自然共生建築を求めて―住まいの快適さをエクセルギーから考える―

投稿者: | 2003年9月5日

第153回 科学と社会を考える土曜講座
2003年7月12日
講師:宿谷昌則
pdf版はhouse_003.pdf
 私たちはやたらに寒い冷房、部分的に熱い暖房に不快な思いをしたことはないでしょうか? それが”不自然だ”とは感じはしても、では「自然に準拠し自然と共生する住まいとは?」と尋ねられると答に窮してしまいます。従来の工学的視点からはつかめなかった、住む人にとっての快適さのことや自然との調和をはかる伝統的な建築技術の秘訣が宿谷さんのお話からは見えてきます。地球の循環メカニズムと住環境のつながりを知ることのできたとても貴重な機会でした。なお、この講義録を読む際は入った別冊のレジュメをご参照ください。本文中でたとえば「12右上」とあるのは、レジュメの12ページの右側上段の図を指します。■
●照明・冷房のエネルギーと人間の身体のエネルギー
 エネルギー問題をまじめにやろうと思えば、エクセルギーという概念を理解する必要があります。10 年以上もこの問題をやってきてそれが分かってきました。
 例えばこの部屋で考えますと、照明があって、今日は暑いから冷房しています。冬なら暖房します。それから、換気をしないと空気が汚れて頭が痛くなる。ひどい場合は酸欠で死んでしまうことになります。換気にはどうしても動力が必要で「エネルギー」を使うことになります。
 一方で僕らはご飯を食べて体温を保つということをやっているわけですが、それも「エネルギー」を取り込んで、それを消費するということが生理学の本に書いてあります。少しつっこんで考えていくと、照明とか冷房という話と人間の体の話が繋がっていることが少し見えてくるのです。
●建築環境学という学問
 僕の学問分野は建築環境学といいます(1左上)。この呼び方は一応認知され始めていますが、もう一方では建築環境「工」学とも言います。もともと僕は理工学部の建築学科というところで勉強して、10年近く工学部の中の建築学科にいて、今は環境情報学部という、いわゆる理系と文系を総合した領域で新しい学問を目指しています。工学部ではモノを作る時に、とにかくモノを大きくするとか早く動かすとか便利にすることを追求していて、人間のことを考えているようで、実は人間不在のことが多いです。「工」というものが、もしそういうふうになっているのだとしたら、一回それを崩してみて、もう少し大きな枠組みで考えてみたい。ここ数年は建築環境学というふうに呼んで、もちろん「工」も入るのですが、もう少し広く考えて、身近な環境のことを取り上げる学問としてやっていこうと思っているわけです。「ほどよく明るく、ほどよく温かく、ほどよく涼しい」環境とは何か?それはどうやって作ったらよいかを考える学問が建築環境学です。「ほどよい」というのは、わかったようなわからないような、意外と難しいものなのですが、それを実験や実測、そして、理論的議論をしたりして、どの程度が「ほどよい」のかを調べ、それが分かったとして、それをどうやって作ったらよいかを考えていこうとしています。
●「建築」は一番身近な環境
 建築の環境はどんな人にとっても一番身近な環境です。当たり前のようですが、意外と忘れているものですからこれを認識して頂きたいと思います。1日24時間の生活サイクルのうち、何時間くらいを建築環境空間の中にいるかを想像してみていただきたいのです(1右上)。今、午後2時20分くらいですが、昨日の午後2時20分からの24時間でどれくらいの時間をこういう部屋の中で過ごしたかを考えてみてください。おそらく20時間を超えるくらいではないかと思います。たとえば、私は横浜に住んでいるのですが、電車で都心に向かって来て、九段下で乗り換えてここまで来ました。電車は建築とは言いませんが、よく考えてみれば扉があり、窓があり、壁と天井があり、動く建築と言うことができます。それから、地下道を通って来ました。地下道の中はやはり地下構築物といって、建築物とはちょっと違いますけれど、やはり人が住んでいる空間です。表に出て、このビルまで歩いてきましたが、その中で本当の自然といったら何かと考えてみると「空」しかないのです。道路はアスファルトで土はないし、道路の左側には高いビルが建ち、右側にはホテルがあり、街路樹は自然のようですが、これも自然にここに植わっていたものではなくて、計画をしてそこに植えたのですから、やはりそれも作ったものと考えると、自然というのは思いのほか少ないのです。そうやって考えてみると、仮に人生80年として、60年から場合によっては70年はそういう場所にいるわけで、そこの環境のことを考えないで、どうやって地球環境のことを考えるのかと思えてきます。もちろん地球環境という大きなスケールのことを考えるのは大事なのですが、それが僕らの一番身近な環境と繋がっているということを認識しないとおかしなことになるんじゃないかといつも思っています。
●自然と人工の関係を見直す
 私たちは都市で生活しているわけですが、都市というのは一体どういうふうにできているのか。たとえば、この部屋はこの建物の一部ということで構成されています。その建物はいろんな建物に囲まれてその一部をなしている。そういう風にして都市ができているわけです。さらにズームアウトしてゆくと、川があったり、公園や森のようなところがあったり、あるいは東京だったら東京湾があったり、とだんだん自然の要素が増えてゆくわけです。その外に、大きな山があったり森があったりして、さらに広がってゆくと最後は地球の大きさになっていく。こういうのを「入れ子構造」と言いますが、人があって建築があって都市がある(1左下)。都市ではなくて農村や山村や漁村の場合もありますが、それが地域を形成する。これまではそれらが互いにどういう関係になっているのかということを忘れて開発などをやってきたのです。建築物という人工の物の中に人間という自然があって、さらに建築物の外にも自然がある。人工というのは自然から離れようとしてきた歴史があるのですが、自然と切り離されているということが環境問題を引き起こしている大きな要因だと思うのです。自然と人工の関係をもう一度ちゃんと見直して、どういうものを作ったらよいかをあらためて考えて、人間にとっても自然にとってもふさわしい技術を考えて、作っていこうというのが僕のやっていることです。ちょっと大げさなのですが、これからの建築環境や都市環境、あるいは地域環境づくりのための新たな学問の構築と技術の開発を目指しているのです(1 右下)。
●パッシブシステムとアクティブシステム
 建物には長い歴史があるのですが、どうやって建物の環境を作ってきたかということを大きくわけると二つの型があります。それはパッシブシステムといわれるものと、アクティブシステムといわれるものです(2左上)。昔はパッシブだけでやっていました。石炭も石油もなくて、身近にある薪を燃やすだけでやってきた。煙が出て、住まいの中がもうもうとしてしまうので、穴をあけて煙を逃がし、空気を入れてやる。暗くてしかたがないから穴をあけて光を採りいれる。要するに建物を構成する、専門用語でいう外皮(建物の外側の皮という意味)に、いろんな穴を開けて、開けたり閉じたりして建物の中を調節するというのがパッシブ型の住まいということになります。一方で、この部屋の空調システムや照明のようなもの、つまり現代型の技術がアクティブシステムです。今私たちが住んでいる住宅やオフィスは大概この二つが組み合わさっていると思いますが、残念ながらパッシブ型がほとんど忘れられて、アクティブ型だけに依存しているのが圧倒的に多くなってしまったというのが現代の住まいです。
 パッシブ型技術は、「いつか、どこか」、つまり時と場所によって異なります。それに対してアクティブ型技術は、「いつでも、どこでも」同じという特徴があります。パッシブ型のほうは多様性があり、アクティブ型のほうは普遍性があるということです(2 右上)。
●パッシブ型の建物・都市の例
 横浜の本牧にある三渓園という公園の中にある民家では、かやぶき屋根の軒は十分な長さがあるため、雨をしのぐということと、日差しが夏の間は入らず冬には陽が入ってくるようにするのに役立っています(2左下)。昔の人は太陽の位置を三角関数などを使ってきちんと計算したわけではなく、何回も何回もいろいろと繰り返していくうちに自然とこの長さが決まったのではないのかなと思います。非常にいい長さになっています。
 デンマークのコペンハーゲンにある小さなオフィスビルには庇(ひさし)がついています。コペンハーゲンのビルの庇と窓ガラスの高さと三渓園の民家の庇と窓の高さを比較すると、コペンハーゲンのほうが相対的に庇が長い(2左下)。これはどうしてかというと、日本の神奈川あたりは地球の赤道からだいたい35度くらい上がったところなのですが、コペンハーゲンはそれからさらに30度くらい上がったところにある。ですから、太陽の位置はコペンハーゲンと横浜を比べるとコペンハーゲンのほうが常に低い。低い太陽を庇でブロックしようと思えば、それだけ長く出さないといけないということになるのです。丸い地球の上での位置の違いが庇の形として反映されてくるということがわかります。旅行などされるときにはそういう目で建物をご覧になると、結構おもしろいと思います。
 今のは日本の蒸し暑い東京や横浜の例でしたが、暑くて乾燥した地域の例としてはアラビア半島の一番南にあるイエメンの都市があります(2右下)。砂漠の中の都市です。どうしてこんなに密集して建っているかというと、もし一戸建ての家がこの砂漠の中にぽつんと建っていたとしたら、砂であっという間に埋まってしまうのです。砂嵐がすごいので。砂嵐の時にも往来してコミュニケーションしようと思えば、砂が路地に入ってこないように囲いを高くする必要があります。それでこういう形になった。鳥瞰的に見るとシロアリの巣と似ています。やはりこれも環境と形の関係の現れだと思います。
●アクティブ型の例
 今の二つはパッシブ型の建物の典型で、「いつか、どこかで」異なるということが分かっていただけたと思いますが、アクティブ型の典型はこういうものです(3左上)。この建物はどこにあるか、ちょっと当てていただきたいのですが、どうでしょうか?
