科学技術と社会に関する国際会議報告

投稿者: | 1998年4月10日

藤田康元

3月16日から22日の一週間あまりにわたり、「科学技術と社会に関する国際会議~科学と社会の技術化~」が開かれた。会場は東京、広島、京都の三か所であった。私は17日を除きほぼ全日程、全会場に足を運んだ。
この会議は、科学、技術、社会の関係を考える研究分野であるSTS(科学、技術、社会を表わす英語の頭文字)における日本で初めての国際会議であった。この国際会議の内容、私が参加して得た感想などを報告する。

会議の中味は、いくつかのシンポジウムと個々の研究発表である。全体を通してのテーマは上に示したように「科学と社会の技術化」であった。とはいえ、このテーマそのものが漠然としていることもあり、各シンポ、各研究発表はそれぞれ個別のテーマのもとに行われ、会議は全体として多様なテーマを含んだものであった。例えばジェンダー関係のセッションは、歴史や文化人類学といったアプローチ、生殖や女性科学者といった問題ごとにセッションあるいは研究発表が複数あり、聴衆も多かったのが印象的である。大きなシンポジウムとしては、STS研究の最前線で活躍する各国の研究者によるこの研究分野そのものを対象にしたものの他に、「冷戦と科学技術」(広島会場)そして「遺伝子治療を考える市民の会議からの報告.市民による科学技術評価に向けて.」(京都会場)と題するものがあった。私が直接聴衆として参加できたのは後の二つである。ここで特に感想を述べておきたいのは二つのうち後者についてである。

「市民の会議」とは、ヨーロッパのいくつかの国で定着しているという一般市民による科学技術評価の一方法コンセンサス会議にならったものである。今回はデンマークの方式が採られたという。科学技術に関わる重要な問題に関して、公募された一般市民が専門家の講義を何回か受け、その後その市民参加者自身が主体的討論の後に当の問題に対する一致した見解をまとめ上げ発表するという方式である(コンセンサス会議については、『土曜だより』第一号でも取り上げた『現代思想』1996年5月号所収の若松柾男「素人は科学技術を評価できるか?」に簡単な紹介がある)。今回日本で初めて このコンセンサス会議の試みがなされ、最終報告がSTS国際会議中のシンポジウムのなかで発表されたのである。今回の市民会議の課題は遺伝子治療をいかに評価するかであった。
この試みについての個人的感想を初めに言ってしまうと、積極的な意義を十分に感じられるものではなかった。というのも、企画した人達――会議は遺伝子治療を評価する主体である市民パネラー自身による自発的なものではない。評価する側から一線を画した立場を取る大学や官庁のSTS研究者が企画したものである――の説明を聞いていると、コンセンサス会議における市民による科学技術評価が目指す方向は、一般市民としての代表性を損なうことのない、あるいは偏向のない見解を取りまとめることにあるらしいからである。その結果かどうかしらないが、最終報告には遺伝子治療に対する根本的な疑問や批判などはなかった。一人の市民パネラーだけが最終報告には賛成できないとして、遺伝子治療の問題点を指摘した個人的見解を述べる機会を与えられ、それを最終報告に追記するよう求めていた。

市民パネラーに講義する側の専門家パネラーの一人であった米本昌平氏は、研究者が社会との関わりで果たすべき役割は、コンセンサス会議のような形でコンセンサス作りを行うことではなく、すでに主体的に市民運動を行っている人達を援助することだという主旨のことを述べた。隣席の立岩真也氏もそれに同調していた。私もほぼ同感であるが、さらに言えば、研究者自身が運動の主体であってもよいはずである。研究者に求められるのは研究の質の高さであって、政治的中立性を装うことではなかろう。逆に自らは決して評価する側には決して立たずに他人にばかり評価させるとすればその特権性が問題になるであろう。もちろん企画者の本意は政治的中立性を装うことにも、自らは評価する責任から逃れることにあるのでもないだろう。機会が与えられなければ科学技術について考えたり、ましてや評価をする可能性のない「ど素人」が、すでに特定の見解を持った「専門家」から恣意的な仕方で影響を一方的に受けることなく、自らの見解を作り上げ、できれば政策にも介入できるような制度の構築を目指しているのであろう。

