写図表あり
csij-journal-028-yoshizawa.pdf
アンケート分析から見る科学技術コミュニケーターの実態
吉澤 剛
(NPO法人市民科学研究室、東京大学公共政策大学院)
第32回市民科学講座「科学コミュニケーションに何が求められているか 〜科学への共感と批判のはざまで〜」(2009年9月17日)の主催者である上田昌文(市民科学研究室)・古屋絢子(東京大学公共政策大学院)・吉澤剛(市民科学研究室/東京大学公共政策大学院)の三名は、知り合いで科学技術コミュニケーションに関わっていると思われる164名を抽出し、2009年8月17日・18日にアンケートを送付した。また、これとは別に2009年9月発行の『市民科学』や市民研ホームページでアンケートを募集した。結果として、先の164名のうち52名の回答(回収率31.7%)、その他から1名の回答、合わせて53の有効回答を得た。アンケートの内容は以下の通り(本体は添付した別のpdfファイルを参照のこと)。
A) 科学コミュニケーターとしての意識
B) 現在の所属
C) どの関係者をつなぐ活動をしているか
D) 活動の分野・領域
E) これまでの活動形態・手法
F) 活動の場
G) 科学コミュニケーション(的な)活動の具体的な成果
H) 問題点や行き詰まり、悩んでいる点、また、そのために必要な支援
I) 活動を支える原動力・やっていてよかったと思うとき
J) ほかの人にも勧めたい活動
分析手法としては、回答A、B、D、EはExcelおよびSPSSで定量分析、回答CはPajekというネットワーク分析ソフトウェアを用いて図示化、回答F、G、H、I、JはMAXQDAと呼ばれる定性データ分析ソフトウェアを用いて整理した。
回答B:現在の所属
学協会・研究機関・大学に所属している回答者が半数以上(31名)おり、次いでNPO(10名)、メディア・報道機関(7名)であった。もともと学術研究者にアンケートを送付している割合が多いこと、研究者は回答に協力的なこと、などの理由が考えられ、この結果から単純に含意を導くことは危険である。ただし、NPOやメディア・報道機関、さらに博物館・科学館(1名)より遥かに研究者からの回答が多いことは、現場より研究、実践より概念が先に立っている日本の科学コミュニケーションの現状をかなり反映しているといえるだろう。また、行政や一般市民からの回答は科学コミュニケーターあるいはそれに関わる活動をしていると答えたものが全員であり、これらのセクターでは科学コミュニケーションを明確に意識して活動している、専門職として引き受けている人が多いことがわかる。
回答C:どの関係者をつなぐ活動をしているか
ネットワーク分析によって、セクターXとセクターYをつなぐ活動をしていると答えた回答者が多いほど、両者の距離が近くなるように二次元的に図示した。図では、「科学コミュニケーター」がつなぐ活動をしているものを赤の線で、「科学コミュニケーションに関わる活動」をしている回答者の活動を緑の線で、「どちらでもない」とした回答者の活動を青の線で表している。線の太さは、その回答の多さに比例している。また、各セクターに属する回答者の数は丸の大きさで表している。
結果を見ると、学協会・研究機関・大学(Univ)と一般市民(Public)をつなぐ活動が一番多く、両者の距離も近くなっている。続いて大学と行政(Admin)、大学とメディア・報道機関(Media)などとなっており、回答A、回答Bの傾向からもわかるように大学を中心とした科学コミュニケーションに関わる活動が目立つ。ただし、大学と企業・産業界(Company)、大学とNPOなどのつながりは薄く、また、それに関わる人々も科学コミュニケーションという意識を持っていない。大学は科学の社会や政治の受け手である一般市民や行政に対する活動が中心で、博物館・科学館(Museum)やメディア・報道機関という媒体とのつながりは弱く、さらに中間的な受け手である企業やNPOには科学コミュニケーションとして関わっていないことがうかがえる。ここに、科学コミュニケーションにおけるコミュニケーションの偏りが実態として浮かび上がっている。
回答D:活動の分野・領域
