写図表あり
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危機管理の重要性と一市民としてのかかわり
矢作 征三
これまで何故「危機管理」に取り組んできたかをお話させていただくと、外資系企業におよそ30年勤務し、その過程で、企業経営の危機管理に問題を感じていた事が背景にあります。企業において何故、同じような事件・事故・災害が繰り返されてしまうのか、と言う疑問があります。多くの一流企業で不祥事が発生し、永く培ってきた大事なブランドを傷つけ、あるいは企業の存続までも脅かす結果となったことは恐らく人々の記憶にまだ残っているものと思います。これをきっかけに、独りよがりではありますが、危機管理の必要性を訴えたいと取り組んできました。
最近、再び企業の危機管理の問題がクローズアップされ、メディアを賑わしています。自然災害についても同様な事象がみられます。新潟県中越地震では、阪神淡路大震災の教訓が活かされなかった事例が報じられ、約3年後の今年、新潟県中越沖地震で、再び、新潟県中越地震の教訓が活かされていない事例が報じられました。危機管理に関する問題が依然として解消の方向に向かっていないようです。
著書「地震対策 – 危機管理が企業を守る」(2005年6月 パビルスあい発行)の冒頭で「危機管理は企業の事業継続に不可欠であります。しかし、危機管理を行っていない企業が多い。」と注意を呼びかけました。『広辞苑』によると、「危機管理とは不測の出来事が引き起こす危機や破局に対処する政策・体制で、経済危機や平和の危機、テロやハイジャック、大規模地震などの自然災害に際して行われる」とあります。企業はこの不測の事態に何故備えができていないのだろうか、と考えを巡らしてきました。「出来事」に関する事例・情報を集め、また、危機管理について機会ある毎に学習、体験を積み重ねてきました。いくつかの貴重な知識・体験を挙げると、米国カリフォルニア州立特別訓練校(CSTI: California Specialized Training Institute)の地震コースに参加し、米国の災害対策の標準的対応方法(ICS: Incident Command System)を学ぶことができたこと、非営利特定活動法人危機管理対策機構(CMPO)の災害時対応・危機管理の啓蒙活動に参加し、スタッフとして企業、地方自治体、あるいは特定行政機関の災害時の緊急対応訓練に参加し見聞を広げ、疑似体験が得られたこと、そして、非営利特定活動法人事業継続推進機構(BCAO)に設立当初から企業の事業継続(BCP/BCM)の啓蒙推進活動に参加できたことなどがあります。また、その過程で同じ志をもつ多くの仲間と一緒に危機管理の輪を広げることに貢献できたことは私にとって貴重な収穫でした。
災害時、あるいは事件・事故の発生後によく見聞きする言葉に、「想定を越える事態であった」、「マニュアルにはない酷い状況で何から手を付けるべきか翻弄された」、「機動力が発揮できなかった」、「この様な事態になることは想像していなかった」、「思いもよらなかった」等があります。これらは経営責任者として安易に口にすべき言葉ではないように思われますが、発言者にはその事にも気づいていないようです。言葉の裏を返せば、想定していた災害、事件・事故発生直後の状況とは、自らが備えていた態勢で対応できると信じていたからに他なりません。つまり、その事態とは自分たちが想像する時に根拠となる災害、事件・事故による被害の程度が定義できており、それに対応する準備を整えていたということです。あるいは、その時になったらその時、どうにか対応できるだろうと起こりうる事態に任せ、半ば諦めの「受け身」の姿勢があったのではないかと考えてしまいます。何故なら、歴史的に災害、事件・事故は常に想像を超える被害をもたらし、被災者は悲惨な生活を強いられてきたと言っても過言でないからです。ここに、被害規模・程度を小さく限定して想定するのと想像を超えて大きいと想定する違いが問題点として浮き彫りになります。災害、事件・事故に備えるには、後者の「最悪の事態」を想定することが必須となる所以です。「最悪の事態」が想定できていないこと、あるいは、「受け身」の姿勢で対応しようとすることが問題を繰り返している原因ではないのだろうか。
近代化が進み高度に都市化し、ますます複雑さを増してきている日本の現状において、また、国際的経済の枠組みの中で日本の占める重要性を考えた時、これは憂慮すべきではないだろうか。我々の非常時の対応の主目的が「緊急時対応」中心になっていないだろうか。もしその通りとするとこれは「防災」の発想といえます。災害、事件・事故が発生したとき、「緊急対応」→「復旧活動」→「再開」→「復帰」となるのが一般的な自然な流れで、恐らく誰もがそれを理解することと思います。しかし、この自然な流れには大きな問題が潜んでいます。それは、何時までに以前の平常の状態まで「復帰」できるか、取り組んでみないと解らないという問題です。「緊急対応」がうまくでき、被害状況にうまく対応し、二次被害を抑えることができた、と喜び、その後平常状態への「復帰」はその時その時の状況に合わせできるだけ早く取り組み行動するというのではないだろうか。実際に「想定外」の被害状況に直面し戸惑い、その中で、みんなが協力し「緊急対応」をやり遂げ、評価すると言うのが現実です。これまでの(1)明確に想定できる被害程度に(発生の『原因』に標準を当て)準備を整え、(2)「緊急対応」に最善を尽くし、その後の流れは、(3)その時その時の状況に応じて努力をしできるだけ早く「復旧」・「復帰」する、というこれまでのやり方が本当に最善なのだろうか。日本が足を踏み外したら、そのことでアジアの国々、あるいは日本の経済的相手国が重病になってしまうようなことが起こってはいけません。我々はその責任の一端を担っているのです。
