笹本さんの握手

投稿者: | 2010年6月20日

桑垣 豊
(高木学校、市民研・低線量被曝研究会)
 笹本さんと知り合うようになって1年ばかり。これから何かご一緒にできないかと思っている矢先に亡くなられて、とまどうばかりである。低線量被爆の勉強会を終えて、一緒に地下鉄南北線に乗る帰りぎわ、先に降りる私にされた握手が非常に力強かったのが、今も手の感触として残っている。
 3月上旬に瀬川さんが京都に立ち寄られた機会に、私の実家で海軍機関学校の教官であった父の話を聞いてもらった。その後、広島で瀬川さんと再会して、黒い雨の汚染土が出てきた民家のある地域を見に行った。そんな話を笹本さんに報告するつもりであった。笹本さんに会うといつも、高齢である父が元気にしているかと声をかけていただいていたのに、先に行かれてしまうとは。
 昨年7月に私が長崎原爆投下の経緯を報告した後の懇親会で、「事実を確かめるのに道徳的な判断が前面に出すぎると、実態が見えなくなる」のではないかと言うと、笹本さんも同じ意見だと言われていた。しかし、現実への怒りや問題意識がなければ、そもそも研究や調査を始めることはできない。事実解明に必要な冷静さと、研究をつづけようとする強い気持ちは、ともにそなえなければならないが、心の中では整理がつかないこともしばしばある。笹本さんは、私よりもはるかにこの葛藤が強かったのではないか。道徳的判断が先に立つと見えなくなることがあると、何度も自問するように言われていた。
 私も原爆投下の経緯だけでなく、戦後の被爆調査の歴史的経緯を追うこの研究会の主要テーマについて、情報整理などの点でお手伝いしたいと思っていた。まだ、手についていないが、それが笹本さんの握手に答えることになると思っている。

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