(聴衆A)「新宿のような気がしますが、違いますか?」
(聴衆B)「アメリカ?」
 新宿なのかアメリカなのか、分からないですよね。これは大阪のツインタワービルで1987年にできたものです。今のように迷うということは、要するにどこにあってもおかしくない、普遍的だということです。こういう建物が可能になったのは蛍光灯とかエアコンの技術、換気の技術がものすごく発達したからです。石油を使ったり、原子力を使ったりすることで、いろいろな地域の気候の特性を全部コントロールしきって、こういう形を可能にするのです。「だから、これがけしらかん」というのではなくて、そういう強さを持っている技術を私たちは手に入れてもっているわけですから、それとパッシブ型の技術をどうやって組み合わせていくか、あるいはパッシブ型の技術のよさをもっと引き出すにはどうしたらよいかを考えることが大事だと僕自身は思っています。2001 年9 月11 日のテロ事件で世界貿易センタービルは崩壊してしまいましたが、基本的にこの写真の建物と同じ形です。階数は全然違いますが、基本的な考え方は同じですし、平面図もだいたい同じです。
●<かたち>と<かた>
 今、形というものを見てきましたが、では、形とは何でしょう。家があって、屋根に瓦があって、柱があって、壁がある。これを丁寧に解体します。釘一本捨てないで壊します。そこで、まずクレーンなどを使って家の重さを量るとします。そして解体したものの全部の重さも量るとします。そうすると重さはまったく変わらないわけです。たとえば2 トンあったとします。家も2トン、解体したものも2トン、家の重さから解体したものの重さを引いたらゼロです。では、同じかと言えば、違います。
 あるいは、この家に火をつけて火事をおこして、熱量を測るとします。解体したものを燃やした熱量も測ります。これも同じです。物質の重さや熱量の大きさとしては変わらない。けれども、家と解体したものでは違います(3右上)。
 人の体でも同じですよね。僕の体をミキサーにいれてかき混ぜて、一様な溶液にしたとします。僕の体重は75キロなのですが、試験管の中の溶液の重さを測ったら、やはり同じ75キロでしょう。水分を絞り出したとしたら、水分の量も同じでしょう。水分を取った後は、ものすごく燃えやすい脂肪などですから、それに火をつけたらよく燃えるはずですが、その熱量も同じでしょう(3左下)。
 こういう目でいろんなものを見ると、<かたち>と<かた>というものがどういうことなのかが見えてきます。わざと<かたち>と<かた>と書いたのですが、<かたち>というのは目に見える構造で写真に撮ることができます。<かた>のほうはいわゆる「柔道の型」や「剣道の型」や「空手の型」というのと同じで、「空手の型」を写真に撮ろうと思っても撮れません。型をやっている人をたくさん写真をとって、順番にばーっとめくっていけば分かりますけれど、一枚の写真では「型」は分かりません。時間の流れの中で見えてくるものです。<かたち>と<かた>は別物ではなくて、同じ物の中の二つの側面です。その両方を見ることがすごく大事だと思います。
 僕の経験では、建築に関わる人は主に<かたち>を重視して、<かた>を軽視する人が多いです。建築は図面を描きます。本屋さんの建築のコーナーに行くと、建築の写真集など図を扱っているものが多いです。著名な建築家の作品の本などはほとんど写真集です。ですから、止まった<かたち>に偏っています。実際には家はいろんな働きがあって成り立っています。その働きのほうを重視するのは設備関係の人たちで、要するに照明とか冷房とか暖房とか換気のことを扱う人々です。同じ建物のことを話していても、一方の人は<かたち>ばかりで、もう一方の人は<かた>ばかり考えるので喧嘩になります。喧嘩というのはいい意味でも悪い意味でもいえることなのですが、そういうやり取りがあってある一つの<かたち>や機能が実現されてゆくのです(3右下)。 
 環境情報学部というのは何をするのですかとよく聞かれます。僕自身は「環境と形のことを考える学部です」と説明しています。「環境」は英語でenvironment、「情報」はinformationです。informationという言葉を英語の語源なども載っている詳しい辞書で調べたことがあるのですが、form(形)が語源なのですね。inというのは「内側」にあると言う意味で、要するに「形になっていくような何か」というのがインフォメーションなのです。そう考えれば、動植物には遺伝情報というものがありますが、遺伝情報というのはDNAの中にあってその情報に基づいて生物の形が作られていくわけですから、情報は<かたち>と<かた>と関係があるわけです(4左上)。
 人間も含め生物は環境との関係で様々なことが決まってきます。そういう中でパッシブ型の技術が作る建物の形はどんなもので、そこにアクティブ型の技術が入ってきた時にどんなことになってきたかを考えていきたいのです(4右上)。
●エネルギー保存の法則を再考する
 建築の<かたち>と<かた>を考えるとき、エネルギー問題をきちんとやっておかなくてはならない。その時にエクセルギーとエントロピーの概念が鍵になります(4左下)。物理の教科書には必ず「エネルギー保存の法則」というのがあります。それ自体がものすごく奥が深い話なのですが、わりとさらりと「エネルギーは保存されるので……これこれしかじか」というふうに書いてあって、普通の人はあまりそれ以上は考えないで、「まあ、そういうものなんだ」ということで済ますわけです。その一方で、いわゆる「エネルギー問題」というと、「エネルギー消費」といったことを言って「大変だ」と言う。エネルギーというものをもう一度きちんと考えてみた時、「エネルギーが保存される」ということはどういうことか。例えば、この部屋の中にタンクがあって80℃のお湯があるとします。ほったらかしておくと、その部屋が20℃だとすると、80℃のお湯は最後は室温と同じ20℃になります。それが80℃のままずっと保ち続けられるとか、あるいは20℃を下回って15℃くらいになるということはないですね。もし自然に温度が下がってくれるなら、こんないいことはない。冷蔵庫が要らないわけですから。でも、絶対にそんなことはない。
 それを絵にすれば図(4右下)のようになります。容器の中の80℃のお湯のエネルギーは拡散して部屋全体で一様になる。80℃のお湯の熱がまわりに拡がって、最後は全部が一様になった状態でここも20℃、ここも20℃ということになる。この三つの状態の熱エネルギー総量は同じです。ひとりでにエネルギーが沸いて出てきたりなくなったりはしない。これが「エネルギー保存の法則」です。
 これは物質でも同じです。ここに透明な水と黒いインクがあります(5左上)。この境をはずしてやると、黒いインクはだんだん透明な水に拡散して、最後は一様になる。もし水が蒸発しないとしたら、最初の状態と最後の状態の質量は同じです。これは「質量保存の法則」とか「物質保存の法則」と呼ばれ、化学反応を起こす場合に反応の前と後では質量のトータルは変わらないということを説明する時などによく使われる概念です。原子力などで核反応が起きる場合などには質量は少し変わるわけですけれども、エネルギーと物質の量と全部あわせれば、やっぱりエネルギーとしては保存されます。これは根本原理です。
● 「エクセルギー」という見方
 こういう問題をまじめに考えてみれば、「エネルギー問題」のいったい何が問題なのか、と思ってしまうわけです。押田勇雄先生という上智大学の物理の先生(故人)が1986年くらいに主催した勉強会で、「エネルギー問題を考えるのだったら、”エクセルギー”のことをきちっとやらないと」とおっしゃっていたのが、私がエクセルギーのことをやるきっかけでした。私もそこに参加させていただいていて、エクセルギーのことをちゃんと説明できないとだめだ、と思ったことをよく覚えています。それから、資源問題で「資源がなくなる」といっても、物質も保存されますから、何が問題なのかというわけです(5右上)。
 要するにエネルギー問題も資源問題も「資源性」の問題なのです。資源性とは、「拡散能力」、つまり拡散していけるパワーのことです。エネルギー概念とエントロピーの概念(後述)とを組み合わせて整理すると、”エクセルギー”概念というのが拡散能力を表しているのだということが分かってきます(5左下)。
 たとえばご飯を食べるということは、エネルギーを食べているのではなく、エクセルギーを食べていると言っていいと思います。さっき80℃のお湯が拡散していくという話をしましたが、拡散していくということは元々拡散する能力があったことになります。エネルギーは保存され、エクセルギーが消費される。「消費」ということが言えるのはエクセルギーのほうです。ですから「省エネルギー」というのは、実は「省エクセルギー」だというのが厳密にいえば正しいということになります(5右下)。
