インタビューシリーズ「市民の科学をひらく」(1)加納 誠さん

投稿者: | 2005年6月15日

加納 誠さん(東京理科大学助教授、日本物理学会領域13環境物理分野代表、市民科学研究室役員)

2005年2月16日、東京理科大学理窓会館「理窓会倶楽部」にて

聞き手:上田昌文(当NPO代表)

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●市民の科学とは

上田(以下省略)──貴重なお時間をいただき、ありがとうございます。先生とはずっと親しくお付き合いいただいておりますが、今日はあらためて、ともに「市民科学」を志す者としてお考えを伺いたく思います。よろしくお願いします。

加納(以下省略) はい。事前にお送りいただいたメモに、僕にとって「市民の科学とは」という問いがあって…、いやこれは大きなテーマですね。大学人も市民には違いないし。でも肩肘張ったものではなく、気楽に話せることが大切でしょうね。華麗なキャッチフレーズとかそんなのではなく、普通の市民の感覚で、疑問に思ったことを素直に言え、気楽に議論できることが市民科学だと思います。

──生活の中で出会ういろんな科学的な疑問や感じた問題などを率直にぶつけられる相手を、やはり生活者は求めていると思うんです。本当は専門家と直に話せたら一番よいが、さすがにいきなりそうはならないとしたら、私たちが上手に専門知を整理して、協力してくれる専門家と仲介し、ネットワークを組んで、生活者に役立つ科学をつくっていく、そういう方向が重要だと思います。

 まさに必要とされていることですね。今までそういうのがなさ過ぎた。それこそもっと進めるべきです。ひとつ、だいぶ昔のことですが、東工大の教授だった永井道雄さんの例を考えてみたいんです。教員時代に日教組の良き理解者だった彼は、文部大臣になったとたん日教組と相いれなくなってしまった…。あれほど良い理解者で、学生の人気もあったのに。どうしても立場上の問題が出てしまうのか…。こうした問題はNPOも無縁でないでしょう。これからずっと活動していく中で、NPOのメンバーから政治家になったりする人も出てくるでしょう。そうしたときに同じスタンスで出来るかどうかが肝心だと思うんです。何らかの立場に立ったとき、それまで自由奔放に言っていたことが言えなくなることも出てくるんじゃないか。今せっかく良い関係にあって、そういう立場になったときにどうか、というのが僕の一つ気掛かりな点なんです。例えば政府の諮問委員会の委員になったりすれば、もろに市民生活に関わる決定をする可能性があるわけですが、そのときにどう振る舞っていくか。人間としてね。まぁ諮問委員をおりれば、また一市民に戻るわけだけれども、そうポコポコ変わっていいものだろうか…。大きな課題だと思うんです。

──そうですね、私もその面は感じます。私のようにフリーな立場では、何を言ったとしてもそのために不利益を招くことは立場上基本的にないと思っていて、あることを批判したいと思ったら自由に批判できるわけです。ところが、たとえば大学に所属すると、大きな組織の中で他人と違う意見を持っている場合、それが個人の意見なのか大学を代表する意見なのか、その両方を重ねて見られることがある。上の地位に行くほど「後者を表さなければ」と考えることになる何かがあるのでしょう。

 その「上の地位」だけど、僕は別に「上」がヒエラルキー的に偉いとは思わないんだけど…。まぁでも、そうした「立場」の問題は厳然として出てくる。

──例えば私が外から助成金をもらって研究するというような立場になると、やはり微妙な問題が生じます。お金を出す側の意向に合わせた考え方や方針で行くべきだろうなとも思うし、でも私たちの主張しているものをとことんやりたい、というのもあるわけで、それをどう背反しないようにしながらやるか、腕の見せ所なんでしょうけど。いずれにしても私は、加納先生との場合のように大学の方とうまく連携して、しかもそれが長い目で見たときに大学にとってもプラスになるという方向を広めたいんです。最初はやっぱり苦しいと思うんですけども、共感してくださるごく少数の先生を通して広げていかざるを得ないでしょうから。他の先生にとっては、外から大学を批判しかねないような人間と関わりを持ってやるのはなんなのだ、という見方も出るだろうとは思うんです、現段階では。そういう意味では加納先生もご苦労が多いだろうなと思います。

 いや、必然なんです、それは。摩擦が起きない方がおかしい。やるならばその覚悟をしなければならないと思います。それによって人々の求めるものが少しでも実現すればそれでよし、と…。何よりも摩擦が起きない方がいいという人は、別に背を向けていても罪じゃないでしょう。

──ただ、大学が世の中で「公的」に認知された立場にあることは間違いないですよね。つまり社会に対する影響力を発揮できるという利点がある。それは小さなしがないNPOではなかなか出来ないことなんです。ですから、大学にいる方にうまく結びついてもらって、志を同じくするならば、大学の権威とか認知度をいい形で利用して欲しいと感じています。

