終末期医療について考える

投稿者: | 2013年3月4日

終末期医療について考える

小林 友依 (市民科学研究室・理事)

pdfはこちらから→csijnewsletter_016_kobayashi_201303.pdf

はじめに

日本は1950年代以降、最期を迎える場所が在宅から病院へ移行していった。今では年間死亡者のうち8割が病院で迎えるというデータ1)がある。人生の終末期を過ごすとき、人は病院と関係を持つと漠然と思っているだろう。しかし、病院がどういうものなのか、病院で最期を過ごせるのかどうかもよくわかっていない人が多いのではないだろうか。本稿では終末期医療の現状の確認を行ったうえで、今後の終末期医療に対する課題について考えていたい。

終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン

2007年4月厚生労働省は終末期医療の決定プロセスに関するガイドラインを発表した。

終末期医療の進め方として、医師らによる十分な説明と患者の意思決定を基本とすることを最も重要な原則と位置づけ、その上で治療開始や中止について患者の意思決定を踏まえて、医療チームで慎重に判断するよう求めている。また、治療方針の決定は患者の(1)意思が確認できる場合、(2)意思が確認できない場合、の二通りに分けた。

(1)の場合は、患者の意思をもとに医療チームが決め、その合意内容を文書に残すこととしている。ただし合意した内容が時間経過などで変わることもあるので、患者の再確認することが必要であると明記した。(2)の場合は、医療チームが慎重に判断するが、家族が患者の意思を推定できる場合は、その推定意思を尊重し、できない場合は、何が最善の治療方針化を医療チームが家族との話し合いで決めることとしている。さらに(1)、(2)のどちらの場合でも合意できない際は、当該医療チームとは別に設置された複数の専門家による委員会が検討・助言することとしている。

このガイドラインが作成された背景には、2004年北海道にて自発呼吸のない患者の人工呼吸器を外したことや2006年富山でがんなどの末期患者7人の人工呼吸器を外した安楽死・尊厳死事件が発生したことがある。これらの事件は深刻な社会問題となり、日本には延命治療中止のための明確な基準がなく、医師だけが責任を問われる状態にあることが明らかになった。

しかし、終末期医療の決定プロセスに関するガイドラインと銘打ちながらも、終末期の明確な定義は行われていない。終末期とは医師によって不治の病であると診断をくだされ、それから先数週間ないし数カ月(およそ6ヶ月以内)のうちに死亡するだろうと予期される状態になった時期のことを指す言葉だが、実際の臨床の現場で、この終末期を定義することは大変に難しいことである。

一般に、余命が60日を切るとさまざまな苦痛症状が出現する2)。苦痛症状はある程度緩和医療で取り除けるが、今までと同じ生活を送ることは難しくなり、余命15日が過ぎると移動障害が出現し、歩行もままならなくなり、思考がまとまらなくなり、眠っている時間も増え、会話や応答が難しくなってくる。

このように、おおよその経過を説明することは可能であるが、年齢による違いもあれば、個人差もあり、到底定義することは難しい。そのため、終末期の判断を医療現場に一存することは、延命治療をするかどうかの判断が難しく、患者と家族への対応を含め、医療現場の混乱を招くだろう。

救急医療における終末期医療のあり方に関する委員会が行った、『救急医療における終末期医療に関する提言(ガイドライン)』に対する救急医療従事者の意識の変容-2008年と2012年でどのように変化したのか-の報告から浮き彫りになった点がある。それは、ガイドラインの認識は高まっているのにもかかわらず、実際に終末期の診療には適用されていないことである。

ガイドラインの適用に関しては、8割近く医師が肯定的にと回答し、否定的にとらえている者はわずかに0.7%である。その一方で、そもそもガイドラインを適用する意図がないと考えている者も、今回の救急科専門医回答者全体の4割(253/658名 38.4%)近くにのぼっている。

このことから、終末期の定義がない現在のガイドラインでは、医師は法的責任を問われることを恐れ、そのプロセスを踏んだとしても、人を死に追いやることに対する不安をもつ患者やその家族を意識してしまうと考えられる。

そのため、本ガイドラインの普及を図り、終末期を迎える患者やその家族を支えるための体制整備に積極的に取り組まなければ患者の権利は守られないだろう。

終末期医療の現状と倫理観

現在、日本の医療現場においては患者の生命の延長が至上命令とされており、最善を尽くして患者さんの生命を延長することが日常の診療において行われている。終末期の延命治療もその延長にあり、最善を尽くされているのである。その延命治療には相当の費用を要す。終末期の延命治療に要する費用は1日10万円3)を超え、延命治療を受ける患者は全員が高額医療に該当する。一方で、現状の医療保険制度では、高額な医療にかかっても、家計の破たんのリスクを防ぐためのセーフティネットを整備されているため、経済的な理由のみで患者の家族から延命治療を止めてほしいと言われることは少なく、ほとんどの家族はできるだけのことはしてほしいと希望し、それに基づいて延命治療が行われている。

また、当然のことながら経済的負担だけではなく、倫理観も延命治療の選択に関わっている。「回復の見込みがない病気の終末期、意識や摂食、排泄などができない状態になったとしたら、あなた自身は『延命治療』をしてほしいと思いますか?」という調査によると、延命治療をしてほしい:6.2% 延命治療は望まない:93.8% (リサーチパネル調べ、13万8476人が対象 回答期間:13/01/22-13/01/23)となる。

