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連載「科学技術コミュニケーションを問う」第3回
科学技術の光の裏にリスクも
-消された農薬、DDTを事例にして-
(その2)
五島 綾子(サイエンス・ライター)
第2回のテーマに引き続き,”消された農薬”として科学技術史に残る “DDT”を取り上げる.大量散布されたDDTによる忍び寄る生態系の危機を察知した市民の訴えからレイチェル・カーソンが『沈黙の春』を書き上げた.この出版は産業界の激しい批判のキャンペーンにもかかわらず市民に大反響を呼んだ.この回では『沈黙の春』に対して,科学界,産業界,政策立案者がどのように対応したかを明らかにし,DDTを消した主役が市民であったことを語りたい.
1. 巻き起こる”DDT”ブーム
DDTは劇的な殺虫効果を発揮し,無色,無臭で使用者に不安を与えず,取り扱いが簡単であった.そのために至るところに大量にばらまかれてしまった.例えば,美しい野原でピクニックを楽しんでいる人たちの食卓の上にもヘリコプターからDDTが大量散布される映像が残っている.大量スプレ-計画の実施だ.その背景には,戦後の米軍によるDDTの宣伝に加え,社会の中に先端科学技術への期待が膨らみ,科学技術が自然を征服できるかもしれないというおごりが芽生えていたからである.その上,医師,薬剤師の下で管理される医薬品とは対照的に,DDTが化学知識の乏しい人々にもゆだねられたからであった.その結果,1960年には米国ではDDTの年間生産量が8.1万トン,消費量は3万トンにまで達していた1).
しかし当時,米国医薬食品部がなにもしなかったわけではなかった.1949年には医薬食品部長官はミルクに含まれるDDTについて警告を発していた2).平和時のDDTの使用はたとえ少量でも長期間,人体がそれに暴露されればDDTの蓄積による影響はさけられないとその危惧を公表していたのである.ところが市民はもはや聞く耳をもたなかった.市民の中にDDTブームが起きていたのである.ところがこの大量にばらまかれたDDTは静かに徐々に湖や森の魚類や鳥類をむしばみつつあった.
2. それはカーソンの『沈黙の春』から始まった
カーソン(Rachel Carson, 1907-1964)は発生遺伝学,海洋生物学を専攻し,ジョンズ・ホプキンズ大学院動物学科において学位を取得し,短期間の大学の職を経て,魚類野生生物局において広報の編集に関わっていた.第2次世界大戦後は生物学と,著作による市民とのサイエンスコミニュケーションの二つの使命を負った広い知識と洞察力をもつ生態学著述家となっていた. 1951年に出版された『我らをめぐる海』は海の生態を描き,大ヒットしていた.
一部の市民は大量に散布されたDDTなどの有機合成農薬の生態系に与える深刻な影響に気づいていた.彼らの訴えに触発されて,カーソンは多数の文献を収集し,生態系におけるDDTなどの農薬のふるまいを体系的に理解しようとした.その成果が1962年に出版された『沈黙の春(Silent Spring)』として結実した3).
本書は引用,参考に使われた膨大な学術論文,著作のリストを掲載し,信頼できるレベルの高い科学の学術書である.Time誌が1999年3月に20世紀の優れた科学者20名の一人としてカーソンを挙げていることからもうかがえる4).その上,本書の冒頭には,医師であり哲学者でもあったシュバイツアー,エッセイストのホワイトらの自然と人の関係に関する鋭いコメントが載せられている.当時,研究機関の化学者たちはDDTに触発され,実験室で分子を切ったりはったりして新しい夢の化学物質の合成に夢中であった.しかしカーソンは科学界から距離を置き,独自の自然観を育み,ヒトと自然の営みの関係を静かにみつめる科学哲学者でもあったのだ.
このような科学的にレベルの高い内容の著作とニューヨーカー誌に連載していたものが市民に大変な反響を呼ぶこととなった.
