第5章Hiding science (科学を隠すということ) 結論

投稿者: | 2015年4月7日

「Bending Science研究会」より翻訳とエッセイ
第5章Hiding science (科学を隠すということ) 結論
翻訳:中野 浩

pdfはこちらから→csijnewsletter_029_bendingscience_nakano.pdf

自らの生産品とその諸作用について衛生および安全性の研究を実施している私企業はしばしばひとつのジレンマに直面する。長期にわたる副作用の可能性を示唆する予備的な科学研究をそれらの私企業が公表した場合、そうした発表が潜在的な顧客を遠ざけ、行政による規制を刺激し、しかも費用のかかる不当な訴訟を引き起こすかもしれない。その研究を私企業が明らかにしない場合、活動家たちや原告弁護団あるいは行政に属す検察官さえもが人間の健康と環境を守ろうとするのに必要とされる情報を隠そうとしているとして、それら私企業を告発するかもしれない。行政による規制は費用対効果のバランスをより複雑かつ不透明にしているけれども、監督官庁当局者たちも同様なジレンマに直面している。予備的な科学研究が、商業的に重要な生産品とそれらの作用が公衆衛生上のリスクをもたらすかもしれないということを公衆に気づかせることは、公衆を不要に驚かすことになりかねない。公衆衛生上有益な医薬のような生産品の場合、公表することは有害無益である。しかしながら、情報を公表しないでいると、強大な経済的利益を守るために政治的な啓示を受けたとか不法な隠蔽に関与したとして次に監督官庁が告発されることになりかねない。

現行法の保護力では、経済的あるいは政治的に都合の悪いニュースをでき得る限り隠蔽しようとする私企業の、または行政の生まれながらの本性と戦うことはほとんどできない。反対に、「取引の秘密」の契約法と慣習法が隠蔽しようとする私企業の本性を補強している。雇用契約の隠蔽条項を以て、雇用者‐出資者たちは有害な調査結果を隠蔽することに同意しない従業員を解雇できるだけでなく、情報が誤りとなれば公表により損害を被ったとして、また企業の評判に損害を与えたとして彼らを訴追することもできるのである。アメリカ合衆国の法規上、取引の秘密が神聖さを享受している。その神聖さこそが、企業内部の研究を広めることへの厳しい規制は私企業の知的所有権の活性化に欠かせず、よってそれには社会的な効果があるのだという幻想を注意深く保持することに貢献しているのである。その状況に対抗し得る公共政策上の配慮は取引の秘密に関する法規の進歩には何の役にも立たなかった。公衆衛生と環境への深刻な影響を減らすためには政策関連の科学情報に公共上しっかりアクセスできることが欠かせない世界で、それらの配慮はあまりにも軽く扱われているのである。

現代の衛生および環境法規に包括的な慣習法としての資格が侵食していることもあって、現行法体制では強力な私企業が関係する科学情報を隠蔽しようとする気持ちを打ち消すことはできない。法的改革が報告と公開の義務の存在を明確にし、強化することは避けられないので、第10章Restoring science(科学を元に戻すこと)において現行法体制の適切な変革に向けていくつか示唆してみる。しかしながら、合衆国議会が動き出すまでは、企業自らが責任と調整費用を負いかねない公衆衛生上のリスクを発表するということと、利益を守るためには副作用を秘密にするということとの間で厳しい選択に企業は取り組み続けることになる。本章で言及した過去の隠匿の多くの事例は、企業がそのジレンマをどのように解決しようとしているのかについて公衆は楽観的であるべきではないということを示唆してくれているのだ。

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