9・11事件、そして持続可能な社会
2001年9月11日。この日は私たちの記憶から忘れ去られることはないだろう。米国への同時多発テロ事件は、様々な憶測を呼んだ。大方の見方はオサマ・ビンラディン率いる「アルカイダ」による犯行とされているが、いまだ数々の疑問を残している。本稿では現在上がっている謀略説に拘りすぎず、911という事件を戦争の歴史、役割りという観点から俯瞰してみたい。そのことによって911事件の意味が鮮明に浮かびあがってくるようにも思う。
さて、テロ事件直後の昨年9月15日から、友人ら、そしてインターネットを介して集った人々と共に「CHANCE!(平和を創る人々のネットワーク)」を立ち上げ、911やテロ、戦争、紛争、グローバル化など様々な問題についての理解を深め、変革していく活動を展開してきた。第139 回の土曜講座研究発表ではCHANCE!の運動論について、また夏合宿においては、911事件をめぐる世界情勢について報告した。本稿は主に夏合宿での報告内容に加筆したものである。
科学と社会を考える土曜講座運営委員/CHANCE!呼びかけ人
環境・サイエンスライター 小林一朗
戦争と環境破壊
「戦争」は人類の行為のうち、最大の環境破壊をもたらす。では、どのくらい戦争で環境が破壊されるのだろうか。表は湾岸戦争の際の環境破壊の一例である。油井が炎上し、日中でも真っ暗闇になっている光景がテレビで放送された。湾岸戦争で排出された汚染物質量の試算を㈱環境総合研究所の青山貞一所長のグループが行い、報告書にまとめている1)。燃えた原油の総量300万バレルは、日本で一日に消費される総量に相当する。日本は世界で排出されるCO2の約5%を排出するCO2排出大国であるから、焼失した油がどれほどの量なのか推し量れるだろう。また、精製前の原油が燃えたことから、除去されていない硫黄分がSOXとしてそのまま放出された。他にもNOXや黒煙も生成した。SOX、NOXは酸性雨を引き起こし、黒煙は特に呼吸器系に被害を与える大気汚染物質である。この炎上した油井、当初はイラクのフセイン大統領が火をつけたとメディアは報じたが、クウェート情報局は38の油井は多国籍軍の爆撃によるものであることを公表した2)。(またアメリカの元司法長官ラムゼー・クラークらの調査によって、イラクの被害状況の報告のみならず、湾岸戦争そのものがアメリカ政府による謀略であったことが告発された3))
ペルシャ湾に流出した原油による海洋汚染も著しかった。ペルシャ湾はホルムズ海峡から西に膨らむ形の内湾なので、汚染物質が希釈されにくく、浄化には長い時間を要する。湾岸戦争が環境を汚染した代名詞的な映像がある。油まみれの水鳥の痛々しい姿が環境汚染の深刻さを物語った*1。
戦争中、合計100万発使われた劣化ウラン弾は、大気中に3~6トンの劣化ウランをばら撒くこととなった5)。琉球大学の矢力崎克馬教授によれば、「広島に落とされた原爆の1万4000倍から3万6000倍の放射能原子がペルシャ湾岸地方にばらまかれた」というほどの汚染をもたらした。放射能汚染が原因で、白血病や癌が急増し、「激戦地となった南部の都市バスラ市内の癌による死亡者数は、戦前の1988年には34人にすぎなかったのが、戦後5年目の96年には219人と激増、以後も年々増え続け、2000年には586人に達した」とフォトジャーナリストの森住卓氏は報告している。特に胎児や子どもたちへの被害が深刻で、イラク全土で5分にひとりの割合で子どもが死んでいるという6)。
引き続き、ボスニア紛争でもNATO軍により劣化ウラン弾は使用され、従軍した兵士にも放射線被曝の影響が現れている。なお、従軍兵士に劣化ウラン弾の使用と危険性は一切知らされることはなかった。劣化ウラン弾に使われているウランは着弾時の熱で微粒子となって飛び散る。周辺に住む人々は、呼吸によって飛散したウランを肺の奥にまで吸い込んでしまう。その結果、永続的に内部被曝を受けることになる。
ボスニア紛争の際にドナウ川に面するパンチェボコンビナート空爆による環境汚染が報告されている。化学物質を大量に抱えている工場が爆撃されたので、在庫として保管されていた化学物質が大量にドナウ川に流れ出した7)。
*1 後に問題の映像の油流出は、イラクによるものではなく米軍による原油貯蔵タンクへの攻撃によるものであることがわかった4)
戦争による環境破壊といえば、ベトナム戦争の際にアメリカ軍が使った枯葉剤を思い起こす。2・4・5-T系枯葉剤、別名エージェント・オレンジには人間が作り出した最強の毒物であるダイオキシン類を0.025%含んでいる。この猛毒の枯葉剤を、ベトコンゲリラの掃討目的に1962年から72年の十年間に8万6000トン撒いた。含まれるダイオキシン類は111キログラムとなる8)。
いったん戦争が始まると、勝つことが至上目的となるため、環境保全への考慮など眼中になくなってしまう。エネルギー効率よりも破壊力を重視するために膨大なエネルギーが無駄になる。排気ガス対策をした戦闘機などないように。
世界的に環境問題への関心と保全の取り組みが高まっている今日において、環境面からももっと戦争反対への声が高まってよいと思うが、環境省や環境NGOは必ずしも戦争を止める活動に積極的ではないように見える。環境面からもっと戦争に反対する意見が上がってもよいと思う。戦争は長年かけた環境保全の取り組みを水泡に帰してしまうのだから。
戦争の形態変化
戦争が行われる際、「市民を守るために戦争はやむをえない」と政府は説明する。しかしデータは戦争によって私たちの命は脅かされている現実を示している。特に近年、その傾向は顕著になっている。表は戦争で犠牲になる人々の割合の変遷を示したものである。第一次世界大戦の時、亡くなった人の95%が軍人で、一般市民の犠牲者は5%だったが、時を経るにつれ、この割り合いが逆転している。ベトナム戦争に至っては、第一次世界大戦の比率と丁度逆転し、軍人の犠牲者5%に対し、民間人の犠牲者は95%に達している9)。こうした数値を見ると「人々の身を守る」という政治家の発言は戦争を遂行するためのプロパガンダに過ぎないと、私は感じる。犠牲者の変化は、戦争の形態や性質が変化していることの現れでもある。第一次、第二次世界大戦は、同レベルの軍事力を持つ国同士による対称戦だった。米ソ両国の冷戦時代は、両国の軍事力が強大になり過ぎ事実上、直接対決ができなくなってしまった。その期間に行われた朝鮮、ベトナム戦争は両大国の代理戦争であり、朝鮮半島とインドシナ半島の一般の人たちが暮らしている土地が戦場となったため民間人の犠牲者が増えた。そして、湾岸戦争とアフガニスタンへの報復戦争は初めから勝負のゆくえがはっきりした非対称戦であり、超大国アメリカの国益に沿うように危機が喧伝され実行されたものだった。
ちなみに日本の国土が焦土と化した太平洋戦争において、日本人の犠牲者は約310万人。それに対し、巻き込まれてなくなったアジアの犠牲者は2000万人を超えると推計されている10)。欧米からアジアを解放すると謳った大東亜戦争肯定論は、こうした犠牲を許容した上で語られていることを忘れてはならない。なお、今回のアフガニスタンへの攻撃によって犠牲になった現地の人の数は、今年の7月末現在で3125~3620人と推計されている11)。