活動の分野・領域として最も多かったのは「健康・医療」(24名)であり、次いで「教育」(21名)、「環境・身近な自然」(17名)と続いた。「交通」(1名)や「衣服」(1名)は際立って少なく、「妊娠・出産・子育て」(5名)、「廃棄物」(6名)、「住まい」(7名)も少ない。「健康・医療」の多さに比べた「妊娠・出産・子育て」の少なさ、「環境・身近な自然」に対する「住まい」などと併せて考えると、生活に密着した領域ほど科学コミュニケーションがおこなわれていないことがわかり、《科学らしい》ものに活動が集中する傾向が明らかとなっている。「健康・医療」「妊娠・出産・子育て」「福祉・ケア」を選んだ回答者では、科学コミュニケーターを自認している者が少なく、医療福祉分野では医者・看護師・介護士・保育士など本質的にコミュニケーションが求められる専門職が多く、あらためて科学コミュニケーションという専門が入る余地や意義が今のところないとも考えられる。
SPSSを用いた多次元尺度構成法(MDS)により、回答の相関から各分野・領域の近さを二次元平面に図示し、分野・領域を大雑把に「リスク」「食育」「医療福祉」と名づけたグループに分けた。まず「リスク」であるが、「安全・防災」「水・大気」「環境・身近な自然」「エネルギー」「材料・化学物質」「住まい」「廃棄物」など、リスクに関するテーマが多いことから名前を付けた。科学技術の負の側面に着目するリスクコミュニケーションらしい分野・領域である。一方の「食育」では、「教育」「食・農林水産」「遊び・アート」が主に入っているが、食を科学する実験教室などが盛んにおこなわれていることもあり、科学技術の面白さ、素晴らしさを伝える伝統的な科学コミュニケーションのスタイルである。そして「医療福祉」は、上で見たように純粋な科学コミュニケーションとして位置づけられてこなかった活動である。
回答E:これまでの活動形態・手法
最も多かったのは「執筆」(35名)であり、「イベント」(33名)「ワークショップ」(31名)が後に続く。科学コミュニケーターが専門職として関わる割合の多いものは「実演」(12名中8名)や「展示」(12名中6名)であり、反対に科学コミュニケーターがほとんど携わらないものは「政策立案」(4名中1名)や「市民調査活動」(7名中1名)であり、これらについては回答者の絶対数も少ない。
活動形態・手法のそれぞれの近さについて、回答Dと同じく多次元尺度構成法により二次元平面に示した。それを「場づくり」「見せる」「言葉の発信」「問題解決」という大きく4つのグループにくくった。「場づくり」には、イベントやワークショップ、サイエンスカフェなど、科学コミュニケーターがそうした場の設計・運営や、ファシリテーターや司会として進行に関わるものが含まれている。「見せる」には、「広報・普及」「実演」「展示」「翻訳・海外情報」「インターネット」など、科学コミュニケーターが媒体となって科学、特にその面白さについて視覚的な効果を活用して発信するものが含まれている。「言葉の発信」は、「執筆」「講演」「授業・講義」といった、科学コミュニケーターが主体として科学技術についての情報を発信しているものがまとめられている。「問題解決」は、「市民調査活動」や「研究開発」、「政策立案」「ロビーイング」という社会への具体的な指向性のある活動から成り立っている。この平面の軸の説明としては、横軸は「自分で動く」か「人を動かす」、縦軸は「場に向けて」「社会に向けて」という方向性を持っていると見られる。「場づくり」では、場の設計・運営や進行を通して科学者や市民を巻き込み、「言葉の発信」では科学コミュニケーターが社会に向けて主体的に情報を発信するものの、そのあり方は静的であり、主にその受け手である市民の意識や行動を変化させることに主眼が置かれている。「見せる」でも受け手である市民の意識や行動の変化を目指している部分はあるが、どちらかと言えば科学コミュニケーター自らが動き、その現場で受け手と科学の面白さについて共感をするところに焦点がある。「問題解決」では、自ら動きながら科学技術の関わる問題の解決や科学技術の社会や政策への実装を目指している。回答Eの傾向とつなげると、図の右側、「自分で動く」活動である「見せる」や「問題解決」がどちらかと言えば少なく、特に「問題解決」は科学コミュニケーターとしてはかなりマイナーな活動であると言える。
その他の定量分析
・ SPSSを用いて回答B、D、Eから回答Aの判別分析を試みたが、有意な結果が得られなかった。すなわち、科学コミュニケーターであるという職業意識は、現在の所属、対象とする分野、関わってきた活動の組み合わせからは特定できないことがわかる。これを好意的に解釈すれば、科学コミュニケーターという職業は社会にムラなく広まっており、所属や分野、活動の多様性が十分に確保されていると見ることができる。逆に批判的に見るとすれば、科学コミュニケーターを養成するという国の方針の下で進められてきた政策の成果が目に見える形で出ておらず、科学コミュニケーターの安定した就職先や得意とする分野がないまま、科学コミュニケーターの専門性そのものが問われかねない結果である。