 エネルギーや物質の拡散があるとエクセルギーが消費されたということになります。エクセルギーとは拡散能力なわけですから、エクセルギーが消費されるということは拡散の能力が減ることです。減るということはどういうことかというと、拡散してしまう、つまり拡散の度合いが増えるということです。ですから、エクセルギーの消費ということは拡散の度合いが増えるとイメージしてもらえばよいのです(6左上)。
 もう少し日常的な用語でいうと、廃熱とか廃物が生まれると考えればよい。それを定量的にきちんと言おうとすれば、エントロピーという言葉で表すことができます。たとえば、今使っているスライドのプロジェクターを例にとります。まずここに電力が投入されます。電力はエクセルギーそのものです。それが光になってスクリーンに映し出される。それは消費された分、エントロピーが生成されていて、廃熱されています。廃熱は外に逃がさないとオーバーヒートしてしまいますので、この機械には小さなファンがついています。もし廃熱を排出させないようにこの機械に蓋をしてしまったり、ファンを止めてしまうと、オーバーヒートしてしまいます。エクセルギーが投入され、消費されると廃熱という形でエントロピーが生成される。そしてエントロピーを排出する。この繰り返しがあって、はじめてシステムの活動が成り立つわけです。これは実際に計算できるのですが、計算よりもこういうイメージをもつということが大事です。いろんなものを理解する時に役立つし、ものごとを豊かに考えることができていいのではないかと思います(6右上、左下)。
 人間の体も同じで、たとえばステーキを食べるということは、ステーキの中のエクセルギーを食べるということです。ファミリーレストランなどに行くと、メニューにカロリーが書いてあります。トンカツ定食900カロリーとか。あれはカロリーを食べるのではないのです。トンカツのカロリーはどうやって出すかというと、大雑把に言うと、燃やしてその時にお湯の温度がどれくらい上がるかということを測って、計算して求めるわけです。もし僕が食堂を経営していたとして、客が「900キロカロリーのものが食べたい」といえば、熱量そのものが大事なら、お湯を沸かしてお湯の熱量を測って、「では、これを食べてください」と言ったっていいわけなのです。もし本当にカロリーが大事なのであれば。でも、そんなことはないと、お客さんは思っちゃいます。実はわれわれはエクセルギーを食べているのです。エクセルギーを食べて、エントロピーが生成され、排出される。僕らの体の周りの環境の仕組みも基本的には同じです(6右下)。
●照明とエクセルギー
 
 具体的な事例でお話しすると、ここに40W(ワット)の蛍光灯があるとします。照明関係のハンドブックを見るとエネルギー収支が載っていて、だいたい40W の蛍光灯では、40W の電力が投入され、光がだいたい8.8W、熱が31.2W です(7左上)。それを実際にエクセルギーで計算しますと、40Wの電力のうち、大雑把に言うと30くらいが蛍光灯の中で消費されて、アウトプットとして光が7、熱が3 ということになります。エネルギーだけを見ていると、圧倒的に熱のほうが大きく4倍もあります。この数字だけをまじめに取り上げたなら、これはランプというよりは、どちらかというとヒーターといったほうがよいということになります。エクセルギーの概念をとり入れて考えてはじめて、蛍光灯の中で何が起きているかがよく分かると思います。
 30 の消費というのは何なのか。こんなに消費されているのだったら減らした方がよいだろうということになります。蛍光灯にはプラスとマイナスの電極があります。アルゴンと水銀のガスが入っています。たとえば、この部屋の外にある長い廊下の端と端が電極として、廊下にたくさんの人が歩いているとしましょう。電子になった人がそこを走る。するとぶつかりますよね。必ずぶつかります。水銀の人にばーんとぶつかると、揺さぶられます。すると水銀を構成している電子が飛び出そうとします。でも、完全に飛び出すところまで行かずに戻ろうとします。その戻ろうとした時に紫外線が発生します。紫外線が管の内側に塗ってある蛍光塗料にあたると蛍光灯は可視光線を発します。そして僕らの目に可視光線が届くのです。これらは全部拡散現象です。その拡散現象すべてを足し算するとだいたい75%くらいを消費するということになります。これはほとんど減らせません。それだけのものを消費しいとこれだけの可視光線を出すことができない。だから結構大変なことをやっているのです。ランプのガラスの外側から出る光の全部が手元を照らす照明に役立っているかというとそうではなくて、一部は壁にあたって吸収されたりしますから、実際に僕らが本を読んだり、手元を見たりするのに役立っているのは、この7のうち3とか4とか、そんなものです。
 この40Wというのは発電所から来ているわけですが、では、発電所から来る電力を40投入するためには、発電所でどのくらいの電力を投入しなくてはならないかというと、100とか120です。仮に効率がよくて100だとすると、100を発電所に投入して、手元にくるのがだいたい3だということになります。今この部屋で机にきている光が3Wだとすると、発電所で投入される電力は100Wということになります。97を消費することによってやっと3の光を手に入れることができるのです。そういうことを考えれば、窓のそばで真昼間から蛍光灯がついているのを見ると、なんと無駄なことをしているのだろうと思います。いろんな工夫ができます。日本の例ではないのですが、ライトシェルフという庇があります(7右上)。庇の上部が白く塗られています。そうすると日が当たると天井が明るくなります。これはパッシブ型の技術で、こういうことを考えることがとても大事だと思います。これと蛍光灯のようなアクティブ型の技術を組み合わせてゆくことが必要になります。この庇を使う部屋では、日の光が当たって天井全体が明るくなりますから、照明もそれにあわせて天井を照らすような工夫をしてあります。それによって、夜でも似たような空間を作ることができるわけです。手元の照明は個人差が結構ありますから、そこは手元灯でやっている。日本では天井に明るい蛍光灯を取り付けるような照明の仕方が過去50年かけて広まったので、それをこれから50年くらいかけて変えてゆかなくてはならないと思います。
 お日様の光は自然エネルギーで環境を汚さないといわれていますが、エクセルギー・エントロピー過程で見ると、お日様の光というのはエクセルギーの塊なんですね。日射のエネルギーは晴れている日では1㎡あたり500Wとか600Wという数字になりますが、その数字のうちのエクセルギーというのはだいたい90%~95%です。お日様の光を使った照明というのは、拡散をうまくさせることだというわけです。一部吸収されますが、光をうまく反射させる。最後は全部熱になりますので、廃熱をうまく外に出してやる。そういう流れを作ってやることが大切です。建築の世界では、窓から入ってくる光をうまく利用するために建物の窓や全体の形を工夫することを昼光照明といい、それは光の流れや光から熱への流れをうまく作ることです(7左下)。蛍光灯では1Wの電力あたり光がどれくらい出るかというと、80ルーメン/Wくらいです(ルーメンは光を測る単位)。白熱電灯だとだいたい15とか、効率のよいもので20 くらい。エジソンが発明した白熱電球は、その当時のものはたぶん2から4くらいだったのではないかと思います。では、窓から入ってくる光はどれくらいかというと、80から120の間です。お日様の光のほうがルーメン/Wという数字でみれば非常に高いということです。ただ、お日様の光というのはすごく変動します。蛍光灯や白熱灯は一回つけたら明るさは変わらない。しかし、それは、発電所で100投入して97消費してその結果手に入るのが3だということがあってはじめて成り立っているのだということを是非頭に入れておいて頂きたいと思います。
●暖房とエクセルギー
 今度は暖房の話です。この部屋の暖房設備としてヒーターが仮に部屋の中にあったとして、この部屋を20℃に保つためにはヒーターから温かい空気を出さなくてはならない。なぜなら窓ガラスや壁を通して熱がどんどん外に逃げていくからです。温かい空気を作るためにはボイラーでお湯を沸かしてヒーターに送る。これが典型的な暖房システムです。窓ガラスや壁の断熱効果とボイラーの効率について考えるために、ここに3つのケースを挙げました(7右下)。ケース1は、窓ガラスや壁の断熱効率もそれほどよくはなく、ボイラーの効率もよくない。ケース2は窓や壁の断熱効率だけを上げて、ボイラーはそのまま。ケース3は、両方とも効率よくした場合です。建築物を作る時にはこういう計算をいろいろとするのです