 うん、なるほど。それはそうですね、うんうん。それにしても、さっき話した問題はやはり重大ですよね。いい例になるかどうかわからないけども、この前のNHKと朝日のジャーナリスト同士のやり合いですけど。天皇制に関する話となれば自民党としてはああいう意見は絶対出ると思うんですよね、これは個人的な見解ですが。まぁ、まだこれは決着のついてない問題ですが。ただ、NHKが取材したシンポジウムのあの場では例えば「天皇を裁判にかける」といったことが自由に言えたわけですが、公共の電波に乗るときにはああいうことになる。仮にこうした例で市民科学研究室が関わっていた場合、「じゃあ代表の立場としてはどうなのか」という具合に、すぐに基盤が問われるでしょう。

──そうなんですね。社会の変革とか運動に関わる者としては、一番根本的な思想を問われるような局面に直面したとき、現状の権力関係がどうであれ、主張すべきことは主張するというところがないとダメだと思ってまして、今はそのためにフリーな立場を貫いていると思っています。

 そういうときにもやはり自分の意見が素直に言える場があるのが、市民科学研究室のこれからもあるべき姿だと思います。本当にこの先何があるかわからないところに船出していくわけですから、常に問われているわけですよ、我々一人一人が。この後お話しする環境物理学もまさにその連続です。だから僕自身にとっても問い直す意味で、今日はいいチャンスだと思いました。

──じゃあお話を進めましょう。僕がつっこみますので(笑)

 怖いな…。みんなご存知で、ばればれだからなぁ(笑)

●プロフィール

──いきなり核心からお話が始まりましたが、ここでご自身を自己紹介的に語っていただけますか? 

 そうですね…。その場合、家族を抜きには語れないですね。特に、学者としていられるのは家内のおかげです。全面的に協力してもらっているので2人3脚で来たと考えています。それから本当に子どもが大好きで、4人の子どもに恵まれました。しばしば周囲からは仕事人間みたいに思われるんですが、僕自身はそういうつもりはなくて、料理をやらせれば相当うまいと思っていますけど、結果的に「男子厨房に入らず」になってます。コーヒーは僕の担当ですけど(笑)、それ以外は本当に時間がなくて寝に帰るだけ。だから家内から「大学と結婚した」と言われるような日々です。クリスチャンなので日曜の礼拝には出るようにしているのですが、それが終わるとすぐ大学に来ちゃうという生活をもう何十年と続けていて、それでもまだやることが片づかない…。

 専門の物理ですが、物理は嫌いではないんですが、成績は高校時代などもとにかく低空飛行でした。ただ、自分が納得したところはまず誰にも負けることはないな、と子どものことから思っていました。ところがねぇ、学校は進学校だったので受験問題ばかり解いているんです。でも僕は授業で全然別のことを考えていました。「運動方程式のf=mαの係数kが単位系をうまく選ぶと1になる」と教科書に書いてあるんですが、先生に「何で?」と聞いたら、先生が絶句しちゃって…、なんだ先生もわからないのかと。自分でも調べましたけど、学校で教えることはあまり本質的じゃないな、というのがそのときの感じ方でした。もっと他に疑問に思うことがいっぱい出て、ずうっとそんなことばかり考えてましたから、だから問題は解けなかった。大学に入っても同じで、研究者になれたのも教授との不思議な巡り合わせです。いわゆるエリートとして上がったわけではなくて、大学の中でもアウトサイダー的なところでずっと来てます。ただいつも「どうしてそうなるのか」という疑問に正直にやってきた。それに尽きますね。今でも、学生の質問にも、わからないときはわからないと言って一緒に考える。あ、あんまり自己紹介にならないですね(笑)

──具体的に伺いますが、ご専門である固体物理学のテーマとはどのあたりから出会われたのですか?

 大学で選んだ研究室が固体物理学のところで、人柄もいい先生で惹かれたというのがあります。その先生の紹介で東大の物性研究所に行って最先端の研究に触れることができ、幸運でした。やった研究は華々しい領域ではないけれども、基礎物理学の重要ではあるが地味な実験を積んできました。だから今も、実験に関してはどんな問題についても何らかのアプローチを見つけることが出来ると自負していて、実験なら負けることはないと思っています。だから海外に行くときも全然怖いことはないし、学問として疑問に思ったことはどんどんぶつければいいんだ、と。初めて国際会議に出たときも、こちらが疑問に思うことはみんな疑問に思っているんだ、と肌身で気がついて…。海外に出ると日本の研究者は意外とみんな怖じ気づきますが、僕は海外の方が自由な雰囲気があると感じて、だから新しいことを始めるのは今でも残念ながら欧米なんだと思います。日本だとなんだか非常におかしなしがらみが未だありますね。

──海外で何かヒントを得たり新しい展開を見出されたりといったケースが多かったわけですか?

