脱クルマ社会’への道を探る ――上岡直見さんの著者を読む(その1)

投稿者: | 1998年3月27日

脱クルマ社会’への道を探る ――上岡直見さんの著者を読む(その1)

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第95回研究発表でお招きする上岡直見さんは、クルマ・交通をめぐる環境問題を総合的に研究しておられます。市民の立場に立ち、さまざまなNGOとも連携しながら、持ち前の工学的分析の手腕を発揮して実証的な裏付けのある’脱クルマ社会’へむけた提言をなさっています。土曜講座では、今回2人の方に上岡さんのこれまでの著書を読んだ感想を寄せていただき、次号で研究発表の報告と併せて最新の著書『脱クルマ入門』の紹介を行います。10月17日の講座に是非ご参加ください。

 

 

『鉄道は地球を救う』を読む(1990年11月 日本経済評論社)
上村光弘

1リットルの石油で乗用車は人間一人を14キロメートル運べるのに対して、新幹線では65メートル、大都市圏の電車なら165キロメートル運ぶことができる(1990年:本書出版当時。以下の数値も同様)。誰が考えても明らかなこのエネルギー効率の差が著者の出発点であろう。
本書はこのエネルギー問題=環境問題に限らず、労働力や土地利用などの効率また安全性など、どれを取っても自動車に比べて鉄道が圧倒的に有利であることを明らかにしてくれる。著者が初めて世に出した本書は、これまでに出ている4冊の中でも技術的な解説が多く、私にとって最も面白かった。
★自動車との決定的な違いとは?
どちらも石油や電気などのエネルギーから車輪を回して車体を動かし人や物を運ぶという点では同じである。決定的な違いは、名称が示すように鉄道はあらかじめ敷設された「鉄道」の上のみを鉄の車輪「フランジ」で走るのに対して、自動車はハンドルで自由に舵をとり空気入りのタイヤで走るということであろう。この定められたところを鉄の車輪で走るというのが鉄道の特徴だ。
鉄道はどうしてエネルギー効率という点で自動車より有利なのだろうか。直感的にあきらかなようであるが、以下検証してみよう。
★鉄の車輪は効率がよい
一つは、鉄の上を鉄の車輪で走るがゆえに、空気入りタイヤに比べて転がるときの抵抗が少ないことがあげられる。自転車に乗った時、空気の抜けたタイヤで走るとペダルが重たくなる経験は多くの人がしているに違いない。これはタイヤの歪みが大きくなると転がるときの抵抗も大きくなることが原因だ。逆に空気をパンパンにいれて固くしたタイヤで走るとペダルが軽くなる。タイヤの歪みが小さくなるからだ。鉄の車輪は相当重さをかけても空気入りタイヤに比べてほとんど歪まない。これが転がるときの抵抗を少なくする。
電車に乗っている時、モータ音が走行中に途切れて聞こえなくなることに気付いているであろうか。運転台のついている車両に乗ってメータ類を覗いていれば、電圧があるところで一気に零になるのでよくわかる。電車は相当の間、動力を切って惰性で走っているのである。自動車でも惰性で走ることはできるが、鉄道ははるかに長い距離を惰性で走ることができる。転がるときの抵抗がはるかに小さいからだ。
★運べる量が段違い
二つめは、一度に運べる量が自動車に比べて鉄道の方がはるかに大きいということである。例えば貨物列車に使われるタキ43000型の石油タンク車両と11トントラックを比較してみよう。
石油1トンに対して貨物車両の自重は0.6トン、トラックの場合で1.2トンである(列車は25両編成、両者とも積載量70%の場合)。なんとトラックの場合は、運ぶものより自分自身の方が重くなってしまう。さらに、労働力を考えれば、1000トンの石油を運ぶのに、鉄道の場合は編成により数人ですむのに対して、いったい何台のトラックを動かさなければならないか考えるだけで相当な無駄である。
★いろんな燃料に対処できる
三つめに、さまざまなエネルギー源に対処しやすいという点でも鉄道は有利である。電車の場合だと実際走らせる列車と発電所は別の場所でかまわない。また電車以外では動力源が少々大きくてもそれほど苦もなく積載できるということが挙げられる。このためピストンエンジンでもタービンエンジンでも対応できる。さらに蒸気機関のような、エンジンの外で燃料を燃やしエネルギーだけを他の流体に置き換える形式の外燃機関といわれるものでも積載可能である。外燃機関の場合は熱を出すものであれば石油に限らず利用できるし、排出ガスの処理に関しても有利である。