・ SPSSを用いて回答B、D、Eの主成分分析により、主成分の抽出を試みたが、有意な結果が得られなかった。すなわち、回答者の職業、関わる分野、活動に一定の傾向が見られないことがわかる。一定の傾向がないということで、多様な人材を回答者として得ることができたため、アンケートそのものの妥当性や信頼性がある程度担保された結果ではないかと言える。
回答F:活動の場
主たる回答は以下の通りにまとめられる。
・ 国際機関・イベント
・ 行政
・ 実地(研究所公開、現場見学・現地視察)
・ イベント・フェア、講演会・ワークショップ
・ 科学館
・ 教育・研究機関(コミュニケーター養成講座等)
・ 学会・研究会
・ メディア、執筆活動
・ シンクタンク・コンサル
・ NPO
・ 私的ネットワーク
具体例としては以下が挙げられている。
・ NPO法人横須賀国際交流協会
・ アースデイ、エコライフフェア
・ サイエンスアゴラ
・ サイエンス倶楽部
・ STSネットワークジャパン
・ シブヤ大学における無料公開講座で科学系の講座企画
・ 東京大学・五月祭での工学部研究室訪問ツアー
・ 北大「未来の科学者養成講座」のプログラム開発・実施
・ ジュニアサイエンスカフェ
回答G:科学コミュニケーション(的な)活動の具体的な成果
特徴的なものとして、以下のような回答がある。
・ 環境建築の実践や、関連する街づくり活動が現われ始めた
・ 雑誌の活断層特集号において幅広い関心を喚起した
・ 発明・発見絵本を作成・出版し、これを使って5年間で延べ3500名以上の小学生に読み聞かせを実施(場合によっては事業者とともに理科実験とのタイアップも共同開催)
・ NPO法人からだとこころの発見塾でのサイエンスカフェ
・ 東京大学生産技術研究所SNGグループで、オープンキャンパスにおける中高生向けへのツアーの企画・試験的に取り組んだ
・ 東北大学総合博物館が企画した恐竜化石発見教室の講師、2日間に渡り化石採集からクリーニングといった実際の研究過程体験の補助と講演、定員の9倍近い応募があり、参加した小学生~高校生と恐竜に関するやり取りを行った。参加した子ども達からは次回も参加したいとの要望が多数
・ 学校、NPO,企業のコラボレーションが創出され、年度を越えて継続して行われている活動が複数ある(例:高校生のための食育ビデオ塾など)
・ ロボットの簡易プログラム作成の教室を実施。成果としては、教室に参加した子どもが、別内容のロボット教室にも参加してくれるようになったこと
・ 4次元デジタル宇宙プロジェクト
・ サイエンスチャンネルの番組制作にて、科学的内容部分に関しての制作会社への指導を行った
・ 生徒が自由研究など評価を伴う授業の枠を外れた活動に参加してくれた
回答H:問題点や行き詰まり、悩んでいる点、また、そのために必要な支援
科学というものについて
・ 科学の限界の説明
・ 科学的思考の重要性
本来、環境問題を正しく捉えるには科学的に考える力こそ重要なのだけど、そうした「思考過程」よりも「環境を守ろう」という結論が価値あるものとされるのだろう。今に始まったことではないけれど、ちょっと悔しい
・ 科学を文化として捉える風土の醸成
・ 一般向けでなおかつがっちりと中味の濃い科学書のようなもの
参加者の非固定化・拡大
・ イベント参加者がほぼ固定化している
科学にもともと興味のある人しか集まらないようになってきている気がしています。広報によって改善することが可能なのだと思うのですが、もともと興味のなかった人を、どうやって惹きつけることができるのか、が難しいと考えています。
・ …他機関のサイエンスカフェ等の実情を見てきたが、市民が気軽に立ち寄ることができる場(時間を含む)が余りにも少ないことから、土曜日の午後に小田原駅構内(喫茶店のテラスを借りた)で自由に出入りできる場所で市民がサイエンスの話題を気軽に聞きに来れるようにした。立ち寄られた市民は、いままでに講演会などには参加しない市民も多く、実質的にサイエンスカフェの本来のあり方を実現できたかも知れないと思っている
・ 「ごくフツウの人」の参加を増やすにはどうしたらいいかが、いつもの悩みです。しかし、「フツウの人」は、日々の生活に忙しい。子育てや労働で疲れ切っている。そんな人たちの貴重な時間を、「科学コミュニケーションのために使ってみませんか?」と笑顔で勧誘することに若干の罪悪感を感じることもある。しかし、長期的にはそのような活動が、この社会の民主的な基盤を維持するために不可欠だ。どうやったら、そんなフツウの人が、「長期的な視野」を持ってくれるだろうか。そういう意味で、市民研の活動にはいつも頭が下がります。