世界大戦レベルの戦争は頻繁には起こらないが、地域紛争レベルの争いは絶えたことがない。ここで暴力の二つの形態について考えてみたい。ひとつは「直接的暴力」である。この暴力は軍事力の行使により直接傷つけられるので、見た目にも分かりやすい暴力である。もう一つが「間接的暴力」である。日常的に平和を脅かす経済格差や差別、独裁政治など構造的に圧力が加えられた状態を「間接的暴力」とした。この区分は平和学というジャンルを創設したヨハン・ガルトゥング博士が提案したものだ。博士は「平和」についての考え方にも重要な指摘をしている。「平和とは何か?」と聞かれた時、私たちは咄嗟に「戦争のない状態」をイメージしてしまうかもしれない。博士によれば直接的な暴力だけでなく、間接的な暴力からも解放されていなければ「平和」とはいえないとしている。
間接的暴力が起きる構造があると、結果として直接的暴力も招きやすい*2。
次ページの表は1990年代に起きた地域紛争の数を地域ごとにまとめたものだ。
*2 ボスニア紛争は、単に民族や宗教の違いが対立を引き起こしたのではなく、間接的暴力が直接的暴力を引き起こしたという側面を、カナダの経済学者マイケル・ジョストフスキーが指摘している。内戦前、ユーゴスラビア連邦はIMFと世界銀行の融資を受ける条件として構造調整プログラムを導入していた。債務返済に国民から集めた税金を優先して充てなければならなくなり、全共和国に税収を分配できなくなっていた。そこにセルビア人による圧政が敷かれ、各共和国の独立の気運が高まった。セルビア共和国で多数派を占めたセルビア人勢力が、連邦が瓦解することを恐れ他の共和国への弾圧を強め、武力衝突に至った。なお、当時のインフレ率は、1990年で70%、年々120%、937%、1,340%まで上昇していた12)。
アジア、アフリカ地域、取り分けアフリカ大陸にはHIPCS(重債務貧困国)に区分されている40カ国のうち、34カ国が集中している。植民地時代からの搾取の歴史によって、貧困から脱することができない状態に追い込まれ、自然環境が破壊されている。数世紀にわたる外圧によって伝統的な秩序が崩れているケースも多い。またせっかく資源に恵まれていたとしても、独裁的な政治体制下にあって国民に富が分配されなかったり、採掘権を先進国の多国籍企業に占められたりして恩恵に浴せずにいる。コンゴでは携帯電話やハイテク機器の材料として欠かせない材料(タンタル)の採掘権を巡って内戦が起きている。生きるためにやむをえず森林を伐採したり、他者から奪うことを余儀なくされ紛争がおきることもある。また、こうした国々に対し先進国が武器輸出を行っていることも、対話による解決よりも紛争を優先してしまう原因となっている。教育が行き届かないことも、対話・協調という道筋を見出せない一因になっている。
戦争が起こる仕組みと戦争の役割り
私は911事件および、その後の世界の流れは、近現代の世界を覆った世界観と権力維持の手法の限界を感じている。そこで本項では少々説明が長くなって恐縮なのだが、産業革命以降の戦争、科学技術、経済、生命観を振り返ってみる。
古くから人類は武力によって権益を独占するという手法をとってきた。人類同士の衝突をすべて解消するのは不可能なのかも知れない。だが、今や人類は地球を何度も滅ぼせるだけの強大な軍事力、大量破壊兵器を持っている。こうした力を解き放つことは絶対に避けなければならない。
日本人の常識では、戦争は対話による解決が行き詰った時の最後の外交手段と考えてられているかもしれない。だが世界においては、むしろ積極的に戦争を活用するという考え方が確固としてある13)。「みんなが平和を望めば平和になる」という考え方はその通りかも知れないが、相手にはこちらの考えを強制できないこともまた事実だ。こちらが相手に強制されることはあったとしても。非暴力の立場を取る場合、自分は武力を持たなくとも相手は武力を積極的に選択できる立場の違いがある。平和の理念のみを主張するだけでは、実効性のある抑止力とはならない。相手が対等さを認めるだけの非暴力の手段による切り札を構築しなくてはならない。反対に美化されたナショナリズムに陥って軍国化していくという選択をしたとしても、一時的な勝利はもたらすかも知れないが、人類全体としての破局から逃れられない。
今から510年前、世界全体が暴力に屈服する時代の幕が開いた。コロンブスのアメリカ大陸への到達だ。大航海時代、スペイン、ポルトガルは海路にて世界への覇権を広げた。国王以外にもイエズス会などのキリスト教会が船団を後押しし、背後には軍を携え世界を配下に収めていった。片手に聖書、片手に剣をという矛盾が当然のこととされた。海外への船団派遣の本当の目的は交易による富の拡大であったが、「キリスト教を布教し、聖書にその存在が書かれていない世界に福音をもたらすため」というまっとうな理由が唱えられ、世界進出が肯定された。まずは宣教師が乗り込んで現地に馴染み、後から軍がやってきて暴力によって傘下に組み込んでいくという手法がとられた。現地の人たちが改宗してすんなりと配下に下れば「神に許された」とされ、反逆した場合には積極的に暴力が行使された。なぜ、そのような暴挙がどうしてキリスト教の下において肯定されたのだろうか?当時のキリスト教は、異教徒は人間以下の存在という立場をとっていた。この根拠は創世記に端を発している。創世記では、人間は万物を支配することを、絶対なる神から委託された創造物であり、その姿は神に似せて創られたとされている。そこで人間以下の存在に当たる異教徒には何をしてもよいという都合のよい解釈が成り立っていたのだ。「隣人への愛」説いたキリスト教を虐殺を肯定する道具として使うためには欠かせない曲解だったのである。この考え方は後にアフリカの人々を奴隷として酷使することをも許容した。後に「三権分立」を説いたモンテスキューですら、「あの黒さは神が同じ命を与えたとは思えない」とアフリカ人を卑下し、奴隷とすることを肯定した14)。また自然界に過度に人間が介入し、環境破壊をもたらす精神的背景になったとの重要な指摘がある15)。いまだにイエズス会本部には異教徒を踏みつけている宣教師の像があり、当時いかに当たり前のように異教徒に暴力を加えていたかを今に伝えている。
残念なことに、この時代に世界を席巻した西欧優位の支配の構図と生命観は、今も大きく変革したとは言えない状態にある。時が移り変わっても、それぞれの時代に受け入れられやすい新たな権威となる考え方を作り出し、自分の立場を強めるように都合よく解釈して搾取を続けている。キリストが説いた「愛」とは似ても似つかない、支配を肯定する根拠として「キリスト教」は改変された。そして科学の発展によって、その地位を明け渡した。ガリレオ、ケプラー、ニュートンの時代の科学は、宇宙が数学的に美しい法則に基づいて運行していることを示すことで「神の存在と偉大さを証明する」ための手段だった。だが後に科学は権力者の自己肯定のために大きな役割りを果たすこととなった。中でも科学史上、常に論争の的になってきた理論がダーウィンの唱えた生物の進化論である*3。当時は帝国主義的な資本主義が拡大していく時代に相当していたので、暴力で勝る者がそうでない者を犠牲にするための理屈を必要としていた。「優勝劣敗」、「弱肉強食」、「適者生存」を証明してくれるような科学を欲していたのである。イギリスの社会学者ハーバード・スペンサーは、ダーウィンの主張を人間社会全般に当てはめ「社会進化論」を提唱した。西欧文明こそが、未開の、非文化的で、野蛮な世界を支配してあげなければならないという考え方が浸透して行った16)。今から見れば到底科学的とは言えないような方法(例えば人種ごとの頭蓋骨の形を測定して種としての優位性を示そうという方法17))を使っていたのが、当時”権威”となっていた”科学”から得られた知見ということで人々は妄信してしまった。