例えば本書では未来の機関車として、石炭を燃料に使い蒸気でタービン発電をし、その電気で走る機関車を考案している。かつての蒸気機関車の熱効率は7%程度だったが、この方式だと20%は大丈夫だそうだ。ここで使われている技術は既に存在しているものばかりである。その他、バイオマスの利用や地熱、燃料電池など無限の可能性がある。この紹介の部分は全体や運転台のイラストまであり楽しい。ぜひ本書を手にとって眺めて欲しいところである。自動車だとこうはいかない。電線から給電する自動車は難しそうだし(そうなると鉄道に限りなく近い)、外燃機関のような大きなエンジンを積めば肝心の荷物や人が少ししか積めなくなって、エンジン自体を運んでいるようなことになってしまう。
以上、さまざまな観点からエネルギー効率ひいては環境保護という点で、鉄道は自動車に比べてはるかに有利である。
★ドイツでの社会的費用シュミレーション
第四章では社会的費用の計算という面白い試みをおこなっている。
まず、ドイツのマンハイムで実際に報告書として作成された資料が紹介されている。現状の公共交通(路面電車と乗合バス)がすべて乗用車に置き換えられたとすると、環境、土地利用、安全、エネルギーなどの観点から、実に121億円(明確に書かれていないがおそらく年間と思われる)の費用が発生する。一方日本ではどうか。廃止されてしまった京都市電の例では、マンハイムの数値を流用して当時の金額で年間約20億円の社会的価値が失われたと計算されている。
★日本の社会的費用シミュレーション
日本全国の数値は著者が独自のシミュレーションをして数値を出している。相当細かな分析がなされており、とうていここに全てを紹介するわけにはいかないが、利便性も考慮されているところが面白い。そして、利便性を当時の質のままに維持するとして計算すると、旅客・貨物とも鉄道と営業バス・トラックのシェアを増やし、自家用車を減らすことが望ましいとなる。特に注目するべきことは、自家用車を半分弱にせよということである。この自家用車を減らすという主張は一貫して他の書でも貫かれている。また、零にせよということでもないことに注意して欲しい。
この理想状態と現状(当時)との落差を社会的費用として貨幣換算すると約10兆円にもなる。
皮肉なことにこの数値は大体毎年の道路関連の総事業費に近い額だそうだ。
★私の疑問
本書および著者の他の書もあわせて読んでみて、どうしてもはっきりしない点がある。 一つは、どうして現状では自動車輸送が鉄道輸送を圧倒しているように見えるのかという点だ。
ー効率の点、労働力の点、安全性の点などどれをとっても圧倒的に有利なはずの鉄道が、特に貨物輸送でどうして自動車に負けているのであろうか。これだけ有利であれば、当然それは市場原理からいっても選択されるはずである。特に企業ともなれば、それは個人的嗜好などではなく完全な経済原理で決まってよいはずだ。唯一自動車が有利な点は小回りがきくことであるが、その一点だけでここまで自動車輸送の天下になるだろうか。
二つめは、どうすれば鉄道を復権できるだろうかという点である。これは一つ目の疑問と対に見るべきかもしれない。著者はさまざまな鉄道をどのような形で社会システムの中に取り込むべきかを、本書のみならず他の著書でも提言しているし、その一つ一つの提言はいちいち納得できるものだが、どうやってそれを実現すればよいのかがよく分からない。特に市場原理だけで考えないとあるのは、どうも鉄道の有利性を強調されているだけに腑に落ちない。
米国の鉄道の衰退については自動車業界の陰謀であるとの説がある。要するにお金の力で鉄道を潰していったということだ。そのおかげで米国は自動車なしでは生活できない国になってしまった。エネルギー消費ひいては炭酸ガス排出への寄与度も世界一である。一方、日本の鉄道、特に貨物輸送の衰退の原因はどこにあるのだろうか。まさか自動車業界の陰謀とはあまり考えられないのだが。

 

 

『クルマの不経済学』と『乗客の書いた交通論』を読む
(ともに北斗出版1996年および1994年刊)
田中浩朗

今回,上岡直見さんの『クルマの不経済学』と『乗客の書いた交通論』の2冊を読んでみました。以下,その紹介と感想を書いてみたいと思います。
上岡さんは上記2冊の他にもさらに2冊ほど著書を出されていますが,『クルマの不経済学』(以下『不経済学』と略します)はクルマのことに話題を絞っていることが他の著書にない特徴となっています。しかし,交通のこと,特に脱クルマ社会のことを考える場合,クルマの代替となる鉄道について考えることが必要であり,それについても言及している『乗客の書いた交通論』(以下『交通論』と略します)も読んでみました。おな,鉄道については最初の著書『鉄道は地球を救う』(日本経済評論社,1990年刊)にも詳しく書かれています。
さて,『不経済学』では,書名からすると経済の話が中心かとも思われますが,クルマに関する様々なことがかなり網羅的に取り上げられていて,クルマの問題を考える上ではとてもよい参考書となっています。以下,章を追って紹介し,感想を付け加えていきたいと思います。

