第92回「環境ホルモンの衝撃」(その1) 参加者の感想・意見

投稿者: | 1998年3月27日

第92回「環境ホルモンの衝撃」(その1)

参加者の感想・意見

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第92回土曜講座では、「環境ホルモンの衝撃(その1)」と題して共同の研究発表を行いました。薮玲子さんの発表では、この問題が浮上してきた背景を個々の研究者の研究事例をたどりながら探りました。「内分泌攪乱」という、化学物質の環境中での挙動をとらえる新しい視点を獲得するのに、さまざまな困難があったことがわかりました。
上田の発表では、環境ホルモンが従来想定されていたリスク評価にどう変更をせまっているのか、内分泌や生殖に関する生物学的な基礎知識を紹介しながら考察しました。9月の発表では、各国の政府、環境庁、企業らの対応策を比較検討しながら、化学物質をどのように適正に管理していけるのかを論じ合います。ふるってご参加ください!(U)

 

環境ホルモンの講座に参加して
【鎌形正樹】

私自身、非常に関心はありながら、結局本などまとまったものは読めずに参加しました。それでも二人の報告で、気になっていた事はほとんど解かりました。(解かっていない事が沢山あるんだ、という事も含めて。)ありがとうございました。
次回もどうぞよろしく。藪さんの報告からは、今までの研究の経緯や、確認されている異変の全体像が、上田さんからは、異変発生のメカニズムや、人の成長・性分化と環境ホルモンの作用の関係について詳しい話しを伺いました。その中でいくつか気がついた事をあげておきたいと思います。

1つは、環境ホルモン問題の登場により、閾値(イキチ)・環境基準・摂取許容量等の概念を、すべて見直す必要があるだろうということです。同じ化学物質が、ある濃度以上では農薬の作用を持ち、いままでは問題無しとされていたうすい濃度ではホルモン様の作用を持つことなどは、多くの化学者・生物学者の常識外のことだったでしょう。少しなら大丈夫、うすければいいと言うことは、簡単に言えなくなった訳です。
2つめには、これは前から言われている事ですが、化学物質による複合汚染の影響は、いまだに良く解かっていない状態ですから、安易な実用化と環境への放出は慎重にすべきだし、後々チェック・回収が出来る体制が必要ではないかと思います。新素材と言われるような新しい化学合成物質を作る方には、大量の予算と人員が官民ともに投入されているのに、人体・生態系への影響を調べる方には、人も予算もまるでなかったわけだからこうなることはある程度予測されたはずです。(作る方にばかり大量の人がいるという構造は、ごみ問題と大変良く似ていますね。)ただ、実用化前後のチェックに関しては、特許・企業秘密の壁をどうするかという問題があります。
3つめは、遺伝子組み替え技術との関連で、核や受精卵を操作する時の器具、培溶液、薬品類からの微量の化学薬品との接触による予想外の異変などの心配が当然出てくるだろうということです。

4つめは、水道水をとおしての大量拡散の心配はないのだろうかということです。生物濃縮による食べ物からの摂取と、ダイオキシンに代表される大気をとおした摂取はよく知られていますが、日本の浄水場と下水処理場の現状を見ると、なんとも不安にならざるを得ません。先日、東総広域水道企業団笹川浄水場の職員から話しを伺いました。

その時の説明によると、農薬洗剤等の化学物質は、ポリ塩化アルミと粉末活性炭での吸着・沈殿の行程で除去されるのではないか、ということです。わかっているだけで約70種の環境ホルモン物質が、すべて除去できるとは思えないことと、87項目のチェックリストに環境ホルモンがどれだけ含まれているか、薄い濃度のチェックまで出来る体制にあるのか、など疑問点は残りました。下水処理場の下流で、水道の取水をしているところもある訳だし、一番影響が大きく出るであろう妊婦や乳幼児にとっても水の汚染は深刻です。この文章を書きながら、明日のヘリコプターでの農薬散布のことを考えると頭が痛くなります。
*科学・化学で本当に乗り切れるのか?……1つ乗り切れても次の問題の種になっていないか?……「夢のような~」や「便利で快適な~」「効率よく~」という言葉に躍らされることなく考える必要があるのではないでしょうか。

