私の世界市民科学「再」探訪 ~ “Living Knowledge”国際会議によせて~

投稿者: | 2022年5月12日

私の世界市民科学「再」探訪

~ “Living Knowledge”国際会議によせて~

杉野実(市民科学研究室理事)

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はじめに

あれは2015年のことだったでしょうか。「ズームを使ったオンライン会議」が当たり前になった今とちがって、当時はまだ「最先端」あつかいだったスカイプを用いて、「『市民科学に関する国際会議』についてオンラインで語り合おう」と、市民科学研究室の上田代表がよびかけました。そのときの出席者はたった3名でしたが、私はこの「国際会議」にあこがれともいうべき強い興味をいだき、翌2016年、アイルランドのダブリンで開催された”Living Knowledge”会議にて、「知識は文字通りみんなのもの:市民科学研究室の目的」と題する報告をおこなうにいたりました。英語を母語としない私は、自分が発表しないセッションに出ても、「意味のある発言なんてできるのだろうか」などと妙に緊張したものでしたが、「あなたの質問で流れが変わりました」と司会者にいわれておおいに安堵する、といった経験もしています。懇親会に出るころには緊張もすっかりとけ、交流をおおいに楽しんだ…はずだったのですけど、この種の会議ではありがちなことでしょうが、帰国後には参加者らとの交流がほとんどなくなり、そのことはさびしく思っていたのです。…理事になってすでに数か月がたった今年、市民研「みらい会議」で”Living Knowledge”のことが話題になり「おや」と思ったのに続いて、この会議に深くかかわる3人の女性スタッフ1の活動を調べて書いてほしいと上田代表にいわれた私は、ダブリンでの快活な様子が印象的だったSophie Duncan氏がそのなかにいるのをみてなつかしくなり、喜びいさんで引き受けました。しかし、調べてもなかなかわからないものですね。まず3人のうち1人については、とりあげることを断念せざるをえませんでした。そうこうしているうちに「ロバアト・オウエン協会」での「デジタル地域通貨」に関する研究集会などもあり、そこでの討論もへて私は、市民科学にかぎらずいわゆる「オルタナティブ」運動にありがちな問題点として、「理念がはなばなしく語られ続けることに、具体的な実践がなかなか追いつかない」ことがあって、「調べてもわからない」こともそれと無関係ではないことに思いいたりました。そう、市民科学関係者も苦闘のさなかにいるのです。…こんなこともありましたのでここでは、Living Knowledgeおよびそのスタッフについて、私自身が調べていろいろわかってきたその経緯そのものを、ある程度反映させて書くことにします。そうすることによって、関係者らの苦闘の様子もまた、浮き彫りになるのではないかと思います。

 

Sophie Duncan氏とその論文

その快活さを私に印象づけたDuncan氏は、Living Knowledgeの前述ホームページでは、英国National Coordinating Centre for Public Engagement (NCCPE)の共同理事長(co-director)と紹介されています。この機関の名前が訳しにくい、というよりむしろ’public engagement’という語そのものが日本語にしにくいのですが、インターネットで翻訳をこころみると「非専門家に耳をかたむけ理解し交流する専門家の関与」とでてきます。前述ホームページによるとDuncan氏はまさにこのpublic engagementの専門家で、政府・大学間連携機関やマスコミ等でキャリアを重ねてきたとのことですが、氏はまたこの主題について多くの論文を書いてきたともいわれています。そこでまず、氏の論文でどのようなことがいわれているのか概観してみます。NCCPEの雑誌Research for Allにも論説をよく書いているようですから、まずそれからみてみましょう。

