書評 『JR福知山線事故の本質 企業の社会的責任を科学から捉える』

投稿者: | 2007年7月6日

写図表あり
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書評
『JR福知山線事故の本質 企業の社会的責任を科学から捉える』
(山口栄一編著 NTT出版 2007年)
桑垣 豊(近未来生活研究所)
▼本書の構成
 この著書は、2005年4月25日のJR福知山線事故の本質を、技術経営の観点から分析したものです。
 この本は、この事故に会い大ケガをされた個人の手記と、事故発生の科学的原因を究明した部分の2つにわかれています。結論の部分で、この2つをふまえて、JR西日本のとるべき対応と、それに照らして現状の対策がいかに不十分であるかを明かにしようとしています。
 個人の手記では、もっとも損傷のはげしかった事故車両2両目の乗客の目を通して、いかに悲惨な事故であったか、JR西日本の対応が不誠実であったかを描いています。
 事故の科学的原因を究明した部分では、運転士が事故のおこった曲線区間で脱線や転覆のおきる限界速度を認識していなかったことが、この事故のおきた原因であるとしています。特に、国鉄時代に転覆限界速度を求める国枝の公式を定めた国枝正春氏に直接インタビューを行うことで、限界速度が時速106kmであることを明かにしています。なお、この本では「国枝方程式」としていますが、数学的には公式というべきであるので、ここでは「国枝の公式」としました。
 結論では、まず、JR西日本の事故後の不誠実な対応を批判し、社会的に企業として生き残るには、被害者に対して法律の範囲内で最低限の補償しか考えていない現状を改めてるべきであるとしています。事故防止策としては、チーフ・サイエンス・オフィサーを設置して、科学的知識を経営に生かす道筋を築くべきであると提言しています。
 以上のように著者は意欲的にJR西日本のとるべき対応を提言していますが、それが妥当なものであるか、検証したいと思います。
 手記の部分に対応するJR西日本がもっと積極的に被害者に向き合うべきであるという主張は、まったく私も賛成します。そこで、どうすれば事故が減らせるのかに論点をしぼります。
▼遠心力と転覆の関係
 この事故を脱線事故として報道している場合が多いですが、この本でも述べているように厳密には脱線ではなく転覆(転倒)事故というべきです。しかし、著者のようにこの点を強調してマスコミをきびしく批判するには無理があります。脱線と転覆は区別すべきですが、日常用語では脱線ということばで転覆も含んでいるので、あまり強調しすぎては科学的知識から市民を遠ざけてしまいます。
 脱線とは車輪がレールからはずれる現象ですが、転覆は片方の車輪がレールについたまま倒れる現象です。最終的には、両方がおこることも多いですが順番が先のほうが事故原因となります。同時に起これば脱線転覆事故です。
 すでに述べたように、この本では時速106kmが、今回事故がおきた曲率半径304メートルの曲線区間での転覆限界速度だとしています。では、事故をおこした列車が106kmをこえる速度でこの曲線区間に突入した瞬間に転覆したと言えるのでしょうか。
 福知山線の列車は、直線から曲率半径304メートルの曲線区間に入る前に、緩和曲線という曲率がだんだん変化して行く区間があります。この区間では転覆速度が徐々に減って行って最終的に106kmになります。緩和曲線の間に、実際の速度が転覆限界速度をこえた時点で転覆が始まった可能性もあります。
 この著者は知らないようですが、力学的にはブレーキをかけた瞬間、2次的遠心力が増加する現象があります。自動車免許を取得する講習で、車が曲線区間に入るときにスローイン・ファーストアウトが必要であることを学びます。つまり、カーブを曲がっている最中にブレーキをかけると、外側に向かう力が増して道路から車がはみ出すことがあるのを戒めているのです。これが2次的遠心力をふまえたものであるのは、おわかりと思います。
 新聞報道によると、交通工学で著名な京都大学名誉教授の天野光三氏もこの現象を知らないらしく、この本の著者が知らなくても不名誉ではないのかも知れません。もちろん、自動車教習所でも基本として学ぶことですから、これは皮肉です。
 以上をふまえると、線路に沿った各地点で、列車がどれくらいの速度で、曲率がどれくらいで、どのくらいの強さのブレーキを何秒間かけたかがわからないと、転覆した状況を再現できません。
 今年6月に航空機鉄道事故調査委員会が、事故調査最終報告書を公表したので、以上の分析ができる材料を得ることができるようになりました。評者は、その分析がまだできていませんが、うまく分析できれば別の機会に公表したいと思います。列車の速度は秒速に直すとおよそ30m/sですから、データが0.1秒ちがうだけで3メートル進んでしまいます。緩和曲線区間では、その間に刻々と曲率が変化していくのですから、慎重に分析しないとまちがった結論に至ります。
