【書評】 『全脳エミュレーションの時代 ~人工超知能EMが支配する世界の全貌~』

投稿者: | 2018年7月5日

書評
『全脳エミュレーションの時代~人工超知能EMが支配する世界の全貌~』
Robin Hanson著/小坂恵理 訳/井上智洋 解説

評者:橋本正明(市民科学者(自称))

PDFはこちらから

私個人の見解であるが、本には大きく分けて二種類ある。

一つは1回読めば十分であるもの、タネが明かされると読み進める意味が激減してしまうものである。もう一つは何回読んでも読めば読むほど世界観が拡がり、噛めば噛むほど味が出る言わば『スルメのような味のある』本である。そしてこの本は間違いなく後者である。しかしながら、これを一度通読しただけで全てを理解できたとする人間を私は信用しない。これはある意味、物語の難解な基本設定である。例えば広大なRPGのストーリーを紡ぐための舞台設定のようなものと擬えると分かり易いのではないだろうか(逆にRPGにご興味のない方々には何の事だか分からないであろう)

本書の性格上、全編を通じて【エム】という人類の亜種についての設定が行われ、更にはとっかかりの上巻の半分ほどは舞台や行動の動機付けについての重箱を突く様な細かい設定作業のようなものであったため、非常に読み進むのに苦労した。それに本書には挿絵や図表の類は一切無い。かろうじて巻末の解説に大雑把な分類表が掲載されている程度である。描くとそのイメージに固定されてしまうのを避けるため敢えて描かない、いや描けないのだ。或る意味、牛になった感じだ。こいつは一口齧っただけでは真の味は判らない。と言うよりも、一通り全部食べて飲み込んでからゆっくりともう一度反芻しないと消化できない。これは読者各々の持つ想像力と創造力をフルに回転させてようやく少しずつ視えてくるレベルのものである。そしてようやくゴールに辿り着くと待ち構えている巻末の解説には「最初に解説を読んだ方が…」って、遅いっ!!
そういう大事なことは巻頭に持ってきて欲しい。

この本はSFを読んでいるようでもあり、歴史学や経済学、社会科学や工学技術テキストを読んでいるようでもあるが、如何せん筆者個人の経験や心理的なバイアス(できるだけニュートラルにする手筈ではあったが)がどこまで掛かっているかの判断は困難であると思われる。全脳エミュレーション的手法は、SF界の巨匠R・A ハインラインの未来史シリーズの中で主人公たちが使う回春法である『若返り』とほぼ同一である。但し、これは容器としての純粋な肉体を培養してから全記憶データ(場合によって記憶データを選択・削除する)のみを移し替えるのであるが…。
この設定で炙り出される物語の輪郭は、古典文学としての『ユートピア』のようでもあり、『失楽園』、『エデンの園』とも言えそうだが、そのような【エム】の社会は果たして幸福なのか、そもそも【幸福】という概念の意味するもの、【エム】の存在理由とその価値は人類にとって何なのか。【エム】はそもそも何のために生き、存続、増殖しようとするのだろうか。

【エム】は、AIによる人間の人格をスキャンしてコンピューティングされた肉体へ人格のコピーをリロードすることで誕生する。更には各々の個性のみならず精神や体を【調整】することによって様々なスピードや身体形状を獲得し、様々な労働に特化したり、特殊任務や特定のプロジェクトの一時的な任務のために【エム】を誕生させ、廃棄させることも経済的観点から判断し実行することも厭わない(だろうと本書では語られている)。
彼らは機械人間やクローン、サイボーグではない。どれにも近そうでどれとも少し違う。一言で言うと「コピーMAN」なのである。強いて言うならば、パーマンのコピーロボットが一番近いかも知れない。つまり彼等は『仕事』をするために生まれた存在、ある意味では『仕事人間』そのもの、或いはその進化形であるだろう。元々コンピュータの処理スピードは人間のそれとは同じではない。当然エム同士の方が人間が関与するより遥かに効率的である。それはまるで高速度撮影によるハイスピードの世界である。人間同等の能力を持った者たちによる早回しの世界、人類の時間線上であっという間に展開される栄枯盛衰。しかし、これは新たな人類の亜種の形態の設定録としての価値は十分に持っている。下世話にありきたりの言葉で語るなら、言うなれば【新人類】の亜種である。

科学技術と経済学の融合のシミュレーション。でも何かが足りない。それは【心 】か。だが、そもそも【エム】は人類では無い。現生人類とは異なる思考・行動パターンを執ると最初の設定にあったはずではあるが。単一なベースキャラクターによるほぼテレパシーに近い意思疎通の容易さ、だが直感までコピーできるのか。
確かに様々な未来を描いたSFでもその人類の尖兵(せんぺい)たる主人公たちは未開の惑星上の荒野で未知の生命体との出遭いや死闘を繰り広げ、そして銀河狭しと駆け巡り人類の版図を拡げてゆく。それらはまるで西部劇のヒーロー・ヒロインさながらである。
そう、我々は未だ心の面では野蛮な開拓時代を生きているに過ぎない。

本書では身体のサイズについては終始【小人(コロポックル・エルフ?)型】についてのみ語られてはいるが、当初の人間の目論見を考慮すれば当然のことながら、【等身大型】の需要はあるだろうし、場合によっては【ジャイアント(巨人)型】の需要もあるかも知れない。彼らは【消耗品的な人海戦術】を執らねばならないような非常事態に投入されるかも知れない。それは例えばチェルノブイリのような過酷事故やハリケーンの内部調査など、命を落とすリスクの高い仕事に従事することを意味するであろう。

それは非人道的で倫理的に許されざるものであるだろうか。いや、そもそも彼等は本来労働のためだけに生み出された擬似知的生命体であったはずだ。言わば人間が生み出した【道具】の延長に過ぎない。しかし社会を造り、増殖し個体も社会も常に変化し変貌を続けるとしたらそれはもう既に生命ではないか。しかも、彼等の主観時間、活動速度はビデオの早回しやスロー再生のように調整可能で平均的に人類よりも速い。彼等の栄枯盛衰が人類の主観時間で僅か数年のうちに行われかねないとしたら彼らは人類とは異なる時空間で生きる生命体である。

一方で、完璧に見える論理的考察にも穴はある。例えばエムは小人ではあるが物理法則は等しく作用する。場合によっては表面張力が強く作用することもあるだろう。そうすると主に都市の冷却のために敷設されるパイプラインは無闇に細くはできない。ミニチュアがオリジナルの完全コピーかと言うとそうではないのである。しかも彼等の記録、世界観はオーウェルの【1984年】のように容易に改変し得る。既に我々の世界でも記録の改ざんは行われている。いや、そもそもが勝者の歴史しか語り継がれない我々の現世と何ら変わり無い。そしてVRの行き過ぎた未来はPKディックの悪夢の世界と何ら変わりがあるだろうか。しかし、それらの穴はほんの一部に過ぎず、特に廃熱対流による風力発電の可能性を示唆したことは私にとって非常に驚きであった。 その一方でその技術の実現可能性については可能性が低いとされていたことは心外であったが、全編に渡って筆者の経験に裏打ちされた深い洞察が行われていることに間違いは無いのである。

一つだけ、たった一つだけ疑問がある。
人類は何処に行ってしまうのだろう?

この本を読み一度きりで終わりにするか、何度も読んでその世界観を広げるのも良い。そしてまた、この舞台設定を基に様々な物語を紡ぎ出すのも良いだろう。其処まで奥行きのある本であることは間違いが無いのであるのだから。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です