3.『沈黙の春』がパラダイムチェンジを引き起こす
ではカーソンはミュラーの “害虫絶滅”をめざした農薬の性質の中で,なにを問題としたのであろう.これは第2回の筆者の問いでもある.答えは”効力が持続すること”と”即効性”の二つである.前者は化学的に安定で,多少の熱,光,酸性度の変化により分解しないことを意味している.後者の即効性の高い合成有機農薬は通常脂質(油)に溶解しやすい.したがって化学的に安定で脂溶性の高いDDTはほんのわずかしか水に溶けないが,植物性プランクトンの脂肪の部分には取り込まれ濃縮されやすい.この植物性プランクトンのDDTが例えば,原生動物,小魚,鳥へと食物連鎖により生物濃縮されていく(註1).
彼女の表現によれば,DDTに汚染された土をみみずが食べ,体内に農薬を蓄積する.みみずを好んで食べるこまどりなどの小鳥はそれらを食べて,その毒性のために死に至る.かくして小鳥のさえずりの聞かれない”沈黙の春”がやってくると.このようなモデルは彼女自身による実験によって示されたものではなく,文献を丹念に読み,彼女の頭の中で自然界における農薬の振る舞いを統一的に理解しようとして生まれた概念である.
従来は,どんな人工化学物質も時間の経過とともにいずれ自然の中で拡散,希釈,分解,浄化の過程を経るはずであり,DDTも同じ道筋を辿ると考えられてきた.そのためにカーソンが提示した生態系においての人工化学物質のふるまいに関する新しいモデルは,社会に衝撃を与え,パラダイムチェンジ(註2)を起こした.パラダイムとはその時代の人々にとって常識と思われてきたことや暗黙的に受け入れられてきた物事の価値を評価する上での根拠となる基準のようなものであり,それが大きく変化したことを意味する.
クーンによると5),多くの場合パラダイムチェンジは既成のアカデミズムの外で起り,それが後になって研究機関で認められて科学研究が進み,本格的に体系化していく.アカデミズムの外に身を置いたカーソンによるパラダイムチェンジは様々な分野の科学者に大きな衝撃を与えることとなった.この概念を検証するために科学者たちは実験をスタートした.それに呼応し,環境問題に取り組む市民団体などの活動は活発になり,産業界は大きく変貌していくのである.
筆者はIUPAC(註3)の溶解度部会委員として二つのプロジェクトを提案し,長年活動してきた.一つはパラベン系保存剤,もう一つは有機塩素系農薬に関するもので,これらの溶媒における信頼できる溶解度データを収集し,統計的手法も用いて専門的立場から評価している.ものづくりの現場や生物濃縮の基礎データとして研究機関で役立ててもらうためである.しかし有機塩素系農薬の溶解度評価は緒についたばかりである.
4.『沈黙の春』が及ぼす産業界・政策立案者・科学界への影響
図1はカーソンに寄せられた市民の訴えから執筆された『沈黙の春』が市民に支持され,産業界,政策立案者,科学界を動かしていく様相を図1に示す.このスキームにそって考えてみよう.
4.1 激しい農薬・食品業界のバッシング
農薬・食品業界は『沈黙の春』に対して激しく抵抗した.例えば,栄養食品財団は産業化学者協会と手をにぎって批判的な書評を集め,財団理事長の「カーソンは非科学的である」という一文を添え,巧妙な手口で批判を広めた3).遺伝子組換え技術で世界に知れわたるモンサント化学工業は「すべての殺虫剤使用を急にやめたらとたんに害虫がこんなに跳ね回る」と,カーソンの寓話のパロディをつくり配布した6).もちろんカーソンはそのようなことは言ってはいないのであるが3).
産業界の激しい批判の背景には出版5年後にしてDDTの消費量が半減してしまったことがあるからだ1).産業界が最も恐れていた事態であった.これは市民の訴えに押されて生まれたカーソンの著作が多くの市民に支持されたことを意味していた.
しかしこの当時の農薬産業界のカーソンに対する批判をもって,私たちはバイアスをかけて産業界を判断してはいけない.産業界は市場に送り込む商品の受け入れあるいは拒否が市民の手中にあることを熟知しており,科学的合理性の高い農薬の研究開発にすでに着手していたのである.