まず第1章「地球も地域も汚すクルマ」では,クルマが引き起こす環境汚染について書かれています。クルマが排気ガスによる大気汚染を引き起こすというのは常識ですが,クルマ(私的移動のための乗用車)による走行速度低下のためにトラックなどから排出される窒素酸化物が増える話とか,ハイオクガソリンに含まれている有害なベンゼンが給油の際に漏れる話は初耳でした。また,石油を精製する際に出てくる硫黄やクルマの原料である鉛や亜鉛の鉱石から出てくる硫黄を処理すると結果として塩素が発生すること,そしてクルマで使われているのが現在問題になっているダイオキシンの発生源となる塩素系プラスチックであることは、とても大事な指摘だと思いました。本書ではこうした産業全体の関連による考察が随所に出てきます。
第2章「ビール・エアコン・クルマ」では,エネルギーの観点から見たクルマについて書かれています。輸送に関するクルマのエネルギー効率が悪いことは,あんな重たい車体でせいぜい数名しか運べないことからもすぐに分かりますが,様々な乗り物によるエネルギー消費原単位(1人1kmを運ぶのに必要なエネルギー)のグラフによると国鉄の赤字ローカル線でもクルマに比べれば半分以下のエネルギーしか消費しないというのには驚きました。本書での議論は,こうした数値やグラフによる定量的な議論が随所でなされているのも特徴です。
章のタイトルのビール・エアコンというのは,ビールを飲んだりエアコンを使っている者にクルマを使っている者を批判する権利があるのか,みたいな批判に対して,ビール消費・エアコン使用とクルマ使用のエネルギー消費量と二酸化炭素発生量を定量的に比べているところからつけられたものです。それによると,10年間にエネルギー消費量でクルマはビールの15倍以上,エアコンの2.5倍となっています。
第3章「『ブー』とクルマは言った」では,クルマによる交通事故について書かれています。ここで目新しかったのは,運転目的別での事故件数の違いの話です。走行距離当たりの事故件数は,選択的走行が必需的走行の3.4倍もあるとのこと。職業的運転と遊びでの運転では後者の方が事故を起こす率が高いだろうとは直観的にも感じていましたが,これもきちんと数値で示されると説得力があります。
それから,この章で書かれていたことで初耳だったのは,道路交通法第38条の2です。交差点では横断歩道がなくても横断する歩行者が優先だということです。もちろん,現在ほとんどのクルマがその法律を守っていませんが。横断歩道も含めて,道路交通法がきちんと守られるだけでもずいぶんと安心して歩けるようになるだろうなと思いました。

さて第4章「狭い日本の広い道」は道路の問題について書かれています。ここで気付かされたことは,道路建設が石油精製のゴミ処理だということ,道路財源とされるガソリン税はその処理税の意味があるということです。どういうことかというと,石油精製の最後には様々な有害物質を含んだカスであるアスファルトが出ます。これは硫黄や重金属など有害物質が含まれているため,簡単に燃やしてしまうことができません。処理するとなると大変です。しかし,道路舗装のために使うことができます。したがって,クルマが走れば走るほど石油を使い,その結果アスファルトができて,道路を造らなければならないということになります。道路建設が止まらない背景には,硬直的予算配分ということの他にこのような物質的背景があったのです。
第5章「クルマは人に優しくなるか」では,人や環境にやさしいとされて期待されている新しいクルマ・装備について検討しています。例えば,ソーラーカーや電気自動車について,あるいはカーナビについてです。上岡さんはそれらが非現実的あるいは有害なものとして論じています。 『鉄道は地球を救う』では期待を寄せていた電気自動車についても本書では環境破壊・資源浪費の観点から批判しています。つまり,充電のための電力に原発が使われ,電池のために大量の資源が使われるというのです。また,現在の内燃機関自動車に比べて性能は悪く値段は高い電気自動車の需要は考えにくく,もしあったとしてもセカンドカーとしての需要になるだろうとのこと。つまり,クルマが更に増えることになるわけです。
第6章「交通と経罪学」では,交通に関わる経済学の主張を批判しています。ここで主に取り上げられているのは,近代経済学をベースにした規制緩和論です。僕にとっては,規制緩和によって交通に関するよりよいサービスと安全が得られるなどとは全く思えないので,ここで批判されているような規制緩和論を取り上げること自体,あまり興味がないのですが,一般的にはこのような規制緩和論がそれなりの力を持っているのでしょうか。
第7章「クルマの不経済」では,クルマの社会的費用その他経済的事柄について考察されています。クルマの社会的費用についてはすでにいろいろなところで計算がされていて,本書でもそれを紹介しているのですが,本書で明確になったのは,クルマをやめればそれだけの費用が浮くのに対して,先ほどの選択的走行をやめたことによる産業全体への影響はGNPのたった0.07%の減少に過ぎないということです。