が、これはその一例です(8左上)。縦軸はエクセルギーです。横軸は左からボイラー、次に部屋の中にある熱交換器(と呼ばれるヒーター)で、お湯と空気をふれさせて温めるものです。その次が部屋の空気、そして最後が部屋の壁です。たとえばボイラーでは、ケース1ではエクセルギーを2500投入して約2,000くらい消費して残り500弱をアウトプットとして出すと見てもらえばいい。ボイラーの効率もそんなによくなければ、窓ガラスや壁の断熱もそれほどよくない。黒い太い線で描かれているようになります。この場合何をしなくてはいけないかというと、ボイラーはものすごく消費が大きいので、まずはボイラーの効率を上げなくてはならないということになります。ケース1の場合のボイラーの効率を85%として、これを仮に95%にあげた場合、95%というのはほとんど不可能な数字なのですが、計算上それをやりますと点線で示したようになります。たしかに減ってるんですが、そんなには効果がない。次にボイラーをいじらないで窓ガラスや壁の断熱をよくしたのがケース2です。ボイラーの効率はそのままで窓ガラスと壁の断熱だけをよくしただけで、最初のボイラーの熱の投入は約半分ですむことになります。つまり、ボイラーの効率の改善は大事なことではあるのですが、壁や窓をいじらないでボイラーの効率だけ上げたってダメですよということです。壁や窓の断熱をよくし、ボイラーの効率をよくするとケース3のようにさらに投入するエクセルギーは少なくてすみます。それは非常に意味のあることだと思います。ここでも最初の投入から見ると部屋の空気に至るまでの間に95%くらい消費されている。資源の消費というのはそのことなんです。
 世の中で行なわれているいろんな技術開発や国主導で動いている技術開発は、窓や壁の断熱とボイラーの効率とを完全に切り離して互いに独立してやっている。僕はそれを一緒に考えてゆくべきだといろんなところでお話させていただいているのですが、なかなか理解してもらえないです。やはり建築の人は建築しか見ていない。機械の人は機械だけ。両者の会話が成り立ちにくいのです。こういうことはよくあることですが、改めていかなくてはならないと思います。
●人間の身体とエクセルギー
 次の図(8右上)は、人間の体がエクセルギーをどのように消費するかという話です。暖房する場合にいろんな仕方があります。たとえば床暖房は床を暖めて空気をあまり暖めない。その反対に空気ばかり暖めて床や壁は冷たいままという場合もあります。横軸は部屋の中の空気の温度で10℃から30℃まであります。縦軸のほうはMRTと呼ぶのですが※、天井、壁、床、窓ガラスなどの全体の平均温度です。だから壁が熱を通しやすいものでできていると、冬には、このMRTは低くなります。等高線のようになっているのは人間の体の中のエクセルギー消費をあらわしたものです。これが縦軸と横軸の中でどのように変化しているかがこの図の示しているものです。部屋の温度も壁ガラスの温度も低くなれば、人体のエクセルギー消費は増えます。一番等高線の低いところは、縦軸で25℃、横軸で18℃くらいのところです。つまり室内の空気の温度はそれほど高くないけれど、床や壁などが温かいという状態です。これがいちばん人体のエクセルギー消費を小さくするというわけです。一般の住宅で行なわれている暖房というのがどういうものかというと、断熱は今少しずつ進んではいますがまだまだ不十分なことが多く、壁や床の温度は低いんです。たぶん16℃とかそれくらい。そしてエアコンやストーブなどで部屋の空気をどんどん暖めます。おそらく23~25℃とかそれくらいでしょう。そうするとエクセルギーの消費は大きいです。そういう部屋と、断熱をちゃんとして壁や床が暖まっている部屋に人に入ってもらい、体感でどちらが気持ちよいかを比べてもらうと、例外なく壁や床が暖まっている部屋のほうが快適だと言うんです。暖房設備などについて経験を積んできているエンジニアも必ずそのほうがいいと言います。北欧の国々はとても寒いので、建物の断熱はとても進んでいるんですが、フィンランドやスウェーデンでの話を聞くと、彼らはここ10 年くらいの間に床暖房や場合によっては壁暖房をどんどん取り入れていこうとしている。この図を使って彼らと議論すると、自分達の経験とピッタリ合うと言います。
※MRT Mean(平均)Radiant(放射)Temperature(温度)の略。
●省エネは省エクセルギー
 これと先ほどの図とをあわせて考えると、暖房システムのエクセルギーを減らしたならば、人体のほうのエクセルギー消費も減るということです(8左下)。そのほうが気持ち良い空間を作れるということです。
 世の中で環境のために省エネをしましょうという場合には、少し我慢しなくてはならないという感じがありますが、これでゆくとそんなことはないのです。いい環境を作ろうと思ったら、エクセルギーの消費を減らしたほうがよいというわけですから、我慢をするということにはならない。これは、みんながやる気を起こすので良いのではないかと思います。「そんなに浪費していたら、不快でしょう。もっと減らしたら気持ちよくなりますよ」と言うのですから、省エネもおもしろくなるのです。すべてがそういう方向で説明できるかどうかは分かりませんが、これが示唆するものはつくづくおもしろいことだなあと思います。窓や壁の断熱をきちんとし、お日様の光をうまく取り入れて暖房するということが実際可能です。僕が今いる武蔵工業大学横浜キャンパスというのは、そういう考え方を取り入れて建てています(8右下)。窓ガラスや壁の断熱をよくしているのですが、冬の間、暖房のエアコンのスイッチを入れるのは1回か2回です。筑波の僕の知り合いのお宅はソーラーハウスなのですが、冬の一番温度が低い零下2℃くらいの時にも部屋の中は15℃くらいに保たれています。なぜかというと窓ガラスが断熱効果があるということと、太陽からの光の蓄熱効果があるということです。
●夏の日除け
 夏の日射遮蔽の話をしますと、窓ガラスの内側で遮蔽するより外側で遮蔽するほうが効果があります(9左上)。内側で遮蔽しても太陽光で壁が暖まってしまうので、暖まったものが全部内側に入ってしまうのです。ガラスには温室効果があって、日の光は通すけれど、熱はほとんど吸収します。大雑把に言うと、窓ガラスだけで日除けがない場合を100として、内側に日除けがある場合が70くらい。外側にあると30、うまくやると15くらいにまでなる。夏の場合、外側に日除けがあるとガラスが温まらないのですが、日除けが内側にある場合にはガラスが温まって、焼肉の鉄板がそこにあるようなものなのです。今いろんな場所で冷房していて、設定温度は24℃から25℃くらいのところが多いのですが、昔から夏の冷房の最適温度は26℃と言われてきました。それはどういうことかと言いますと、天井も壁も空気の温度も26℃ということです。だけど、今現実にある建物では窓ガラスのところは30℃くらいになっている。パソコンなどを使っていると40℃くらい、蛍光灯の端っこなどは50℃くらい。それらに囲まれているので部屋の設定温度は26℃よりもっと下げなくてはならないのです。オフィスの場合にはいろいろと難しい場合がありますが、個人の住宅の場合にはそんなに室内に発熱するものがあるわけではないのですから、窓ガラスの外側の日除けの効果は決定的です。東京電力で原子力発電のことでいろいろ節電への協力などを宣伝していますが、どうして日除けのことを宣伝しないのかと思うくらいです。
 日本は「すだれ」とか「よしず」の文化があって、それらはとても美しいものなのですが、エアコンが普及しすぎて、そういうものが顧みられなくなりました。たとえばこの竹橋あたりのオフィスビルで庇とか外側に日除けがついているところはほとんどないですよね。昔はあったんです。日除けが建物の中に組み込まれていくと、街の表情を作ってゆくし、季節感も出るのです(9右上)。札幌は札幌らしい街並みができ、東京は東京らしく、横浜は横浜らしく、鹿児島は鹿児島らしい街並みができるわけです。さっきコペンハーゲンと横浜の庇が違うという話をしましたが、違うはずなんですよ。それがみんな同じというのは、やっぱりおかしいですよね。
★質問 人の消費するエクセルギーというのがよくわからなかったのですが。
 僕らの体はだいたい100Wの電球と同じぐらいの発熱量があります。それで、100Wの電球と同じだけの熱量を体の外に出しています。どうやって出しているかというと、呼吸、空気を伝わった対流、壁とのやり取り(放射)、汗をかいての蒸発、という四つです。その四つが、全部足して100 出ていきます。それはエネルギーであって、最初に話したように、エネルギーに対してエントロピーの生成というものがあるので、それに対応するものを全部計算すると、エクセルギーのバランスの式ができます。その中でエクセルギーの消費という項が出てきて、窓ガラスや壁や空気の条件を変えて、体の中のエクセルギー消費がどれだけ変わってくるかを見たわけです。
 蛍光灯の絵で40入って29.6消費される、と言った29.6に相当する部分を、人間の体について計算したということです。その消費量は、我々の体の周りの空気の温度と、壁や窓の温度の違いによって変わってくるのです。
★質問 エクセルギーが人間の体の中で消費されるほど疲れるということですか?