悪名高き「優生学」はこの時代の後に生まれた。これらの考え方は「差別」を社会の価値基準の中に組み込む役割りを担った。非対称戦で敢行されるような一方的な虐殺を肯定するには相手に対する「差別」を必要とするのである。相手を犠牲にすることを肯定するまっとうな理屈がなければ虐殺はできないからだ。この際、相手は自分以下の存在でなくてはならない。アメリカのアフガニスタン空爆においても「差別」は活用された。確かに911の犯人はその罪を償わなくてはならない。だが、これまで長い間内戦の犠牲になってきたアフガニスタンの人々が殺されてよい理由はどこにもない。空爆が始まれば、「誤爆」として片付けられてしまう攻撃によって無辜の民が犠牲になることが避けられないことは明らかだった。だが、世界の人々は「報復戦争やむなし」と、犠牲から目を伏せた。問題はアメリカ国民だけではない。世界の人々がアフガニスタンの人々を見捨てたのである。そこには根深い差別がある、と感じずにはいられない*4。
そして今や日本のみならず世界中の多くの人々が同じような論理に組み込まれてしまっている。グローバル化した経済活動が「差別」を導いていると私は考えている。
産業革命 ~経済成長、そして市場と資源の確保
当時のスペイン国王の名にちなんで国名を付けられたフィリピンにて、マゼランは現地の人たちの抵抗に合い命を落とした。このように、大航海時代はまだ抵抗の余地があったが、次第に世界は圧倒的な力の前にひれ伏していく。産業革命により銃火器の性能が著しく向上し、徒手空拳に毛の生えたような弓槍では勝負にならなくなってしまったからだ。どのような屈辱を受けようと、圧倒的な力の前に世界は屈するしかなかった。
一方、「産業革命」は、今までよりも戦争を希求してしまう仕組みを内在させていた。産業革命は18世紀初頭に、当時の覇権国家イギリスから始まった。イギリスは海外に原料供給地と市場となる質のよい植民地の宗主国だった。海外の市場にまで販路を拡大することができるようになったので、労働生産性を向上させるニーズがうまれた。そして、株式会社の制度と自動織機や蒸気機関などの機械を活用して産業資本主義が確立した。機械化によって、人手による生産の限界が霧消し、薪炭から石炭への燃料のシフトと、金属使用量が増大した。このことは、資金と資源さえ投入すれば、幾らでも生産量を増やせる時代が到来したことを意味する。生活地の周辺にある植物資源(薪炭など)や石材を使うならば、過剰な資源消費は社会の持続の根幹を揺るがしてしまう。ひとつの事実として、「レバノン杉」はその名称の由来となったレバノンから、とうの昔にその姿を消している。すべて刈り尽くされたからだ。メソポタミア文明が過剰な灌漑で滅んだように、生態系への過剰な介入の末路は生存環境そのものの喪失を導く。だが産業革命はこうした環境上の制約をしばし忘れさせてくれた。蒸気機関の発明により、海路・陸路での物資の運搬量と距離が桁違いに伸び、地球の裏側の資源と労働力に手が届くようになった。もし自国内の資源のみで物的繁栄を得ようとすれば、短期間で環境が劣化して持続不可能になってしまう。だが当時の消費レベルからすれば、無尽蔵ともいえる量の資源を海外から奪取することが可能になったので、環境制約や不平等、不公正などの崩壊要因をはらみつつ、しばしの物的に繁栄した社会を築くことができた。そして地球上のあらゆる生き物が西欧型文明と一蓮托生となってしまった。
広大な市場を手に入れた西欧社会の人口が増加し、ますますの資源を必要とするようになった。こうして産業革命を成し遂げたヨーロッパ諸国は植民地獲得競争を余儀なくされていくのである。
19世紀に繰り返されたフランスとドイツ間の戦争の目的は、両国の国境付近にある石炭と鉄鉱石の獲得にあった。ルール、アルザス・ロレーヌ、ザールといった地域がその対象だった。この時代、列強諸国にとって武力は国益を守るための当然の手段とされた。植民地獲得競争に勝つためには、軍事力の源泉となる資金力と工業力を高めていかなくてはならない。日本史で私たちが習う「殖産興業」や「富国強兵」は負け組にならないための国策だったのである。
産業資本主義は資本家の利益を最も優先して動くシステムである。資本家には利子、配当として利益を還元しなければならないが、マーケットも資源も無限ではない。必ずどこかでシステムの矛盾が表出することになる。ウォール街の株価暴落に端を発した世界大恐慌とブロック経済への移行は学者は諸説唱えているが私は資本主義そのものの原理が起こす現象だと考えている。そして、第二次世界大戦へと突入し、世界は大きな痛手を食らう。
以後、全面的な対称戦争はなくなった。しかし、それは「平和」の到来とは似て非なるものである。各国の通貨の安定を図る目的でIMFが、自由貿易によって世界の安定を図る目的でGATTがそれぞれ設立され(ブレトンウッズ体制)、そしてヨーロッパの戦後復興目的に世界銀行が設立された。さらに連合国のリードで設立した国際連合が紛争解決を担うようになった。これらの変化により果たして「公正さ」や「平和」が訪れたといえるのだろうか?「独立」といえば聞こえはよいが、「植民地」は「開発途上国」と名前を変えただけで、その実態は、宗主国-植民地の二国間支配から、国境を越えた資本(多国籍企業)による経済的支配への移行であった18)。冷戦期は東西対立が経済の拡大へ一定の歯止めとして機能していたが、共産圏の崩壊によって、未曾有のグローバル化の時代を迎えた。第二次世界大戦以降、各国が経済的な相互依存関係を持つことで、その関係自体が戦争への抑止力になるという考え方が優勢になった19)。第二次世界大戦がブロック経済間の戦争だったこともあり、経済成長を至上に掲げる経済学者からも支持される安全保障論である。グローバル化した社会で最も影響力を持つ存在は多国籍企業である。多国籍企業にとっては、互いのマーケット同士が争っていては商売上がったりであるので、一面では有効に働いている。しかし、データを見てみると決して平和など訪れていないことが明白だ。貧富の差の急速な拡大は、経済のグローバル化の進展によって「構造的暴力」が猛スピードで進んでいることの証明である。この差を推し進めている経済の仕組み自体は、産業革命の時代となんら変わっていない。それどころかIT化と金融工学の複合によって、資本層に富が集中する勢いは加速している。
そして、この経済システムを滞らせないためには、化石燃料や原子力という密度の高いエネルギー源に依存して大量にモノを生産し、そして私たちが大量に購入・消費しなければならない。私たちが享受している物質的な豊かさは、限りある資源の消費と環境破壊の見返りとして見かけ上、成り立っている。だが現在の状況は、資源や市場が無尽蔵であるかのように錯覚して覇権を広げた産業革命当時の世界観、経済理論を革新的に転換したとは言い難い。将来世代や世界中の人々と持続的に現在の物質的豊かさを分かち合うことはできない。こうした極度の富の偏在を肯定するためには、最終的には公正さを求める議論を封じなければならない。それが「富める者」の選択である。
*3 『種の起源』の初版は1859年発刊。マルクスは『種の起源』を絶賛する手紙をダーウィンに宛てている。マルクスは人間の社会形態として、原始的な共産制社会から、古代奴隷制、中世封建制、近代資本主義、最終的な形として社会主義に移行すると考えていた。進化論は自説の科学的根拠となり得る理論と捉えたようである。
