談話会「補聴器を使う生活とは?」に参加して

投稿者: | 2010年11月22日

談話会「補聴器を使う生活とは?」に参加して
上村光弘
単なるメガホンのような大きなものから、ベル研での電気化を経て、耳の中に入るような小さな補聴器へ、そして人工内耳。技術の変遷自体も非常に面白かったが、今回の談話会である意味ショックだったのは補聴器を拒否する人たちがいるという話しだった。目が悪くなれば眼鏡やコンタクトを使うのと同じように、聞こえるようになるのなら補聴器を使うのはごく自然なように思える。先天的に聞こえないといわれる人でも多少の残存聴力はあり、まったく聞こえない人というのは少ないらしい。ならば、補聴器を使えばいいのでは?
先天的に耳が聞こえず、子どもの時に日本語の習得が出来なかった場合、たとえ大きくなってから聞こえるようになっても日本語を使えるようになるのは難しい。しかし、適切な環境で育てば、自然と手話が使えるようになる。その手話の文法は日本語とはかなり違っているらしい。手話を使う人々は「ろう文化」ともいうべき言語文化圏を形成しているのである。
言葉を習得した後で難聴になった場合には補聴器は有効だ。しかし、生まれつき聴覚障害で手話が日常会話の手段になっているろう者の場合、補聴器は「ろう文化」の否定になりかねない。
もっとも、技術者だったら次のように考えるかもしれない。乳幼児期の検査で聴覚障害がある場合は、早い段階で人工内耳を埋め込む手術をして、日本語の習得に問題がないようにすればよい。実際、北欧ではノーマライゼーションの一環として、多くの聴覚障害児に人工内耳の手術が施されているらしい。また、たとえ手話を主体に会話するにしても、音が聞こえること自体は良いことなのではとも思えてくる。手術の危険性等はともかく、これも「ろう文化」の否定なんだろうか? 私の中ではまだ答えは出ていない。
●「ろう文化」に関連して言及のあった参考資料
木村晴美+市田泰弘(2000)「ろう文化宣言 言語的少数者としてのろう者」『ろう文化』青土社

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