*:ヘリでの農薬散布は、日本全国の水田地帯で広く行われています。県の農林課と農協と自治体が協議会をつくって行うケースが多く、市町村全域の水田に散布されます。宅地化が進んできたところでは、とりやめるところも出ています。

 

 

デザート化する環境問題
【森元之】

以下の単語から具体的な姿を直ぐに連想できる人はかなり流行に敏感な人だと言えるでしょう。ティラミス、ナタ・デ・ココ、パンナコッタ、タピオカ、カヌレ、ベルギーワッフル、クイニーアマン……。これらは80年代後半からバブル期、そして現在までの間に流行したデザートやお菓子の名前です。(知らない人はまわりの人に聞いてみてください。)グルメブームの時に若い女性向けの雑誌が情報の発信源となって、それらを売っているお店に長い行列ができたり、お菓子メーカーや食品メーカーがそれらを取り入れたさまざまな食品を開発するなどの社会現象になったものたちの一部です。
最近では情報の発信源となるのがテレビに移り、主役となるのも女子高生になったようですが、メディアが仕掛けてブームを作り出すという構造は変わっていません。
さて、話はいったん横にそれますが、最近私はイライラしています。その理由はもやもやしていて明確にできませんでした。そのイライラは、前回の「どよう便り」の古田さんの文章(「遺伝子組み換え食品の論争における怒りとむなしさ」)を読みながらそれに共感した理由、そして今回の環境ホルモンについての講座を参加して感じたこととも原因が同じであることにようやく気付いてきました。

環境問題の出版物を出す仕事をしていて、この数年むなしく感じていることがあります。それは環境問題の中の個別の問題が1~2年サイクルのブームの対象となってしまったことです。80年代後半の半原発・脱原発の動きがしぼんでしまったあと、90年代にはいってから注目された問題を並べてみると……、フロンガスとオゾンホールの問題、電磁波問題、ダイオキシン、遺伝子組み換え食品ときて昨年の地球温暖化問題、そして今年の環境ホルモンというふうにマスコミが注目したときにだけ個別の問題がクローズアップされます。
もちろん、それ以前には一部の学者や市民運動にかかわっている人しか知らなかった様々な問題が、多くの人々に知られるようになることは必要でいいことです。しかし、一時的で過剰な反応は逆に人々の感心が急速に失われる原因にもなります。私が最近イライラしていることの原因の一部はどうやらそのあたりにあると感じています。
たとえば、脱原発ブームの時、広瀬隆さんがイタリアから輸入される小麦は汚染されているのでスパゲッティは食べない方がいい、といわれました。しかし、いまそのような理由でスパゲッティを食べない人はほとんどいないでしょう。原発もさまざまな事故があったにもかかわらず、そして世界の流れは廃炉の方向にあるというのに日本ではまだまだ存続しています。また電磁波が問題になったときには、「これは今世紀最後の環境問題だ」と表現した人がいたように記憶していますが、その後、そして今世紀が終わらないうちにあらたな環境ホルモンという問題がおこってきました。その環境ホルモンも元をただせば、かつてそしていまも作られている農薬や薬品であり、その問題自体は数十年も前から警告されてきていたことです。このように環境問題がブーム化している状況は、この文章の最初に紹介したデザートのブーム化現象と非常によく似ているように私には感じられるのです。つまりメディアによってブームが仕掛けられているという点が共通していると思われるのです。

ブーム化することがすべて悪いとはいいません。オゾンホールに対する懸念が世界中であおられたおかげでフロンの使用が制限、停止され代替フロンが開発されました。また最近の環境ホルモンに対する行政や学者・市民たちがそれぞれ情報網を立ち上げたことなどは、他の環境問題に比べれば非常に早い反応でそれは人々の感心が急激に高まったからでしょう。しかし、環境問題の多くは数十年単位で見ないとデータの蓄積もできないし、ましてやその評価もできません。にもかかわらず数年サイクルで人々の関心が移りかわることは余りよいこととはいえません。ですから私がイライラしていることの理由は、環境問題の根源となっている構造、たえば現在の経済システムや文明の方向性を問わないで、個別の問題の対処法のみがクローズアップされることなのだと思います。
こんな思いでいたら、NEWSWEEK(7/15号)に「環境ホルモンに大騒ぎしすぎ?」という記事があり、その中に次のような文章がのっていました。<……『奪われし未来』は、アメリカ、そしてヨーロッパで大きな反響を呼んだ。しかし、どこよりも大騒ぎになったのは(中略)日本だ。マスコミが環境ホルモンの恐怖を大々的に取り上げるなか、「あれも危ない、これも危ない」というパニックさながらの状況になっている。(中略)一方、欧米では、もうほとんどの人が環境ホルモンのことなど忘れてしまっている。日本政府関係者のなかにも、「あと二、三年もすれば別の問題が出てきて、環境ホルモンのことなどみんな忘れてしまうだろう」という声もある。>と。もちろん土曜講座はブーム化することはありませんので安心していますが……。

