市民科学研究室 これまでの歩み1992年~2008年

投稿者: | 2008年12月21日

代表・上田昌文

◆市民向け講座として発足

 市民科学研究室の出発を記した文書がある。1992年7月10日付けで、現在代表を務める私が、当時の知人たちで関心を持ってくれそうな50人ほどに送りつけた「科学と社会を考える講座をはじめます」というB4で1枚の文書だ。そこにこうある。

 (前略)大半の大学生にとって、今の大学教育は実に中途半端な魅力の少ないものではないでしょうか。世界の現状に目を向け、その問題の所在の一端に触れること、そして問題の解決のために自分の思考を発動させ、民主的な社会の一員としてどう参画できるかを構想してみること……知ること・学ぶことが、現状を変え得る主体としての自覚の深まりと不可分であるような、そのような”学び”をもし体験できないとすれば、大学教育はやはり失敗だといわなければなりません。(中略)私たちが解決・対応を迫られている環境破壊、原子力発電、遺伝子操作、臓器移植や生殖技術、コンピュータ化などの問題は、科学技術が造り変えてしまった世界の産物です。ですから、個々の問題を知的に把握する必要があるだけでなく、科学に対していかなる態度をとるかという思想的な問いとの対決を回避するわけにはいきません。この問いに真摯に取り組むことは、科学技術時代に剥奪されている、私たちの”生きること”の意味を、奪回する作業に通ずるのではないでしょうか。(後略)

 このいくぶん気負った呼びかけに応じて集ってきた方々を前に、私なりに提供した講座のメニューは、現在の市民科学研究室のホームページに収めた「これまでの市民科学講座」の一覧表を見ていただければわかる。当初は月2回というペースで、最初のほぼ1年間を私が単独で講座を受け持つという形だったが、次第に外部の講師も招くようになり、また、常連の参加者となった方々とペアであるいはトリオを組んで発表者の側にまわるようになる、その様子がそこから読み取れる。この発表は、素人による問題のとらえ直しという性格を強く持つもので、言ってみれば学校で生徒が課されるような”レポート”を、自らの選んだテーマについて自らに課すという具合である。独自の調査をふまえてのものではないけれど、広く文献を調べ、今まで学んだことのない専門的な事柄に突きあたっても、共同メンバーでなんとかそれを読み解こうと稚拙ながらも議論を繰り返して、選定したテーマにおける問題の所在、関連する情報、自分なりの見解や解決への見通しといったものを、曲がりなりにもまとめてみる作業である。

 この”共通の関心をいだくメンバーで議論を重ねながら問題を自分たちなりにとらえ直す”というスタイルは、何も学問研究にだけ必要なのではなく、社会問題に真摯に向き合おうとする者であるなら、学問を仕事としない市井の人々にとっても必須だろう。しかし実際には今の世の中で、具体的な被害を受ける(あるいは受ける恐れが強い)事態に直面しない限り、大半の人々は当該の問題を我が事としてとらえ返す労はとらないだろう。「科学と社会を考える土曜講座」が提供していたのは、知的関心と受苦者への共感を導きの糸にして、社会問題を自分に引きつけてとらえ直していくことのレッスンだった、と言えるかもしれない。

◆講座の2つの方針

 この「科学と社会を考える土曜講座」は、しばらしくしてそれ自体が組織名となったわけだが、月1回のペースで休むことなく続けられ、現在は「市民科学講座」の名で通算200回を超えるにいたっている。思い返せばそこには、テーマを幅広くとることとわかりやすく語ることという2つの方針が貫かれていた。2002年7月に開催された「10周年記念パーティ」の配布冊子で、私は活動の趣旨や講座の性格を次のように要約している。

 活動を続ける中で明確に自覚できたのは、「可能な限り幅広いテーマを取り上げる」、そして「どんなに難しそうな話題を扱うときでも、初めて来たどんな人にでもわかってもらえるように話す」という点の大切さでした。
 140回ほどの研究発表会のテーマは、言ってみるなら、百科事典的に多様です。(中略)これらのテーマの広がりは、科学技術問題へ攻め口がじつにいろいろあり得ることを示していると思います。未成熟なもの、問題の端緒にしか入りこめていないものも多いのですが、流動する世界の情勢に対応すべく分野・領域横断型の問題設定が必要とされる時代にあって、何らかの示唆を投げかけるものではないかと自負しています。