本章ではその他にも,クルマの総量規制の基準としてマイカー半減ということを提唱しています。これは,乗り物のシェアとして鉄道5,バス2,マイカー3という割合に相当します(現在の割エントロピー)がもっとも大きくなる値だということです。時代的に言うと,1960年代末ころの状態に相当します。 さて,最後の第8章「日本を救う脱クルマの提案」では,これまでに提案されてきた様々な脱クルマのアイデアが一覧表になってまとめられ,さらに人々の抵抗や費用など様々な観点から評価されています。提案についての詳しい説明は,以前の著書に書かれているので本書では省略されているものがほとんどです。本書だけを読んだ限りでは,この部分は記述が簡潔すぎて脱クルマ社会への方向性が十分見えてきませんでした。
以上,簡単に紹介してきましたが,その中でも指摘してきたように,本書はこれまでのクルマ問題に関する議論をできるだけ定量的に展開して,脱クルマ論への反論に説得力を持って再反論する内容となっています。これまでの著書ですでに述べられたことをまとめるとともに,新しい内容・話題も盛り込まれています。

ということで,とてもよい解説書だと思いますが,しかし,読んだ後なにか物足りない感じが残りました。それは,「クルマをやめて,ではどうするのか」という部分なのだと思います。最終章で脱クルマの提案があるものの,そこにはきわめて技術的な問題しか載っていません。それも確かに大事なのですが,脱クルマ社会への転換というとき,一番大事なのはどのような交通体系へ向かうのかということだと思うのです。それは,もちろん,本書のあちらこちらに書かれてはいるのですが,本書がクルマ問題に集中しているという制約からか,そのことはまとまって書かれていません。クルマに代わって上岡さんが重視する交通手段とは,もちろん公共交通手段,中でも鉄道です。 そこで『交通論』を読んでみました。本書では,『不経済学』で述べられていたようなクルマの問題性に加えて,より多くの部分を鉄道の考察に当てています。 鉄道にももちろん問題はあります。例えば,満員電車のことととか,鉄道事故,省力化によるサービスや安全性の低下などです。それらの問題の多くが,鉄道固有の問題というより交通政策の誤り,つまり鉄道に十分な社会的投資をせず,民営化によってますますそれを切り詰めているということに原因があると指摘されています。

つまり,現在道路に対して投資している分の一部でも鉄道に投資していれば,鉄道はもっと快適で便利で,しかも環境や人に優しい乗り物になるということを主張されています。
上岡さんと同じようにマイカーを持たない者としては,上岡さんが言われることはとてもよく分かるし,共感できます。クルマが増える一方で,鉄道やバスが衰退していくのは本当に無念です。 しかし,ここで書かれていることが現在マイカーを乗り回している人たちにどれだけ受け入れられるでしょうか。そこが問題だと思います。クルマの機動性の味を知ってしまった人たちの考えや嗜好を変えるのは至難の業です。もちろん,自動車関連産業や官僚・政治家の抵抗も計り知れません。
上岡さんの御著書は脱クルマ運動のための理論武装にはとても役立つものだと思います。エンジニアの上岡さんならではのものだと思います。しかし,脱クルマ運動を進めるため,人を脱クルマの方向へ引き寄せるための何かがもっと必要な気がしています。
私は住んでいる場所の近くの干潟保護運動に関わっていますが,自然の価値を知り,それを保護することへと人を引きつけることの難しさを日々感じています。理論的に自然の重要性を説き,巨大開発の不合理を訴えても,なかなか人は動いてくれません。そこで,自然観察会を開き,特に子どもたちに向かって自然のすばらしさを伝えるような活動をしたりもしています。
脱クルマ運動でも,そうした方法,つまり脱クルマ生活のすばらしさを伝えられるような活動があるといいなと思います。徒歩・自転車・鉄道・バスでの移動のすばらしさを伝える活動です。日本の鉄道やバスではなかなかすばらしいとまではいかないかもしれませんが,外国ではけっこういい例があるのではないでしょうか。そうしたものを紹介する活動など,すでにけっこうやっているのかも知れませんが,もっと積極的に進めてもいいかと思います。

 

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