 

 

土曜講座「環境ホルモンの衝撃」に参加して
【黒木和子】

今、マスコミで注目されている環境ホルモンということで、非常に興味を持って土曜講座に出席させて頂きました。内容がとてもわかりやすく、その内容の深さに驚くことが多かったです。ゴミの焼却の際の不完全燃焼時にダイオキシンが発生することや、プラスティック・塩ビ製品・殺虫剤など、ありとあらゆる製品の中に、環境ホルモンが含まれていること。
すでに私たちの生活はそれらの製品にとりまかれている現実があります。恐ろしいことに、それらは分解されずに蓄積されるものも多いという。海はゴミ箱で、あらゆる毒素が、海へと流れ込み、魚や生き物に蓄積されていく。又、母親から子供へと……。
それは残酷な内容でした。昔、私が小学生だった頃、ラジオで今のこの現実を暗示するような話を聞いたことがありました。それは町のはずれに、大きな大きな穴が掘ってあり、人々は、処分に困ったものや、汚いものを、どんどんと運んでは土の中に投げ入れました。
そういう状態がずっと続き、穴が一杯になった時、今まで穴の中に投げ入れてた物が天から降って来たという話でした。その時、その話がどういう意味を持つのか解りませんでしたけれど、それは環境ホルモンのことではなかったかと……。
その話はどんな風に終わっていたか覚えていませんが、大量に消費をし、ゴミを増やし、捨てることで終わりにしている私たちのことの様に思えます。
私は環境ホルモンのことは社会問題としてマスコミも一時的に取り上げることではなく、継続して考えなければ解決できない問題と思います。
私たち個人で出来る範囲は限られているし、物を造る状態から見直しをしなければいけないと思っています。地球が汚染されて住めなくならないようにと願わずにはいられません。

 

 