Duncan氏のResearch for All論説は多数あって、それらはインターネットでもっともみつけやすい同氏の著作といえますが、ここでとりあげる”Motivation for Engagement”3は、ロンドン大学の教育学者Sandy Oliver氏との共著です。論説冒頭で’engagement’そのものの困難さを強調したDuncan, Oliver両氏は、それでも科学者がそれをめざす動機として、「学習を鼓舞すること・研究者の技能を発展させること・倫理的かつ説明可能になること・世界をよりよくすること・より効率的で持続可能な経済をつくること・民主的参加と社会的結集を増進すること・研究の質と影響力をますこと・科学に対する支援をえること」の8点をあげました。家庭や学校で子供を育てる親や教師をふくむ「一般市民」との連携を科学者がのぞむ理由が、これらの動機から説明できるというわけです。これは直接には英国科学界での活動からえられた知見ですが、他の国たとえば中国の科学界においても、「科学の啓蒙」により重点がおかれるといったちがいはあるものの、基本的に同様の傾向がみられるとも論じられています。一方これを反対からみて、地域社会組織(community organization)の側が研究者に何をのぞむのかとなると、「技能の増進・着想や経験の共有・信頼の確立・たしかな根拠にもとづく活動の価値づけ・研究人員をふくむ資源への接近」等々が動機となるみたいです。両氏が引用している2010年代のNCCPEの報告で、’engagement’にとりくむ各大学には、専門家がみすごしている問題を非専門家に指摘してもらうという「実質的要請」のほか、研究は一般社会に出資されまた一般社会に影響を与えているのだか、’engagement’もまた「当然なされるべきこと」としてあるという「規範的要請」も課せられているとされています。研究でえられた知見は地域社会に貢献するものであるべきであると同時に、研究そのものが参加する人々に個人としての向上をもたらすべきだ、との論点もありうるでしょう。「一般市民」(学校教師その他)が研究者の助力をえて、ときには政策決定者にまで影響をおよぼす知見をみずから獲得していく「安全な」場が確保されることが大切との議論も、アフリカ諸国などの例をひきながらなされています。ここまで具体例がほとんど出てきませんでしたが、論説後半で両氏が言及していた、「青少年むけ精神医学プロジェクトから、成人むけのそれへの移行」の事例は、「対象者自身が、みずからをふりかえる映画の製作に関与する」過程をふくんだ、非常に興味深いものです。本論説の最後の部分は雑誌に寄稿された各記事の紹介にあてられていて、これはこの雑誌のおきまりのスタイルなのかもしれませんが、私にとってはそれを読むことは、ダブリンの会議でのDuncan氏の様子が思いうかぶ楽しい経験となりました。

次にとりあげる論文”A Common Standard for the Evaluation of Public Engagement with Research”4Research for Allに掲載されたものですが、これはさきにあげたような「編集者論説(editorial)」ではありません。この論文はDuncan氏をふくむ8名の共著によるものです。やや長いので、図表や箇条書きなどの形でまとめられた部分を中心にみていきましょう。研究への公的な’engagement’を評価するための「標準的な」手続きは確立されていないしまた一般に広まってもいない、との問題意識が著者らのあいだにあることが、冒頭の「概要」をみればわかります。「概要」の次の「キーメッセージ」によれば「評価基準」とは、「公的’engagement’活動の構想・実施および影響を」評価するものであり、この「基準」を適用することにより、’engagement’がたとえば「学習・行動の変化および能力の建設に」どれほど貢献するかをはかることができます。やや図式的になりますが、著者らは’engagement’それ自体を、普及や教育をふくむ「知らせる」、交流や助言をふくむ「相談する」、そして共同研究や知識増進をふくむ「協力する」の3者に分類しました。’Engagement’の影響を「制度的・能力建設的・態度的・概念的・関係持続的」の5者に分類していることも、やはり図式的ではあるものの(とりわけ最後の項目が!)関係者の苦労をしのばせます。評価されるべきは「構想・実施および影響」だといいましたが、「構想」については「たしかな倫理的基礎があるか」と「社会的文脈を理解しているか」が、「実施」と「影響」については「それがなされた(えられた)ことを、どのようにして知るか」が、それぞれ重要であるとのべられています。厳密な議論をしようという強い意欲がうかがわれますが、これらをまとめた表のなかに「評価の方法を特定すること」という項目があったりするので、結局は具体例があげられず議論が堂々めぐりになっている、とみえるかもしれません。たしかに著者らの書き方は抽象的すぎるのですが、ただこれは実際には、現実に’engagement’にかかわる人々に自己評価をしてもらうために著者らが考案した、「キット」(の説明)の一部であることに注意しなければならないでしょう。インタビューやアンケート、「ビデオ日記」や「メディア分析」などの具体的「ツール」を、’engagement’関係者(著者らの調査対象者)は実際には使用しており、とりわけ「未来のあなた自身への手紙」という「ツール」についてはくわしい説明もなされています。著者らが方法論で苦心したわりには、「’engagement’評価ののぞましいありかたについて」確固たる成果が少なかった感もありますが、ただ「専門分野によって考え方が随分ちがう」ことが浮き彫りになったことには、(「常識の再確認」にすぎないともいえますが)意味があったといえるでしょう。

もうひとつだけ、やや毛色のかわったものとして、Duncan氏が単行本の一部として共著者とともに書いた、「大学における’engagement’」に関する論文5について少しだけふれます。たとえば「地域社会との’engagement’」を「コミュニティ’engagement’」とするなど、社会の「各方面」との連携について論じている箇所は、協同組合などでも注目されている「ステークホルダー論」と’engagement’の関係にふみこんだ論として、注目されていいでしょう。大学において「’engagement’に対する共通の理解がない」・「’engagement’には研究や教育、ときには運営(administration)ほどの重要性もないとみなされている」、あるいは「’engagement’推進は偶然のできごとや特定個人の努力に依存していて、制度的に裏づけられていない」といった指摘は、むかしからいわれてきたことのいいなおしにも聞こえますが、今後の議論にあたって忘れるべきでない事実の例示には、たしかになっていると思われます。

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