 というより、僕は日本では「なぜこれが突破できないのか」という具合にホントに四苦八苦しながら研究していたのですが、海外に出たら、その経験がばかばか生きちゃうんです。意外でしたねぇ。僕の指摘を皆がみな、頷きながら、きちんと聞いてくれるんですよ。そのころ僕は講師でしたが、向こうではすぐに客員教授待遇にしてくれて研究費を出してくれる。日本じゃまずあり得ないですよ。だからますます向こうに行って実験するようになりました。

──なるほど。おそらく日本では教授、助教授…といった序列に頭がとらわれて、学問の核心を突く疑問や指摘が下から提起されても、聞く耳を持たないのでしょうね。

 そうそう、助手や講師ふぜいが何を言うか、という感じですよ。逆に有名な教科書を書いた先生だ、となると、ちょっとおかしなことを言ってもみんな黙っちゃったり…。自然科学ではあり得ないですよね。極端な言い方ですけど、でも未だにそうですね。環境物理学を僕が言い出したときなどは、その最たるものでしたね。

●環境物理学への思い

 上田さんたちにはわかってもらえると思うのですが、環境物理学は何か現在の物理学の側面を打開するものをもっている、少なくとも何か糸口を持っていると、主流と言われる人たちも漠然とそう感じているように思えて仕方ないのです。にもかかわらず、彼らは無意識のうちに排除するというか、まともに聞いてくれていないように思います。

──恐れているんですね。

 そうかなあ。排除しようとする人たちにとっては、取るに足らない相手がこざかしいことを言ってる、でも無視も出来ない…。個人的には、そんな状況にあるという気がするんです。そしてそれが本当に学問的にそうかと考えて、今もう一度深めているところなんですけど、調べれば調べるほどやはり、物理学はあまりにも「学問の王道」として君臨しすぎたと思うんです。口にこそ出さないけれども、物理学こそあらゆる自然科学の頂点にある、無意識的に皆そう思っている。

──いわゆる物理帝国主義ですね。

 そうですね、で、それが揺らぐと。でも実際にもう素粒子物理学は、実験面では行き詰まって、SSC1)の一件を見てもおわかりかもしれない。「究極の粒子を見つける見つける」と言って逆に超巨大化し、カオスに入っていく。そして、実験がどんどん先行している高温超伝導は、理論的解明が後手に回っています。まして、環境に対する切り口は、物理学からはほとんど提言されていなかった。今、物理学会の中で、「要素還元主義の行き詰まり」ということを言われると、多くの人たちはカチンと来ると思います。マクスウェル方程式一つ見てもあの「美しい」方程式でほとんどの電磁気現象が記述できる…、そうした要素還元主義による単純化を追究して物理学は成功を収めてきたわけですから。でも環境問題に関しては少し勝手が違います。

 物理学会は2万人以上の日本の頭脳を擁しているわけですから環境問題に解決を与えてくれる人はゴマンといるだろう、と思っていたわけですが、でも学会に「どうして環境科学を扱わないのか」と尋ねても”なしのつぶて”。結局は扱える人がいなかったのですね。だから返事も出しかねていたんでしょう。それで2年くらいほったらかしだったかな。再度聞いたらようやく回答が来て、「申し訳ありませんでした」と。しかも「現在の学会組織で主体的対応する予定はない」と…。つまり「やりたい人がやりなさい」ということですね。そのやりとりが2001年3月号の学会誌に載って、その3月に緊急の非公式会合が行われて全国から31名が集まりました。僕と勝木さんが世話人として議論を進めたのですが、今後活動していくことに皆ぱっと手を挙げてくれた。だからもう自然発生的で、機は熟していたんですね。その後すぐにシンポジウムを開催できたりするなど非常なスピードでした。僕は今代表に祭り上げられていますけど、たまたま言い出しっぺが僕だったということで、環境問題を学問的に捉えようという人が物理学の中にも僕の想像以上にいたのです。現在の物理学としてはむしろ傍流にいた人が多いかなと思いますが、実力的には立派な人ばかりで心強いです。

──環境物理学が目指すもの、環境問題の解決や、物理学そのものを変えていく一つの形として、環境物理学の目標、社会に対して担っていく役割などについて先生ご自身がどういうイメージをお持ちか、お聞きしたいのですが。

