「水育」について

投稿者: | 2008年9月4日

上田昌文
 私たちの暮らしを成り立たせてきた自然環境、食料やエネルギー事情が大きく変わろうとしています。学校をはじめとする様々な場で、持続可能な社会を実現するための意欲をかきたて、その知恵を生み出す教育が求められています。この連載では、文系・理系、○○学……というこれまでの枠組みにとらわれず、「水育∕火育∕風育/食育∕体育/土育」という自然と生命のしくみの根っこに立ち返ったくくりを設けて、今求められる「生活の知」の形を手探りしてみたいと思います。
 水は生命のおおもと。水なくしてどんな生命活動もありえません。気象と大地の形成や変動を決め、海と陸の生態系の循環の要となり、生物のあらゆる物質代謝の”場”となる――水は地球という惑星において、あまりに重要であるがゆえにきわめてありふれた存在でなければならないという宿命を背負っている、飛び抜けて普遍的な物質です。水はまた、都市の形成、河川や海を通じての交通・貿易の発達、治水対策、農林水産業や工業での利用など、人類の歴史と社会の様相を計り知れないほどに左右してきた要素です。家庭生活でも料理や洗濯をはじめとして大半の営みが水と関係します。
 水は化石燃料や鉱物と違って、基本的には循環することでその役目を果たす資源ですから、使ったからといってなくなるものではありません。たとえば人体でみても、人はおおよそ1日2~3リットルの水を飲み物・食べ物から摂りますが、ほぼ同量の水を1日で排出しています(人の身体の約60%は水でできていますが、最初に口にしたその水がすっかり体外に排出されるまで約1ヶ月がかかります)。
 ところが、なくなるはずのないこの資源の枯渇がすすみ、2025年には深刻な水不足にさらされる人が世界人口の約5分の2の26億人にも達する、との試算があります。水資源の極端な偏在――今まで手に入っていた水が手に入らなくなる地域が一挙に増えるのです。その原因は複合的です。温暖化など気候変動による影響、農業や工業での地下水の過剰な組み上げ、浄化が汚染に追いつかず水が飲めなくなること、政府と巨大企業による水の利権の独占や水の商品化……。「蛇口をひねれば水が出る」という生活があたりまえになっている私たちは、ペットボトルのミネラルウォーターの大量消費がどんな環境負荷をもたらしているのか、農畜産物や工業製品の輸入を通して海外の水をどれほど大量に輸入しているのか、といった現実に目がいきません(例えば1kgの小麦の生産には約2トンの水が必要ですが、日本は国内で消費される小麦の約9割にあたる約500万トンを輸入に頼っています)。都市から”水空間”が消えるとともに、水辺や川の持つ役割を知りそれとのつきあい方を学ぶ機会が失われました。ヒートアイランド化やゲリラ豪雨の頻発とこのことは無関係でしょうか?
 水の自然な循環を断ち切らない社会、そして「水は誰にでも絶対に必要なのだから、お金のあるなしにかかわらずきちんと供給される」社会の姿を、私たちは描き直さなければならないようです。自分が利用している水道水はどこから来てどこへ行くのか――まずはそれを正確に知ることからでも多くのことが見えてきます。「水育」は一番身近なところからいつでも始められるのです。■
(上田昌文/キャリア・マムの連載「地球をもてなそう!」のコラムを改編)

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