 このような事情があるにしても、速度超過が事故の原因であったという著者の主張はそのとおりです。では、この事故の本質は、速度超過であり転覆限界速度を運転手が認識していないことだった、と言っていいのでしょうか。次に、そのことを検証します。
▼事故はひとつの原因で起きたのか
 大事故の場合、多くの原因が複雑にからんでいます。その中で、もっともめだつ原因を「この事故の原因だ」ということが多いですが、このようなとらえ方では事故を減らすことはできません。この本は、ひとつの原因を選び出すことで本質としています。このような考え方の結果、以下のような問題が生じます。
1)さえなければ防げた
 制限速度を守れば事故が防げた。カーブがもっとゆるやかなら事故が防げた。車両がもっと丈夫だったら。JRの社員管理がまともなら。「さえなければ事故が防げた」と言えれば、それこそが事故対策になるという発想では、自分が強調したい原因を選んで、それこそが本質だと強弁できます。事故についての評論に、多いタイプです。
2)だけでは事故にはならない
 自分の強調したい原因以外を否定するのによく使う論理です。いくつかの要因がそろわないとおきない事故が多いですから、自分の気に入らない原因はすべて否定することができる便利な論理です。
 自分の強調したい原因は1)で正当化して、それ以外は2)で否定する。これでは、何とでも自分の好きなように議論が展開できて便利ですが、十分な事故対策にはなりません。
 実際には、いくつかの原因がそろったときに大事故になります。相互の要因の関係を総合的に検討することで、各要因ごとに対策を行う必要になります。その事故でたまたま表面化しなかっただけで、さらに事故を拡大したかもしれない要因の検討も必要です。
 今回の事故で言えば、対抗列車の特急を止めることができなければ、事故現場に特急が突入して、想像を絶する事態になったでしょう。
 この著書では、時速106kmを超えると事故がおこることをどの運転士も知らなかったので、いつ事故が生じてもおかしくなかったと言います。運転士へのアンケート調査では、この区間の制限速度70kmの2倍程度140kmまでなら事故をおこらないと思っていたということです。確かにそのとおりですが、ではなぜ同じような状態が今まであったにもかかわらず、今回事故に至ったかという疑問には答えられません。
 推測ですが、運転士はだいたい時速100kmを超えると危ないと思っていたところに、今回特に列車が遅れていて、過去のミスと含めると処分されるという恐怖感があり、速度超過をした可能性が高いと思います。一瞬のブレーキ操作の遅れがあった可能性も高いですが、基本的にスピードが出すぎている状況にブレーキ操作の遅れが重なったと見るべきでしょう。つまり、背景要因として、日勤教育のような懲罰的方法で社員管理/労務管理を行っていたことがあるということです。
 くわしいことを知りたい方は、中田亨著『ヒューマンエラーを防ぐ知恵 ミスはなくなるか』(化学同人2007年)を読んでください。原因間の関係の複雑さを多くの事故事例をふまえて論じていますので、非常に参考になります。
▼とるべき事故対策
 本書では、上記のような原因を踏まえて、転覆/脱線限界速度を運転士に知らせると同時に、線路を付けかえてカーブをゆるくすることを提案しています。すでに述べたように、複数の原因を前提にそれぞれ対策を立てないといけないですが、ここでは著者のあげた原因に対応する対策を考えます。
 JR西日本は、どうして曲線緩和をしなったのかの理由を事故現場のすぐ北の名神高速道路と尼崎駅の構造から、レールの付けかえができなったとしています。著者は、名神高速のすぐ南から西側の道路を買収すれば、付けかえが可能だったとしています。それも可能だと思いますが、事故現場の南にあるキリンビール周辺の土地を分断する形で線路を引くこともできたのではないかと思います。
 しかし、キリンビール周辺の土地はバブル経済のときに、テーマパークとして一体的に開発しましたので、安全のために開発をあきらめるという発想はなかったと思います。もともと福知山線の尼崎行きの線路は、事故現場で非常にゆるいカーブしか描いていませんでした。尼崎駅に東西線が乗り入れることなったことと、尼崎駅北のアサヒビール跡の開発がからんで、今のような急カーブとなったわけです。JR西日本がすでにもっていた線路用地をどのようにあつかうか、尼崎駅の開発をどうするか、という要素がからんでいます。その後、テーマパークはいち早く撤退し、現在は住宅開発が始まっています。
 この著者は、事故原因をしぼりすぎているだけではなく、特定の原因に対応する対策ももっと広く検討する必要があるのではないでしょうか。