*4 911以降、ニューヨーク・タイムズやワシントンポストには昔にはタイムスリップしたかのような論調が数多く掲載された。「白人以外の人種や異教徒は野蛮なテロを起こす連中であるので、暴力を使ってでも支配してあげなければいけない」というようなニュアンスの記事だ。欧米社会の根本にはこうした潜在的な差別、優越意識が根深く残っている。日本の拝米思想もこうした差別の鏡像である。
軍事力と経済力の関係
アメリカは経済力と軍事力で群を抜く。表は2001年度の軍事予算トップ10にランクする国を並べたものだ20)。一部の例外があるが、軍事力と経済力は比例していることがわかるだろう。
これまで見てきたように、20世紀まで世界の覇権を握ってきた国家はすべて戦争によってその地位を維持してきた。だが戦争には非常にお金がかかる。戦争に資金を潤沢につぎ込むためには、強い経済、巨大な市場と生産力を持たなくてはならない。そして市場と資源の獲得権を保持するためには、他国から侵されないだけの強い軍事力が必要だ。軍事力と経済力が相互補完的に働き、「強い国家」を作り上げる。しかし、歴史は、覇権国家は軍事費への過剰支出によって凋落を迎えるというシビアな現実を語ってきた。歴史家ポール・ケネディは『大国の興亡』なる大著の中で、産業革命前のスペイン、ハプスブルク家の凋落から第二次世界大戦後の世界までを取り上げ、大国が巨額の軍事費負担によって衰退していく歴史を描いた。現在のアメリカは、軍事的にも経済的にも人類史上類を見ないほどの強国である。だが、国の内情を見てみると、「生活水準の指標」において、GDPで世界を圧倒するアメリカは第15位、それに対しアメリカが経済制裁を加えているキューバは(一人当たりGDPはアメリカの1/14という低さであるにも関らず)世界11位である(UNDP(国連開発計画)の資料による)。またアメリカは、先進国でありながら、国民への健康保険制度すら整備できずにいる。識字率の低さや犯罪の発生率でも進んだ国とは呼び難い。どうして強い経済の成果が人々に還元されないのだろうか?以下にその理由を探ってみよう。
戦争から生まれた技術
私たちが現在その恩恵にあずかっている技術には、戦争の際に開発されたものが少なくない。ジャンボジェット機は兵士と武器・食糧の輸送用に開発されたし、原子力発電は、元は原子爆弾に使用するウランの濃縮用に開発された。原子力潜水艦の動力源として使われた後、アイゼンハワー米大統領の「原子力の平和利用を!」という宣言を受け、発電目的に日本は輸入した。
アメリカの化学メーカー「デュポン社」は「死の商人」の称号を与えられてきた企業だ。化学兵器を製造し、また戦争ロビー活動を行ってきた。現在の豊かな私たちの暮らしを支えているプラスチックの多くはデュポン社で開発されたものであり、ストッキングの材料として有名になったナイロンは、パラシュートの材料として大量生産されたものだった。初めて大量生産に成功した抗生物質ペニシリンは、ノルマンディ上陸作戦の際に怪我をした兵士に破傷風防止など細菌の感染防止的に投与された。GPS(全地球測位システム)は大陸間弾道ミサイルの誘導に使われるほか、航空機や船舶の位置測定のみならず、「カーナビ」にて一般的に利用されるようになっている。コンピュータは、砲弾の弾道をシミュレートするために開発されたが、世界初のコンピュータ「エニアック」が生まれた1946年は既に第二次世界大戦は終結しており、最初の仕事は核爆発のシミュレーションだった。
今や戦争を抑止する市民運動にとっても欠くことのできない「インターネット」も戦争の産物である。1957年にソ連が世界初の人工衛星の打ち上げに成功。衛星に核兵器を搭載し、上空から核攻撃を受ける可能性が現実味を帯びた。そこで、万が一攻撃を受けても、指令系統が破壊されないような分散型の情報ネットワークが必要となった。ランド研究所のポール・バランによって3年かけて構想され、後にインターネットの前身「ARPAネット」が誕生した。冷戦の終結と前後し、インターネットとして一般化したコンピュータ・ネットワーク技術は、90年代”ニューエコノミー”としてもてはやされたアメリカの経済成長を支えるIT、ドットコムビジネスを生んだ。
軍事技術と民生技術 その類似性と違い
湾岸戦争際、熱(赤外線)を視覚化できるスコープを使って、暗闇からイラク兵を狙撃した映像を見た覚えがあるだろう。見えない敵からの攻撃は、さぞかし恐ろしかっただろう。今、この技術は自動車の事故防止センサーとして民生技術としてスピンアウトしている。前方に熱を感知した場合、自動車が止まる仕組みになっている。軍需産業としても知られるビッグ・スリーの一社、GM(ゼネラル・モータース)の自動車にこの技術が搭載されている。近年、熱電併給(コージェネレーション)できる技術として注目を集めているガスタービン発電、特に分散型のオンサイト(使用する場での)発電として今後の普及が期待されているマイクロ・ガスタービンの技術はジェット戦闘機の小型で高出力を可能にするエンジン技術をベースにしている。
軍事技術は膨大な開発資金を投入して生まれる。そうした技術の中には民生用にも優れた技術として派生させることができるものが少なくない。特に第二次世界大戦時期までの技術の多くはスピンアウトできた。対称戦の場合、革新的な技術が生まれない限り、戦争は消耗戦となる。その際のキーファクターは「生産力」である。短時間でどれだけ兵器を作ることができるか、また、生産のための材料や労働力を確保することができるか、で勝負が決まる。もちろん、戦略的に優位に立たなければ元も子もないが、兎に角、優れた武器を大量に生産できることが重要になる。こうした生産の仕方は何かに似てはいないか?大量にモノを作っては販売し、そのことによって上がった利益を再投資し、さらに生産量を増やしていくという、産業革命後に一般化した生産のあり方そのものなのである。エネルギーや鉱物資源を次々と投入しモノを大量生産することが重要で、環境破壊や労働者の待遇は二の次とされる。「勝つ」ことが何より重要とされるのである。
ただ、軍事技術が民生分野でも役に立つことがあったことは事実だが、そのすべてが利用できたわけではない。また、軍需産業は直接、消費者を相手にするビジネスは決して得意ではない。それは軍需産業の得意な形態に依るところが大きい。
戦争を求める人々と経済の仕組み
戦争用の予算は私たちの暮らしを壊しこそすれ、役に立つことは少ない。アメリカ一国で年間約3000億ドルもの膨大なお金が何ら富を生むことなく消費されている。第二次世界大戦、米ソ冷戦期間中に巨大化した軍需産業には全米で約400万人、労働人口に占める割合は約6%の労働者が属している。また、軍需産業は「利益を出さなければならない」株式会社である。この会社が利益を出し、株価を上げるためには、戦争が起こす以外に方法がない。得意先として国家しか持たないこの企業は、国家が兵器を消費することで成り立っている。
戦争に勝つことは国家にとって死活問題であるから、糸目なく資金が投入される。一方、民間企業は(エンロンのようないつか行き詰ることを前提にした架空の事業を行うケースは論外として)市場で勝負し、顧客の満足を得ることができなければ商売が成り立たない。民間では経営努力によって予算を搾り出し、また株式発行によって調達した資金で、買ってくれるかどうかも分からない一般消費者相手の商品開発を行わなくてはならない。国に守られて事業を行う軍需産業はBtoCビジネスではそのままのビジネス手法が通用しない。結果としてますます、政権へのロビーを高めることになる21)。