 正直なところ、堂々とヴィジョンを言える現状では全然ないです。次の日に何が生まれ、どういう方向づけになっていくか、毎日が良い意味で「試練」なんですが。今の関心は、学問的に見て環境物理学がどういう枠組みを持っているか…。そして今「扱う範囲」がやっと確定してきたかな、という感じです。それは『物理学会領域13環境物理』のキーワードとしてホームページで公開されていますが、現段階ではここに環境物理学の扱う範囲はほぼ網羅されています。

──この広がりはすごいですよね。

 これは一人ではもう絶対に出来ない。では学問的にどの切り口から行くかというと、熱力学的な切り口から突っ込むというのが僕の初めからの直観ですね。そしてそれは正しいと持っています。枠組みはほぼ固めたので、熱力学を一つ武器としつつ、各人の持ち分を生かして各分野でどんどん展開を始めたいと、そういう状況です。

──土曜講座でもお呼びした武蔵工大の宿谷先生は、建築学ですけど熱力学に注目されてエクセルギー2)の概念をとりいれて、建築の快適さの指標に関する新しい研究を切り開いていますよね。「市民のための科学」という観点に立つ私たちから見ると、環境物理の一つの実践例なのかな、とイメージを持ちますが如何でしょう?

 そのとおりです。もちろん宿谷さんは工学部の人だからより実用的ですね。化学とか土木とか、応用科学の側はものすごい対応が早いんですが、ただ物理の見方からすれば対症療法なんです。もちろん大事なのは確かで、宿谷さんの研究は立派ですからどんどん学ばせてもらいますが、我々はあくまでも物理学としてもっとベーシックな学問的サイドからサポートしていかなければいけないし、世に提供しなければいけない責務があるというのが僕の考えです。

──物理学の強みとして、応用の方向にも、現実の生きている世界にも、どちらにも提供できる基礎的な概念というものを持ち得るところがありますよね。環境物理学としてもそうした寄与の仕方をイメージしていらっしゃる?

 はい、そうです。ただ、こう言うとこんがらがるかもしれませんが、学者として常に疑問を持っていて…、僕の性分でもありますけど、その目指しているのも要素還元主義の延長ではないか、という疑問も持ちます。要素還元主義を否定してはいないんですけど、一つの欠点は、生命とか地球環境全体とか、そういうものに対しては要素に、例えば原子とか素粒子に還元したら生命にならないんですよね。我々が突き止めようとしていることからどんどん離れる…。だから宿谷さんたちの研究に対して熱力学を基にした環境物理学のエッセンスを提供したとき、「あれ、これも要素還元の一つを与えたに過ぎないのかな」となりはしないか…。本質的には、生命現象が関わるものや人間の恣意が関わるものに対して果たして有効なんだろうか、というのが頭の片隅にあります。それでも決して歩みを止めるのではなくて、そうした懸念も片隅に置きながら、今のところは熱力学だなと思ってやっています。アイロニーというかパラドックスというか…、えらいところに入ってきてるな、と。もう逃げられないなという感じです。

──同じような還元主義的手法をとって、行き着くところまで生き着く方向をとりながら、でもそれでは乗り越えられない壁に行き当たっている分野はいくつかあると思うんですが、例えば分子生物学は「生命の謎を解き明かそう」とやってきてます。でも、現在のゲノムの解明などによって人間の体や健康とか、生きていることの全体を捉えられるものが見えてきたかというと、かなり疑問ですよね。

 まったくそのとおりです。全体が見えてないんじゃないか、我々のグループにもそう指摘している人がいます。

──私たちのところに「食の総合科学」プロジェクトがありますが、環境物理学のように「必要性があるにも関わらず学問として成立していなかった分野」として、食の分野で言うと、栄養学はあるし食品科学はあるし、生理学・生化学はあるけれども、「食学」というのはないんですね。つまり人間にとって食べることが一体どういう意味を持っているかとか、食べたものがどうなるからこそ体の健康が維持できるかとか、調理法に関しても化学的ないろいろな要素がからんでいますが、それがなぜおいしく上手にできるかとは実は十分に解明されていなくて、それら全体を合わせた「食学」は存在しないんですね。そこで、それを市民の立場から、市民科学的視点から、専門家のネットワークも作ってやっていく必要があるんじゃないかと話し始めています。食べ物は非常に身近なので、市民の実践的な取り組みは各地にあるのですが、それらがしっかりつながっていないし、またそれを科学的な知にまとめ上げようという動きや発想は見られないんです。それを私たちは「食の総合科学」「関係性の食学」といった形で、専門家にむしろ私たちから働きかけて作っていこうと考えています。