しかしそれにもかかわらず、否それだからこそ疑問を感ずる。つまりSTS研究者が「ど素人」との間に決定的な線を引き、後者に対して「教育者」の役割を演じることにである。ここでいう「教育者」とはもちろん自らの見解を教え込む者という意味ではなく、むしろ、最近流行りの言い方をすれば自己決定能力を人に身に付けさせる者という意味である。そういった「教育者」はまったく必要ないか?と問われて「必要なし!」と言い切る自信は私にもない。しかしSTS研究者はまず自らが行う科学技術評価を政策に反映させる努力をすべきなのではないか。しかも、それは志を同じくする市民(不特定の「一般市民」ではない!)との連帯を通じてなされるべきではないか。

私はこの国際会議に聴衆としてだけでなく、発表者としても参加した。個人的に行っている宇宙開発関係の発表ともう一つは、もちろん、土曜講座セッションでの発表である。土曜講座セッションでは、上田さん、平川さんとともに昨年土曜講座で進めた市民版科学技術基本法プロジェクトの成果を発表した。発表は、藤田、平川、上田の順に行った。私の発表に先立って上田さんが土曜講座という団体、および、市民版科学技術基本法プロジェクトについて説明を行った。私は冒頭で示したタイトルのもとに科学技術基本法成立の背景を話したが、あまり詳しく話す時間的余裕はなかった。私は最後に、土曜講座のような市民運動の課題は、シンプルな生活者として、現在の科学技術の前線配置を転換する主体となることだとした。そして、いかなる社会的ニーズがあるかを市民が勝手に研究者の評価を行うことで示し、研究資金の水路づけに介入することで少しずつ前線配置は進むはずだとした。平川さんは土曜講座版の「科学技術社会基本法」の意義づけについて解説した。その際、三本の柱として・リスク社会という現状認識と、「科学技術と社会の成熟化」への志向 ・「科学技術と社会の結びつき」の認識と「人文社会科学と自然科学・工学との連携」強化・役割主体の見直し(非専門的市民の役割、専門的市民の役割、大学の役割)を挙げた。

最後に上田さんは、現代社会の基本型と未来型を対置させ、後者への移行によって科学技術の総体的変容がもたらされると述べた。基本型とは政府セクターと企業セクターに市民が従属する形態であり、未来型とは市民セクターが政府セクター、企業セクターと並ぶ独立した主体となる形態である。市民セクターの特徴としては、’働きがい”生きがい’志向の互助、共同体、地域志向、’生活の必要’(現場)からの自発的なincentiveで形成される、といった事柄が挙げられた。

聴衆は数十人であったが、後で人から聞いたところではその時間帯としては一番大入りのセッションだったらしい。質問もそれぞれの発表に対して複数出された。いろいろな反省点を含め、得るところは大きかったように思う。また、事前に発表言語は日本語でいこうと決めていたが(会議は英語と日本語を使用言語として認めていた)、聴衆には明らかに日本語を解さぬ人も少なくなかった。そこで当日急遽、日本語の堪能なオーストラリアのモリス・ロー先生に通訳をお願いし、なんとか切り抜けた(平川さんだけはアドリブで英語発表した)。市民の会議のシンポを除けば、上田さんを中心としたアカデミックな学問の枠を越えた私たちのセッションは、国際会議の中でも特異なものだったように思う。他のセッション、発表はアカデミックな研究者によるものがほとんどだったのではないか。逆に言えば、市民活動家などの参加をもっと募るべきだったのではないかとも思う。

今回の会議の中心的主催者の意図は私が見たところ、アカデミックな学問としてのSTSを日本の体制側に宣伝することと、日本の科学技術の水準を海外からの参加者に認知させることにあったようだ。そのゆえか、会議の雰囲気は総じてバブリーな感じで私には居心地の悪いものだった。例えば会場は東京は幕張メッセであったが、どれだけの会場費がかかっていたのであろうか。参加費も全日程参加するには少なくとも3万円以上の登録料が必要であり(学生割引は別にあったが)、聴衆を初めから経済力で制限しているようなものであった。

『土曜だより』に載せるつもりで書いたためか、アカデミックな学問としてのSTSに距離を置くような記述になってしまったが、私自身の大きな利害関心にはもちろん学問としてのSTSへの貢献がある。私が個人で行った発表についてはここでは省略するが、大きな収穫はあった。関心の重なるアメリカの大学院生と知り合いになれた。また、発表に失敗したと思って落ち込んでいた私を励まし内容に関してまでコメントをくれたのは上田さんであった。研究者としてまだまだ未熟な私にとって、それなりの刺激と収穫のある会議であったことは確かである。
1998年4月27日

 

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