911と環境問題
環境問題という側面から911事件を見てみよう。
911事件は、後に少々触れるようにが様々な疑惑が残っている。テロ事件は、背景にエネルギー争奪という目的がありながら、それを覆い隠し戦争をするために活用されてしまったと考えている。ブッシュJrという石油業界と軍需産業の切り札のような人物が大統領の座についたという時点で暗澹たる思いがしていたが、実際、ブッシュ大統領が取った政策は京都議定書からの離脱やアラスカの油田開発方針、再生可能エネルギー開発費の減額などアメリカの一般市民やマイノリティ、他国の人々によってマイナスとなることばかりだった22)。だが、「アメリカの国益」を主張し強行してきた。
今から10年前の1992年、「環境と開発に関する国連会議(通称、地球サミット)」がブラジルのリオデジャネイロで開催された。国連に加盟している世界170カ国以上の国々が参加し、そのうち100カ国以上で国家元首、または首相が出席した(当時の宮沢首相はPKO法案を強行採決し、野党の牛歩戦術に合い欠席した。なお、OECD諸国での首脳欠席は日本のみで、環境問題への責任感がないと国際的な嘲笑を買った)。
地球サミットがこのような盛り上がりを見せた背景には、前年に冷戦が終結していたことが背景にある。全面核戦争の危機がなくなり、他の重要な課題に議論を移すことができるようになった。そしてふと地球全体を眺めてみたら、地球環境問題が人類の生存を脅かす問題にまで拡大していた。「今年は地球を救う、たぶん最後のチャンスとなるだろう」というUNEP(国連開発計画)のトルバ議長のスピーチで会議は始まり、そして、サミット事務局長を務めたモーリス・ストロング氏は次の言葉で幕を閉じた。「我々にはまだチャンスがある、しかしこれまでと同じ過ちをくりかえす時間はない」と。これらのスピーチが地球サミットの重要性と実効性の弱さを物語っている。
90年代は経済のグローバル化が急速な勢いで進展した時代だった。バブル崩壊移行、「失われた10年」をたどった日本ですら好調なアメリカ経済に牽引され、そこそこの景気を維持した。だが、経済の好調は、現在の仕組みにおいては大量のエネルギー消費の裏返しでもある。地球サミットにおいて、「気候変動枠組み条約」が締結された。人類の経済活動で排出されるCO2が地球の気候を変動させている可能性が高く、対策が必要になっていることが一部の反対を除き世界の共通認識となった。CO2を削減する具体的な数値目標は、97年に会議開催地の地名にちなんで名づけられた「京都議定書」にて定められている。2012年までに1990年比で日本は6%、アメリカが7%、EUは8%の削減が義務付けられた。図のようにアメリカはたった一国で世界の総CO2排出量の約1/4を占めており、率先して削減に努めなければならない。本来ならば。
アメリカの国策の変化
アメリカが世界の超大国であろうとするスタンスは、(労働層からの支持が多いとされる)民主党政権だろうが、(石油や軍需産業、大企業や資本家からの支持が多いとされる)共和党政権だろうが変わりない。レーガン、ブッシュと共和党政権が続いた12年間の間、冷戦に勝つことが至上命題であったのに対し、冷戦終結の後に政権に就いたクリントン大統領の時代には、冷戦に注いでいた資金、技術などの国力を経済分野に振り向ける政策が採られた23)。要するに経済面で世界の超大国を維持するスタンスであった。(しかし、実際には、好景気に押され、クリントン政権の軍事支出はレーガンの時代以上だった21))そしてクリントンの任期中に、現在のホットイシューであるカスピ海周辺の石油・天然ガスの確保を検討していたことを記憶にとどめておきたい。ブッシュ政権に移行してはじめてカスピ海が視野に入ったわけではないのである。
ブッシュ政権は非常にわかりやすい政策を採っている。昨年の1月、ブッシュ大統領が政権の座についてから採った政策をいくつか挙げておく22)。石油、軍需産業、資本家を優遇した政策であり、「自由」を謳いつつ国家を都合よく介入させている。エンロンからの献金疑惑などテロ対策優先によってどこ吹く風だ。
政策としては、国内的には新保守(俗称「ネオコン」)、国際的には単独行動主義を採る。京都議定書からアメリカが離脱を表明して以降、「ユニラテラリズム(一国優先主義)」という表現が何度も新聞紙面で見られるようになった。
国内国外とも「弱いものからますます搾取する」政策であり、環境破壊などお構いなし。せっかく進みつつあった、自動車の燃費改善義務もなくしてしまった。
温暖化対策の必要性が議論されるようになったブッシュ・シニアの時代の主要閣僚のひとり、スヌヌ大統領補佐官は「アメリカ人にとってエネルギー使用を抑制し、二酸化炭素排出を抑えるということはアメリカン・ウェイ・オブ・ライフやアメリカン・ドリームそのものを否定することを意味する。これはアメリカ人がアメリカ人でなくなることに等しい」24) と発言した。要するにアメリカがアメリカであり続けるためには気候変動など構っていられるか! ということなのだろう。そのポリシーは息子の時代になってもしっかり引き継がれている。
アメリカらしさ、それは言い換えれば現代らしさと言ってもよいのかも知れない。現代は一見、人類の英知の極みに達した文明のように見えるが、見方を変えれば過剰な資源消費によって支えられた脆弱な文明でもある。過剰な資源の消費は、先進国のみならず、急速に発展を遂げるアジア各国、取り分け年率7%を超える勢いで成長を続けている中国では化石燃料の消費も増え、ライフスタイルも先進国のような「過剰消費と使い捨て」に移行している。
環境容量から考える 選択可能な未来
右上の図は、既存のデータを元に、資源を持続的かつ公平に消費するためには、どの程度の量が適切か調査した表である25)。計算の詳しい条件は原典を当たって頂くとして、ここでは資源消費の基本的な考え方を取り上げておきたい。
EUでは、「環境容量」の観点から持続可能な資源消費のあり方に関する検討が進んでいる。しかし、日本では「環境問題は技術の進歩で解決すべき」という考え方が強く、社会的な議論は少ない。技術的な解決には限界があるので科学的に環境容量を検討することが必要なのだが。
もし、将来世代にわたって使えるように、世界で公平に資源を分かち合うとしたら日本において、どのくらいの使用量が妥当なのだろうか?鉄を例に取ると、リサイクル率を90%まで高めたとしても、鉄鉱石の使用量は現在より97.2%削減しなければならないと算出されている。鉄のような潤沢な資源においてこの状況であるので、ハイテクに不可欠な希土類や金、白金などの元素においてはよって知るべしである。
もう一つの図では「エコリュックサック」概念を示した。目的とする資源を得るためにどれだけの土砂を無駄にするかという考え方だ。例えば金は指輪ひとつ作るために、3トンの土砂を無駄にしている。