 ないんですか?それは意外ですね。

──ないんですよ。情けないことなんですが…。端的な例で言いますと、戦後の栄養学があります。戦後の栄養学は、欧米型食生活の日本への移植を正当化するために使われた側面がありまして…。それが体にいいのだということで、タンパク質と炭水化物と脂肪という3大栄養素を決めて、どういう栄養素を摂ったらいいか、どの栄養素が体の中でどういう働きをするかということを細かく調べ上げ始めたわけです。でも戦前の日本人を考えると、肉はほとんど摂らない、牛乳はましてや全然飲まない、にもかかわらず現代と比較してからだが劣っていたかというと決してそういうことはないわけです。今の栄養学はそのことを説明できません。今の栄養学はいわば「足し算の栄養学」になっていて、こういう栄養素を摂ればいいはずだ、という…。でもそれでは答の見えない部分が何かあるはずです。つまり生き物が生き物を取り込む際の関係性のようなものが影響しているはずで、それを解き明かしていきたいのです。

 世界のどこでもやってなかったんですかね。

──科学という発想ではなく、伝統文化の中に生活の知恵として存在しているとは思うんです。でも、それを今の近代科学という立場でとらえ直して、しかも要素還元的ではないものはあるかと問われれば、ないと思います。

 偶然の一致かどうか、全く同じ状況ですね。日本の2万数千人の物理学会会員の中にも、僕なんかの疑問を解き明かす人は少なくとも2ケタはいるだろう、と思ってましたが、発表している人はほんとうにいないんですよね。もう愕然としました。だから僕は渋々です、他にいないなら、じゃあやらなきゃいけない、と出てきたのに、何で叩かれるんだろう(笑)。今のお話もよくわかる気がします。

 一方で、皆経験的にやってきているんですね。例えば日本の里山は環境物理学を経験的に実にきれいに取り入れて、サイクリック(循環的)にやっているわけですよ。我々の扱う物質循環としてもあれはきれいに循環しているし、いわゆる環境調和を、誰も学問的にやっていなくとも、うまくつくっている。それを考えると物理学は何をやって来たのかと…。だから、日本に限らず伝統的なコミュニティの永続性を考えた知恵、生活の知恵は、これからの環境物理学の非常に参考になる事例だと思いますね。一つの方向性を示していると思います。そういうものを無視する学問は学問じゃない、むしろ大事にしなきゃいけない…。

──一般的には、物理学は特に敷居が高いと思われている。勉強でつまずいたのは物理のせいだ、とか(笑)。生活の知恵とか工夫の中にも、物理的な視点から見ておもしろい発見がいろいろできるはずなのに、物理学者はプライドが高いだけに下世話な問題には「我関知せず」みたいな面があるんじゃないかと、勝手な推測ですが…。

 いやいや、そうかもしれません。物理屋の一人として実に恥ずかしいです。だから私が常に言うのは「自然に学べ」ということです。学生たちにその轍を踏ませたくないので、私の研究室ではフィールドワークを大切にする。「自然の声に耳を傾ける姿勢を身につけよ」と、常にそう言っています。逆に、フィールドワークなど意味がない、カネと時間ばかり食うという意見もある。今や原子一個一個を積み重ねて新しい物理を作ることができる、その時代に、何をフィールドワークで船に乗って太平洋で大掛かりな測定をする必要があるのか、と極論されるかもしれない。物理実験はすべてを必修にする必要はない、とか…。

──はぁー…

 コンピュータ・シミュレーションで多くの物理現象は再現予測できるのだから、化学結合も説明できるし、それこそ新物質創成もいくらでもできると…。たしかにそういう面もあって、それが物理学会の領域の最先端の一部でもあります。でも僕はそれを否定しているわけではない。進めていただくことももちろん大切だと。自戒の念を込めて言うと、今こそ自然に素直に聞く態度が必要不可欠である。それを声を大にしていうのが今の使命じゃないかと、そう思っています。学生はよく聞いてくれますけどね…(笑)。

──物理の主流の方々が、今おっしゃったような単純な発想に立っているのはなぜなのか、と思ってしまいます。例えば私は生物を専攻してましたからバクテリアとか扱いましたが、物理学者に「何を使ってもいいからバクテリア作ってよ」と言っても出来ないですよね? つまり生物は非常に精妙なシステムを全体として作っていて、それを物理学が解き明かせているとはとても思えないわけです。いろんな生物が連関し合って今のエコシステム、環境が出来ているわけですよね。要素で解き明かせるからと言って全体を解けると見ること自体がすごくおかしいと思うんですよ。だから結構考え方の断絶があるなと…。

 そうそう。そこですよ。僕は繰り返し、要素還元主義を否定しているんじゃないと言ってるんですが、でも「否定している」と取られることが多いですよ。それはそれで進めてもらいたい研究ですけど、一方でこちらの研究も進めなくてはいけない。逆風は相変わらず強いですが、着実に理解者も増えてきています。

──非常に興味深い現象ですね。物理をやる人たちのコンプレックスを深層心理的に表しているのかも…(笑)

