6月の研究発表に先立って ――「新ガイドライン」と島田さん

投稿者: | 1998年4月13日

6月の研究発表に先立って ――「新ガイドライン」と島田さん

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6月の土曜講座で「新ガイドライン」についてお話しいただく島田信子さんは、若い日に余儀なくされた「選択なき時代―戦争の惨禍」の体験を無駄にしてはならないと反戦運動に情熱を注いでこられました。柔らかなその雰囲気からは想像も出来ないバイタリティーの持ち主で、議員への要請や集会の開催などに奔走されています。息の長い活動の姿勢は、市民運動の在り方としても見習うべきところが大きいに違いありません。土曜講座でのお話しに先駆けて、島田さんのお書きになったものの中から、自己紹介的な短い文章と、「新ガイドライン」について昨年11月に書かれた文章を紹介します。(Y)

「平和運動の原点」
島田 信子

私は福島県郡山市の軍需工場でB29の爆撃にあい、向かいあって働いていた友人二人と多くの知人たちを一瞬のうちに亡くしました。
辛くも生き残った私を、喜んでくれた周囲からの言葉は、きまって「運がよかったね」でしたが、あの無残な死を「運命」の二文字でかたづけることを拒みつづけてきました。戦争は、不可抗力の天災とは違い、それを企て強行したのは他ならない人間なのですから。
戦後になって振り返った時に、私にとっての戦争責任とは「無知の罪」につきると気づかされ、私を無知に追いやった嘘だらけの報道と、それを強いた、言論統制のための弾圧など、教育をふくめた戦争指導体制の頂点に絶対的存在としてあったのが天皇でした。あの戦争の本質と、その責任をあいまいにする、「一億総懺悔」という言葉を拒んで、「二度とだまされない」が私の原点です。

「憲法の枠内」ってどんな手品? ――新ガイドラインを問う
島田 信子

「7日付新聞報道によると、新ガイドラインを機能させるため、『包括的メカニズム』づくりなどの調整のため、10日ワシントンでのSDC(日米防衛事務レベル協議)参加へ、防衛庁担当官が出発するとの由。これまでガイドライン見直しへの幾多の疑問を、一主権者として質問(外務省・防衛庁)してきましたが、何ひとつ納得出来ないまま、橋本総理大臣の国会発言『ガイドラインは条約でも協定でもない。できることとできないことは日本として決める』との断言のみが残され、その中身についての議論はまったく公表されないまま今日に至っています。『政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないよう』誓った主権者として、総理大臣の発言『憲法の枠内』を一ミリたりともゆずることのなきよう切に要請します。」
これは、1997年11月7日夕刻、個人名で外務大臣と防衛庁長官へ宛てFAX送りしたもの。東京新聞の小さな記事で知ったという連絡を受け、明日から土・日に入るとあって、読み直すいとまもない発信でした。
私たちにとって「危ない」中身ほど、意思表示の余地を与えぬ早さで決めてゆく、油断ならないこの国の政治。しかし、内閣総理大臣が、防衛庁長官が、テレビの画面で「憲法の枠内でやる」と真顔で云い切って見せた以上は、今度こそ二言はなく実行してもらわねば……。とは云うもののこの戦争マニュアルが自ら解体されない限り、枠内におさまるどんな手品があると云うのだろうか。
9月23日、見直し後の新ガイドライン全文発表。項 基本的な前提及び考え方 その「2」は、
「日本は、そのすべての行動を、日本の憲法の制約の範囲内において、専守防衛・非核三原則等の日本の基本的な方針に従って行われる」と断言の表現だが、浅井基文氏による米側本文の訳では、「日本は、そのすべての行動を、日本の憲法の制約の範囲内において、専守防衛政策・非核三原則等の基本的な立場に従って行うであろう」となります。
日本の基本的あり方として、「専守防衛」と「非核三原則」をよくぞ位置づけてくれた、と云おうか。よくも平然と書けましたね、と云うべきか。それとも、記述だけしておけば、批判かわしの防波堤になり得るとでも思っているのでしょうか。

そもそも、日本自身が選択したこの二つの原則を、形骸化させようとしてきたのは誰だったのか。戦勝国の優位性を一人占めする対日単独講和によって、抱き合わせに押しつけられたのが安全保障条約であり、その「落し子」が、他ならない自衛隊の前身の警察予備隊。あるべきはずない「日本再軍備」の幕開けでした。
「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」という、最も誇りある条文が国民の意志ではなく破られたがゆえに、ギリギリの限界線として歯止めをかけたのが「領土・領空・領海内の出動」という縛り。そして集団的自衛権の否認。これが専守防衛です。新ガイドラインが、基本的前提として「専守防衛」と「非核三原則」を本気で掲げているのであれば、その後の項目は成立する余地がなくなるはず。それは項の中の「4」の「指針及びその下で行われる取り組みは、いずれの政府にも、立法上、予算上又は行政上の措置をとることを義務づけるものではない」についても同様です。
こうした「戦争マニュアル」を支えるための予算や有事法制立案をふくむ水面下での準備は速度を増しており、組織対策法の動きなども無縁ではないはずです。市民の日常生活をも左右(民間交通機関や民間施設等の軍用化など)するこの重大な取り決めが、本音と建前、その歴然とした矛盾を堂々と列記して、主権者である私たちの前に示せる、神経の凄さには絶句します。
しかし絶句するのはそればかりではありません。巷には不況不景気の風。そしてテレビでは、ひたすら財政難をPRする為政者、法人税引下げや規制緩和を主張するエコノミスト達。そうしてアッという間に委員会通過してしまった「財政構造改革」という名の「弱者切り捨て予算」。これまで単年ごとに前年比を示してきたシステムを、いきなり2003年までを赤字退治の対象として、向う三年間を「集中改革期間」とした削減計画と云い、橋本首相は「削減に聖域なし」と断言して見せたものの、そこで優遇されたのは、見直しを免れた「公共投資」と、ACSA(日米物品役務提供協定)関連経費の別枠扱いで、事実上は前年比以上の温存となる「軍事費」です。

それにひきかえ、社会保障費、教育費などの、国民生活関連予算はこれまでにない削減ぶりです。その上に、新ガイドラインが実質的に動き(すでに始まっている)出したら、予算措置ぬきの運用など、如何なる手品をもってしても不可能。それとも、どこぞに米軍用の特殊な「打出の小槌」があるとでも云うのでしょうか。

 

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