 疲労と関係あると思います。ただ、それが1対1で対応しているかどうかはちょっとよくわかりません。
 
 ただ、冬の条件でいくと間違いなく、壁の温度が低くて空気の温度を温めているときに比べると、こちらのほうが消費が少ない。この線(8右上)は、からだの代謝熱エネルギーの収支がからだから外へ出て行く熱エネルギーとバランスする場合を示す線です。先ほど、100W発熱して、100Wが体から出てくるという話はしましたが、このあたり空気温が25℃でMRTが16℃くらいでは、100Wのうちのかなりのパーセンテージを対流で出してきています。空気温が18℃でMRTが24℃では放射の方がかなり多い、ということです。エネルギーだけだったら100
は100で同じになるはずですが、エクセルギーでみるとこの線上で違いがあるというわけでグラフの中の小さな数字(W=0.25 など)の単位はW/m2 です。m2 は人体の表面積1m2 あたりです。例えばここの2.6 だったら1m2 あたり2.6 という早さでエクセルギーがどんどんどんどん消費されます、ということです。
★質問 エクセルギーの値を最終的に出すために計測としてはどのようなデータを使うのでしょうか。温度を測るだけですか。
 全部計算です。温熱生理学というのがあります。過去30年ぐらい研究者がやってきた実験、たとえば空気温がどれくらいの時に皮膚の温度はだいたいどれくらいになるか、あるいは温度が上がってきたときにどれくらい汗をかくのか、といったことについての実験が集積されていて、エネルギー収支式が計算できるようになっています。だけど、それはエネルギーだけです。エクセルギーを求めるために、それに対応するエントロピーの収支式というものを作って、組み合わせてそれで人間の体の中でエクセルギーの消費がどうなっているかを出そうとしています。
★質問 例えばエクセルギー5 のあたりというのは部屋の温度も低く、壁の温度も11 ℃くらい、かなり寒い状態です。でもそのときに凍え死なないというのはエネルギー自体の収支は取れているということですか。
 取れているという計算です。では、なんで消費が大きくなるかというと、これだけ周りの環境の温度が低いと皮膚の温度はかなり下がるんです。ところが、僕らの体は脳から胃袋から全部37℃に保とうとしていますから、ものすごく落差が大きいということです。落差が大きいということは拡散が大きくなる。それで、実はこのモデルの中には震えも入っているんです。震えというのは僕らの意思でできることじゃないですよね。もし震えない人体があったとしたら、5なんかいきません。4とか3.8とかそんな数値だと思います。震えというのはどういうことでしょう。本来は僕らはご飯を食べて、グルコースがあって、ATPを合成して筋肉を動かしたり、頭で何か考えたりするのに消費したい。だけれどもこういう環境だったらそのエクセルギーを体温を維持するためにわざわざ消費しなくてはならない、これが震えです。震えるということは筋肉が動くということですから、発熱するんです。汗が出ない人間なんかを想定して計算してみると、今度はエクセルギーが消費できなくなってしまう。というのは、汗かけないと、皮膚の表面温度が上がってしまう。そうすると、体の中と周囲の落差が小さくなり、拡散が減る。だけど、それがある程度の落差より小さくなると今度は体温が上がり、極端な場合、半熟卵になってしまう熱射病です。
 そんな実験をやったら大変なことになるのでデータはありませんが、そういう話があります。だから、汗をかいて蒸発しているうちはものすごく温度が下がります。赤外線のカメラで撮るとよくわかるんですけれども、うまく汗かける人というのはすごく温度が下がるんです。汗はかくんだけれども、玉の汗でぽたぽた落ちるような人は、温度が下がらないんです。玉というのは水滴で、ほとんど球みたいなものです。球は表面積が小さいから蒸発しにくい。うまい汗をかける人はじわーっと出て、表面積が大きいからどんどん蒸発する。蒸発するからますます温度が下がる。生理学の分野での実験ですが、冷房しすぎると、汗をうまくかけなくなる方がかなりたくさんいらっしゃるんです。そういうことを考えると、冷房もうまく考えてやらないといけない。
★質問 先ほど心地よさの話が出まして、壁とか床の温度がやや高くて、空気の温度がやや低めだとほとんど全ての人が「心地よい」と答えている、とおっしゃいましたが、そのときの「心地よさ」ということに普遍性を持たせることはできるでしょうか?つまり、ある建築を作るときに、絶対これは心地よいんだ、と万人を納得させる方法っていうのはあるんでしょうか。それとも、その心地よさっていうのは単にエクセルギーの数値と対応しているものなのでしょうか?
 二つのことがあると思うんです。一つは心地よさとは何か(暖かさの質)いうことです。例えば一方は空気が温まっていて周りの温度が低くてとにかく強制的に空気を吹き付けて温めている。もう一方のは暖房してるような感じがしないけれど寒くない、といういう感じで、僕は温もりという表現が日本語でぴったりだと思います。それは言葉では説明しきれるものではなく、その人をそういう環境の部屋に連れていって感じてもらうしか方法はないと思います。一番僕が近いと思っているのは、例えば、冬冷え冷えとした部屋で朝布団に包まって、トイレに行きたい。用を足して、もう寒くて一目散に戻ってきて布団中にもぐりこむと、ぬくぬくとしていて暖かくて気持ちよい、あの感じです。
 もう一つは、ほんとに冷え冷えとした部屋で大きな石油ストーブ、あるいはファンのついたヒーターで強制的にがーっと温めてしまう。それが空気を温めてる方の一番極限に近い状態。エネルギーの収支だけをとらえたら、両方同じにすることができますが、僕らが感じる温かさあるいは暖かさはぜんぜん違う。今まではどちらかというと技術者の視点から「熱量の計算でこれだけ減る」とか「電気代がこれだけ安くなる」とか説明してたけれども、今のような体感の質の良さというものをなかなか説明しきれない。それで、あるマンションのディベロッパーが販売センターに体感ルームを設けました。非常に小さな3m角程度の建物を二つ、片方は断熱をしっかりやって、もう一つは従来型の仕様で、冬にその二つの部屋を暖房しておくんですね。それで、お客さんに入ってもらう。それはもう効果てきめんで、だいたい皆さん納得するんです。灯油が何缶減らせます、だとか、電気代がこれだけ減らせます、とか説明するだけでは、「それっぽっちなの?その割に高いよね」とか言われてしまう。だけど、それを作って、営業マンが全員それを体感したら営業の迫力が変わったようです。やっぱり自分が気持ちよいと思ったものをお客さんに勧めたい、そこのところが抜けていたんですね。安かろう悪かろうじゃないですけれども、とにかく坪単価の安いものでとにかく売ればいいということで、やってきたところがあったということを認めざるをえない。これからは住環境を考えるときに、そういうことをまじめに考えなければならない。環境問題とかエネルギー問題という枠組みの中で考えたいんだけれども、灯油缶の数を数えて後は少し我慢する、みたいな話しか思いつかなかったところが、住まいの環境の事を言えるようになって非常に仕事にも自信が持てるようになった、という話です。
★質問 日本はやはり夏の対策が大事なので、夏の方でヒントになるような話はありませんか?
 さっきの温もりの話に関係するんですが、日本語で「涼しい」という言葉がありますよね。その「涼しい」というのと、いわゆる僕らが電車の中でエアコンが効いて涼しい、というのとは違うのではないでしょうか。寺田寅彦が「涼しさ」ということについて随筆を書いていまして、もう今から70年前なんですけれども、すごく面白い。寺田寅彦の定義では、蒸し暑さがないところに「涼しさ」は成り立たない。要するに、例えばコップに氷水が入っていて、これをずっと握ってなさい、と言われると、もう指の先が痛くなってしまいますよね。「涼しさ」とは、そういう安定的な冷たさとは違っていて、変化があってはじめて成り立つ。基本的に蒸し暑くて、だけども風がふわっと吹いてああ気持ちいい、だけどそれが続くんじゃなくてまた暑いのに戻る。その独特のリズムは、南太平洋の高気圧があってすごく湿った空気が南のほうから引きこまれる、という日本列島ならではのもので、世界広しと言えどもなかなかないのではないか。そういう中で感じられることに対して、日本人は「涼しい」という言葉を充てたんじゃないか、というようなことが書いてあります。
 僕はそれに感動して、「涼しさ」の研究というのをやってきました。ある実験で、木が沢山蔽い茂って日がうまくよけられていい風が通るところで、学生のボランティアに2 時間ぐらい座っててもらって、それで「涼しい」と思う風が吹いたときに「涼しい」と言ってもらって、時間を計測するということをやりました。風速と温度をずっと測るんですね。それを統計的に整理して調べてみたらば、なんか16秒というのがすごく大事だ、ということが分かったんです。蒸し暑くて風がふわっと吹くわけですけれども、16秒ぐらいですーっと引いていくんです。どうもだいたいそういうリズムなんです。だけども、それが機械的に16秒コンスタントにこうなったら多分だめなんです。ほんとはそこに乱れがあると思うんです。そこは僕はまだ分かりませんけれども、これはとても面白いことだと思っています。それからもう一つは扇風機。揺らぎのある扇風機と、コンスタントに吹くものがあります。風は一定の風速だといっても乱れがありますから、それを分析すると、人工の風はいろんな周波数がありますけれども、ほとんど同じ強さなんです。本物の外から吹いてくる風、っていうのは大きなうねりがあるんです。扇風機で作ったやつには大きなうねりはないんですよ。ある周波数のところだけやたらと大きくしてるだけなんです。また光の話になりますが、この蛍光灯、白い光ですけれども、本物のお日様の光だとやっぱり違うということ分かりますよね。可視光の間の可視域の間の中で、ものすごく波長の強い光があるんです。その形と、風の周波数の分布は、もちろん形も種類も違うものなんですけれども、ぴょこっと出ていることに関しては同じなんですね。
