三州足助屋敷訪問記

投稿者: | 2001年6月10日

小林一朗

pdf→doyou_ecology200106.pdf

5月12日、愛知県の足助町にある三州屋敷を土曜講座メンバーで訪れた。5月の研究発表「伝統技術と近代技術を比較する」(小林担当)で、漆と化学塗料を多角的に比較するという内容を発表するため事前に手作りの物に触れ、印象を強めておきたかったからだ。後から振り返れば研究発表のために足助に行ったのか、おまけとして研究発表があったのか当の本人も分からないが、訪問したみんなの顔が楽しげだったのでまあどっちでもよい。

さて、屋敷だが、ここは山里の暮らしを今に残す観光施設だ。観光とは言っても日常で使う民具を作る光景を展示しているので、一昔前ならば日本のどこでもごく当たり前の光景が観光施設になっているに過ぎない。なのに年間の訪問者は平成7年の18万人をピークに12~13万人と、客足は好調だ。特に秋の紅葉の季節には名所”香嵐渓”が赤や黄に染まった景色を目当てに多くの観光客が訪れている。繰り返し訪れる者も多い。私もそのひとりだが。何がここ三州屋敷の人を魅きつけるのだろう?

屋敷についてみると面談を約束していた館長がいない。日程を勘違いしていたらしい。連絡がつかずなかなか帰ってこない。ちょっと困ったがお陰でじっくりと屋敷内を見ることができた。屋敷内には10種類の民具をそれぞれの職人が目の前で作っている。藁細工、鍛冶屋、桶屋、炭焼き屋、などなど。これらをすべて見るには少し余計に時間があった方がよい。ここの職人はただ作る光景を見せるだけでなくいろいろと物作りの話をしてくれるので、話が盛り上がると時間がすぐなくなってしまう。実は、この話をするということがとても大切だ。見るだけではその民具が材料をどこから取り、どのくらいの時間をかけて、そしてどんな思いで作られているのかまでは分からない。だが、職人と話をしていると最初は「ちょっと高いかな?」と感じていた民具をいつの間にか手に持って会計をしてしまう。物を大切にするためには履歴を知ることが大切なのだなぁと痛感する。丹念に手作りをすれば数をたくさん作ることはできない。一般的な一日辺りの収入から逆算すれば、一日に作れる数から自ずと価格が決まってくる。本来、物の値段とはそういうものだ。現在一般的な”安い!”値段のあり方が問題なのだろう。

足助の民具は必ずしも工芸的な高い完成度ではない。”そこそこの出来”である。しかしここではその”そこそこの出来”に拘っているとも言える。工芸になることで芸術性は高まるかも知れないが、その分値段が跳ね上がる。一般的にはなかなか使いにくいものになってしまう。民具とはもっと暮らしに根ざしたものだ。要は日常の使用に耐えればそれでよい。しかしそれが故に”市場原理”が強く影響する現在のモノの中では価値がつかなくなってしまっている。私たちがごく当たり前の暮らしをするために必要な物が市場の中で淘汰されてしまっている。地域の知恵を集めた”そこそこの出来”の物を日本のみならず世界が失おうとしている。

足助の民具はそのほとんどが当地で取れた材料を使っている。当地の材料を当地の人間が手を入れて作っている。屋敷内での材料から製品まで作ることを大事にしている。ここで漉いた和紙で傘を作る、周囲の山から伐った木で炭を焼き、その炭で珈琲を煎れる。自生しているお茶を提供し、五平餅の味噌も大豆を当地で作り自分たちで醸造する、など。敷地内にある家屋も地元の木材を使って、地域の茅を葺き、地元の大工によって作られている。地域に技術とお金を残す工夫なのだ。本来、そういった循環が保たれれば不況は存在しないのだ。みんなから必要とされることが仕事になればいい。要らないものは作らなくても十分暮らしは成り立つ。ただし、エネルギーを浪費する暮らしはできないが。

ここでは失われゆく山里の暮らしを現在に残し、技術と知恵をつなぐために観光という形式を選んだ。残念ながら現在の日本では他の方法で山里の暮らしを残すことは不可能だと思う。外からのお金の流入手段がどうしても地域の自立には欠かせない。最近流行っている”エコミュージアム”というのも同じ発想なのだろう。

多くの観光施設が商業主義になってしまう中で、ここではあまり「売ってやろう!」という気概は見られない。それは館長の鈴木さんの次の言葉に現れている。「入場者数が減ってもいいですよ。潰れなければ。」ぼちぼちの暮らしができればそれでいいと考えているようだ。私たちの暮らしはその”ぼちぼち”の感覚を失っているのかな、とふと思う。

かつては町の観光協会と一緒に経営が行われていたが現在では独立し、名目上町の施設ではあるが自主採算で営まれている。面白いことに手仕事にやたら拘るくせにITには非常に積極的で、webを整え、熱心に情報発信を行っている。DVDで職人の技をまとめてもいる。もちろん販売している。見栄えのよい幾つかのパンフレットも職員がコンピュータを駆使してデザインしたものだ。館長は言う、「できるところにはハイテクを入れています。積極的に。情報の部分は特にね。でも手仕事には徹底して拘っていますよ。そこには機械は入れません。拒否ではなく使い分けですね。」観光地として成り立つためには当然事務員がいるが、彼らも積極的に体を動かして働いている。以前訪れた時には館長が椎茸のホダ木に菌を植え付けていた。今回は「この間の椎茸、あれだよ。」と、山に積んだホダ木を指差した。人が生きるために必要な労働にはしっかり手をかける方針なのだ。だから、そのために時間を使えるように「コンピュータは欠かせない。」のだ。

江戸までは”塩の道”として交通の要所だった足助も近代の波が押し寄せる中で生きる術を失っていった。近くにあるトヨタ自動車の工場に町から務める者も多かった。桶屋の川井銀生さんもかつてはクルマを作って働いていたが、三州足助屋敷の開館とともに昔覚えた桶作りの技を生かせる場に帰って来た方だ。心底「技を覚えていてよかった。」と語る。時が経つと「また足助に行きたいなぁ、」という気持ちが湧いてくるのは、そんなぼちぼちとしたゆったりした暮らし、当たり前のモノ作りに触れて、そしてあの五平餅を食べたくなるからかも知れない。

 

 

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