ナノテクのリスクとは何か?

投稿者: | 2004年12月5日

藤田康元
pdf版はnano_001.pdf
ナノテクのリスクとは何か?
 ナノテクノロジーについて知っている人はどのくらいいるであろう。日本では最近、化粧品をはじめ様々な商品が”ナノテク”を宣伝文句にしているので、言葉だけなら聞いたことのある人は多いかもしれない。しかし、ナノテクノロジーとは何かを答えられる人は少ないに違いない。
 「ナノ」という言葉は科学の世界では10のマイナス9乗という極めて小さい数値を表す際に用いられる。非常に簡単に言えば、ナノテクノロジーは1~100ナノメートルスケールでの物質の微細加工技術・操作技術を幅広く指す言葉である。このサイズは原子が数十個集まってできる分子のサイズに相当し、それ以上大きな物質の世界では見られない新奇な性質を呈する。この性質をうまく利用して様々な新技術の応用に結びつける努力が、現在、世界の多くの国々で政策として進められており、日米欧はそれぞれ1000億円程度の予算を当てている。研究開発の速度は速く、今後数十年の間に次々と新技術が実現してゆくとされている。ナノテクリスクを問題にする前提にはまずこの現状がある。
 では、ナノテクリスクとして何があるのか。現在この問題を考える上で目を通すべき文献の一つはイギリスの王立協会および王立工学アカデミーが今年7月末に発表した報告書『ナノサイエンスとナノテクノロジーズ̶̶機会と不確実性』(以下「報告書」)であろう5。「報告書」は政府からの委託で行われた調査の結果で、様々な研究分野の現状、産業への応用の可能性、人体・環境への影響、社会的・倫理的問題、社会的対話のあり方、規制のあり方といった、ナノテクノロジーの研究開発実用を今後進めて行く上で踏まえておくべき重要な論点をかなり網羅的かつコンパクトにまとめたものである。
 人体・環境への影響に関して主に問題とされているのは、すでに商品化が進んでいるナノ粒子・ナノチューブが有害となる可能性である。ナノメートルスケールの世界では、物質自体というより粒子のサイズや表面の状態等に依存して反応が劇的に変わりうる。しかしその人体への影響となるとまだよくわかっていない。また繊維状のナノチューブは、生産現場などでもし労働者が大量に吸引するようなことがあれば肺の組織に達して傷つける可能性も考えられる。だがこれも現在は研究が不十分で、断定的なことは言えないのが現状である。「報告書」は、ナノ材料の発達の速度に遅れずにその事前の安全性についての研究が行われなければいけないとしている。ナノテクは、それ自体というより情報技術やバイオテクノロジーと結びついて広範な領域で応用が期待されているゆえ、その応用ごとに社会的問題が生じうる。「報告書」が社会的・倫理的問題として挙げているのは、新たに経済的勝者と敗者の格差を生む可能性(ナノデバイド)、小さなセンサーの発達による監視社会化、身体増強技術の発達による障害者差別の増長といったことである。また軍事利用に伴う問題も無視できない。新たな兵器競争の可能性や既存の兵器管理の枠組みの無効化の可能性が、すでに懸念されている。ナノテクは民生技術を基礎にして大きな施設や希少な原料を必要としないので、軍事技術となれば兵器拡散を防ぐのが困難だろうというのである。「報告書」はナノテクノロジーの発達のためには社会的対話も重要だと指摘している。構築的テクノロジーアセスメント、シナリオ分析、市民陪審などなど、対話のためのアプローチが具体的にいくつか挙げられており、政府がそれらに適切に資金提供することを提言している。ここには、遺伝子組み換え作物を少なからぬ市民が拒否したように、現代では市民の態度が技術発達の方向を左右する大きな要因になっていることへの認識がある。多額の資金を注いで新技術を実現しても、それを結果的に社会が受け入れないのであれば失敗である。その失敗の可能性も事前に踏まえておくべき「リスク」の一つであろう。
 「報告書」に即してナノテクリスクとは何かをごく簡単に述べたが、最後に「リスク」という言葉について注意しておきたい。この言葉の使用には少なくとも二つの立場からの批判が考えられるからである。ひとつは、市民がリスクを問題にするのは、微小なリスクでもベネフィットとの比較考量抜きで全てに反対するためだという批判(というより誤解)である。他方はどちらかといえば逆方向からのもので、リスクという言葉を使うと拒否すべきものも拒否できず、受け入れ管理するという議論の枠組みに取り込まれてしまうという批判だ。後者はもともとアメリカの技術哲学者ラングドン・ウィナーが論文「タール人形につかまらないために」で示した重要な洞察ではある6。しかし、ナノテクノロジーは特定の技術を指すのではなく幅広い応用の可能性に開かれたものだ。それゆえどちらにしても私たちは、あるリスクの有無だけでナノテク全体に反対することは現実としてありえない。むしろ実現を積極的に望む応用も出てくるであろう。と同時に、良い面ばかりが宣伝されている現状では、別の面を「リスク」として問題化することに大きな意義があるとも考えているのである。
 結論として、発達が目覚しいが不確実性も多いナノテクノロジーの動向に注意を向け、科学的・社会的・倫理的な視点を踏まえて冷静に検討するのがナノテクリスクプロジェクトの活動目的であり、この点では「報告書」を書いたイギリスの科学者らとさほど大きな差異はない。次回以降は、より各論的にナノテクリスクに関わる情報・議論を提示してゆく予定である。
5 Nanoscience and Nanotechnologies: opportunities and uncertainties, http://www.nanotec.org.uk/finalReport.htm。ナノテクノロジーズと複数形になっていることに注意。また当プロジェクトのメンバーで現在この報告書の日本語訳を作成中である。
6 ラングドン・ウィナー著/吉岡斉・若松征男訳『鯨と原子炉』(紀伊國屋書店、2000年)所収。
(どよう便り 82号 2004年12月)

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