 実はコンプレックスだったのかなあ…(笑)。

──自分たちがほとんど信仰のように思ってきた「要素で切り開けるんだ」と思っていた人々にとって、何か目障りなものとして映っているんでしょうね。

 そうかもしれませんね。その目障りなものがとらえ切れていないから不安なのかも。でもそんな目障りなものじゃないから一緒にやってくれればいいと思うんですけどね、僕らは常にオープンです。でもなかなかそうはならない。そうすると、最初の「立場」の話ではないですが、言わなければならない場合には、やはりきちんと言わなければならない場面が来るんではないかと思う。そのときに僕が引いたら、環境物理をこれまで押してくれた人を裏切ることになるから、今の「代表」という立場が重みを持ってくるなぁ、と。いい加減なことをやってはいられないな。だから毎日毎日が「気が抜けない」という感じがしていますね。

●大学の外との連携

──個体物理のご研究、環境物理学の責任者としての仕事、学生さんのご指導…。先生は本当にたくさんのお仕事をかかえていらっしゃって、大変ですねぇ。

 本当にねぇ。何でこんなに仕事が来ちゃうんだろう(笑)

──しかも私たちとの連携にも積極的にご協力いただいて…。理科大を集会にお貸しいただいたり、サイエンス夢工房とか、卒業研究の学生さんをご紹介いただいて東京タワー周辺の電磁波測定をしたりとか、「土と水の連続講座」もありました。大学とNPOとの新しい連携の形としてこれらは後々評価されると私は思っていますが、先生と出会えて本当に良かったと思っています。

 私もね、義務感でやっているんではないです。義務感だったら続いてないでしょう。個人としても、こういう連携はもっと広めなければいけないと思いますし。その過程では学内で余計な誤解が起きたりもしましたけど結果的には実りの方が多い。忙しいとか物理的なことはありますけど、これからはもっともっと連携を深めていくべきだろうと思いますね。僕自身はまぁ、必然だったと。記憶は定かじゃないですが、初めはごく自然に始まったんですよね。クリスマスパーティに参加したり、だんだん家族ぐるみで交流が深まって、自然な形でここまで来ましたね。これからもどんどん協力しますから、遠慮なく言ってください。

──はい、お願いします。今後はより広いテーマを取り上げられそうですし。特に貴重に思うのは、加納研の学生さんと一緒に卒業研究を進めさせていただいたことです。ふつう、名もない市民団体に卒業研究の学生を預けようなどと思いもよらないでしょうが…。あのような形が、NPOと大学との提携の形としてもっともっと広まったらいいと思うんです。一つには、NPO自身がやはりまだ小さく、資金的にも苦しいという問題があります。そういう中で研究に専念できる人材を、お金は掛けられないけど求めているんです。学生さんは研究に全力投球できるから、これほど有り難い存在はないわけです(笑)。こちらは、課題発見に関しては外とのつながりも生かして明確に見定めることが出来る。でもそれをじっくりと時間を掛けて、論文のような誰から見ても評価される成果へ持ち込むのは非常に労力が要ります。大学ならではの根気の要る仕事と、こちらの問題発見能力とをうまくつなげる例として、学生さんとの協働というのはもっと使える…。もちろんNPOにしても引き受けるからには責任が伴いますから、専門的にもっともっと詰められるようにしないといけない。そういう面でもお互いを利するのではないかと。

 なるほど、おっしゃる通りでしょう。必要な項目は一つですよ。信頼関係があれば大丈夫。それさえあれば「じゃああなたは卒業研究として上田さんのところに行ってやっていいよ」と。これはもう完全に教員の責任で、原理的にはどこの研究室でも可能ですよ。もっと広まっていいと思いますけどね。もちろんNPOに力量がある程度あるというのは条件になりますけど。

──もちろんそうですね。学生さんの方も就職活動など、困難な条件はほかにもありますが…。でも例えば「水と土」の勉強会に参加してくれた学生さんは、短い期間でしたけれども、一緒に活動する中で、大人たちがどれだけ真剣に議論しているかを実感してもらえたと思います。

 大学院も関連する方面に進みましたからね。

──そうですか! それはうれしいです。加納先生が非常に開けた関係を作ってくださったことは、私たちが活動に広がりを持てた大きな要素の一つだと思っているんです。

 そう思っていただけたら、僕はもう何も言うことはないですよ。何にもまして嬉しいですね。

──環境物理学に関しても、私たちと「一緒にやりましょう」ということが出てくるかもしれませんね。

 そうそう、それを具体的に言えば、環境物理学には今みんなが逆の意味でも注目しているんですよ、このままジリ貧になって発表者もいなくなって消えていくんじゃないかと、そう見ているグループもいる。だから私たちは積極的に学会活動もして、人を惹き付けていかなければいけない。そういう意味でNPOの人たちが加わってくださるのはものすごく励みになります。NPOの立場では一般に学会発表などはあまり視野に入っていないようですが、ここはひとつ学者サイドにインパクトを与える取り組みが必要じゃないかと。