4.2 賛否両論の米国科学界
科学界の対応を見ていこう.実は,カーソンの最大の関心は目に見えぬ形で環境を汚染している有機合成農薬を極少量ずつ吸収することの長期的な効果であった.しかしカーソンに批判的な立場の科学者たちは,農薬の即効性の毒性は深刻な問題でないという議論にすり替え,真のカーソンの主張を故意に無視する姿勢を見せた.それに対し,現在に至るまで先端科学を牽引してきたサイエンティフィック・アメリカン誌の1962年12月号では有機化学合成物質の長期的な効果は全く未知で,発ガン性も否定できないと述べた6).科学界はすでにカーソンの仮説の検証にとりかかっていた.
米国の科学界では,あるモデルが提示されると市民も巻き込む活発な議論が生まれ,最終的には一つの方向へ収束していく.しかし我が国の科学界ではこのような自発的な論争はなかなか生まれず,まして科学者の考え方は市民に伝わらない.科学者の本来もつ批判的精神が社会に対して発揮できにくい仕組みがあるようだ.
4.3 ケネディ大統領の決断からDDTの使用禁止に至るまで
政策立案者側の対応をみてみよう.この本に衝撃を受けた当時の大統領ケネディは,大統領顧問団の生物科学委員会を設置し,農薬の危険性の調査を命じた.1962年にアメリカ人の死体の腹部皮下脂肪に成人1人当たり平均200mg(ミリグラム)のDDTの蓄積が明らかにされたからである1).1963年の委員会のウイズナー報告によりカーソンの主張が正式に認められた.この背景には,科学界で議論が活発化したことにあった.カーソンのモデルを支持する科学者が殺虫剤なき世界におこる恐怖図を描き出してカーソンを批判する勢力に対し,発言を始めた.カーソン自身も,著作の中にきちんと書いてあると反論を開始した.「化学合成殺虫剤を決して用いてならぬ,などというのは私の主張ではない.生物学的に悪影響を及ぼす化学薬品をだれそれかまわずやたらと使わせているのはよくない,といいたいのだ.その薬品にどういう副作用があるのか,みんな考えてもみなければ知りもしない」3).それに続いて科学者たちは,DDTが白頭ワシなどの卵の殻を薄くして,こわれやすくする原因であることを突き止め,ある種の鳥類の生息数の減少につながったことも明らかにした.
ウイズナー報告の公表によりDDTの生産は半減したものの,1972年までDDTは散布され続けた.しかし環境によっては小動物の癌の要因となることが明らかにされ,環境保護長は米国においてDDTの使用を全面禁止に踏み切った.カーソン死後8年目であった.
5. 実験科学研究の限界とその後の技術開発
科学者は実験室では数mgの化学物質を用いて試験管レベルで仮説をたて検証し,その振舞いについての研究し,論文を発表し,知として蓄えてきた.これは実験室の条件が整えられた理想的なシステムの中での化学物質の振る舞いの解明である.
しかし実験室レベルのシステムから実際の複雑な生態系に当てはめて推測するには無理があった.科学者はその種の化学物質が何トンというオーダーで自然に放出された場合の振る舞いに関して,特に当時は,ほとんどわかっていなかった.カーソンは自然界および実験室レベルの多数のデータから生態系で起きる食物連鎖のモデルを提示したといえる.
現在においても,現実の複雑な生態系のシステムでの膨大な化学物質の振る舞いに関する理解はまだ遠い.そのためには,今後益々,専門家の育成,膨大な予算の裏づけとともに,長い年月が必要である.
DDTは土壌中で75~100%分解する期間が約4年であるのに対し,化学兵器の毒ガスから生まれた有機リン化合物であるパラチオンは1週間と短い7).土壌で分解されやすいからである.しかしパラチオンの急性毒性はDDTのそれに比べ,桁違いに高い.そのために使用者の事故は絶えまなく起きた.また対象となる昆虫の幅が広くいわゆる選択毒性が低く,生態系への影響も好ましくないことがわかってきた.こうしてDDTとパラチオンは,両者の性格が互いに全く違うものの,世間から恐れられ,農薬にダーティなイメージが染みついてしまった.
