直観力を磨く場としての市民科学研究室 市民研理事による読み切りリレーエッセイ 第3回

投稿者: | 2018年7月5日

橋本正明(市民科学研究室・理事)

 昨年は市民研にとって大変な年であったと思う。その中でも最大だったのは勿論、千駄木から湯島への移転であるだろう。その際に感じたのは、《本当にここは資料が多い》ことである。いや、ただ書籍が多いだけならその辺の図書館の方が多いであろう。
 私が言いたいのはその情報密度、濃さである。ここには自分の知らなかった『知の世界へ誘う扉』が数多と存在している。よくぞこのスペースにここまでの資料が揃ったものだと感嘆せずにはいられない。

 私が資料やデータを重要視するのには理由がある。自らの知見、そして俯瞰的な直観力を磨く為である。更に何故直観力を磨きたいかと言えば、解の無い問題の最適解を探し求めた末に自分が“これだ‘’と思うような知に至った瞬間にまるで自分が『天才』になったかのような錯覚を感じることができるからである。それは私にとって途轍もない快感である。それは私が学び続ける動機の一つであり、少しでも天才と呼ばれる人々に近づきたいと願った子供の頃からの果たせぬ想いでもある。

 私だけではないだろう、人々は天才に憧れる。アインシュタインや、エジソン、平賀源内、南方熊楠、古今東西を問わず天才と呼ばれる人物に憧れて、人々は憧憬の念を抱きつつ嘆息する。
 そして直観はとかく天才たちが『何も無いところから革命的なアイデアを紡ぎ出す』ものだと思われているようだが、そうではない。
 直観は『それまで積み上げられた知識、経験、記憶、信条、想い』が、あるきっかけやキーワードを得て一瞬で凝結すること。言わば、過冷却水の凝結や、長い時間をかけて並べられたドミノ駒が一瞬で倒れたり、複雑なジグソーパズルが完成を迎えた瞬間のようなものであるだろう。

 しかし、それは他人には計り知れない苦難や苦心惨憺、苦渋を舐め、自分に出来ること全てをやり切った者だけが『人事を尽くして天命を待つ』状態になって初めて到達できる瞬間なのではないか。そこは前人、前例の無い高みへの努力と強い意志無くしては決して到達出来ない領域なのである。
 そして創造力とは、ジグソーパズルのピースを単純に嵌め込むだけでなく、与えられた正解の無い問題の解決の為に集められたピースが組み合わさるような形にその本質が変わらないように加工し、削り出すことではないだろうか。

 そのように考えれば私たち『市民科学』を学ぶ者、志す者はどう在るべきかは自ずと見えて来る。ここ市民科学研究室には長年に渡って蓄積された膨大な量のデータが在るが、そこで知った事を本物の知識とする為には単に知るだけではなくその本質を識別する必要があるだろう。
 そしてその知識を地道に積み重ねる事こそが自らの直観力を磨き上げる事に他ならないと私は考える次第である。

 私は今後も皆さんと共にこの『市民科学研究室』という場で直観力を磨き上げたいと願う次第である。

【市民科学研究室の理事メンバーによるリレーエッセイ バックナンバー】
第2回「市民科学とは何か〜4つの考え」吉澤剛(元・理事、現・海外特任研究員)
第1回「トツキトオカは死語なのか?」上田昌文(代表理事) 

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