漫画「美味しんぼ」騒動が示す低線量被曝の課題
―本当の意味での風化とは何か―
伊藤 浩志 (市民研・低線量被曝研究会)
pdfファイルはこちらから→csijnewsletter_026_ito_20140828.pdf
1.はじめに
週刊ビッグコミックスピリッツの人気漫画「美味しんぼ」が、福島の真実編で放射性物質の影響を疑わせる健康被害を描写したことから、4月下旬から5月にかけて各方面で物議を醸した。その後数ヶ月が経過し、美味しんぼ騒動はすっかり影を潜めてしまった。一連の社会の反応には、低線量被曝の大きな課題、すなわち原発災害記憶の風化に関わる本質的な課題が示されている。避難生活を続けるある被災者は、「最悪の状況」について次のように語っている。「本当の意味での風化です。私たち自身が、何が起ったのか、何を思っているのかを言えなくなってしまうこと。それが自分たち自身の風化です。諦めや泣き寝入りになってしまうことです。そうした中で、無力感にさいなまれるようになるのが、最も恐れていることです」1。本当の意味での風化とは何か。美味しんぼ騒動を振り返って、原発災害記憶の風化について考察したい。
2.美味しんぼ騒動
4月28日発売号から5月19日発売号まで三回連続で掲載された「美味しんぼ」福島の真実編は、実在する人物を登場させ「(被曝が原因で)鼻血が出たり、ひどい疲労で苦しむ人が大勢いる」、「除染をしても汚染は取れない。(福島県を)人が住めるようにするなんて、できない」などと語らせたことから、地元福島だけではなく中央政界をも巻き込んだ社会現象「美味しんぼ騒動」を引き起こした。
福島県は5月7日、「本県への風評を助長するものとして断固容認できるものではなく、極めて遺憾」などと発行元の小学館に抗議した。双葉町も7日に、川内村は14日、ガレキ処理を指摘された大阪府知事と大阪市長も連名で12日、小学館に抗議文を送った。安倍晋三首相は17日、記者団の質問に対して、「放射性物質に起因する直接的な健康被害の例は確認されていない。いよいよ福島の復興も新しい段階に入ってきた。根拠のない風評に対しては、国として全力を挙げて対応していく必要がある」とコメントした。石原伸晃環境大臣、菅義偉内閣官房長官、森まさこ内閣府特命担当大臣、根本匠復興大臣ら関係閣僚も9日から16日にかけて、立て続けにコメントを発表。環境省は13日、ホームページ上で反論した。
朝日、読売、毎日の全国紙3紙、福島民報、福島民友の地元2紙はそれぞれ複数の企画を立て、有識者や福島県内外の被災者の声を紹介した上で、全紙社説で美味しんぼ騒動を取り上げた。読売、福島民報、福島民友3紙の見出しには、「風評」の文字が踊った。渦中のビッグコミックスピリッツ編集部は19日発売号で、最終話とともに「『美味しんぼ』福島の真実編に寄せられたご批判とご意見」を10ページにわたり掲載2。4団体、12人の有識者の見解を紹介し、末尾で村山広編集長名の編集部の見解を表明した3。一方、福島県内の4つの市民団体は15日、発行元に抗議した福島県の行為は「表現の自由の侵害にあたる」として、抗議文を佐藤雄平・福島県知事に送り、21日に福島県に抗議する緊急記者会見と市民集会を行った。23日には別の団体が集会を開き、健康被害を訴える当事者と有識者が「被曝と鼻血の因果関係は否定できない」と、政府や福島県の対応を批判した。
世論の動向を踏まえ、放射線被曝による住民の健康影響と対策を検討している環境省主催の専門家会議4は20日、時間を設けて美味しんぼ騒動について議論した。会議では、「鼻血を診察した経験は1例もない」という3年間診療を続けている地元医師の談話が紹介され、結論として「定量的に福島の放射線量では科学的に(鼻血との)因果関係を考えることはできない」との見解が示された5。
「鼻血」の話はデマだったのか。だとしたら、以下に紹介する福島県在住の母親の声を、どのように受け止めたらいいのだろう。
鼻血のこと、因果関係が認められないこと、自分でも分かっているので、子供と話したことがない。うちの子供たちも、鼻血を出したことがある。鼻血以外にも心配なことがいくつもある。でも、お医者さんに行っても、話したことは一回もない。
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