──今のはとてもだいじなご指摘だと思います。海外の事例を見ていると、『エコロジスト』という雑誌3)ではNPOメンバーによる投稿には専門誌に載ってもおかしくない記事がたくさんありますし、その人たちが専門誌にも投稿していたりします。つまり、学会に所属しているかとかNPOにいるかということよりも、内容的に科学的な詰めがきちんと出来ているかどうかが大事だ、というセンスがあるわけです。いったん外に向けてある主張をしようとするときにそれが科学に絡むことであれば、専門家から見て文句が出ないようにレベルをしっかり維持しようという動機付けがあるわけです。この点は日本のNPOの課題です。下手をすると仲間うちの言葉を使ってすませる傾向もないではない…。外へのインパクトというものを考えれば、全然知らない専門家をも「ウーン」と唸らせるものをきちんと持っていなければいけない。そういう意味で、むしろ積極的に学会発表するくらいの成果の積み上げ方をこれからのNPOは持たなければいけないと、そう思っています。

 それはぜひそうして欲しいですね。環境物理学としては大歓迎です。やはり市民の立場からの発言というのは、学問の領域において、特に環境物理学においてはものすごく重要だと思います。ただ一つ、NPOは広い立場を含むから、そっちばかりへシフトしていると学問的におろそかになる恐れもないではない。だから、プロジェクト研究で専門の領域につっこむ一方で、一般の活動もあって、その両方があると強いかなと思います。

──そこは私たちの力量も関わりますね。主婦もいれば学生もいて、本当に多様な人たちが入ってくるわけですから、その人たちの持ち味や力量をうまく見きわめて組み合わせていく、その中で、学問的センスを発揮してくれそうな人をうまくすくい上げて、学会発表につながる研究を上手に組織していく、そういう采配がすごく重要で…。

 そうそう、それからもう一つ、現実的な問題として「資金」があるでしょう。その意味でも、大学と共同研究にすると、予算的な意味ではかなり展望が開けてきますね。文科省としてもNPOとの協同研究を認める方向になってますからね。だからやりましょう、ぜひ。

──是非やりたいです。今までNPOにいる人たちは、まさか科研費とってやる、なんていう発想はないですから。

 市民科学研究室も今度、研究費を取れましたしね。

──はい、JSTからの研究費です。これをきっかけに専門家の方々との連携も強めて、先ほどの「食の総合科学」のような方向でやっていこうと考えています。法人格をとったので研究助成金などにもより応募しやすくなるかもしれません。

 いやいや、次のステップが着々と進んでいますね。

●教育について

──今日のお話のそこここからも、教育についての加納先生の思いが伝わってくるのですが、最後に教育というものについて語っていただきたいのですが。

 一つには、大学院での担当が理数教育であることもあるのですが、まぁもともと子ども大好きなことが影響していますね。基本としてはいつも学生の方を向いて研究をしていきたいと。環境物理学も、学生たちと一緒に、先ほど言ったように自然からの声を素直に聴ける、フィールドワークを通して常に自然を意識する、その過程を学問的にも道筋を付けてあげるのが環境物理学であり、環境教育だと思いますね。そういう意味で今の自分の研究は、「教育」という観点から言えば環境教育にかなりシフトしている。もちろん物理教育の教材開発もしていますけど、基本にあるのは自然ですよ。自然から遊離した物理教育や科学研究はあり得ない、と。だから教育と研究というふうにセパレートしているのではなくて渾然一体としてある、というのが自分自身の理解です。

──今の若い人は自然に触れずに育つとか、大学自体せわしなくなってきて就職活動を3年生から始めるとか、社会的な事情もありますよね。そういう中で自然に対する理解をどうやって深められるか…。あるいは、研究者を目指すのではない大多数の学生に大学教育を受けて良かったと実感してもらえるには、何がポイントになるのかな、と。

 それは文部科学行政が密接に関わってきますね。今問題化している「ゆとり教育」を見ても、文部科学省自身がぶれていますが、そこにもっと市民科学的な発想をどんどん入れていかないと、行政官の発想だけではダメですよ。しかもいわゆる理工系の官僚は、あまりにもあの政策決定に関与している部分が少ないんですよ。そのため理念が先行して実態とかけ離れてしまった。「自ら考える力」とか、お題目は非常にいいんですけども、自然科学はある程度体系づけた教育が必要なので、何もないところで「生きる力」といって総合学習を導入されても現場も困るし、子どもも本来の発想を得られない。そういう意味で言えば、文部科学行政にも我々は目を向けて行かなきゃいけない。そうすると個人の力では限界があり、とてもカバーできない。今のままじゃ我々がいくら言ったって何も反映されない。現状で出来ることと言ったら、学会などで発言・提言するくらいしかないけれども、それは現場の先生が聞いていても、行政には届かない…。