もつれた糸がほどける想い 「環境ホルモンの衝撃」に参加して
【猪野修治】

久しぶりにたっぷり時間をかけて環境ホルモンの話を聞くことができました。いまもっとも話題となっているテーマであったので、大変に関心を持って参加しました。講座後の帰りの最終時間にちかい小田急江ノ島の電車の中の私は、こんなことを考えていました。はるか昔のことである。
百姓に嫁いだ現在93歳になる母が、昼間の農作業と家事のあとの深夜、働き手の男たちの使っている破れた農作業用衣服の修繕・裁縫をやっているとき、糸がもつれてどうにもならなくなると、いらいらし出して四男坊で末っ子の私が呼ばれ、よく手伝わされたことです。もつれた糸をなんとかほどこうとするが、そうすればするほどますますもつれ、にっちもさっちもいかなく、どうにもならなくなっていまい、しまいには母は泣き出すこともたびたびでした。しばらくして、なんとかそのもつれがほどけだすと、「いとも」簡単にほどけてしまうのです。
そのときの母の顔は、昼間の厳しい農作業と大家族で15人分の家事のときには、決してみせないなんとも言えない明るい表情を私にむけるのでした。「環境ホルモンの衝撃(その1)」の講座に参加した人たちにも、それぞれの感想があったでしょう。私には「母のなんとの言えない明るい表情」が自然によみがえってきたのです。これが私のこころの中に残った、すべてです。
が、ここで、おしまいにすると、「土曜だより」の読者から、「おまえはなにをいいたいのだ」と叱られることは間違いないから、もう少し感想やら私の身辺のことも入れて述べなくてはならないでしょう。
まず前半の薮さんの発表は、これまでの環境ホルモン問題にかんする盛りだくさんの研究書や参考文献を読み込み、「環境ホルモン問題はどのように明るみにでたか」を具体的に知らせてくれるものでした。実にわかりやすい語りでした。ここまでくるのが大変だったと思います。最近、やたらと氾濫する膨大な環境ホルモン関係の文献から、歴史的な事実関係として、的確に上記の表題に添う問題設定をいかにするかがです。薮さん自身、講座のなかでも述べておられましたが、そのための「こころの準備」として、「環境ホルモン関連事項年表」を作成されました。これがまた、ものすごい。
そこには、環境ホルモン関係に限らずそれに付随した政治の世界の動向も記されていて、必見です。その道の専門家でもない素人のなせるわざかとも思いました。この執念の作品である「年表」がボクシングでいうボディブローのようにじわじわと効いてきて、わたしのことばでいえば「どのように糸がこんがらかっているか」を具体的に示してくれました。実は私は恥ずかしながら、講座に参加する前は、研究者の論文集:特集「環境ホルモンの現在ー未来を取り戻すために」(『科学』1995/7)だけしか読んでいませんでした。個々の専門家・研究者の論文は実験の結果のうえに実証的であるのは当然ですが、それらの個々の研究者の仕事が、いったい、いわゆる環境ホルモン問題のなかで、どのようなことを問題にしているのかを知るには、この薮さんの環境ホルモン問題の全体構造を明示した内容はありがたかった。
後半の上田さんの発表は、薮さんの環境ホルモン問題の全体構造の問題の所在性を明示した研究状況の発表を受けて、いわば「専門家」に近い立場から、専門書をひもときながら「障害の現象面」、「生物学的背景」、「身の周りの環境ホルモン物質」を、27の表やグラフをもとに科学的な研究者の分析・考察を紹介してくれました。上田さんは発表のはじめに、これから理科の授業みたいになってしまうかも知れませんが、疑問が得ればその都度質問して下さい、と言っておられた。
生物学などまったく知らない私には、生物学的用語と概念をふんだんに織り交ぜ、けっしてやさしくはない話でしたが、なぜだか上田さんの話を聞いていると、「なるほどそういうことなのか」と、にかわにわかったような気になってしまうのです。不思議なことです。が、このことはきわめて重要なことを含んでいます。それはおそらく、土曜講座の考えた方(哲学)が「環境ホルモンの話題」を通じて具体的に表現されていることだと思っています。ここでは多くのことを述べる余裕はありませんが、生物学者の社会的責任の具体的表現としての「学問する姿勢」に関わることだと思っています。
ともかく、以前の「感染症爆発の時代」や今回の「環境ホルモンの衝撃」にかんする上田さんの発表を聞いてから、生物学関係の書物を買うはめになり、最近ではその財源に頭を痛めているというのが実状です。薮さんと上田さんの研究発表は、前者は環境ホルモンの問題がどのように顕在化してきたか、後者はその科学的研究の動向の分析でした。問題の所在を顕在化させることと、その生物学的な関係性を問いただすとうとする意味で、お二人の発表は車の両輪をなしていると思いました。こうしてみると、物理学、化学、電気機工学、……といういわば「攻撃的な学問」が、自然界のあらゆる生物(人間・動物・植物)の世界に、いかに自然の循環のリズムにそぐわない負の遺産をつくりだしてきたかを知る思いです。
