「食育」について

投稿者: | 2008年12月4日

上田昌文

 毒入り餃子、産地偽装、事敀米……2008年は食の安心・安全を揺るがす事件が相次いで起きた年でした。こうした事件の背後に何があるのかを考えてみると、日本の食の海外依存の大きさの問題に行き当たります。国内では、農業に従事する人がどんどん減るとともに世界でも類をみない高齢化が進み、耕作放棄地も増えています。また漁業では、日本での水揚量は年々低下し、代わって輸入が年々増加してその量はいまや世界一になっています。このような傾向がそう簡単には変わらないとすれば、たとえば”国産”を扱う食品業者は、安く入ってくる外国産に太刀打ちできないという苦境にこれからも立たされ続けるでしょう。一方、毒物混入や偽装などが繰り返されるほどに、「外国産は危ない」といったイメージが強くなり、何がどの程度ほんとうに”危ない”のか(安くて便利な外食や加工食品をよく利用する人は必然的に外国産を多く食べていることになります)、あるいはそもそも「国産を増やす(あるいは自給率を上げる)のに自分はどう関われるのか」という根本的な点に目を向けないまま、 “安さ”と”危なさ”の間を揺れながらの丌安な選択を、消費者は続けることになります。

 こうした事態を尐しでも改善するために、消費者には今何ができるかを明らかにして、よりよい行動を具体的に促す――言ってみれば、消費者を変えるための「食育」が今求められている、と私は考えます。そのポイントは次のようになるのではないかと思います。

 第一に、「食べることは命が命を取り込むこと」という食の根幹に関わる認識を、どれくらい深く持てるか、という点です。

 パック詰めされてスーパーの棚に並ぶ豚や牛の切り身を見て、もとの動物の姿を連想することは難しいでしょう。畜産にまつわる様々な問題――飼料のための膨大な穀物消費、過密な飼育環境の中で病気の発生を抑えるための抗生物質などの薬剤の使用、糞尿の処理、屠畜、BSEなど――は、動物の命をいかに大量に安価に安定的に食品に変えて供給するかというシステムが抱えてしまった問題です。「食べ物は商品である前に生き物である」というあたりまえのことを忘れてしまっては、そうした問題が深く受けとめられるはずはありません。ことは動物に限りません。お米作りを一度でも通して経験した人は、稲という植物を人がいかに知恵と工夫を傾けて育ててきたか、その歴史の厚みと農作業の労苦の一端にふれて驚くでしょう。気候や水や土壌などの複雑な自然の条件を相手にしながら、一つの命を豊かな実りにまで導く仕事は、私たちの命を支える根本の仕事です。このことへの理解が消費者の側になくては、食の問題の解決はありえません。

 第二に、自分で料理を作ること、食卓でふるまうこと・ふるまわれることを大切にしているか、という点です。

 がん、糖尿病、肥満などの種々の生活習慣病を患う人の数は、高度経済成長期以降、驚くほど増えましたが、その主たる原因の一つが食生活です。ご飯、味噌汁、納豆、魚、海苔やひじき、そして漬け物など野菜を使ったお総菜、といった低カロリーで栄養バランスも優れた和食が食事の基本としてどの家庭でもしっかり根付いていたなら、上記の病気は決してここまで増えはしなかったでしょう。旬の素材を使い、発酵やダシの旨味を生かし、保存も上手にこなす…… そんな技を発揮して「美味しい!」と喜んでもらえる料理を作る楽しさを、多くの人が手放してしまったように見えるのは、とても残念なことです。食べることの大切さ(環境や健康の面でも、美味しさの面でも、生き物の命を大事にするという面でも)、そして共に食卓を囲む楽しさを痛感する人は、その大切さ・楽しさに見合った手間暇を料理にかけることを厭わないものです。

 第三に、食の安心・安全は、食におけるよりよい”つながり”を築くための労力と表裏一体になっている、という点です。
 
 消費者の立場からすれば、「できるだけ安い物を」「手間のかからない形で」という要求は、現状の大量の生産・流通・消費システムを前提とする限り、「安全で安心できるものを」という要求とは両立しがたいということを、しっかり認識しなければなりません。遺伝子組み換え食品がよい例です。仮にあなたが「遺伝子組み換え食品は避けたい」と思っているとしましょう。それを本当に避けるために、あたたにできることは何でしょうか? パッケージにある「遺伝子組み換え大豆は使っていません」という表示は、実のところ混入率5%未満であれば”使っていない”ことにしているだけですし、通常価格の油や加工品や飼料にはすでに組み替え大豆が使われています。米国などの輸入先では遺伝子組み換え大豆が大幅に普及し(約90%)、もはや非組み換え大豆は手の届かないような高価なものになりつつあるのが現状です。安全と安心を本気で願うのなら、生産者とのよりよいつながりを、どう手を携えて回復し確かなものとしていくかに、消費者が自ら身を乗り出していかねばなりません。その”つながり”を自分の手に感じるようにならなくては、本当の安心と安全は得られないのです。

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