横転が始まったカーブ付近 事故翌日評者撮影
▼JRの体質をどう見るか
 この本では、JR西日本が輸送力増強などで企業価値を高め、多くの利益を上げているにもかかわらず、被害者への補償を最低限にしぼっているのはおかしいとしています。しかし、JR西日本の輸送力増強は、車両投入と、無理なスピードアップと高密度のダイヤで実現しました。無理なダイヤで輸送力を増やし、事故を起こしたことを見落としています。また、ざまざな補償金などを最低限にしぼることで、これだけの利益をあげることができている側面も見落とせません。
 車両投入は、民営化直前1年の国鉄時代に大量の車両を購入して、国鉄の負債を増やす形で費用を肩代わりさせています。その後の車両投入ももちろんありますが、必ずしもJRの企業努力とは言えません。JR西日本に比べて、JR東日本は混雑度の解消が遅れていて、JR西日本の輸送力増強を高く評価しています。JR東日本は、埼京線など輸送力増強が乗客の増加にくわていることを見逃しています。その上、東京周辺の輸送力増強には土地などの制約があり、一民間企業
 JR西日本の体質を甘くみているようです。事故前のマスコミにも見られましたが、民営化したから利益第一でもしょうがないという論調があります。しかし、JR西日本以外の私鉄は営利企業であっても、もっと安全を重視しています。公共交通は、営利企業であっても、公共性が高いことを忘れてはいけないと思います。
 著者は、技術経営の立場から、企業の存在価値はイノベーションにあるとしています。一般的にはそうでしょうが、公共交通機関は日常の安全運行が第一で、必ずしもイノベーションということではないでしょう。安全性を高めるイノベーションであっても、システム変更時におきる事故も無視できません。
▼まとめ
 著者の指摘している点は、事故原因としてまちがっているわけではありませんが、部分的要因を強調しすぎています。部分だけ述べることがまちがいであるとは言えませんが、それなら自分が部分を主張していることを自覚するべきです。そして、その一部の事故原因だけにしぼっても、この本に書いてあること以外の対策も数多くあります。この本の対策以前に行うべき対策もあります。
 例えば、チーフ・サイエンス・オフィサーを置くのが悪いとは言いませんが、このようなポストの人の発言を尊重する会社でないことが一番の問題で、そこに手をつけないでポストのことだけを主張しても、形だけの対策を許してしまいます。
 全体の論理構成をずいぶん批判しましたが、手記の部分から読み取れる今回の事故の恐ろしさ、国枝氏に行った直接インタビューなど、多くの学ぶべき点があることも確かです。今回の事故の重要な側面を描いているという意味で、一読に値する文献であることは強調したいと思います。
▼JRの安全性は高まっているのか
 最後に、事故から2年以上を経て、JR西日本の安全性が高まったと言えるかどうを検証して、しめくくりとします。
 JR西日本では、事故から半年以上たって、ようやく全面的ダイヤ改正を行い、所要時間を少し長くしました。事故後、無理な回復運転をしなくてよくなったせいで、日常的にダイヤ遅れが発生していましたが、改正後もまだ余裕が足りず、今もってダイヤ遅れが日常化しています。それでも、無理な運転をしなくなった分だけ、かなり安全になったようです。
 ところが、もっとも不可解なのは、ダイヤに余裕をもたせたはずなのに、列車本数が変わらないことです。これは、車両数を増やしたわけではないことを見ると、折り返し地点での作業時間を減らすことで捻出したとしか思えません。見えない部分で余裕を切り詰めて、乗客を乗せている時間を増やしたわけですから、実態が見えにくくなった分だけ危険です。実際には、折り返し地点での切り詰めがあまりできなかったようで、それがいまもってダイヤ遅れの常態化となってあらわれています。
 最近、JR西日本でも東日本でも、列車が遅れると一々理由を説明するようになりました。しかも、「お客様の乗り降りに時間がかかり1分遅れて発車しました」、「お客様が車内で非常ボタンを押されたために10分遅れています」など、遅れた理由は客のせいだというわけです。乗客のマナーにひどさや、ケータイの操作ばかりに熱中するありさまは、目にあまりますから、気持ちはわからないでもありません。それでも、何分遅れているかという説明をした上で、何度かに1回説明するならともかく、毎回冒頭に理由を述べられても「また、いいわけ放送が始まった」としか思えません。
 そういうJRの社内でしか通じない論理を外に向かって適用して、乗客の不行をかっていることに気が付かないJRに、この先の不安を感じるのは評者だけではないと思います。二度とあのような大事故だけは、起こしてほしくないと思います。

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