【書評】 平川秀幸 『科学は誰のものか-社会の側から問い直す』

投稿者: | 2010年11月20日

書評:平川秀幸『科学は誰のものか-社会の側から問い直す』(生活人新書、NHK出版、2010年9年10日)

評者:猪野修治

本書の帯には、「科学は、専門家に任せるな。遺伝子組み換えから作物から再生医療まで社会問題化した科学とどう向き合うか。STS(科学技術社会論)入門の決定版」とある。科学が専門家(科学者)だけの仕事(研究)であることを拒否し、「遺伝子組み換え作物」、「再生医療」、「原発問題」等々の科学技術の諸問題を「科学技術社会論(STS:Science ,Technology and Society)」の新たな学問的枠組みで説明し論じています。科学者だけに依存することなく、ふつうの市民がそれに積極的に関わることで、市民と科学者が、それぞれの生活現場や研究現場の実態の差異を認めつも、相互に参加・協働し、共通の認識を獲得すること、最近の言葉で言えば、いかに「公共哲学」を獲得することができるか、ということになるだろうか。

そもそも日本のアカデミズムの中に科学技術社会論なる学問の研究室(講座)ができるのはごく最近のことです。それだけ、科学技術の諸問題はもはや科学者だけに任せてはいけない重要で深刻な諸事件が多発したことの証でもあるしょう。

著者の平川さんはその科学技術を種々の問題を多様な学問(経済学・政治学・社会学・倫理学・哲学・歴史学・教育学等々)を総動員し学際的に研究する専門家です。もともとは物理学を専攻するが、後に科学哲学に転じました。物理学から科学哲学に転じる要因は、物理学の専門家の研究と生活だけでは充足感が得られない、あくまでも物理学の思考それ自体をも広い社会的領域から思考し研究して行こうと思われたもの、と私は推測します。
私と著者はちょうど20歳はなれていますが、私の学生時代には、学問としての科学技術社会論はアカデミズムには存在しませんでした。社会的意識の高い個別の科学者が勝手に発言していましたが、しかし、それらの発言はアカデミズムとは別物として差別され評価されなかった時代でした。したがって、著者がいう「市民と科学者が熟議と協働」をする学問が、アカデミズムに市民権を確保され制度化されたことは、それだけ科学技術の諸問題が重要な教育と研究の課題となってきたことの証であろう。こうして制度化された科学技術社会論が、著者がその任についていらい、どのように思考され実践されてきたかを、著者の生活史・時間史を踏まえながら、冷静沈着な文体で簡潔に要領よく整理され論じられています。アカデミズムの「教育と実践の内容」には私はあまり関心がなかったこともありますが、私の時代とは隔世の感があります。

著者の少年時代(60年代)の科学技術は光り輝いていたが、70年初頭にはそれが一転して多様な負の遺産、例えば、米ソ両超大国による核の恐怖や日本国内の深刻な公害・環境問題などの出現によって、人々の科学技術に対する信頼が薄れてきます。著者が本書(23頁)で示している数理統計研究所「国民性の研究」は、「人間が幸福になるための自然と人間の関係」の問題を取り上げ、自然と人間の関係性が激変するのが1970年代初頭であるという。それ以前は人間が自然を支配することが幸福につながった、という意識が、70年初頭以降はそれが逆転し、人間が自然に従うことが幸福につながるとの意識が高まり、人々の科学認識は転換していったという。こうして科学技術は社会的問題となり多様な市民の参加と学際的な研究を要請せざるを得なくなりました。ここから本書の核心的な内容です。

「科学」「技術」「科学技術」「参加型技術」「公共空間」「共生成」「科学の政治性」「科学と市場」「価値基準と利害」「事前警戒原則」「市民の知的協働」「専門家と素人」「ガバナンスとイノベーション」「不確実性」「複雑性」「善悪問題」「知の力と獲得」等々・・・のキーワードを設定しながら、著者が具体的に関わったこ
とがらを豊富な実例と多様な引用文献を挙げて論じています。

本書を読みながら私自身、大変に勉強になりました。そして感動もしました。というのは、著者が本書(238頁)で言及している市民科学研室の前身「科学と社会を考える土曜講座」の合宿で知り合い、多少の言葉を交わしていらい、その後、交流はありませんでした。人伝に著者の優れた研究と活躍ぶりを聞いてはいたものの、その仕事と研究の詳細は知らなかったからです。まったくもってすばらしい仕事をやってこられたことに敬服しました。紙数の関係で詳論はできませんが、私は、将来を担う若者が科学技術社会を生きて行く際の指針となる「教科書」として、本書を読み受け止めました。若者には必読書です。やはり、実践者の言葉と文体は自ずから冷静で平易でみごと、というほかありません。

また、物理学から科学哲学の転じた転機のひとつの要因を、著者は、最後の最後になって明らかにしています。大学院時代に政治哲学者ハンナ・アレント(1906-1975)の『人間の条件』を夢中に読み取り付かれ、特に彼女の「公共空間」「人間の複雑性」の考え方から決定的な影響を受けたという。これまた感動しでした。というのも私は現職を引退した後、あまり外界との接触をさけ、ひとりよがりの密閉空間にありましたが、この数年、政治哲学者アレントの著作の読み込みに多くの時間をさいてきたからです。
しかし、ローマ共和制末期の哲人政治家キケロ(前109-43)は、人間は老人になるにつれ短期で怒りっぽくなり独りよがりになる、と警告していますが、私は本書によって、自らの今の独りよがりの感性をいさめられたような思いをしました。

現実の科学技術と科学哲学の関係性を考える際、「哲学は現実から出発し再び現実に返ってくるのだろうし、その空間をいかに埋めるかが哲学の根本的な営み」(三木清)なのであろう、とあらためて思い知りました。さらなるご健闘を期待しております。■

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