「人間科学」としてのBending Science

投稿者: | 2015年4月7日

市民研 「Bending Science 研究会」メンバーによるエッセイ(その2)
「人間科学」としてのBending Science
瀬野 豪志(Bending Science研究会メンバー、「蘇音」代表)

pdfファイルはこちらから→csijnewsletter_029_bendingscience_seno20150313.pdf


Bending Science(「ねじ曲げの科学」)研究会では、毎回、科学研究における「ねじ曲げ」の事例をいくつか知ることになるのだが、しばしば何とも言えない気分になる。「法律家が書いている文章だから」との意見もあるので、もしかしたらそのせいなのかもしれない。研究不正の話を聞くときもそうなのであるが、現実とは本当に恐ろしいものである。たとえば、食品や医薬品の安全性を検証する研究に製造元の企業による「ねじ曲げ」が関わっているというのは、どうしようもないとしか言いようがない。企業がお金で研究者を懐柔しようとするだけなら、まだ想像できる。ウソっぽい広告でだまそうとするのも、まだシャレとして受け入れられる。しかし、わざわざ研究活動の領域に入ってきて、もっともらしい研究として「ねじ曲げ」を行っているというのは、いくら利益が関わるとはいえ、いかがなものだろう。そのような研究はどのような思いで行っているのだろうか。しばし、あれこれと考えた後、どうしようもない気持ちの整理がついたところで、人々が重要だと考える研究テーマだからこそねじ曲げ甲斐もあるのだろうと、やや落ち着いて考えられるようになる。……
【続きは上記PDFでお読み下さい】

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