 もう一つ面白いのは、僕はこんなことをやってるもんだから強い冷房はやっぱりよくないだろう、ということで、やっぱり汗がちゃんとかけて、ちゃんと風が吹くとかそういう空間がいい。だけどもう耐えられないよ、という日がありますよね。そうすると、何か冷たいものが欲しい。で、僕らのところの学生が大きなパネルを作って、銅のパイプを買ってきて並べてそこに銅版をつなげて、雨水をそこに通した。僕らのキャンパスの建物は下に雨水を溜めるタンクがあるんですけれども、今ごろ(7月)ですと、その中の水の温度がだいたい23℃か24℃です。エアコン装置から出てくるのがだいたい15℃とか16℃とかそのぐらい、氷水なんかは0℃なのにしてみたら、ものすごく弱い冷たさですが、それを通して冷房の替わりになるかどうかをやりました。この部屋の3分の1ぐらいの部屋を二つ用意して、片方はその装置をつけて、もう片方は普通のエアコンかただ通風するかにします。それで、普段エアコンづけになってる学生達と、エアコンつけると冷房病になって体がだるくなって嫌だからなるべくつけないという学生達と、2グループ参加してもらって、2時間部屋に入ってもらって、モルモットの実験と同じでずっとビデオで撮らせてもらって、何をするか撮影した。その部屋では何をしてもいい、お茶を飲んでもいいし窓開けてもいいし扇いでもいい。ものすごく印象的だったのは、僕らの自作のパネルは確かに温度は下がるんですよ。だけどもいわゆ
るエアコンが効いているというのとは全然違う。普段エアコンづけになってる人はその部屋に入ると2時間イライライライラする。冷えない。それだったら、温度の低いところに移ったり窓開けたりすればいいのに、イライラするだけで、何にもしない。普段エアコンでなくて、通風とかで過ごしてる人は、ちゃんと温度の低いところに行って何かやってる。よくハツカネズミに実験であまり変な薬を与えすぎちゃうとおかしくなるのと同じで、印象的でした。だから、そういう話、行動に違いが現れる、という話と、それから汗のかき方が変ってくる、という話と全部つなげて整理してみると、どういうふうな「涼しい」空間を、どうやって作ったらいいか、という答えがたぶん見えてくるんです。
●やかんの例で
 熱力学の応用を勉強すると、流れと循環ということがいろんなものを作ってるということで非常に大事だということが分かってきました。よく持続可能な開発、とか持続可能な社会を目指して、とか言いますけれども、どうやったら持続可能でどうやったら持続不可能なのか、意外とわかっていない。
 これやかんでガスコンロです(9右下)。水が入っていて、火をつけるとお湯が沸くわけです。お湯を沸かす前に蓋がカタカタいわないように押さえつけておく。それから、口のところも小さめに加工してすぼまるようにする。それで沸騰すると、蒸気ができて熱くなる。そこで羽根車を置いておくと、回ります(10左上)。台所でこういう状況を作ったということを皆さん想像してください。これをずっと続けるとどうなるでしょうか。ガスコンロがあって、ガスボンベなり都市ガスにつながっている。都市ガスがもし枯渇して火が止まったら水蒸気はできなくなりますから、それは持続可能ではなくなります。それは一応ない、と今は考えます。水がどんどんどんどん出るから、水位は下がり、最後は空焚きになってしまいます。空焚きになったら、いくら資源があってももう回らない。今、ガスは豊富にあるという条件の下にこれを持続可能なシステムにしていこうということを考えたいわけです。水を持ってきてここに流せばこれはたぶん回り続けるはずです。でも、スパゲッティーやおそばをゆでていて吹きこぼれそうになった時に、ちょっと水差しをするとさっとアクが引いてしまいます。それと同じで、これも水ちょっと差したらあっと言う間に水蒸気のパワーがなってだめなんです。だからそれでも水蒸気が勢いよく出続けるようにするためにはものすごい火力にしないといけない。それは資源の浪費だから、そんなことはしたくない。
 すると出た水蒸気に目をつけなければいけない。これをなんとかして回収するために、囲いをつけましょう(10右上)。今この材料は問いません。また同じように最初からスタートすることを考えると、先ほどの場合とこちらの場合とどちらが長く続くかというと、先ほどの方が長く続きます。なぜなら、先ほどのは覆いがなかった分、ほとんど無限と言っていいほどの空間に水蒸気が拡散していけたわけです。今度は有限の空間ですから、ここの圧力とここの圧力が同じになったらもう回りません。回収するというアイディアはいいんですけれどもむしろ長くは続かない状態になってしまう。それで、洗面器と冷たい水を用意して、冷やすんです(10左下)。水蒸気というのは液体の水、例えば1cc、1cmラ1cmそれが水蒸気になるとだいたい1600倍とか1700倍の体積になります。そういうものがここにあります。だから、それが液体の水に戻るということは、縮んでいるから1700倍空間を大きくしたのと同じです。
 しかし、これもまた持続不可能なんです。どうしてかと言うと、沸騰して羽根車をまわしてまた液体に戻った使い古しの水が残ってしまう。水を戻したいわけです。で、ここ(A)に穴を空けてここ(B)に戻す(10右下)。だけど、ただ穴を空けただけだと、どういうことになるかと言うと、ここは圧力高いですから、穴を空けたらこの水はこっちに逆流します。だから逆流しないような仕掛けを作ってあげればいいんです。こっちの水をこの圧力に負けないだけのパワーを持っているポンプでここに戻してあげる。そうすると水は循環します。これが循環の仕組みなんです。流れと循環と言いましたけれども、流れと言うのは資源からの流れ、それがぐるっと回ってここで捨てているという流れです。そういう流れの中にこういう循環ができるということです。
 それで、このポンプの動力はどうするのか?当然疑問に思いますよね。そうしたら、採れた動力の一部をこっちのほうで動かす。もし、この採れる動力が100 だとしてこれを動かすのにやっぱり100いるとしたら、見てて楽しいですけれども、全然役にたたない。例えば東京電力などの本物の発電所というのはどういうふうになっているかと言うと、100 取れてだいたいこういうところに使うのが5ぐらいです。発電所の中の照明とか換気装置などを全部合わせると5ぐらい。それで、冷やす部分は海です。それでここは原子力発電所だったら原子炉、天然ガスの発電所だったらそれはボイラーです。これはタービンです。
 どんな発電所でも、原子力、火力であれば、基本的な原理はこれです。
●冷やさないと循環が成り立たない
 なんで僕はこんな絵を書いたか。発電システムの複雑な絵は結構世の中にたくさん出まわっていて、電力関係の会社のパンフレットにいくらでも出てるし、或いは工学の本にもよくそういうものが書いてある。だけど、よくわからないんです。それで、学生時代か学生を終えた頃、僕が一番最初に思った疑問は、だいたい海の水なんかで冷やすための複水器というのが書いてあるんですが、「せっかくボイラーで温度を高くしているのに捨てたらもったいないじゃないか。それをそのまま動力にしたらいいじゃないか」、ということでした。その絵を見ただけでは原理がわからないからそう思ったんです。それで、要するにボイラーはやかんのお化けみたいなものだから、自分で絵を書いて原理を考えていくと、最後にこういう絵に行きついた。こうやってみてやっと、冷やさなきゃだめだ、ということがよくわかりました。
 熱機関というものは必ず冷やすということがあって成り立ってる、というのが根本原理。それで、ポンプがあって循環する。だから流れ、資源性がある熱源があって、それから作用(羽根車を動かす作業など)する物質を閉じ込めて、その一方で片方のところを常に冷やす。資源性と僕らが言うときつい燃料のことだけを考えてしまいますが、冷やすということがないとだめなんです。僕が熱力学を勉強して一番気づかされたのはこの冷やさなければシステムは成り立たないということです。
●自然のエネルギーとリズムを環境に取り込む
 こういうイメージを持っていろんなものを見ると、例えば大気中で雨が降る話も結局このガスコンロに相当しているのがお日様の光で、海水とか地面とか川が熱せられて、それで蒸気になるんです。それで上空で雲ができる。いろんな気象学的な活動が生まれるのはそのおかげで、風が吹くのもまさにこの原理なんです。例えば、さっき夏に通風することが大事と言いましたが、大気の中でこういうことが起きていて、その動力の一部を、僕らは部屋の中の空気を外へ捨てるために使う、というふうに思えばいいわけです。そうすると僕らがやっている建物の環境を作るのに、なるべく身近なエクセルギーを使ってやろうとするのは、ローテクはローテクなんですけれども、ハイテクより劣る…なんてことではない。今は自信を持って、こういう枠組みの中で考えている、だから、環境に対していいんだ、という話ができます。こういう枠組みで考えるということを大事にしたいなと思います。
