笹本征男さんとの出会いと原爆調査

投稿者: | 2010年6月20日

吉田由布子
(市民研・低線量被曝研究会、「チェルノブイリ被害調査・救援」女性ネットワーク)
笹本さんの突然の訃報は、低線量被曝研究会の月例勉強会の翌日の夜のことでした。勉強会でも笹本さんのことが話題に上り、もうすぐ退院される頃ではと思っていた矢先の報せに信じ難い思いでした。
そもそも私がこの研究会に参加するようになったのも、笹本さんのお誘いを受けてのことでした。笹本さんに初めてお会いしたのは別の会合でのことでしたが、07年だったと思います。私は1986年に起きたチェルノブイリ原発事故による子どもたちの健康被害の調査と救援に取り組む「チェルノブイリ被害調査・救援」女性ネットワークというNGOの一員として90年から活動していましたが、私自身、放射線の影響について当初はほとんど何も分からない状態でした。しかし代表の綿貫礼子が環境汚染物質による次世代への健康影響をテーマに放射線や化学物質の影響について長く研究していたことと、旧ソ連現地で医師や研究者、そして住民と毎年のように意見交換を経る中で、私も徐々に学びを深めていくことができました。一年間のロシア留学を経て、チェルノブイリの健康被害に関するロシア語医学論文についても多少読むことができるようになり、実際には垣間見たにすぎないのですが、一般に入手できるような英文論文には載っていないような研究も多く、被害の実態を掴むために現地(言語も含め)に学ぶことの重要さを実感しました。
その十数年の調査をまとめ、05年に『未来世代への”戦争”が始まっているーミナマタ、ベトナム、チェルノブイリ』(綿貫・吉田著、岩波書店)を上梓したのですが、笹本さんは綿貫とは旧知の間柄で、お会いしたときには既に拙著を読んでくださっていました。チェルノブイリでも非常に多くの健康被害が出ていますが、限定された疾病しか放射線の影響として認められていません。その「切捨て」の根拠は、皮肉なことに原爆による放射線の健康影響の研究が基礎となっているのです。そうした点からも、放射線の健康影響について原爆の被害調査という原点に戻り、初期の調査と日本語論文から見直すということが、私の次のテーマとなりました。アメリカで出されたいくつかの資料を読み、遅まきながら笹本さんの『米軍占領下の原爆調査』(1995年、新幹舎)を手にしてさまざまなヒントを得ていたときに、ご本人にお会いしたのでした。その意味では、ちょうどよい時期に出会うことができたのだと感じましたし、その縁で低線量被曝研究会に加えていただき、笹本さんの研究姿勢に刺激を受けながら今日まで勉強を重ねて来ました。
笹本さんの研究テーマは非常に幅広いのですが、「原爆」はもちろん大きな柱でした。『米軍占領下の原爆調査』は日米の膨大な資料を読み解いての緻密な調査をまとめられたものですが、その時点で追いきれなかった問題ももちろんありました。勉強会でもさまざまな資料を私たちに提示され、さらに調査研究を深めたいという思いは強く感じられました。昨年3月、研究会メンバーで広島を訪れ、関連の跡地をめぐり、また原爆調査の現物資料などを見ることで、初期の原爆調査の問題の追求が研究会のひとつのテーマとなってきたことを笹本さんは非常に喜んでおられました。それ以降、新資料の発掘もあり、またこれまで活字化されている資料の再検討も行っており、これをきちんと形にしていきたいと私自身も思ってきました。今となっては笹本さんの遺志を継いでいくという形になってしまったことがとても残念でなりませんが、現段階での成果を近々まとめたいと思っています。笹本さんがいらっしゃれば、厳しいチェックも飛び、より良いものになるでありましょうが、何とか及第点をもらえるものにしていきたいと思っています。そして、笹本さんが過去に苦労して入手された資料なども読み返して検討を加え、遺志を継承すると本当に言えるものを作っていくことが、真の追悼になるのではないかと思っています。
そのことを肝に銘じつつ、笹本さんのご冥福を心より祈ります。

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