さて、お二人の環境ホルモン問題の話を聞いて、私の身辺のことをいくつか述べておきたいと思います。私の甥・石川義典は国立ガンセンターの病理研究者です。彼は山形県高畠町の私の実家(農家)の長兄の末っ子で石川家に養子に入ったので石川を名乗っています。いまおそらく40歳位になっていると思いますが、あけても暮れても死者もしくはガン患者の「ガン細胞」を顕微鏡でのぞいています。宿舎が研究所の同じ敷地のなかにありますから、ほとんどの時間をこの研究に関わっていることになります。私と同じく農家の末っ子は高校を卒業すればさっさと家を出なくてならない宿命にあります。
その分、食いぶちがへるからです。高校時代はロックバンドで県内で知れ渡っていて、音楽の道に進もうと思ってやさき、高校3年のとき、内蔵の病気で急に倒れ二度ほど手術を受け、生死をさまよいました。それがきっかけで病理研究者となったのですが、仕事の内容はガン発生の原因究明の実証的研究とも言えるでしょう。
その甥に昨日電話して聞いてみました。「おい、元気か。君は毎日、ガン研究の最前線にいるが、ガン撲滅の日はいつかくるのだろうか。最近、病理学の科学的研究の「進歩」はめざましいと聞いているが、その進歩と裏腹に、ガン患者がいっこうに減らないばかりか、むしろ増えているというのはどいうわけなのか。
昨日、科学と社会を考える土曜講座という、私が関わっている研究会があって、環境ホルモンの話を聞いてきたが、君も私と同じ家の農家の環境で育ったからわかると思うが、君が生まれるころの生産第一主義の化学肥料・農薬づけに象徴される、大量生産・大量消費を煽る日本の産業構造のしわよせがじわじわと悪く作用し始めたとは、考えられないか。」さらに、私は、追い打ちをかけるように、「ガンの病理研究はもちろん大切だけれども、それと同時に、その原因を作り出していると考えられる産業構造の徹底した、近代的科学主義の思想に洗脳されてきた生活様式といった社会的事象までも、射程に入れた研究が必要なのではないか。」これにたいして甥は「修治あんちゃ(甥は私をそう呼ぶ)。
それはよくわかっているけれども、われわれ研究者はいまの仕事をこなすだけで精一杯で、それまでは手がまわらないんだよ・・・・・」。もうひとつ。私の連れ合いの姉「クニ子」のことです。クニ子はこの二十数年来、熱心な神奈川生活クラブの活動家・実践家です。私はつねづね文句なしに、ただただ頭が下がりっぱなしなのです。
電機企業に勤める連れ合いとの生活と二人の息子を「育て上げる」までの、この三十数というもの、一日も休むこともなくこんにちまで活動家・実践家であり続けている。
その日常はただひたすら自分の家族とその近隣周辺に住む十数人の人々に「新鮮で安全な食品・日用品を提供すること」、それにつきる。本誌の読者はよくご存知でしょうが、これがなかなか大変なことなのです。
その間、反原発のビラや遺伝子組換え食品にかんするビラを撒いたりはするものの、私のように書籍から入手する抽象的・理念的知識の頭でっかちの科学技術論や生活論などの「論」は、いっさいやらない。近隣周辺の人たちに配る食料品(ニンニク、ほうれん草、里芋、ニンジン、タマネギ、米……)の重さや数量をはかったり、使用済みのビン類・カン類・ダンボールの回収・整理をしたり……という具合です。
上でみてきたように、一方は医学が「進歩」する今日でも、なおもガン患者が増加する現実のなかでガン撲滅に関わるガン病理研究者、他方は大量生産・大量消費の産業社会に押しつぶされまいと、巨大な産業社会を相手に焼け石に水であることを十分承知しながらも、ささやかながらも自分を含む近隣の人々の食生活を必死に守ろうとするひとりの女。
この二人の生活と営みと、そしてこの感想文を書いている猪野修治という頭の毛がほとんどなくなってしまった(これも環境ホルモンのせいかな)ひとりの男の私のそれとは、どこでどうつながり、つながらないのでしょう。「外因性内分泌攪乱物質」を発生源とする驚くべき種々の生態系の崩壊の現実の原因究明と、その対策を考える今回の講座「環境ホルモンの衝撃(その1)」は、上記の生活者たちのそれぞれの営みの「糸」が、一見こんがらかっているようにみえるが、どうすればほどけて一本の糸につなげていけるか、さらには大量生産・大量消費の近代の産業社会の実体に正面から立ち向かう大きな手がかりを当てることになろうと思いました。
第2回の発表(9月12日)では、これまで述べてきたことを手がかりにして、「環境ホルモンをはじめとする合成化学物質の検証とリスク評価、適性管理をめぐって」の内容で、薮さんと上田さんのこの問題にたいするさらにつっこんだ議論と具体的な提言がなされると聞いております。ほんとうにありがとう。

 

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