上へのリン循環に私たちも参加していることは、食卓と物質循環、悠久の地球の時間との関係を身近に感じさせてくれるでしょうから。
最後に雑感とまとめ
 リンのことなどこれまで深く考えたことはありませんでしたが、今回調べてみていろいろ面白いテーマであることがわかりました。今回詳しくは触れられませんでしたが、1848年にアメリカのカリフォルニアで金が発見されゴールドラッシュがあったということは世界史的な事件として広く知られています。しかしそのゴールドラッシュについづいて「グアノラッシュ」という事件があったことはあまり知られていないように思います。このグアノクラッシュを通して「グアノ島法」という法律が作られ、それがその後アメリカが海外領土拡張政策に向かってゆくきっかけとなったという面から見ても歴史的に非常に重要な事件にもかかわらず、ゴールドラッシュほどには広く知られていないように思います。
 また石油はかつてのオイルショックや「永遠の3 0 年」という言葉で表現されるように30年後には石油が枯渇するという宣伝がここ数十年行われてきました。しかし枯渇や代替案がないという点に関して言えばリン資源の枯渇問題も非常に重要なはずなのに、私たちは深く認識していません。そうした社会的に重要なテーマであることに気づきました。
 リンを調べていると「生体内のエネルギー通貨」、農業面での「リン酸貯金」、ナウル共和国の「税金のない国」などお金に関した比ゆ表現や経済的なエピソードにいくつも出会いました。そうした面でへ純粋な科学的なテーマというよりは社会的・経済的な側面を備えたテーマでありとても面白かったです。
 最初は漠然と土に関して深く知りたいと思って企画した連続講座でしたが、リンという一つの素材を調べることで、当初予想もしなかった広く深く重要なテーマにたどり着くことができました。それが「めぐる水・不思議な水を知る講座」のプロジェクトリーダーとしての最大の収穫だと感じています。
 
参考文献
「リン-謎の元素は機能の宝庫-」井上勝也監修 金澤孝文著 研成社 1997 年
「海の働きと海洋汚染」 原島 省 功刀正行共著 裳華房 1997 年
「元素111の新知識」桜井弘 講談社ブルーバックス 1997 年
「石鹸安全信仰の幻」 大矢勝 文春新書 平成14 年
「ビジュアルディクショナリー 化学の世界」ジャック・シャロナー著 岸村小太郎翻訳 同朋社 1998 年
「物質循環のエコロジー」室田武 晃洋書房2001 年
「図解 土壌の基礎知識」前田正男 松尾嘉郎 共著 農文協 1974 年
「土と水と植物の環境」駒村正治 中村好男枡田信彌 共著 理工図書 2000 年
「化学用語小事典」ジョン・ディン・ティス=編 山崎昶=訳 講談社ブルーバックス 昭和58 年
「地中生命の驚異-秘められた自然誌-」デヴィッド・W・ウォルフ著 長野敬 赤松眞紀 訳 青土社 2003 年
「水辺の鳥 フィールドセレクション8」北隆館 1992 年
「肥料になった鉱物の物語-グアノ、チリ硝石、カリ鉱石、リン鉱石の光と影-」高橋英一 研成社 2004 年
『第2章 持続的食糧生産と肥料』越野正義「環境保全と新しい施肥技術」安田環 越野正義共編 養賢堂 2001 年
『第9章 窒素およびりんの除去技術と事例』 「水質浄化マニュアルー技術と実例-」本橋敬之助 海文堂出版 2001年
『5 . 土壌の生物学』木村眞人 「最新土壌学」久馬一剛編 朝倉書店 1997 年
『10. 家畜と環境問題』板橋久雄 「最新畜産学」水間 豊ほか編 朝倉書店 1998 年
『9物質大循環と土壌生物-土壌微生物の役割』小柳津広志 「農学教養ライブラリー 土壌圏の科学」東京大学農学部編 朝倉書店 1997 年
『7. 生物学的脱窒素・脱リン技術』花木啓祐「最新の化学工学」環境化学工学ー大気・水環境を中心に次世代環境対策を考えるー」社団法人化学工業会関東支部編 社団法人化学工業会発行 1996 年
『第1章 水循環から見た飲み水の安全性』「水をめぐる人と自然」嘉田由紀子編 有斐閣 2003 年
インターネット資料
「モンゴル草原のエネルギーと水」熊谷道夫(滋賀県琵琶湖研究所)http://www.lbri.go.jp/kumagai/mongolj.htm
http://sekaitabi.hp.infoseek.co.jp/gallery/gallery_os/nauru.html#0
(どよう便り 77号 2004年6月)

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