リビング・サイエンス・フォーラム開催
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先の10 月30 日、「リビングサイエンスフォーラム」と銘打った集いが開かれた。佐倉統さん(東京大学助教授)、松丸淳生さん(東京大学院生)、渡辺保史さん(智財創造ラボ)、そして市民科学研究室の上田、古田ゆかりさんらをコアのメンバーとする「リビングサイエンス・ラボ」が主催した”活動立ち上げ”のためのイベントである。この「ラボ」の主旨は、メンバーがまとめた次の5 点の「宣言」にみられるとおりだが、実際の活動をどう展開していくかは、この集会をもって手探りを始めたばかりと言えるだろう。(佐倉さんと上田の対談もウェッブ上で公開しているので参照してほしい。 http://park.itc.u-tokyo.ac.jp/sakuralab/ )
1.生活者自身のために科学知識を再編集する方法論をさぐろう
2.生活者視点から科学・技術のあり方を問いなおそう
3.学問の垣根をこえたアプローチをしよう
4.科学の専門家と市民のネットワークを確立しよう
5.サイエンスの楽しい学びのあり方を探っていこう
当日は、これら5 つの観点に準じて、5 つの発表がなされた。その発表を軸に、前にラボメンバーからの趣意説明、後に”フリップボード・セッション”(ラボメンバーが用意した質問にフリップボードを用いて聴衆が回答し、それを手がかりに議論する)が行なわれた。発表者は次のとおりである。
宿谷昌則氏(武蔵工業大学助教授)「建築環境のエクセルギー」、渡邊朗子さん(慶応義塾大学講師)と古田ゆかりさん「「キッチンから見たリビングサイエンスの掘り下げ方」、上田と薮玲子さん(市民科学研究室・電磁波プロジェクト)「素人と専門家の連携をめぐって 市民科学研究室の活動から」、滝川洋二さん(国際基督教大学高等学校教諭、ガリレオ工房代表)「科学の楽しさをすべての人に」、そして人見達雄さん(雨水利用を進める全国市民の会幹事)「安全性の自己確認原則への道」ここでは当日の参加者のお一人に感想を記していただいた。■
フォーラムに参加して
東京大学大学院学際情報学府修士課程
寿楽 浩太
「リビング・サイエンス」。数ヶ月前に研究室ではじめてその言葉を聞いて以来、その「正体」は何なのか、漠然としたイメージを抱いてはいたのだが、どうもはっきりしない。ただ、これは今までの試みとはどこか大きく異なっている、期待を持てるに違いないという、ある「共感」とでもいうような感情が、会場に足を運ぶことを後押ししていたように思う。
会場に到着し、配布された資料に目を通しても、まだ「リビング・サイエンス」は明瞭な像を結んでこない。実践の紹介を聞き終えても依然としてピンとこないままだ。「共感」と引っかかりの狭間で一層すっきりしない。どうも自分の側に原因があるような思いに取りつかれ、次々と発表される実践の紹介を前にひそかに独り恐縮していた。結局、個人的な時間の都合もあって後半のディスカッションには参加できず、悶々としたまま会場を後にした。
それから数週間経って、締め切りを前にこうしてその時の自分の心境を振り返っているわけだが、「共感」と「疑問」の狭間について思い当たるところを記したいと思う。
まず、それぞれの発表で紹介された実践はどれも掛け値なしに魅力的であった。個々の発表を聞いている最中は、完全に話題に引き込まれ、頭の中でその意義を認めては、しきりにうなずいている自分がいた。「共感」に突き動かされたのである。これは間違いがない。
ところが、その合間に、「今紹介された実践は『リビング・サイエンス』をどのように形成していきうるものなのだろうか」と考えると、とたんにわからなくなってしまうのである。たとえば、「リビング・サイエンス」は従来の学問のスタイルとは逆に、個別性に富む、生活の中の事象から科学を再構築するという方向性を持っているとおぼろげに理解していたのだが、だとすると、今回紹介された実践は、それぞれどういう位置づけが可能なのであろうか。単にひとつの方法を示しているのか。理論的な枠組みを指し示すものなのか。あるいは頭でっかちなことは抜きに、実践の具体性にこそ注目すべきなのか。判然としないままである。
もちろん、そもそも「リビング・サイエンス」はこういった頭でっかちな議は軽やかに飛び越えて、広く実践のつながりの中で知識・情報・人などの「環」をつくり、これまでとは異なる生活の中での科学のあり方をインクリメンタル(手探り的)に模索するものなのかもしれない。
しかし、参画している人々はそもそも問題意識や感性を同じくする部分が多い、言い換えれば「共感」しあっているがゆえに、「環」を支える共通了解をきちんと言語化・体系化していかないと、個々の実践が「環」の中に位置づけを見いだせずに、次第に空中分解してしまうのではないか。残念ながら現状ではこの作業は足踏みをしているようである。
従来の科学のあり方が「人間の生活」という視点から見たときに問題を抱え込んでいることはおそらく間違いない。したがって「リビング・サイエンス」はそれに対峙し、あるいは補完しあうものとして非常に大きな意義を期待されるものだと思う。だからこそ、この「共感」からの飛躍、「環」の構築が非常に重要なポイントだというのが、「フォーラム」を振り返っての私の感想である。