 夏の話で16秒のリズムという話をしましたけれども、人間の体の中にいろんなリズムがあって、外にもいろんなリズムがある、お日様が東から昇って南に行って西に沈むというのを毎日毎日繰り返すわけです。外気温も毎日毎日変動する。今までの暖房とか冷房とか、あるいは電灯照明の技術というのはとにかく一定にする、ということをほとんど唯一の目標にしてきた。例えば照明ならばどこでも明るくする。どこでも同じ照度。そういうパワーを僕らは持ってるんです。ただ、どうもそれがおかしなことになってるんです。で、人間のために照明も、暖房も、冷房もやるとすれば本当はどういうところを目指さなければならないのか、ということを考えると、どうも自然の中にはいろんなリズムがあって、それとうまく調和するような環境を作ることが大事なんだろうと思うようになりました。
●人体のリズム
 まず、照明に関係することです。今から50年ぐらい前にクライトマンという人が赤ちゃんの起きてる時間と寝てる時間を丹念に記録した観察結果です(11右上)。横軸は1日24時間です。生後11日目がここのところです。黒い線は寝てる時間、白く抜けているところは起きている時間です。点はおっぱいを飲んでいる時間です。で、線が7本になるところで1 週間です。生後182日目までを示したものです。
 最初の14週目ぐらいまでと残りで模様が違います。まず、後半の方を見ると大きなうねりがある。夜寝ていて、6時8時に起きて、昼間は起きていて、夜8時とか10時に寝ている、いわゆる大人の生活パターンです。じゃあ前半はでたらめか、というと、完全なでたらめじゃない。縞が見える、ということはそれなりのリズムを持っているということです。それで、次のようなことを調べてみました。横浜の港の満潮と干潮の時間(1993年の7月分。理科年表を参照)をプロットしたデータです(11左下)。これで1ヶ月です。1日24時間で、Fallというのは干潮、Rise というのは満潮で満潮と干潮と、1 日2 回ずつあります。それは月の動きとの関係で決まります。我々の使っている時計というのは基本的に太陽の動きに合わせて作ってますから、月に合わせると一日が24.8時間になってしまう。ですから、ずれてくるんです。それで、ちょうど4週分ぐらいを縮めてみます(11右下)。そうすると、微妙な違いはあるものの、この辺を特に見ると、傾きがほとんど同じです。ということは、赤ちゃんはお母さんのお腹の中にいるときはまずは潮の満ち干きと同じリズム(サーカディアンリズム)を作っていって、おぎゃあと生まれたらば、お日様の光を浴びてだんだんこれだけの日数を経て、これだけのリズムを作っていく、ということです。
 そうすると、窓際で照明するのはバカな話だと言いましたけれども、窓はなんのためにあるのか、ということがものすごくよくわかりますね。蛍光灯を昼間でもつけているということは、せっかく作っているリズムを狂わせている可能性大です。それで、睡眠の関係のことだとか、あるいは光をどのくらい浴びているかということは躁鬱病とかいったことに関係するだとかを研究してるお医者さんのグループの人達の本を見ると、やっぱり、都会であまりにも蛍光灯が変化なくいつでもつきっぱなしになっているということは体の中の時計を狂わせている可能性大だ、という話がありました。光療法という、ものすごく強い光をある一定期間浴びせる治療法があるんですけれども、あれは強い光をコンスタントにずっと浴びることがいいことではなくて、変化を与えている、ということです。そういうリズムは基本的にすごく大事だということではないかと思います。
●体温調整
 人の体温というのは、明け方に一番低くて、夕方4時から6時に高くなります。それで、体温は37℃で一定、と僕らはすぐに言ってしまいますけれども、37℃にだいたいなっている、というだけの話で、微妙に変化するんです。その微妙な変化というのはだれにでも起きている。でも、どうしてそうなるのかというのは分からない。実験的に証明できることはでない。生物の進化38億年で、最初のほうの生物は単細胞生物からスタートして、それが多細胞生物になっても最初のころは非常に単純で神経系などはほとんど発達していません。それで、自分の体の温度はまったく環境の温度の変化と同じように変化していた。それが爬虫類まで続くわけです。我々の体の周りにいる爬虫類、ハエなど見るとよく分かります。夏のハエは飛ぶの速いです。それは温度が高いからです。秋口になってちょっと温度が低くなったらハエを捕るの簡単です。で、あれは体温が下がっているから活動がしにくい。エクセルギーの話で言えば、エクセルギーの消費がしにくくなってるわけです。だから、逃げ切れなくて、殺されてしまうわけです(12 左上)。
 ほ乳類になって神経系が発達して、自分の体の中の温度を一定にすることができるようになって、常に俊敏に動けるようになったということがあって、体温が周りの環境の温度と離れるようになった。だけどそれでも、完全な一定ではない。何十億年という歴史の中でそれを構築してきましたから、微妙にはなったがそういう変化というのはやっぱりある、ということだと思います。今我々人間は、僕らが得た技術のエアコンでとにかく部屋の中の温度を一定にしようとしている。けれども、そうしちゃったらば体温のほうが狂う、ということが実は出ています。これは、冷房をよく使う人とそうでない人の2種類の人に、体温計を渡して、9月の終わりから10月にかけて体温を測ってもらったものを平均して出したものです(12右上)。通風で過ごす人のほうが冷房をよく使う人よりも低いんです。わずか0.5℃ですから、もちろん自分では気が付きません。これはだいたい8人ずつぐらいのデータなので一般にこうだ、と断言できるほどのデータを集めたわけではないのですが、冷房しているということは多少影響があったかな、と思われます。ただ、お医者さんのグループで、生理のことで特に汗のことの研究をされている方が言われていることと、この結果が符合するんです。
 先週の土曜日、NHKが子供向けに理科の話をやってる番組で、中村桂子先生とか養老孟司先生とかが時々コメントに立ってるんですけれども、そこで「汗」の話がでてきたんです。改めてそこで確認したんですけれども、夏バテをする人とか、あるいは冷房づけになる人というのは結局うまく汗がかけない。それがどんな現象になって現れるかというと、例えば地下鉄の駅を降りて炎天下歩いてくる。本当は暑い時にさーっと汗が出て、さーっと蒸発してくれればいいんですけれども、ところがレスポンスが遅いんで汗が出ない。汗が出なくて皮膚の表面温度が上がってしまうんです。皮膚の表面温度というか、脂肪とか筋肉とかが上がってしまう。さすがにそうなってくると脳の方がここは危ないから汗を出せ、と反応する。そのときはもう建物の中に入っているんですが、脳の中枢はすぐには分かりませんから汗を出し続けるんですね。だけど、もうそのときは涼しいところに入ってますから、出た汗は全部冷えきってびちゃびちゃになってしまう。そういうことを繰り返すことになるんだそうです。汗腺から皮膚の表面までには細胞が重なり合って、汗の水が出てくるような道があるわけですけれども、夏バテをするとその細胞が非常に衰えて、塩分が汗と一緒に出てしまう。うまい汗をかく人っていうのは本当に水っぽい汗をかくんです。塩分が汗腺から出るけどそれを回収するんです。それは循環です。その循環のメカニズムが壊れていると、塩分が出て、疲労とか、あるいはだるさだとか、健康を害するということの大きな原因になる。ナトリウムとかカリウムっていうのは細胞にとって決定的に大事ですから。今言ったことはミクロのレベルなんですが、エアコンという技術が、体の中にある循環のメカニズムあるいは流れの道を壊してくことです。だからやはり体の循環を上手く回復できるように、体の外も作らなければならない。しかも、その外側にある大きな大気の循環の中にある水の循環とかそういったものとうまくかみ合うようにして、建築環境の空間を作ってやることが大切です。
 そういう目で先ほどのサーカディアンリズムとか、太陽のリズムとかを見てみると、体の中にも周りにもいろんなリズムがある、ということに気付く(12 左下)。我々は呼吸しているし心拍もある。当たり前なんだけれども、改めて、やっぱり改めてそういうことを大事にした技術を作らなければならないと思います。
●人体から建築を考える
 私たちの身体は、受精卵1個から始まって海老みたいなかっこうになって赤ちゃんになり大人になる(13左上)。僕らの体は大きく分けると動物性器官と植物性器官とに分けて考えることができる。動物性器官というのは何かというと、干物です。魚を釣って、まな板に乗せてお腹をさくと、はらわたが出てきます。それで、背中のところに包丁入れて開いて、それで天火で干したのが干物です。それが全部動物性器官なんです。はらわたは植物性器官です。栄養を取り込んで生殖をするのは植物動物共通です。それで、どういうふうにできてくるかというと、受精卵がずーっと細胞分裂を繰り返して、あるところで穴が空いてそれがずーっと進行してここで貫いて穴があいてるんです(13右上)。この穴が僕らの口です。ここが肛門です。この外側というのは最後は脳と皮膚です。内側はいわゆる内臓ですよね。この間の一部は心臓になったり腎臓になったり、それから骨と筋肉です。これを合わせたのが動物器官。こっち側は植物と共通の器官。こういう成り立ちになっているということを考えると、実は神経とか筋肉はもともとは動物特有のものなんだけれど、自律神経があります。心臓は「心臓を止めてください」と言っても止まらない、勝手に動くものです。それは、脳の一番中枢のところから張り出した神経が心臓にちゃんとうまく張り出してコントロールしたり、自律的に筋肉が動くことによって心臓が動くことがあるからです。
 僕らが考えているこの建築の環境というのは、あまりにもアクティブに依存している。人間の体を見れば動物性器官に頼りすぎている、ということです。人間の体と比較してみると、もうすこしパッシブとアクティブを上手くつなげていかなければならない、ということがたぶんあるんだろうと考えています(13 左下)。
●住まい方の教育も必要