ここで、現在のまま公正な分配をしないということが何を意味するか考えておきたい。とどのつまり、何らかの「権威」を作り上げて現在の不公正、不平等を押し付けなけえればならない。その最大の「権威」が「経済学(私は語源である”経世済民”とは似つかないこの学問を”経済成長学”と改名したい)」である。それでも言うことを聞かない場合何が必要か?最終的には強大な軍事力をもってして不平等を肯定させなければならない。こうした解釈に反論はあるだろうが、現在の世界の実相とかけ離れた解釈とは思えない。人間は英知を獲得したどころか、ますます愚かになっていると思うのは私だけではないだろう。目指すべき方向性について、基本的な考え方は決して難しくない。千年持続学会がまとめた概念図26)を使って考えてみる。枯渇する地下資源(再生不能資源)に依存した社会は、資源の枯渇に伴い終焉を迎えざるをえない。現在は地下資源のみならず、再生が可能な木材や漁業資源についても過剰消費により枯渇に向かわせてしまっている。豊かな者たちによる過剰消費と貧困層による暮らすための環境破壊により、地球環境は劣化の一途を辿っている。増え続ける人口圧力が破壊に拍車を掛けている。こうしたシステムはそう遠くない将来必ず破綻してしまう。そこで急速に方向を転換しなければならない。再生不能資源に依存した形態を改め、生態系が供与できる再生可能資源を使った暮らしへの転換である。もちろん、無限に消費を増やす持続的経済成長など幻想でしかない。人口も各地の生態系の許容量内に抑える政策を誘導していく。
全体としては厳密に上限を定め、許容量内では自由な経済活動を許すという管理と自由のバランスの取れた社会への移行が不可欠である。これは厳に科学的な知見から出せるテーゼであり、現在の経済成長を至上とした仕組み自体が間違っている。経済学とは科学的な見地から見たらトリックのような学問ではないかと常々感じている。経済学は、それが確立した時代の世界観や思想の影響をいまだに修正できていない27)。
エンロンとその会計業務を請け負っていたアンダーセンの不祥事と破綻によって、現在のアメリカ経済の病巣に気づいた人々も少なくないだろう。NHKスペシャルで「エンロン」を取り上げた際、元従業員はエンロンおよび株主至上主義の現状を「嘘つきポーカー」と批判していた。現在の経済はITと金融工学の発展による投機的取引が主になっており、そこでは業務の実態よりも「いかに値上がりそうか?値下がりしそうか?」が問われる。情報産業の最上の形態はギャンブルなのである。こうした情報化社会においては、先物取引の情報をどれだけ把握できるか、コントロールできるかが重要である。要するに「値下がりする!」と一定数の投資家が思えば一気に「売り」に走ってしまう。現代の豊かな社会を支えている化石燃料は、枯渇する段階になって問題になるのではない。ある一定の数の人が「もはやこの暮らしと産業は持続できない」とわかってしまった瞬間に瓦解するのである。例えば重要な油田のいくつかが枯渇しただけで社会へのショックは甚大なものとなろう。代替となるだけの巨大な油田が見つかっていればよいが、超大国の経済に影響を及ぼすような資源枯渇が視野に入った時、経済は不況どころかパニックになってしまう。現在、アメリカ国内と北海油田では原油が底をついてきた。そこで他の燃料供給地に影響力を行使できるようにしておくことが欠かせなくなった。しかも、現代においては、正面切った直接的暴力で支配することはできない。帝国主義的な行動を巧みに正当化して、国民にも、国際社会にもアピールしなければならないのでる。
そして、世界は911を迎えた。
アフガニスタンとアメリカ
ところで、米NBCニュースによるとブッシュ大統領は911の2日前にはオサマ・ビンラディン率いるイスラム原理主義勢力「アルカイダ」が隠れているとされたアフガニスタンへの全面攻撃を決めていたという28)。911事件の有無に関らずアルカイダを叩く意図があったわけである。その背景にはアフガニスタンへのパイプライン敷設を巡る問題が取りざたされている。
まずはアフガニスタンの位置を確認しておこう。アメリカは元々、アフガニスタンにパイプラインを敷く計画を立てていた29)。ルートに関するプランとしては、カスピ海周辺の石油・天然ガスを、アフガニスタンを経てイランを通すルート、パキスタンまで通すルートなど複数検討されていた。その事業を担っていたのが米企業の「ユノカル社」だったが、アメリカとタリバンとの関係悪化により事業は中断していた。そして、現在のアフガニスタン暫定政府の大統領を務めているハミド・カルザイ氏はユノカル社のコンサルタントだった。また、ブッシュ・シニアが大統領への再任を阻まれた後、野に下った現副大統領のチェイニー(ブッシュ・シニアの時代は国防長官)はエネルギー関連産業のハリバートン社のCEOを務めていた。ハリバートンはイラクと陰で取引をし、ユノカルと共にミャンマーで軍事政権を後押ししつつ事業を展開し国際社会から非難を浴びた企業である。2001年7/8月号の「ワールドウォッチ・マガジン」にはブッシュ政権の閣僚たちのバックグラウンドを詳しく報じたので詳しくはそちらを参照されたい30)。
なお、911の攻撃は、ロシアのプーチン大統領からもエジプトムバラク大統領からもアメリカに対し事前に情報が通達されていた31)。だが、ブッシュ政権はこれを無視した。この事実は911直後から報じられており、12月の段階でパウエル国務長官もある程度認める発言をしていたが、今年4月12日にシンシア・マッキニー米下院議員がラジオで「ブッシュ大統領は911を予見していたにも関らず放置し、要らぬ犠牲を出した」と告発32) したことを機に、ライス大統領補佐官が記者会見で釈明会見を行って、取り繕いながらも予見の事実を認めることとなった。
また、これは偶然だと思うが、911の事件当日、フランク・カールーチ元米国防長官、ジェームズ・ベーカー元米国務長官に加えビン・ラディングループのメンバーがワシントンのリッツ・カールトンホテルで会合を持っていたことが報じられた33)。カーライルグループのやっていることはさながら「仕手筋」である。潰れかけた軍事関連企業の株を買占め、政治的な力によって経営を再建し、株価が上がったところで売却益を得るという手法を取る。「経営再建」と言えば聞こえがよいが、要は買収した企業から兵器を購入するのである。会長のカールーチは、軍事シンクタンクであるランド研究所、CIA副長官、国防長官を歴任した軍事通であり、政治力と情報力は比類ない。グループは、ブッシュ元大統領、メージャー英前首相、そして現在は離れたもののビンラディン・グループと深い関わりを持ってきた。ジョージ・ソロスから1億ドル、カリフォルニア州職員退職年金基金は3億500万ドルの投資を受けている。そのカーライルグループの年次投資家会議が911のその日、開かれていた。911をカーライルグループが主導したという考えは私にはないが、報復戦争によって当グループとその投資家が恩恵を被ったことは間違いないであろう。
アフガニスタンに暫定政権が誕生して5ヶ月が経過した5月30日、天然ガス輸送管敷設計画がアフガニスタン、トルクメニスタン,パキスタンの3カ国の間で合意された34)。経済復興の第一歩とメディアの報じ方は歓迎基調だったが、請け負う企業としてユノカルが上がっていることを見て私は「予定通りだなぁ」と思わずにはいられなかった。輸送ルートを図で示しておく。
こうした状況の中、日本はどのような行動を取っているのだろうか?今年の7月10日から21日までの間、政府およびJBIC(国際協力銀行)など政府関係機関、エネルギー関連企業、大手商社などのメンバー計37人を「シルクロード・エネルギーミッション」として中央アジアのカザフスタン、ウズベキスタン、アゼルバイジャン、トルクメニスタンに派遣した35)。パイプラインの敷設事業など地下資源の開発事業を請け負い、日本のエネルギー安全保障への中央アジア諸国の協力を取り付けようという狙いのようである。
さて、中国はどうか?