一方で、自らの家族のことになると、延命治療を望む人が多い(全日本病院協会による延命治療アンケート)。自分の問題と家族の問題と、それぞれの場合によってその意見が変わるのである。これは、みんなで協力し合ってつながって生きていこうという日本人が強く持っている日本的な倫理意識が関わっているのではないか。伝統的なつながりを強く意識する倫理感から、家族を助けたいという思いが生じ、延命治療を選択し、本人が望んでいない延命治療が行われていると思わずにはいられない。助け合いや思いやりは大切だが、日本人の倫理観から欠落している観点として、自己決定権の尊重があるのではないだろうか。

また、日本における医療制度の現状は原則的に出来高払いである。そのため、病院にとっては最新の延命治療を施せば施すほど、医療収入は上がることになる。少なくとも病院経営者からは費用対効果を考えて、無駄な延命治療を行わないようにという発想は出にくいだろう。

少子高齢化・多死時代

日本の将来推移人口(平成24年1月推計)より、年齢3区分別人口規模、および構成の推移を確認すると、年少(0~14歳)人口は1980年以降、生産年齢(15~64歳)人口は1995年以降に急激に下降している。しかし、老年(65歳以上)人口は団塊世代が参入を始める平成24(2012)年に3,000万人を上回り、平成32(2020)年には3,612万人へと増加する。その後しばらくは緩やかな増加期となるが、平成45(2033)年に3,701万人となった後、第二次ベビーブーム世代が老年人口に入った後の平成54(2042)年に3,878万人でピークを迎え、その後は減少に転じると予想されている。

老年人口割合を見ると、平成22(2010)年の23.0%から、出生3仮定推計とも平成25(2013)年には25.1~2%で4人に1人を上回り、その後出生中位推計では、平成47(2035)年に33.4%で3人に1人を上回り、平成72(2060)年には39.9%、すなわち2.5人に1人が老年人口となる。

それが、どのような時代かというと、1960年は1人の高齢者を11.2人で現役世代が支えてきたが、1980年には7.4人、2000年には3.9人となった。2030年はどうなるか。1.8人で支えることとなる。

医療費の推計は平成18(2006)年では一般医療費22.2兆円、高齢者医療費10.8兆円、国民医療費33.0兆円だったのに対し、国民医療費の将来予測では、平成27(2015)年では一般医療費28兆円、高齢者医療費16兆円、国民医療費44兆円。平成37(2025)年では一般医療費31兆円、高齢者医療費は25兆円、国民医療費56兆円と予測されている。

高齢者医療費は2006年では全体の1/3程度だったのが、2025年では半分にも増えると予測されている。現在、終末期医療費(死ぬ1か月前の医療費)は平均で114万円もかかっている。1人の高齢者を1.8人で支えなくてはならない少子高齢社会において、このような高額な医療費が使えるのだろうか。

患者の生前の意思(リビングウィル)

終末期に生命維持装置を用いることで、延命ができる。しかし、無理な延命治療を使わずに最期を迎えたいと希望される人が増えている。死に直面した患者が、自らの意思で無理な延命治療を行わず、人間の尊厳を保った状態で死を迎えるような死は、「尊厳死」と呼ばれ、その意志を表明する文書のことを「リビングウィル(尊厳死宣言書)」と言う。

尊厳死の考え方の基となったものは、アメリカのカリフォルニア州で制定された「自然死法」である。この法律は予め、本人が一定の方式で、終末期に生命維持装置を使わないよう要請する書面を作成しておくと、医療に関する指示として有効になり、これに従った医師は、本人の死については民事・刑事の責任を問われないものとすることを骨子とするものである。

終末期医療について本人の意思が表明されているその人の意向は尊重されることが重要であり、このような考え方が医療現場に定着して行くことが大切ではないだろうか。

日本でもインフォームド・コンセントの浸透とともに、このような考え方も広まってきたが、全日本病院協会の終末期に関する調査報告4)によると、リビングウィルという言葉を聞いた事がないと回答した家族は7 割程度(回答数5215件)あり、言葉を聞いた事がある人の半数程度は意味を知らなかったと回答しているのが現状である。浸透していないため、本人の意思が確認されないまま意識レベルが低下して終末期に入った場合は、「出来るだけ長生きしたい」と希望する患者が多いという前提で、患者にとって最善の医療を行う事が基本とされてしまうのである。

終末期医療における課題

本人の意思が確認できない場合や本人の意思が反映され難く、家族が判断を行う場合。そうなると少しでも長く生命の維持を図られ、終末期医療は誰のためなのかわからなくなる。今後は、医療従事者から患者へきちんと説明する必要があり、その上で患者の生前の意思表示(リビングウィル)の普及啓発などに取り組むことが課題となるだろう。また治療中止の要件を定めることの是非も含め、そのあり方や方法について議論が重ねられることが求められるのではないだろうか。また、健康なうちから人々が生老病死について考えることができるような、例えば生死に関する教育など命に関する情報の充実も求められるのではないだろうか。■

1) 厚生労働省 「人口動態統計 死亡場所の年次推移」
2) 『緩和ケアマニュアル』(淀川キリスト教病院ホスピス編/柏木哲夫・恒藤暁監修2007年 最新医学社)
3) 前田 由美子(日本医師会総合政策研究機構):後期高齢者の死亡前入院費の調査・分析、2007)
4) 終末期の対応と理想の看取りに関する実態把握及びガイドライン等のあり方の調査研究報告(社団法人 全日本病院協会 2012年3月)

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