──私たちが想像している以上に、理科教育政策は、本来の理科教育に携わっている人たちの声が反映されにくいシステムになっているわけですね。

 そうですね。教科書一つとってもそうですよ。日本の教科書ほどおもしろくないものはないですよ。もっと自由に教科書が作れて、ある程度お金がかかってもしようがないでしょう。あのページ数だけでは魅力ある教科書は作れないですから。アメリカの教科書などを見るととてもおもしろく書いてありますよ。基本はね、楽しくないとダメですよ。勉強しなければならない、のではないですから。

──今思い出しましたけど、私は高校時代に、日本の物理の教科書と、そのころ日本で翻訳が出ていたアメリカの教科書を比較してみたら、格段の違いで、「何でこんなにちがうのか」とびっくりしたんです。

 未だにそうですよ。大学の教科書でも。何であんなに無味乾燥なものになるのか…。検定制度を悪とは言いませんけど、なんであんなに規定してしまうのか。子どもたちはまだまだ前途多難ですね。それと、こちらが理想と思っていることを子どもたちにすぐに示してあげられないというか…。教育しかり、家庭環境しかり…。だから総力戦ですね。やりたいことは山のようにあります。今のところせめて自分の授業くらいは少しでも理想に近づけたいと…。

 自画自賛かもしれないけど、出席とらなくても僕の授業は出席率が抜群です。今の子どもたちは教室に入っていくとウワァーッとしゃべっているわけですよ。でも僕は集中しないと授業できないからと初めに言って、実際に話始めるとサーッと静かになってくれる…。そしてチョークの音だけが教室に響く。すると僕はゾクゾクしてくるんですね。僕なんかの講義をおもしろいと思って聞いてくれているのかと思って…。それでまた一所懸命になるでしょ、用意してこなかったことまで展開したりして。言葉を交わさなくてもその場の雰囲気でのめり込んでいけるんですよね。大学ではずいぶん自由に出来るので、思いきって、一番のエッセンスを教える。せめて自分でやれることはできるだけやっているんですけど。社会全体に目を向けると、まだまだまだまだ…。

──そうですね…。でもそうやって惹き付けられる講義に出会えるだけでも意味は大きいと思います。自分の大学時代を振り返っても…(笑)。ファインマン4)の物理学の教科書などを考えても、ああいう授業がもし大学にあったらどんないいだろうか、と想像しちゃうじゃないですか。彼は特異な、天才的な例かもしれないですけど、でも教わる方としては期待しますよね(笑)

 だから毎回教室に行くまでは大変なんですよ、ああでもない、こうでもないって。でも学生と一緒に作っていく授業だと思うと、しかも最後によかったと言ってもらえると、もうそれで一年の苦労は報われたという感じですね。だから言ってみれば彼らに支えられて今があるな、と。自分の力でやって来たなんていうところは1%もない。一生懸命ついてきてくれて、最後によかったと言ってくれるから、元気が出て、また頑張る。研究でもそうですね、なかなか認めてもらえなくても、海外から招待講演で呼んでくれたり、そうすると自分の言っていることは正しいのかな、と…。あ、全部「外」からですね、評価されるのは。不思議ですね。

──不思議ですねぇ。おもしろい構造だなぁ…。

 まぁ、生かされているというのが正直な感想ですね、本当に。上田さんと出会ったのもね。

──ありがとうございます。

   
(構成:編集局)

1)SSC:Super conducting Super Collider(超伝導超大型衝突型加速器)。アメリカにおける計画で、一周87kmの地下トンネルを掘削し、その中で2つの陽子ビームを衝突させて「究極の粒子」を発見するというもの。宇宙開発、核融合などと並ぶ巨大科学だが、93年11月、議会の決定により中止された。

2)エクセルギー:エネルギーが「仕事をする能力」を表すのに対して、エクセルギーは「利用可能なエネルギー」という意味で用いられる。エネルギーとは全てが利用できるわけではないからである。

3)『エコロジスト』:イギリスの環境保護運動の雑誌。GMO(遺伝子組み換え作物)批判をリードしたことでも知られる。

4)ファインマン(Richard Phillips Feynman、1918 – 1988)。アメリカの物理学者。量子電磁力学の発展に大きく寄与したことにより、1965年、J・S・シュウィンガー、朝永振一郎とともにノーベル物理学賞を共同受賞した。「マンハッタン計画」への参画や、「チャレンジャー号」爆発事故原因の解明などでも知られている。

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