 また、わかりやすさを保ち続けるという点は、裏返して言うなら、自分が本当にわかるまでしっかり調べ考える、自分の考えたことを仲間とすり合わせて吟味する、といった掘り下げの努力があって初めて確保されるのです。もちろんこれについても、仕入れたばかりの知識を未消化のまま紹介しているという部分もあったりして、いつも成功しているとは言えないのですが、「自前の共同研究」を重視してきたこと、つまり素人がチームを組んで3、4ヶ月かけて勉強して発表するというやり方をできるだけ貫いてきたことは、必然的に学問を”既成のアカデミズムの世界だけに閉じこめないで市民に開かれたものにしていく”ことの一つの実践であったと思うのです。分かりやすさの追求には、アカデミズムへの挑戦の意図が込められている、と言えるでしょうか。

 これに加えて、長く続けていくことの秘訣を次のようにまとめている。

 土曜講座は、規模は大変小さいけれど、いろいろな可能性がつまった場になっていると思います。単なる勉強会・研究会でもありません。(中略)人間的な心の交流が密であり、現代の社会にあってなかなか希な”信頼で結ばれた自由な空間”を作り出しているのではないでしょうか。それがあるからこそ、お互いの知識を分け合ったり、何か協力を呼びかけて動いたり……ということがスムーズにいくのだと思います。

 ここで言う交流を生むための仕掛けとして、毎回食事係を決め、講座の後に講師を交えながら皆でその場で夕食を取り歓談したこと(西新宿にあった「カトリック社会問題研究所」のホールを館長の神父さんの厚意で専用の会場としてを使うことが可能だった時期に実現した)、毎年夏には2泊3日の合宿を、冬にはクリスマスパーティを必ず実施したことなどが挙げられるだろう。興味深いことに、どんなイベントをしても、男女比はほぼ1対1になり、その中には料理の上手な人が必ず数人混じっていた。

◆研究プロジェクトチームの誕生

 共同発表を担う者は、ほぼ3ヶ月から4ヶ月をかけて調べ、議論し、レジュメを作って本番に臨むわけだが、さらにつっこんで継続的に調べてみたいという気持ちが起こるのはごく自然だろう。これを実現するための形が最初に整ったのは、1999年の「電磁波プロジェクト」の発足だった。

 携帯電話電磁波の健康影響に関しては、専門論文がいろいろ出始めていたが、爆発的に普及する機器を人々はどんな具合に使い、どんな曝露状況が出現しているのか、じつは意外に調べられていないことが判明した。海外での報告書も読み込みながら、携帯電話に関する1300名規模のアンケート調査や、比較的近い周波数である放送電波(東京タワー周辺を調査対象とした)の電波強度分布の調査を実施し、専門の論文や学会の発表をもこなしていった。

 その活動が刺激となって、他にも様々な研究プロジェクト(PJ)チームが誕生した(2005年の法人化の時点での各のチームとリーダーの名は、科学館PJ(古田ゆかり)、ナノテクリスクPJ(藤田康元)、食の総合科学PJ(小島玲子)、生命操作PJ(松永徹人)、電磁波PJ(上田昌文)、低線量被曝PJ(上田昌文)、水と土PJ(森元之)、宇宙開発再考PJ(河野弘毅))。「市民向け講座」に、「素人のチームによるの調査研究」を加えて両輪とする活動への展開を改めて意識し、シンクタンク的機能を明確に打ち出そうと、2002年には「市民科学研究室」という組織名に変更した。

 これらのプロジェクトチームの成果の公表は、(助成金を使った研究による)報告書、コミュニティウェブbabycomのサイトでの調査結果の公開、学会での発表、学術誌の論文、新聞報道、講演やシンポジウム参加など様々に行われたが、その中には政策提言や申し入れとして関係省庁や企業に出されたり、ウェブを使った新しい情報交換サイトの創設や子ども向けの教育プログラムの開発に発展したものがある。