しかしこの失敗は科学と産業界の世界を刺激した.両者の農薬の欠点克服のために殺虫性は高いが,同時に分解性が高く哺乳動物への毒性が低い農薬の探索が科学界,産業界で始まった.現在使われている農薬には1m2にわずか0.1mgの薬剤でその効果を発揮でき,DDTの効力の約4000倍で,残留性も低い7).
さらに農薬の研究開発は拡がる.昆虫生理学の分野の知が活用され,昆虫フェロモンや幼若ホルモン(註4)の農薬への応用も知られている.例えば,メスフェロモンを満たした空間で次世代を減らす試みが成功し,日本では茶畑や果樹園で実際利用されている.しかし両者とも生態系を乱す危惧や少量の使用のために工業化としては適切ではないこともあり,普及には至らない7).
農薬が忌み嫌われる風潮の中で,遺伝子組換え技術を食糧生産へ応用することの是非をめぐって熱く議論されてきた.米国の市民,農家はこの技術を選択したようであるが,日欧はこの技術を拒否する傾向が強い.現時点で67億を超えている世界人口を抱える地球である.食と農薬の課題はまだまだ続く.
6. DDTの復活の兆し
我が国ではカーソンは神格化されてきた傾向にあるが,2007年のカーソン生誕100年を迎え,米国で驚くべき書き込みや論文が増えた.DDTを禁止したことはユダヤ虐殺に相当するかのような論調もある.アフリカではマラリア禍でこどもや老人の犠牲者が増えたのだ.一方,我が国では果物を生産する全国の農家において残留性の高い違法農薬の使用が問題になった.科学技術の光の裏のリスクが露呈したにもかかわらず,消されたDDTが再び登場することになった.その経緯を次回は考え,私たちの価値観やライフスタイルが科学技術の方向の決定に関与していることを直視し,光と影の両面をもつ科学技術について考えてみたい.
註
註1食物連鎖とは植物性プランクトンが動物性プランクトンに食べられ,さらにこのプランクトンが魚類に食べられるというように,植物をもととする食物エネルギーが次々と高い栄養段階の生物に食べられ,転送されていくことである.生物濃縮は生物が外界から取り込んだ物質を体内に高濃度で蓄積する現象である.食物連鎖の過程で蓄積性ある物質が生物濃縮を起こす.
註2 東京理科大学総合科学技術経営研究科宮原諄二教授のご教示による.
註3 IUPAC(International Union of Pure and Applied Chemistry)国際純正応用化学連盟
註4 幼若ホルモンは昆虫が分泌するホルモンの一つで,卵から幼虫,サナギ,成虫へ成長するときの変態を制御する.そのためにこのホルモンを使い発育をかく乱する力を利用して殺虫剤に利用する.性フェロモンも昆虫から分泌する物質で特に害虫の”が”の種特異性の高い性フェロモンを利用して害虫防除する.
引用文献
1. 深海浩,DDT,その栄光と没落,化学,48, 441-446(1993)
2. E.P.Russell lII, Technology and Culture, 40, 770-796(1999)
3. レイチェル・カーソン著『沈黙の春』,青木梁一訳,新潮社,1987年
4.P.Matthiessen, Time, March,29,1011-103(1999)
5. トーマス・クーン著『科学革命の構造』中山茂訳,みすず書房,1971年
6. 青木梁一解説書,レイチェル・カーソン著『沈黙の春』青木梁一訳,新潮社,1987年
7. 深海浩著『変わりゆく農業』,化学同人,1998年
参考文献
1.Compton著『化学II-人間社会の関わり-』石森達二郎ら訳,東京化学同人,1981年
2.五島綾子・中垣正幸著『ナノの世界が開かれるまで』8章DDTが引き起こした農薬産業イノベーションとその影,海鳴社,2004年
3.マイケル・フィンケル,世界で大流行,マラリアの迫り来る脅威,National Geographic,2007(7),44-79
4.美里朝正,農薬と安全性と必要性,現代化学,1975年,9月,36-44.
5.五島綾子著『21世紀のものづくりの時代にむけて –分子化学から自己組織化へー』–情報社会と経営–,青山英男,小島 茂編著,文眞堂,1997年
6.茅幸二他著『化学と社会』,岩波書店,2001年
7.石 弘之著『地球環境報告』,岩波新書,1997年