・ 科学コミュニケーションの活動に対して、市民が自分の問題として捉えていない
・ 科学技術に明るいメディア(新聞、テレビ、フリーペーパー)、関係者・有名人の増加
・ 企業のトップの意識を変える必要があるが、トップ(経営層)に対して働きかける場がなかなかないこと
人材
・ 私が実施している活動のキーワードが、「伝える」「つなぐ」であり、それを行う人材をバッファー(Buffer:緩衝液)人材とする。コミュニケーターはそれもまた重要であるが、目的なくしたコミュニケーションは意味がなく、また、自己満足に陥る可能性が高い。何のために「伝える」か、という部分を明確化し、それをプロセス化する際、コミュニケーション能力が高い人間が必要とされることは間違いないが、一方でこのような人材は必ずしも評価されていないことも現状(とはいえ、評価される側にも課題はある)。個人的には、目的をもったバッファー人材と、質の高いネットワークを作ることが解決の一助となると考える。
能力・態度
・ コミュニケーションスキルは必要だが、十分条件ではない。
・ 専門家にインタビューする時は、素人でもわかるようにできるだけ簡単な説明をお願いしていますが、それでもこちらで最低限の知識がないと取材になりません。
・ 少なくとも日本のSTSは未だに科学技術(者)批判にとどまっているように感じられること。
・ 自分が行っていることや周りが行っていることが果たして双方向的な「コミュニケーション」であるかどうかがよく分からない。一方向的な「啓蒙活動」な活動ではないのか。と聞かれた時の明確な回答を持ち合わせていない。自分たちの活動が「科学コミュニケーション」と呼ばれる中に入っているから「コミュニケーション」をやってる気になっているだけではないかとも考える。
手法
・ さまざまなバックグラウンドや興味を持つ人たちが一同に会するサイエンスカフェのファシリテーションの方法(ファシリテーションについては実演付きの講座がほしい。近々、知り合いのNPO法人のファシリテーション講座を受けに行く予定ですが)
・ 自分は産≒経済社会の中で「人が動くメカニズム」を学び、マネジメントする技術を身につけることで、将来的に科学、科学技術と人々の生活を調和させる力を持ちたい。
・ 科学コミュニケーションは日本人のコミュニケーション能力を向上させる有効な方法だが、句会などの伝統的コミュニケーション手法との融和が難しい。
情報基盤整備
・ メディアの質の向上
・ 科学者・研究者による科学コミュニケーションは盛んだが,それに比べて技術者(とくに企業の)による科学技術コミュニケーションの活動が弱く,またその手法・ノウハウが共有されていないこと。事例集・ノウハウ集がほしい。
・ 科学コミュニケーターの「知識」の可視化(データベース化)が必要。
・ 私自身は特定の組織や活動に深く参加しているのではなく、あくまで個人ベースによる活動が主となっている。自分が手伝えそうな内容であったり、興味のある内容については積極的に参加したり企画したりしている。そのため、実際の現場での経験は積んできているが、理論的な部分・システマティックな部分について、それらが必要かどうかは別にしても、教科書的な裏付けがないことに不安を感じている。そのために、サイエンスコミュミケーションを学んでいる方やサイエンスコミュミケーターの方にできるだけ参加して頂き、客観的な判断や意見を頂けるように努力している。
活動の持続性
・ イベント後の「学びの継続性」
・ NPOとしての財源確保とメンバーの高齢化
・ 予算獲得が難しい。特に、事業の立ち上がり時点が大変。
1)コミュニケーションの創出を担う業務(コーディネーター業務)にお金は出ない。
2)企業の場合、コミュニケーションが創出されたことに予算はつかない。よほど意義を訴え、実質的なメリットが表現できないと実現できない。たとえ、1回分だけ予算が獲得できたとしても、社会的課題(例えば、食の課題、情報コミュニケーションの課題など) の解決に向けてコーディネートしても、1年程度で効果や成果はみえにくく、予算の継続的な獲得につながらない。CSRだけでは継続が難しい。
3)NPOの場合、助成金は使途が限定され、NPOにとっては助成金によって忙しくなるにもかかわらず事務局維持費が捻出できず、取得を中止した事業もある。
活動の評価、キャリアパス