◆法人化を契機として

 複数の研究チームが順調に活動を展開していくためには、これまで以上の資金と効果的な情報発信が必要になる。運営体制の面では、「代表1人での切り盛り」から始まって、「代表+2ヶ月交代の運営委員1名」を経て、「数名の運営メンバー(代表+わずかではあるが月額の手当を受け取りつつ1年交替で事務を担う運営委員1名+数名の常任委員)」に至り、専任の事務アルバイトを雇うまでになっていたことを考えれば、法人化は早晩めぐってくる事態だったと思われる。

 法人格を取得する契機になったのは、科学技術振興機構・社会技術研究開発センターからの研究助成への公募が採択されたことである(「生活者の視点に立った科学知の編集と実践的活用」(2004年12月~2007年11月、報告書は同センターのホームページからダウンロードできる))。この研究をとおしてそれまでの10年ほどの活動を振り返って、市民科学研究室の活動のあり方を概念的に整理し、新たな戦略を構想することになった。

 法人化(2005年3月11日)に際しての「設立趣意書」では次のように述べている。

 (前略)こうした危機を乗り越えるには、科学技術がもっぱら専門家によって研究開発され一般市民はその成果を享受するだけという、これまでのあり方をどこかで変えなければならないだろう。そのときに肝要なのは、一般市民が「科学技術のことは専門家にお任せする」というこれまでの姿勢を改め、専門家や政策立案にたずさわる人々に自分の意思をきちんと示し、ともに問題解決をはかるよう働きかけることであろう。素人にとって歯が立たないように思える専門知識に対しても、様々な助力のもとに市民が上手に向き合っていく方法があるものと思われる。
 以上のような観点に立つとき、「市民科学」という営みの大切さが浮上してくる。市民科学とは、(1)市民が不安や危惧を抱く問題をみすえて、その問題解決のために調査研究をすすめる、(2)科学技術のあり方に関して市民の問題意識や関心を高める、(3)市民と専門家の間の対話を促進し、専門性の障壁をうまく乗り越えていく、(3)科学技術政策に市民の意思が適切に反映されるようにする、といった総合的な取り組みである。すなわち市民科学は、科学技術の活動が展開される様々な局面で、市民が主体的・実践的に関与していく機会を作り出していくことであり、総体として科学技術の発展を適正に制御し、持続可能で公正な社会の実現を目指すものである。

 ホームページを大幅にリニューアルし、「市民科学」「リビングサイエンス」の言葉を全面的に打ち出したのもこの時期である。法人化に伴って、理事メンバーも確定して、年単位で活動の評価を行いそれを公式に文書化するという流れもできた。
 先の助成研究において、生活者を基点として科学技術の総体を見直していく活動を「リビングサイエンス」と規定して、「生活者と科学技術の関わりの類型化」を、分野軸(18分野)、価値軸(6つの価値観)、生活者の能動性軸(3つのフェイズ)、関与軸(7つの関与形態)として一応系統的に整理できたことは、今後いかなるテーマに取り組もうとも、市民科学研究室なりのアプローチを鮮明にする上で有用な道具立てになると思われる。

◆新たな挑戦へ

 順調にみえる以上の歩みも、裏返せば多くの困難と課題がのしかかってきた歩みでもある。資金不足ゆえ、常勤の勤務体制がとれていない(上田は常勤だが給与はなく、むしろ家賃分を個人で負担をしているのが現実で、事務局は有給だが現状では週2回にとどめざるを得ない)。意欲を持って関わってくれるすぐれた資質をもった人を育てる上でも(そのノウハウはある)、探りあてたアイデアを社会に有用な変革の道具立てとして練り上げていく上でも(人的ネットワークや見通しはある)、会員数の伸び悩みや資金不足をどうにかして解消する必要がある。地域との結びつき、企業や大学との連携、政策提言の具体化に向けた立法・行政面でのふみこんだ検討の機会など、新しい可能性の芽が出てきている今、より緻密で斬新な戦略を打ち立て、より魅力的で開かれた交流の場を創り出していくことが求められているのだと考える。新たな挑戦はすでに始まっている。■

(『市民科学研究室 年次報告書2008』より)

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