急速な経済成長を遂げている中国は、今後開発される国内の油田の可採埋蔵量を合わせてもあと20年で自給ができなくなると言われている。現在、新疆ウイグル自治区にて天然ガスの採掘し、消費地である東側の沿岸都市にまで天然ガスを輸送する西気東輸事業がスタートしている。日本からも、三菱商事、三井物産、住友商事、伊藤忠商事、丸紅、日商岩井の6社が敷設事業に入札した36)。なお、将来的にはカスピ海周辺までパイプラインを延長し、輸入に転じていく計画である。
EUのガスパイプライン
では、EUは?
EU諸国では石油ショックを機に、アフリカ、北海油田、ロシアからパイプラインで天然ガスを輸送する気運が高まった。EUが統合するためには3つの統合が必要とされた。その一つが統一通貨であり、そして電力網、3つ目が天然ガスパイプラインだ37)。
ロシアからEUに供給される天然ガスはEU全体消費量の40%を占めるまでに拡大している38)。その輸送ルートにロシアによる軍事侵攻が問題となっていたチェチェン共和国がある。パイプラインで石油・天然ガスを運ぶ際には、通過する各国の政情を安定させることが不可欠である。チェチェンルートによる輸送は途絶していた。チェチェンとしてはパイプラインの使用料を確保したいが、ロシアは利権を手放したくない。911で対テロ戦争が正当化される波に乗り、ロシアはチェチェンに対し、最後通牒をつきつけた。「チェチェンにはタリバンと同じイスラム過激派がいる」という理由で。これまで当地の人権侵害に抗議していたEUも、これを黙認した。
先に中国の例も挙げたが、新疆ウイグル自治区も中国政府によれば「タリバンと同じイスラム過激派がいる」とされている。資源の豊富な地域を制圧するための理屈として「対テロ」という言葉が乱用されてしまった。
カスピ海沿岸の地下資源
左に示したとおり、カスピ海の周辺には膨大な地下資源が眠っている。当初は南部にも膨大な埋蔵量があるのではないかという予測を元に、ユノカルは事業計画を立て始めたのであるが、試掘の結果、南部には予想したほどの地下資源がないことがわかった。アフガニスタンの情勢悪化もあり、ユノカルはカスピ海関連事業に対し、消極的なコメントを出していたが、カスピ海北部に豊富に資源があることがわかってきた。そこで現在、ゴールドラッシュさながらの採掘ブームが巻き起こっているのである39)。
カスピ海といえば、ロスチャイルドとノーベルによって開発されたバクー油田のある地域である。ソ連はその後発見される油田に「第2バクー、第3バクー」と名づけていったように、バクーの膨大な資源によって国家を作り上げた。そのバクーの油が底をついた。そして、シベリア方面へ東へ東へと開発を進めたが、ついぞ第4バクーは発見できず、油田に水を押し込んで強引に油を採るという油田寿命を短くしてしまうような採掘方法を80年代には採用していた40)。そのくらい切羽詰まっていたのである。だか、ソ連崩壊後、再びカスピ海周辺に大油田・天然ガス地帯があることがわかった。だが、資金難と国内での消費の伸びないロシアでは、旧敵である自由主義圏にここで採れる資源を売らなければ商売にならない。そこで、開発と輸送に不可欠なパイプライン敷設のために、旧オイルメジャーを引き込みたいのである。そして現代のグレートゲームが展開されるようになった。この地域の安定と資源確保は大国にとって重要な課題なのであった。
直接、間接にアフガニスタンは、地政学的にカスピ海周辺の利権争いと無縁になれないのである。
地球温暖化対策が天然ガス獲得競争を後押し
現在、先進国においては天然ガスの確保は死活問題である。地球温暖化防止のためのCO2削減は避けがたい課題である。将来的にはCO2を排出しない再生可能なエネルギー源へのシフトを視野に入れつつも、石油からの移行期に天然ガスを使おうという世界的な流れがある。燃焼時のCO2排出量は、石炭を100とすると、石油は80、天然ガスは57と、天然ガスへシフトはCO2削減に寄与するのである。化石燃料はエネルギー密度の高いエネルギー源である。現在の大量生産、大量消販売、大量消費という産業構造を大きく変えることなく、CO2を減らすために、天然ガスの獲得は最重要の課題となっている。また、軍事技術の項で触れたように、天然ガスは分散型のコージェネレーションシステムに適しているため、近年ますます期待されている。既設の都市ガスインフラを活用し、家庭用の燃料電池コージェネの燃料としても期待が高まっているのである。
だが、将来的には天然ガスとて、削減しなければならない。CO2を排出するのは私たち先進国だけではない。もちろん、一気に社会を変えようとすると、人々の認識のギャップや低負荷型インフラの未整備により、社会的ストレスが高まり、本来目指さなければならない方向へのアレルギーが高まってしまう。従って、戦争に加担することなく天然ガス利権を確保するためには、軍事力を持つこと以上の知恵が必要になってくる。
98年に中国新聞がカザフスタンのチェレウハン・カブドゥラフマノフ大使に行ったインタビューによれば、中央アジア諸国は日本に対し平和構築の支援を求めている。ウズベキスタン、キルギス、トルクメニスタン、タジキスタン5カ国は、97年に「マルマトイ宣言」という非核宣言を発表した。カザフスタンはソ連時代に459回も核実験を行ったセミパラチンスクを抱えており、経済力の低下した今日は、非核への希望が強い。周辺にはロシア、中国、インド、パキスタンという核保有国があるので、被爆国である日本の協力を取り付け非核地域に進むことを強く求めている。パイプラインの敷設も大事だが、核保有国を非核構想に加わらせていくサポートこそ中央アジアにおける日本の信頼を構築するものだと私は思うのだが。
*5 911事件と報復戦争の影に隠れ、あまり報じられることがないが、チェチェンでロシアが行っている行為も、国家テロの様相を呈している。下記のサイトではチェチェンの惨状を伝えているので、ぜひご覧いただきたい。
Chechen Republic Online URL http://www.amina.com/
日本カフカスクラブ URL http://www.geocities.com/kafkasclub/
持続可能な社会の条件
そして、これから私たちが持てる技術を最大限つぎ込んでいく領域をわずかだが提示しておきたい。以下の3つの図で示したような基本事項への理解を深め、環境容量内に収まる産業の仕組みに転換していくことが必要である。(なお、本稿では現状の分析に重きを置いたため今後の方向性については詳述しないが、機を改めて事例や考え方を紹介させて頂きたい)
非暴力による安全保障と持続可能な社会を両立させる
現代の先進国においてはまず想定できないが、戦争とは時に抗えないほどの力をもって仕掛けられてしまうこともある。日本においては有事法制審議で上がったような不特定の外敵から「攻撃されるリスク」は小さい。対称戦と非対称戦と無差別テロが同じ論理で提示されており、人々の不安を利用したあざとい議論だと私は感じている。(本件について、神戸女学院大学の内田樹氏の意見が明快だった。Webでも読むことができるのでご一読いただきたい41))
現在の日本の政策では、外交面、安全保障のすべてをアメリカとの関係を最上に置いている。他の選択肢を考えることがないので、結局アメリカが仕掛ける戦争や環境政策に協力せざるを得ない状態が続いている。もし、その枠を離れて持続可能な方向性を日本が目指すとしたら、いざという事態を避けるための外交カードが必要になってくる。
アメリカにとって元来日本は鯨漁の補給基地であればよかった。また、ペリー提督の子孫、ペリー元国防長官が中国のWTO加盟の際に「ペリー提督依頼の願いがかなう」と語ったことからわかるように、そもそもアメリカの狙いは中国への進出にあった。国土も狭く、既に金銀財宝のすべてが海外に流失してしまっている日本にメリットは少ないのだ。これまでは共産主義の南下を防ぐ最終防御ラインとしての価値があったわけだが、その前提がなくなってしまった。現在アメリカにとって日本の役割りは、米国企業製品を売る市場として、また米国債を買い支え続ける資金源として、またアメリカの世界戦略を支える米軍基地の用地としての意味がある。