・ どんな活動をどの程度実施すべきか、その判断基準をどう作るか。
・ イベントなどの場合、何をもって成果とするのか、どのように評価したらよいのかが難しいです。数字では測れない事であっても評価するシステムが必要だと思います。
・ キャリアパス(シンクタンク的な組織の設立を含む)
・ 科学コミュニケーターという、まさにコミュニケーションを直接的に行う人として働いてきたので、今後どのようにサイエンスコミュニケーションを行っていけるのか、考えることがある。一般の方との直接の対話というのが、私の一番得意としているところだと思うため、それが活かせる方法があるのか、と考えることがある。
活動の実態
・ 専門家でなく、市民・ユーザが主導する場がもっとあってよい。
・ 学校、企業、行政、NPOは文化が異なり、コーディネーターは自分自身の多大なる時間を連絡や調整に使うことになる。生活費の保証が別にないと、コミュニケーターはできない。
・ 当事者の意見の交換はできるが、相互理解や課題解決に向けた協働的な活動にはつながらない。
・ 自分からニーズを開拓する時間的余裕がない。求人情報のように、どのようなニーズがあるのかを知らせてくれるような仕組みがあればよいと思う。(エージェント)
・ 地方では参加者の意識は高いものの、イベントを実施するには参加者数の確保が非常に難しい。首都圏に比べて母体数が圧倒的に少ないため、科学コミュニケーションの多くが都市部に集中しやすい。積極的な広報活動支援等があると少しは効果があるかもしれない。また費用対効果を問われると難しい場合があると考えられる。
本業とのバランス
・ アウトリーチ活動には興味があるので、もうちょっと活動を拡大しても良いが、本業(研究活動)とのバランスを考えるとなかなかそうもいかない。業績として少しは評価されるようであれば良いのだが。また、ボラティアベースでこの手の活動を拡大しようとしても無理がある。現状についてよく知らないで申し上げるが、助成金制度の拡充や、大人も含めた科学再教育の場を提供する方策があってしかるべきである。これらの活動を通じての異業種交流のようなことが頻繁に行われるべきで、専門家・技術者が社会で流動的に活動できるのが健康的な社会なのではないか。
・ 研究者を辞めて転職したこともあり、科学コミュニケーションに割く時間がなくなってきた。必要な支援は特にないです。
・ サイエンス・カフェについては、本学では学生が主体で運営しており、学生自体は意欲的。一方、本学は科学技術系の大学院大学であるにも関わらず(もしくは、そうであるからか)、科学技術コミュニケーションに関わる活動に対する理解に欠けているきらいがある。
その理由は、おそらく本学の研究者にとって、そうした活動は「活動」でしかなく、「研究」にならないということと、担当する教員が科学技術プロパーの研究者ではないからだろう。年に1回の広報行事であるオープン・キャンパスは研究者も熱心に取り組んでいるので、形式的に「教育」の一部に組み込んでしまえば、研究者の仕事の一部として展開できる可能性がある。
反省的課題
・ 「科学コミュニケーション」という枠組みの設定には疑問を持っております。科学教育、という古典的な枠組みに加えて、なぜ「科学コミュニケーション」という言葉を足さなければいけなかったかと言えば、二つの課題があり、一つは「科学を一般市民にご理解いただき、受け入れていただく」というものであり、もうひとつは「生活に密着した社会問題としての科学を考える」ということです。…結局のところ、科学コミュニケーションというフレーズが一人歩きすればするほど、問題解決に携わらなければいけない人たちの責任感や問題意識が減退していくだけである、ということになりかねないと思っています。このあたりで「科学コミュニケーション」というフレーズの利用に関して、真摯な反省が必要であるように思います。
・ 科学コミュニケーションという言葉の曖昧さ
・ 展示解説等の業務を目的として雇用される人のことのみを科学コミュニケーターと呼ばせようとする圧力
・ 科学コミュニケーション業界内部での無意味な派閥化(CoSTEP関係者の囲い込み等)
回答I:活動を支える原動力・やっていてよかったと思うとき
自己の信念、興味・関心
・ もろもろ活動を、数年から十年近くにわたってそれぞれ行っているが、それぞれについて、自分たちが信じているもの(目的・未来・手段等)がぶれたことがほとんどないこと。
・ 大好きな科学のことを調べ・伝えるのが仕事だと、自分が楽しい。これに尽きます。
・ おもしろいものはおもしろい!