「スパインボード」を使った緊急搬送の実演
非常事態に積極的に、果敢に取り組むより効果的な方法が危機管理先進国の米国では緊急時対応の標準として定着しています。まず(1)被害規模・範囲は「最悪の事態」を想定し(被害の『原因』でなく『結果』に標準を当て)準備を整え、(2)組織的に予め決められ訓練された「役割」に基づく体制・方法で災害発生直後に「緊急対応」し、(3)平常時体制に一刻も早く「復帰」する事を『最終的な達成目的』として掲げ、「復帰」を達成するためにしなければならないことを準備の段階で具体的に取り決め、必要な組織体制を整え、更に、(4)「緊急対応」の時点から、ほぼ並行して「復帰」のためにすべき事に取り組みを開始する、という「積極的」な取り組みの方法です。それを実現するにはいくつかの条件があります。先ず、組織の最高責任者が災害対策の責任者としてリーダーシップを発揮しなければなりません。次いで、災害対策の専任担当者を任命し、権限の委譲と支援を約束し、更に、従業員の啓発・教育及び訓練を継続して実施することです。勿論これには正式に予算措置することが必須となることはいうまでもありません。これが「事業継続(BCP)」の考え方です。できるだけ被害を軽減し、そして、できるだけ早期に復帰することを主目的とした積極的な取組みです。もっと直接的な表現をするとこの取り組みの根底には事業あるいは業務はどんな事態に遭遇しても中断させないと言う確固たる経営理念に基づいた戦略的発想です。いまでは「事業継続」の対策が法的にも求められるまでに至っており、違反者には罰則を果たすことになります。これを国際的な取り決め(標準化、ISO化)にしようという先進国間の取組みが正に現実化されようという段階にあります。米国の9.11の同時多発テロ、あるいはハリケーンカトリーナでも多くの企業は大惨事に遭遇したにもかかわらず、二次被害の軽減と素早い復帰を達成しました。事前準備の充実と計画性、訓練がいかに重要であるかを実証しています。事業継続の計画が十分でなかった企業や不運にも多くの従業員を亡くした企業が倒産の憂き目を見たことも一方事実です。
「てこの原理」による救出方法の実演
これまで述べてきたことと、私たち一般市民とどのような関係があるのだろうか、という点について述べてみます。
私たち個人は、職場や社会において、会社の従業員、あるいは、組織のスタッフ、医者、教授、パート労働者、消防署員、学生などそれぞれの役割を担っていますが、職場以外でも自分の自宅・家族・親戚あるいは隣組・地域コミュニティの中でそれぞれ生活を営んでいます。災害や事件・事故が発生した時に個人が臨機応変に緊急事態に対応できるとそれは被害の軽減に貢献し、その結果、早期復帰の一助となることに繋がります。災害直後の混乱の中で、市民一人一人が混乱に翻弄されず、災害時要援護者の支援、負傷者の救助、救出、搬送ができると周囲の被災者に安全、安心を与え、隣近所、地域コミュニティの混乱を抑えることに繋がります。それは市民レベルの最大の貢献であるといえます。災害時にそのような行動ができる人は、日頃から身の回りの危険に対して気づきが早く、周囲への注意を促すことができます。つまり、個人レベルで危険・安全に高い関心をもち、職場や社会においても同様に関係者に対し貢献することになります。つまり、職場や社会環境において「事業継続」に繋がってきます。
問題は、個人レベルの危険・安全に対する関心、注意力をいかにして高めるかですが、これには体験をとおして身体で感じること以外に有効な方法はありません。体験がないと物事の重要性の大小を瞬時に区別・認識できません。重要事項、優先事項が肌で感じられないと災害時、つまり、「非常時」には役に立たず、それが人の命を守ることに繋がりません。「非常時」に会議を開き物事を決めるやり方は現実的ではありません。刻々と変化する被害の現場それぞれで判断し対応して行かなければなりません。人の命を守る前に自分の命を守らなければなりません。自分の身の安全を確保する行動ができないと、他の人に救助して貰う事態に陥るという事にもなりかねません。安全に関して感じ(身体を通した感覚)がないと危機管理意識は本物ではありません。反対に、もし、この「感じ」を個人一人一人が持つことができると、個人の集合体である職場、会社、組織はおのずと危機管理に対して判断でき、積極的に必要な準備を取り込み、「非常時」に備える行動に繋がります。危機管理はトップダウンの意思決定が欠かせませんが、一方、この個人個人が危機意識を高めるボトムアップも不可欠です。平常時の組織、命令・報告体制は、「非常時」には必ずしも役に立たないかもしれません。そのとき、臨機応変に、柔軟に緊急対応できる仕組みを構築することは極めて重要です。防災担当管理職がいない時、いても機能できなくなった時、誰か代わりに対応することが求められます。一刻を争う人命救助の時、緊急対応できる体制が必要です。その答えは、そこに居合わせた人が誰でも、そのとき、その場で対応できることが必要だということです。市民個人の危機管理対応能力は会社など職場における緊急対応能力に繋がります。この個人パワーが、危機管理の問題解決の糸口であると考える所以であり、「事業継続」の第一歩でもあります。そのために緊急時対応を疑似体験し、混乱した状況下で、重要事項、優先すべき行動は何か、どうするかを肌で感じ、見極める力を養ってもらいたいと願っています。■