 僕らの研究室ではここ数年、人の体の成り立ちとエクセルギーの話と関連して、照明などをなるべく昼間は窓から入ってくる光を利用しようと話しています。普段どういうところで生活しているかによって、好きな明るさ、好きな温度は違うんです。工学方面の照明のデザイン、或いは暖房のデザインになると、部屋の中は20℃が暖房設定温度、照度だったら500Luxにしましょう、となる。だけど同じ500Lux だってどういうところで暮らしてるかによってぜんぜん違います。明るさの話とか暖かさ、涼しさというのは一定のものが与えられて決まるのではありません。それぞれの人がそれぞれの感覚器官で感じて、脳で反応して知覚しつつ、言葉に置換えるということをやって、それで例えば「暑い」と思ったらエアコンのスイッチを、ある人は押すし、ある人は「暑い」と思えば窓を空けるとかすだれをかけるだとか、そういう行動に現れます。日々の生活がこのようなサイクルになっていて、ある行動パターンを作るわけです(13右下)。
 パブロフの犬という話あります。ベルが鳴るのとえさを与えるということを重ね合わせてずっと訓練していると、ベルだけ鳴ってもよだれがでる。それと同じだと思うんです。エアコンを使う話も照明も暖房も。僕らはみんなパブロフの犬なんです。我々がこういう仕事をやってきて、例えばエコロジー住宅とか、自然を大切にした家を設計したり、そういうのをファサードとして作りますよね。それで非常に困った例が幾つかります。今大きなゼネコンとか設計事務所なんかでも、やっぱりそういうことをすごく大事に考えている人が昔に比べてすごく増えて、そういうことを提案するわけです。それで施主にもそういうことを提案するともちろん喜んでくれるわけです。だけれども、その施主の人達は、それまでどういう生活をしてきたかといったらば、蛍光灯は昼間からつけっ放し、昼間からカーテンは閉めてるし、冷房はぎんぎんに効いているところで生活しています。それで、環境共生型の建築を設計してそこに移ってみて「とてもじゃないけど住めない」ということを言うのです。一度そうなると、「エコロジー建築なんて話にならない」ということが深く認識されてしまう。
 僕らは「自動車学校」が必要だって言ってるんですけれども、そういう施主にはまずアンケートをします。街のお医者さんでカルテ作るようなものです。あなたはこれまでこういう生活をしてきて、こうこうこういう感覚を持ってるから、是非「自動車学校」に行ってください。で、27時間講習を受けて、仮免を受けてそれにパスしたならばこの建物に住んでもいいですよ、というような理屈で教育をやっていかないとだめなのではないかと思います。技術と人の住まい方とか行動が今まで切り離されてきて、「環境問題とエネルギー問題が大変なことになったから、技術で対応して、代わりのものを作っちゃおう」というのでは、人のことをまだ忘れているんですね。その人をそこに同じように入れたらうまくいくと思っちゃうんですけれども、実はそういうふうになってないんです。時間がかかりますけれども、住環境の教育とか、あるいは、どういう風なまちづくりをしていきたいのか、ということを住まい手も一緒になって作っていく、ということも、急がば回れで、一番早くてしっかりした環境技術や住まい方を作っていくでしょう。その辺のことも大事だと思ってて、そんなことも少し視野に入れて、住環境教育の方法などについても研究し始めています。■
●司会者より締めの言葉(上田)
 ありがとうございました。非常に広がりのある話で、今までの工学とか科学が取りこぼしてきたところ、それからまだ入りこめてないところを、チャレンジしていこうという非常に希望の持てる研究だ、と感じました。私達の日常と繋がっているので、私達の方からも、「あ、そう言えばやっぱり変だよね」とか、体の感覚と家の作りがマッチしてなかったんだろうな、っていうそういう印象を持ったと思うんです。ですから皆さんの方からどんどん自分の思いなり感じ方なりを出していただいて、それを科学の目で見直した時に、どんなふうに見えるかということを、一緒にやっていくことで進んでいく学問、研究じゃないかなという気がします。■
[解説] エクセルギーの考え方と用途
小林一朗
 電気エネルギーを利用して動力を得る場合、「仕事」を通じて電気エネルギーは熱に変換され、最終的には環境中に拡散する。エネルギー保存則(熱力学の第一法則)に従い、消費前後の総量は増えも減りもしない。しかし、拡散してしまえば実用上の意味は既に失われている。つまり通常使っている「消費」の本当の意味は、「量の消費」ではなく「実用性の消費」なのである。
 「実用性」は保存されないのだ。エクセルギーとは、実用上の観点で測ったエネルギー(有効エネルギー)のことなのである。いま、50℃の水1kg と80℃の水1kg があるとする。熱量で測ると両者の差はちょうど2倍だ。算出方法についてここでは触れないが(環境の温度を20℃とし)エクセルギーで測ると両者の差は4倍となる。50℃の水も80℃の水も、周囲の環境に仕事をすることと引き換えに熱エクセルギーを失い、最終的には環境と同じ温度にまで低下する。環境温度と同じ温度になれば、もはや元の水は環境に対して仕事をすることができない。このとき、熱エクセルギーはゼロとなる。エネルギーで表すならば、環境の温度もエネルギーを持っているが、エクセルギーでは環境の温度が基準(ゼロ点)になる。
電気はエクセルギーが大きい
 電気による暖房、特に電気ストーブについて「もったいない」と指摘されたことはないだろうか?電気エネルギーは(環境中へのロスも含め)100%熱に変換できるが、熱から電気を得るためには、発電タービンなどを回転させ、いったん動力(運動エネルギー)を経なければならない。このプロセスにおいて、多大なるロスが生じる。エネルギーの量としては等価であっても、なせる仕事の質は異なるのである。
 次に、電気→熱への変換をエクセルギーで計算してみよう。
例題)熱効率80%の電気湯沸器で15℃の水1kgを100℃に昇温した際のエクセルギー効率を求める。
15℃の水1kgを100℃にまで上げるために必要なエネルギーは
85kcal = 356kJ (※ 1g の水を1℃上げるときに必要なエネルギーが1cal)
熱効率が80% なので、投入するエネルギーの総量は、 
356kJ / 0.80 = 445kJ となる。
環境温度15℃、物体温度100℃のときのエネルギーとエクセルギーの相関係数(有効比)が経験的に得られており、その値が0.124 なので、上で求めた熱量に有効比をかけた値が、ここで求めるエクセルギーとなる。
0.124 × 445kJ = 44kJ ←これが求めるエクセルギー値
エクセルギー効率は
44kJ / 445kJ ≒ 0.1 = 10%  となる。
 電気湯沸器の熱(エネルギー)効率が80%だとしても、エクセルギー効率で評価するとわずか10%になってしまう!このことは、電気を熱として利用すると、電気がもっている「エネルギーとしての質」を効率的に利用していないことを意味している。熱エネルギーは、エクセルギーに変換する際の相関値がことのほか低い(上の例では0.124)。ところが、電気エクセルギーや運動エクセルギーでは、通常のエネルギー値をそのままエクセルギー値として計算することができる。電子機器や機械の動力にこそ電気をつかうべきで、使いやすい(制御しやすい)からといって安易に熱に変換すべきではない。資源がありあまっているのであれば湯水のように浪費してもよいのかも知れないが、あいにく私たちが使える資源には限りがある。また、資源を使った結果の汚染も考えなければならない。熱源としては、なるべく捨てられているエクセルギー(排熱)を利用することが無駄を減らすことにつながる。
エクセルギーの考え方を活かす
 持続可能なエネルギー利用を検討する際、エクセルギーの考え方は役に立つ。コージェネレーション(熱電併給)も「エネルギー総合効率」で評価するのではなく、「エクセルギー総合効率」で評価されるべきだろう。熱は排熱として得られるので、なるべくなら熱供給のみを目的に資源を消費すべきではない。自然エネルギー利用を考える際にもエクセルギーの観点は役に立つだろう。自然エネルギーとは、環境中に部分的に生じた不均衡な状態が、均衡に移る際に取り出せる仕事を利用するものである。エクセルギーで評価すれば、発電ばかりを重視すると無駄が増える(エクセルギーを余計に失う)ことがより鮮明になる。有限のエネルギーを有効に使うためには、人間社会に必要な仕事を、最も効率的にエネルギー源から取り出す方法を検討しなければならない。風や水の流れなどの自然エネルギーを直接動力として利用できる場合には、わざわざ発電プロセスを介さずに動力として利用すべきなのだ(ただし、電気を使う場合に比べ、制御性能は当然落ちる)。高純度なエネルギーが潤沢に供給されることを前提に成立している現代の社会のあり方を見直し、環境中に存在している、少し質の低いエネルギーを有効に利用できるように方針を変えていくべきだろう。また、いったん破壊された環境を修復する際に必要なエネルギーを算出する際にも、エネルギーではなくエクセルギーで量った方が現実に見合うだろう。
 今後、本格的に資源の利用のあり方を問い直す際、エクセルギーの観点は欠かせないものとなる。こうした研究が一層進むことが切に待たれる。■
【参考図書】
『”エクセルギー”のすすめ』 押田勇雄 講談社ブルーバックス
エクセルギーをもっと理解するために役立つサイト
省エネルギーセンター 熱管理Q&A
http://www.eccj.or.jp/he_qa/heat/index.html

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です