・ 自分がもっとマシな社会に生きたい、楽しく生きたいという強烈なエゴ
・ 個人的な興味
・ あとから見て、正しいことを言っていたな、と自己満足するとき。
知的好奇心、創造欲
・ 原動力は、第一には「知りたい」という気持ち。勉強が好きです。
・ 自分自身が先端科学そのものの話題に触れられること、重要な社会的課題について考える場に参加できること。
・ さまざまな分野のお仕事やお手伝いをすることで新しい知識を得ることがたいへんおもしろいです。
・ ものを創造する楽しさ
人からの評価、関心
・ やっていて良かったというのは、やはり、自分の仕事に対して「おもしろかったです」という感想を聞いたときです。おもしろいと思えないと、こんな厳しい時代は、誰もが「続かない」ので。
・ どんどん質問を重ねて来てくれるとき。
・ 科学映画を見た人が感動してくれること。
・ やっていてよかったと思うのは、書いた記事がおもしろかったとか、サイエンスカフェや授業が楽しかったと言われるとき
・ やっていてよかったと思うのは、参加した人が、セミナーなどが終わった後でも議論を続けているのを見たときなど。
・ 主張を認めてもらったとき。
感動・知的喜びの共有
・ とくに取材を通じて、ヒトの心身や植物なども含めた生命のメカニズムに驚嘆するし、研究者の情熱にも感動するし、で、それをみんなに知ってもらって、感動を分け合いたいという気持ちが自分の原動力ではないかと考えています。
・ グループの気持ちが通じ合う時
・ 自分が知りたいと思うことを、ふさわしい人に尋ね、理解した喜びを、他者にも伝えたい。理解できなくても、「分からない」ことのわくわく感を伝えたい。
・ 学術研究というものの広さ、深さ、面白さ、意義について多くの人々が思いを巡らせること。
・ 新しいものの見方があることを多くの人に伝えたい、ということでしょうか。最近は境界領域的な分野の翻訳などを多く手がけているせいもあり、とくにそう感じます。
参加者の目覚め・満足感
・ 私の話を聞いて、子供が驚いたり興奮したり楽しんだり、科学に目覚めたりしたとき。
・ 技術者をめざす学生に科学技術コミュニケーションの意義が伝わったと感じられたとき。
・ 科学技術に関する市民の誤解を取り去れた時。一般市民に新しい視点を提供できた、という手応えを感じた時。
・ イベントの参加者や主催者、あるいはパンフレット等の作成チームのメンバーが満足しているところをみるとき、やってよかったと思います。
・ 市民、子ども達が目を輝かせて、態度で良かったことを示してくれることが、このようなことをしてよかったと思う。
社会への貢献・問題意識
・ 誰かの役に立つこと。一般の人の科学技術に対する敷居を下げたり、何らかの関心を持つきっかけを提供したいと思っています。
・ 科学研究のあり方を問い直し,社会を変えていく努力をしなければ,おそらく将来食べていくのにも困るだろうという,漠然とした意識.