日本の経済成長は朝鮮特需や基礎研究タダ乗りなど、幸運な環境に恵まれてはいたことは確かだが、そうであっても欧米の目には日本の技術力と労働における真剣さは脅威として映った。日本の企業人や研究者は自慢げに戦後の発展を語るが、その自信を振り向ける方向をこれからは変えていく必要があるのではないだろうか。上で述べたような日本の弱点は環境的持続可能性を追求していく際には逆に長所となり得る。山紫水明に恵まれ、中山間地帯が多く、南北に広がり多様な風土は、大量生産には適さないが、自然エネルギーの活用や循環型社会を築く上ではメリットとなる。識字率・教育レベルの高さも取り柄なのだが、社会全体が方向性を見失っていることでせっかくの知的財産が劣えはじめている。
21世紀には、世界は環境的制約に向かい合わなければならない。その事実を正面から捉え、国際世論を喚起していきながら環境技術を構築することにより、孤立どころか世界をリードできる可能性があると私は考えている。いち早く地域の風土を活用した持続可能な社会を実現することにより国際社会からの評価を得て、軍事力以上の安全保障カードを創り上げることである。その潜在能力が日本にはあるのではないだろうか。妬まれる国ではなく、尊敬される国を目指す方向性だ。
これから世界の環境破壊と資源争奪戦は深刻になっていくだろう。前述したように現在は国家という形態が有名無実化しており、各国内での格差が広がっていく。だが、最終的には、すべての資源を使い尽くして人と人が喰い合うほどの破局を迎えたあのイースター島と同じ運命から豊かな者ですら逃れられない。それが有限の地球で無限の成長と消費をむさぼる社会が到達する当然の帰結である。産業革命について長々と触れた理由は以上の考え方に基づいている。
既に日本の国と地方財政は、新たな借金で前の借金の穴を埋める多重債務に陥っている。まともな経営感覚を持っている人であれば、もはや「時間の問題」になっていることが分かるだろう。世界第二位、未曾有の成功を遂げたはずの日本がどうしてこれほどの債務に苦しまなくてはならないのか?この経済モデルが他の百を越える国々が追随すべき道ではないことは明白である。
これから「科学と社会を考える土曜講座」において、産業政策の元となる科学技術政策の代替案の提示を進めていきたいと考えている。年間3兆円を越える日本の科学技術予算の大部分は、残念ながら世界の寿命を縮める研究にしか使われていない。総額のわずか10%でも自然エネルギーや見せかけではない循環型産業技術に振り向けることができれば、環境保全、雇用創出、国際貢献、安全保障、文化の創造などに大きく寄与するだろう。
そして私たちこそが変革の主体になっていくことが大切だ。全体の構図をよく把握していきながら、自分のできることをやる。それでいい。なぜなら、現在の経済の仕組みは、一般の人々を下層に置いた産業資本主義によって富を吸い上げる構造になっており、私たちのごく当たり前の購買行動や預貯金、投資が戦争や環境破壊を後押ししているからである。ガンジーはいち早くそのことに気づき、「イギリスを受け入れてしまったのは私たち自身である」と説き、平和運動と共にチャルカという糸つむぎの道具で生活を自立させていくことを広めていった42)。また、平和学会会長の北沢洋子氏によれば、GDPのうち、10%が利益の拡大を求めない非営利連帯の経済になれば、資本によるコントロールを受けなくてすむようになるという43)。
一例として私たちができることを列挙した。風土を活用し、雇用を確保し、連帯することで、相当に社会の方向性を変えることができると考えられる。そして、活動する際に大切にしたい考え方を最後に挙げておく。
大言壮語するつもりはないが、平和運動や環境運動のために犠牲になるのではなく自分自身が喜べるような人生を私は送りたい。最後に述べることがありきたりで恐縮だが、ワクワク感を大切にし、責任を他人に転嫁せず、判断をリーダーに頼らない活動、また実践と知識を両輪とし、内なる平和とシステムとしての平和を構築していく、そのように当たり前のことをやればよいのではないかと考えている。
政治や科学技術に期待していても希望は生まれてこない。それは自らの内側から生まれてくるものである。楽しく戦いと破壊を止めていこう。
自然エネルギーの数々
左上:菜の花油の廃食油(VDF)を農機具などの
ディーゼルエンジンに使用
左下:VDFを使用した粉砕機
右上:太陽光発電電柵 牛を放し里山の下草刈り
参考文献 資料
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7) 「環境と戦争・セルビア・コソボ最新報告」 藤田祐幸 エントロピー学会月例会1999年9月18日の報告より
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13) 『人間はなぜ戦争をするのか』 日下公人 クレスト社 1996年
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15) 『機械と神』 リン・ホワイト みすず書房 1972年(原著は1968年)
16) 『講座進化(第2巻) 進化論と社会』 柴谷篤弘・養老孟司・長野敬(編) 東京大学出版会 1991年
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18) 『南北問題』 室井義雄 山川出版社 1997年
19) 『安全保障学入門』 防衛大学校安全保障学研究会編 亜紀書房 2001年
20) 『世界軍事情勢2002年度版』 (財)史料調査会編 2002年3月
21) 『アメリカの巨大軍需産業』 広瀬隆 集英社新書 2001年
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23) 『世界資源戦争』 マイケル・T・クレア 廣済堂出版 2002年1月
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31) 英国 ガーディアン紙に掲載 2001年12月20日
32) シンシア・マッキニー米下院議員がラジオに出演しブッシュ政権のテロ放置疑惑を告発
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33) 「政界・産業界・国防を操って巨万の富を築くカーライルグループの闇」週刊ダイヤモンド 2002年1月19日 出典元は
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36) 朝日新聞 2001年2月9日 「中国の天然ガスパイプライン事業入札に19社が名乗り」
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38) 『みつめよう!我が国のエネルギー』 経済産業省・資源エネルギー庁 経済産業調査会 2001年
39) 『21世紀の新グレートゲーム エネルギー資源獲得の新潮流』 島敏夫 中津孝司 晃洋書房 2001年
40) 『エネルギー 石油をめぐる国際戦略』 関岡正弘 プレジデント社編 1994年
41) 米軍に侵略される…これこそ「真の有事」 内田樹http://homepage.mac.com/ehara_gen/jealous_gay/buji_houan.html
42) 『ガンジー 自立の思想』 田畑健 地湧社 1997年
43) 北沢洋子 「それはポルトアレグレだ! 新しい世界の予感」 月刊オルタ2001年4月号 アジア太平洋資料センター発行