・ 科学研究に携わる人々が視野を広げ、社会に支えられた、社会のための活動に携わることを認識すること。
・ ひとが変わっていくのに接するとき。社会が少しずつでも良い方向に変わっていると感じられるとき
人とのつながり
・ 新しいネットワークがつながったとき(自分と誰かだけでなく、その場で合った誰かと誰かも含めて)
・ あの人とあの人を結びつけたらどうなるだろう、という好奇心。逆に言うと、自分が企画する場合は、「~~をやりたいから話せそうな人を探そう」というふうにテーマから入ることは少なく、人がベースにあって、テーマを思いつくという形式が多いです。
・ 「原動力」が何であるか考えたことはなく、少し考えてみましたが、やはりよく分かりませんでした。科学技術コミュニケーションに関する活動に取り組んでいて良かったと思う時は、具体的には色々ありますが、知識と知識、人と知識、人と人、組織と組織などの間に、少しでも新しいつながりを生み出すことができた、と感じることができたときです。
回答J:ほかの人にも勧めたい活動
・ 立花さんのサイエンスカフェのポータルサイト
・ 新聞記者に手紙を書くこと。政治家に手紙を書くこと。行政官に手紙を書くこと。裁判官に手紙を書くこと。直接の反応は期待できないことも多いですが、きっと何かの影響を与えています。
・ 企画デザイン・広報物に流行を取り入れること
・ 科学コミュニケーションは自然科学だけでなく人文・社会科学にも(誤解をおそれずいえば人文・社会科学に「こそ」)必要だと思います。社会科学系の集会(たとえば「ウトポス研究会」など)に出たことが随分役に立ったと、個人的には感じています。ただし、そういうことがみなさんにすすめられるようになるためには、その種の団体にも、変わらなければいけないところがおおいにあるでしょう。
・ 日本科学未来館のボランティアは、楽しいですので、お勧めです。
・ 科学コミュニケーションに関わる人には、ぜひサイエンスアゴラを一緒に盛り上げて欲しい。
・ いわゆる「仲良しサークル」的な活動に満足しないこと。…自分が掲げる理念を「具現化」する事を目指すのであれば、自分が選択しているアプローチ、活動が、本当に「最短距離」なのか常に自問自答を続け、必要であれば手段を選ばない覚悟も必要。
・ 科学コミュニケーションに携わる多くの方々が、日本国外(欧米だけでなく、多様な文化・地域における)での経験をたくさん積まれることを期待します。日本での活動の良いところ、独りよがりなところがより鮮明に見えるのではないでしょうか。自分にはイギリスでの経験が貴重でした。
考察
アンケート分析の結果として、科学コミュニケーションの制度と中身についてそれぞれ課題が浮かび上がってくる。まず、制度について見ると、科学コミュニケーターはどちらかといえば場づくりや見せる活動に多く携わっていることがわかった。それらはその「場」のための活動であり、必ずしも社会に向けられていないため、参加者の非固定化・拡大や活動の継続性に問題を抱えているのではないかと見られる。活動を社会に向けるとすると、目的を持ったコミュニケーションが必要であり、何のために「つなぐ」のか、「伝える」のかが明確に求められる。ただし、そうした社会に向けた活動ではジャーナリストや政策研究者など、既存のアクターと競合するというジレンマがある。「科学コミュニケーション」と言ってしまうと問題意識や社会に対する責任感が取りにくくなるため、この言葉の概念や使い方についても反省が必要であろう。
一方の科学コミュニケーションの中身の問題として、場づくりや見せる活動を通した経験が洗練した方法論や体系化された知識となっていないため、ここでも科学コミュニケーションとは何かという悩みに直面する。食と農や医療福祉、衣服や住まいなど生活圏に身近な問題を「科学」として捉えられていない問題があること、また科学コミュニケーター自身の活動を客体化する機会がないため、リスクとベネフィット、科学技術に対する批判と共感のバランスの取り方がわからないように見受けられる。
所感
昨今の事業仕分けにおいて科学技術政策担当者の説明が下手で、仕分け人に対して事業の必要性を適切にアピールできなかったとも言われている。ああいう場面にこそ事業のメリットとデメリットについて説得力を持った説明をするような科学コミュニケーターがいれば、社会や一般市民からの見方も違ったと思われる。今回のことをきっかけに、科学者の間では自らの活動の意義をきちんと社会に伝えてこなかったことに対して反省が見られ始め、少しずつ大きな動きとなっている。だが、まだ当の科学コミュニケーターの間ではそうした声が力を持って社会に響いてこない。今こそ科学コミュニケーターが自らの存在意義を示す良い機会ではないだろうか。
(付録)市民科学講座でのディスカッションのまとめ
テーマ:「科学コミュニケーション」について、何を気にしているか
・ 企業でプラスチック製造に携わる仕事をしているが、たとえばスーパーのレジ袋の削減が本当に環境のためになっているのか、身近なものについて伝えるものが科学コミュニケーションだと思っていた。
・ 科学コミュニケーションに興味があって参加しているが、企業の人がそうした場で話す機会がどれだけあるのか教えてほしい。
→アンケート送付先にはもともと企業関係者はそれほど多くない。市民研にも企業の方はいるが、表だって発言される方は少ない。個人として話す部分と会社を代表して話す部分が分けられず難しいところがある。
→研究者でも自分の分野でなくちょっとずれた話題でないと話せないということがある。
→クローズドな場だと企業の人でも赤裸々に話すことができる。
・ アンケートの構造に疑問がある。たとえば消費生活アドバイザーや医者も科学コミュニケーターだと思うが、そうした職業を書く欄がない。医療・科学の両方をつなぐようなコミュニケーションが必要ではないか。医療分野が他と決定的に違うのは、(科学技術の)受容側が決定しなければならないということ。
→アンケートのフレーム自体、「科学コミュニケーション」というものを狭く規定してしまったかもしれない。
・ 科学コミュニケーションの歴史を見ると、4年ぐらい前に北大、東大、早大でそれぞれ科学コミュニケーションに関わる人材の養成講座が立ち上がったことがある。もっと遡れば1990年代にポスドク問題があって、彼らの行き場としてあてがわれたという部分もある。そのため、理学系研究者が多く医学系が少なかったという部分もある。科学コミュニケーションで「啓蒙」が悪しきものとして語られることもあるが、やはり基礎的な知識を与えるというところで、ある部分は啓蒙が必要である。サイエンスカフェなども場を重ねて、参加者が継続的に参加し、その場が社会への方向性を持つように変わっていければいいが、なかなか難しい。「科学ひろば」はそうした取り組みであり、自分の原動力としては「みんなを動かしたい」という思いでやっている。トップダウンで何かをやろうというのは考えていない。ポータルサイトを運営しているのは、誰もサイエンスカフェについてのまとまった情報を出してくれないから自分でやっている。
・ この場でも、市民研でも限った話ではないが、こうしたことはとかく「科学は難しい」ものとして語りがちである。素朴な観点から様々なことに対して非常に鋭い意見を持つ一般市民もいる。
→CMなどメディアで分りやすく誤ったことを伝えていて、専門性を持った人ほどそうしたことに気づかず、固定化された見方で物事を見てしまう。
・ STSNJで「サブカルチャーの中のサイエンス」というテーマで漫画やアニメで使われている科学について議論した。「科学をネタとしてイジろう」という感じでエンターテイメント性を追求すれば良いのでは。理科実験は科学オタクを生みがち。そうでない人を巻き込む入り口を増やすやり方である。
→何か科学的な対象を捉えるだけではなく、「長崎原爆はどのように落とされたか」といったことについて証言などを元に再構成するのもある意味で科学ではないか。ものとものをつなぐ推論、自分なりに納得できる組み立て方も科学であろう。
→「すイエんサー」というNHKの番組があるが、そこでは積極的に、知識を伝えることを放棄している。小中学生の素朴な疑問を女性アイドル自身が調べて答える。どんなに下らないネタでも扱い、とことん熱中して取り組む。知的なフットワークの軽さを持って、疑問を眠らせないことが大事。
→世の中には疑問が多すぎて、情報に埋もれて人生をムダにするのではないか。
・ 給食関係の雑誌の編集をしているが、「くしゃみは何m飛ぶか」などは分かっておらず、科学で漏れているところがある。学校で出張の科学実験など来ることがあるが、科学の「ワンダー」を伝えたいと思って意気込んでくる。だが、学校は日々生徒に対して教育をしており、彼らが社会を向いていけるようにしてあげなければならない。「ワンダー」な人たちが学校をかき回す可能性がある。学校という場でやる意味というのを考え、上の場合は学校外でやればいいと思う。科学コミュニケーターが少ないというアンケート結果が出たが、食や医療は価値観が絡んできて難しいというのもあると思う。逆に「リスク」の部分が科学コミュニケーションの突破口になるのではないか。科学コミュニケーションと言って大上段に構えるのではなく、また参加者が知的に打ち負かされるのではないあり方があるだろう。
・ 小学校から見た理科の現場は惨憺たるものである。理科教育の問題が大きい。教科書でも水酸化ナトリウムなど日常からかけ離れたものがポッと出てくる。地震や火山についても教科書では少ししか載っておらず、総合学習の時間に自分で調べることを勧めている。だが、図書館に行っても10冊と良い本がなく、ネットも同様である。